日常 一覧

大学院をやめることにした。

昨年の夏、別の大学院に落ちて、就職活動を始めた。しかし、2か月ほどやったところで、当時の指導教授に「こんな時期に就職活動してもだめだろう。それよりはもう一度大学院を目指した方がいい。」と言われ、俺もそう思ってしまったのだ。

今思えばこれがすべて間違いだった。おかげさまで大学院に入学することはできたが、入学直後から「なぜ俺は大学院にきたのだろう。あのとき就職活動をもっと一生懸命やっておくべきだったのではないか。」という思いにさいなまれた。

友人はほとんど就職し、昔からの友人の中で学生は俺だけという状況もそれを助長したのかもしれない。今年の4月に入ってから後悔することが多くなった。

もともと去年の夏に大学院に落ちたことをきっかけとして就職活動を始めたのは、学部4年のころの生活に嫌気が刺していたからだった。週に一度研究として行ったことを発表する。それ以外の日は次の発表に向けて研究をするのだが、孤独に研究しなければならなかった。大学に行っても研究できる場所はないし、場所があったとしても友人には会わない。友人もゼミ以外学校にきていないからだ。

仕事を始めればいやなこともたくさんあるし、つまらない仕事だったら苦しいかもしれない。しかし当時の状況は、楽ではあったが苦しいことに変わりはなかった。

そして大学院にきても俺はほとんど学部4年のころと同じ生活をしている。大学院には学生室があって、そこに自分の席があるので居場所はあるのだが、友人はできていない。周りが外国人ばかりだし、俺は英語はほとんど話せない。研究室の中に学生はいるが、別の大学からきているのでほとんどここにはいない。分野もぜんぜん違う。

何1つ変わっていないのだ、去年の生活と。

ああ、俺は甘いさ。もっとつらい人はいっぱいいるさ。でも幸いなことに俺にはまだチャンスがあると思っている。

このまま大学院に在籍していても、同じ生活に異議を見いだせず、すべてのことにやる気が出なくなってしまうと俺は思うのだ。現に、入学当初から掲げていた研究に取り組む気がない。一方、サークルの仕事とかは自分がやってて面白いと感じるからまだやる気はある。これもなくなってしまいそうで怖い。

そして、決断するなら早い方がいいと思ったのである。俺は大学院をやめることにした。

先日先生に話をしていろいろ説得された。先生のいうことも正しい。就職するにしても、在籍しながら活動して、決まったらやめればいい。確かに、その方がいいかもしれない。でも、もう俺には研究に取り組む意欲が失われてしまっている。

「在籍しながら活動するとか、休学して活動するとか、路はまだあるから今すぐやめるな」と先生はいう。そうだね。そういう方がいいだろう。やめた理由を説明するよりはましだ。

だが俺は自身のためにけじめをつけたい。そんな綺麗事で世の中渡っていけるもんじゃないと思うが、言えるうちに綺麗事を言っておきたい。

だから俺は大学院をやめて就職活動に専念することにした。次期は違えど同じ経験をしている人のブログも見つけた。

俺は自分で大学院をやめることを決めた。だから後悔しないし、後悔しても納得できるだろう。去年の秋、大学院に行くことを100%自分の意思で決めなかったときとは違って。

Special Diary in London

  • 日常

酔ってるよ~。ベイビー・カモン!俺の女にならないか、N島さん。

ところで、今日俺は運命ともいえる体験をしたのだ。臨死体験である。うそ。

10時38分、俺は西友にいた。そして買い物を手伝ってくれたMさんに「今日は暑いすね~。家を出たときびっくりしましたよ」と言ったのである。これはごく普通の会話だろう。

その後友人の家に向かったのだが、道中おじさんに声をかけられた。「どこ行くの?」と聞かれたので「友人の家です」と答えたら途中まで一緒に行ってくれたのだが、そのおじさんいわく「今日はほんと暑いね~。家を出たときびっくりしちゃったよ~」だそうである。何故このおじさんは俺と同じ感想を持つのだ。あんたまで家を出てびっくりしなくてもいいよ。

そして帰りには酔っ払ったおじさんと出会った。ろれつが回っておらず「どどどど、どこへ行くの?」とか「俺はぎじゅ、ぎじゅ、ぎじゅ、技術職じゃないけどさ」などと言ってはいたが、営業の仕事をしていて今日は仕事で飲んでいたらしい。飲みすぎだよ、おっちゃん。電車の中で俺はあなたに3回出身地を答え、4回降りる駅を答え、たぶん10回は「親に感謝しろ」と言われた。はい、Yes, Sir!

ところで、今日俺は相談をした。相談に乗ってくれた人ありがとう。がんばってみるよ、俺。とりあえず来週は実家帰って両親に頭下げてくる。なんでそんなことするかは内緒。

どうでもいいけど、ショコタンがかわいい。かわいいっていうかギザかわいい。バンドでショコタンやろうぜ。水樹七は難しいからさ、ショコタンと川田まみにしようよ。それがだめならあたしを殺して。ズボボボーンレンボ大王、巣ペクトラム分析によって星の赤方変異が観測され、ハッブルの法則により星は遠ざかっていることが示されたことを知っているか。

もう1ついいことを教えてやろう。Eistainは俺だ。やべえ、アインシュタインって書きたかったのだがスペル=間違いかもしれぬ。ポッぽー!汽車ポッポー!今日もトーマスは行く。けっ!あのごんぶと眉毛は許せない。なんで機関車トーマスの伽羅は眉毛がごんぶとだったり無かったりするのか。意味がわからん。

将棋

  • 日常

最近面白いことがほとんどない。頭の痛いことは山ほどあるのだが・・・。

それで、何故そう思ったのかは分からないのだが、将棋がやりたくなった。小学校高学年だったか中学の始めだったかに将棋を少しやったことがあって、なんとなく別の理由でその頃のノスタルジーに浸っていたところ思い出したのだろう。

当時全盲でも駒の区別ができてちゃんと盤面の枠も触って分かるという、将棋の駒と将棋盤のセットを買ったので、それが実家にまだあるかどうか聞いたら、ほこりをかぶっていたがちゃんと置いてあったらしい。で、先日送ってもらったわけだ。「そんなもん、もうどこかへいっただろう」と思って新たに購入を検討していたのだが、聞いてみてよかった。

常識のある人なら、ここで1つの疑問が浮かぶだろう。「将棋は2人用のゲームでは?」という、根本的でかつ独り暮らしの俺にとっては最も重要な。駒と将棋盤があっても、1人じゃ遊べない・・・。

厳密には遊べるのかもしれない、いろいろな将棋を俺は知らないから。だが、少なくともスタンダードな将棋(妙に合わない言葉の組み合わせだ)をやるなら、俺はだれと戦えばいいのだろうか。

答えは簡単。コンピュータと戦えばいいのだ。あぁ、なんと素晴らしい世の中だろう。いずれは人と将棋を楽しみたいものだが、俺の場合、そういうための経験を積んでいかないと、とてもじゃないが人前で将棋なんて指せない。

ここを読んでいる読者は、きっとまた疑問を抱くであろう。「コンピュータとやるなら将棋盤なんかいらないじゃん」と。全くその通りなのだが、ディスプレーを見て状態を確認できない以上頭の中で想像しながらやらないといけない。それが俺にはできないのだ。棋譜というのだろうか、それをテキストファイルに出力する機能をたいていの将棋ソフトは持っているらしいので、それを確認しながらなら覚えていなくてもきっと大丈夫なのだろうが、面倒くさい。そこで活躍するのが将棋盤なのだ。コンピュータの手もちゃんと読み上げてくれるので、そのとおりに盤上で駒を動かせば、その都度触って確認できるのでテキストファイルを見回す必要もない。何より、実際に将棋してる感じではないか。

そういうわけで、本日の夜は一人机の上に将棋盤とキーボードを置き、ひたすらコンピュータと対戦していたのでありました。情報によれば柿木将棋であれば、キーボードと音声で使用できるとのことだったので、体験版をとりあえずインストールしてやっている。

自分で駒を打つときは、Shift+Enterを入力して指し手入力エディットを出し、[異動先][異動元]の順に座標を入力すれば良い。例えば、77にある歩を76に移動させたいときは 7677 と入力する。そうすると、録音された音声で「76歩」みたいに読んでくれるのだ。

キーボードによる操作に関しては、ヘルプを眺めても記述を発見できなかったのだが、readmeにでも書いてあるのだろうか。俺はメーリングリストのログをあさって発見した。

そういうわけで気がつくと3時間もやっていた。もちろん何度も何度も詰まれたが。ただ、いい感じで攻めていたこともあったのだけれども、「体験版は70手までしか打てません」という無情なメッセージが出現したため、その対局はあえなく終了してしまった。製品版なら2000手までOKらしいので、つい、注文しちゃったじゃないか。まだ金振り込んでないけど・・・。だから猶予はある。・・・体験版じゃそのうち我慢できなくなりそうだからたぶん買いますがね。

カラスに餌を播く女性

  • 日常

やることが一段落したので、大学にいるけど日記を更新しよう。決して今授業中ではない。バイト中だが(笑)。

昨日テレビで、公園でカラスに餌を播く女性について特集していた。世田谷(うちの近くだ)の公園でそういうことをやってるらしい。公園に設置された看板にも「非常識な人」書かれたようだ。

具体的には公園にやってきたカラスに対して餌を播くのだという。ウインナーだったりパンだったり、それも生ゴミではなく明らかに買ってきたものらしい。

それが周辺住民の多大な迷惑になっているということのようだ。例えば朝ネットをかけているにも関わらずカラスがゴミをあさるためゴミが散乱してしまったり、公園にカラスが増えたためにくつろげない、といった苦情があるとか。

テレビの取材班は当該女性との接触に成功。ちゃんと言い分を聞いていたのだが・・・。ボイスチェンジャーのせいであまりうまく聞き取れなかったのだが、確か「地球には人間だけじゃなくて他の動物もいるんです。でも人間はそうした動物を殺してしまっている。それはよくないことだから動物を守らなければならないんです」みたいな趣旨だったような気がする。だからカラスにウインナーをやっているんだというのか。

この女性、わざわざ車に乗ってくるらしい。それって近くの住民ではないということだろうか。

さて、今日はこの女性とその行為について考えてみよう。

まず行為について。餌を播くことによってカラスは空腹を満たすことができるが、これは人間とカラスの双方にとって好ましいこととはいえない。

人間が被る被害をみてみよう。公園にまかれた食べ物をすべてカラスが食べたとしても、カスやほんの少しの食べ残しで公園が汚れる。また、餌にありつけることを学習したカラスが公園に集まるので、人間にとっては公園で過ごすのが危なくなってしまう。カラスは共謀なのである。さらに、冒頭で挙げたように、ゴミが荒らされたりカラスに襲われたりする人が出てきて、地域にも多大な迷惑がかかる。

一方カラスにとってはどんな迷惑が考えられるか。迷惑というか必然的なことになるが、こうやって育ったカラスはいずれ自分で餌を取ることができなくなってしまうのである。

こんな話を聞いたことがある。大学のキャンパスによく野良猫がきていたそうだ。学生たちは可愛がって、子猫だったその野良猫数匹によく餌を与えていたそうである。ところが夏休みになって学生がいなくなると、子猫たちは餌をもらえず、そしてもらうことでしか餌を食べてこなかったせいで餌を取ることもできず、やせ細り、たまに集中講義でやってきた学生にむらがっていたんだそうである。

カラスも同じだろう。ずっと餌を与え続けていればいずれ餌を取る努力をしなくなる。そして餌をもらえなくなったカラスは餌を食べられず死んでいくのだ。まぁ少し飛躍している点はあるが、基本的にはこういうことだ。ただ、カラスが死ねば人間は喜ぶのだが。

そういうわけで、真剣にカラスのことを考えるんだったら餌なんて与えない方がよっぽどまともな判断だと思う。

次にこの女性について考えてみよう。今示したように少し考えるだけで当該女性の矛盾点がうきぼりになる。しかし、感情に支配されているからこんな論理的な思考ができないんだろう。ゆえに他人やカラスの迷惑も顧みずこんなことをしているに違いない。

そして注目したいのが車できているということである。近所のくせに車できているといことも考えられるが、普通車でくるんだったら歩いてくるには遠いところに住んでいると考えてよいだろう。ということは、自分の住まいの近くではやりたくないので、遠くにきて餌を播いてる、ということにはならないか。自分の住まい周辺でカラスがいっぱいになるのがいやで、車でわざわざ遠いところにきているとか。だとしたらただの身勝手なババアとしか言いようがない。

しかしこういう見方もできる。東京中の動物たちを守るために、車で東京中を回り、公園で餌を播いているのかもしれない。だとすると新年の強い人だと称賛しなければならない。どんなにいろいろ言われようと、ひとさまの迷惑になろうと、自分の信念をつらぬいているんだから立派である。

だがカラスだけに餌を播いてもあんまりうれしくないだろうに。手当たりしだい野良犬や野良猫、動物園の動物たち、小鳥、そういう動物たちにもちゃんと餌を与えないと。そうじゃないと動物たちは守れませんよ、おばさん。

で、おれとしての結論。新年を貫くのはいいが、人の迷惑にまでなるのはやりすぎなので、とりあえずカラスに餌を播くのはやめてくださいね。カラスうざいし。ちょっと減った方がいいよ。しかも、あんたが餌播かなくても、やつらはちゃんと自分で餌確保してるからね。

USBメモリを亡くした

  • 日常

俺はよく物を忘れたり亡くしたりしてしまう。最近USBメモリを亡くした。データはほとんど入っておらず、というか Windows Vista の自動インストール用の応答ファイルだけしか入ってないのだが、家にも大学にもない。まあ別の物を買ったときにおまけで付いてきたものなので亡くしても大した損害にはならないのだが、2GBも要領があったのでちょっと悔しい。

亡くしたといえばベルトも亡くした。酔ってどこかへいってしまったのだ。よりにもよって家の中で。しかし、先日そのベルトが発見された。なんか、洗濯機の前に積んであるダンボールと洗濯機の間にはさまれていた。こんなところにベルトを置くとは、俺はそのときかなり酔っていたのだろうか。そんな覚えはぜんぜんないのだが・・・。

ベルトはともかく、USBメモリとかみたいな小物をよく亡くしてしまうので、何か小物入れがほしい気分だ。知り合いはラックに取り付けるタイプの小物入れを持っていて、フロッピーなどをそこに入れていた。でもそれはもう販売していないらしく、どこを探しても売っていない。置くタイプの小物入れではなくて、ラックの支柱とか天井の裏に固定できるようなものがあると便利なのだが、どこかに売ってないだろうか。探してみようっと。

意図的に徹夜している今日このごろ。

だれか俺を一度ズタズタにしてほしいのである。大学院にきても、相変わらずぎりぎりにならないとやることをやらないという習性は治らなかったようで、やっぱゼミの1日前になってまとめに取りかかっているのである。ああ、情けない。

でまぁ、友達の誘いも断ってやっただけのことはあり、0時を回ったころには一応の決着をみたわけですが。それから寝てもよかったのだが、あいにく俺にはやりたいこと、やらなければならないことがある。

その1つはギターの演奏。最近体調が悪かったこともあってほとんど弾けてなかったので、久しぶりに弾きたいなあと思っていたのだ。

次に食器洗い。昼飯を食ったときにつかった鍋とか洗ってない。洗わなきゃ。朝ご飯が炊けない。

そして、酒を飲む。夕飯のときに少し飲んだが足りない。

そういうわけで、どうせ寝れても5時間ぐらいだってことで徹夜することにしたのである。

まず課題を終わってからギターを弾いた。1時間半ぐらいかな。

次に腹が減ったので飯を食いにいった。確か2時ごろだった。こんな時間じゃほとんどの店はやってないが、駅の方に牛丼を食べる店があって、そこなら24時間なので食ってきた。生卵も頼めばよかったな。

で、夜で人通りがほとんどないので、違う路で帰ろうと思って線路脇の入ったことのない路を歩いて帰ろうとしたのだが、コンビニに用事があることを思い出して引き返した。1つ聞きたいのだが、まぁ俺が聞けるような立場ではないが、こんな時間に道路で電話してる人がいたのは何故ですか?あの人は家じゃ電話できないのだろうか。前にもそばのアパートの前で3時ごろ楽しそうに電話してるやつがいたが、そういう人らはなんで外で電話しているのか。なぞである。

で、ステープラーがどこかへ行ってしまったのでコンビニで買おうと思ったのだが売ってなかった。前は置いてあったのに。ショックだ。なので酒と栄養剤とアイスを買ってきた。ちなみに商標は書かない主義なので(本日限定)、ここはステープラーと書いた。

そして飲みながらこうしてキーボードをたたいているわけだ。飲んだら眠くなってきた。想定内だが飲まなきゃよかったと今更後悔。

最後に言わせて欲しいのだが、なんで深夜3時だというのに上の階のやつはアコギを弾いてるんだろうか。頭が狂っている。俺みたいに窓を閉めてヘッドフォンでエレキギターを弾くのなら理解できるが、窓を開けてアコギなもんだからうるさいのだが・・・。

でも、微妙にうまい。押尾コータローのようなフレーズを練習してるようだが、そこそこ弾ける感じだ。指引きできない俺には無理な奏法だけど。

ああ、まだ3時じゃん。なげぇ。ねみぃ。寝たい。でも寝たら起きれない。遅刻確定だ。だったら最初から行かない方がまし、いやいや、きちんと寝ておいた方がよかった。酒が悪いな、これは。牛丼食ってるときはピンピンしてたのに。馬鹿野郎。酔ってきた。馬鹿野郎。なんで馬鹿ってうましかなんだ?そりゃ人間に比べれば頭は悪いだろうけれど、それって脳の構造的な問題であるから、比べるフィールドが間違っている。馬や鹿の頭が悪いと主張するのなら、同じ馬同士、鹿同士で比べるべきだ。俺とディープインパクトのどっちが頭が悪いかなんていう疑問がそもそも破綻しているのである。分かったら俺は寝たい。ウニュウニュ。シャナちゃん抱いて寝ようかなあ。

物忘れ

  • 日常

とうとう俺もやばくなってきた。

昨日の「日記で同じ内容を2回書いてしまう」というのは始まりに過ぎなかったようである。

今日、作業しているときに幾度となく「あれ、俺は何がしたいんだっけ?」という事態に見舞われた。PCを使っているときには、スタートメニューを開いたはいいが何のプログラムを起動したかったのかがすぐ思い出せない、あるいはウェブブラウザを開いたのだが何のページを見たかったのかすぐ思い出せない。たぶん会わせて10回はこういうことがあった。いずれも思い出すのに10秒程度かかる。

もっと酷かったのは、貯まった書類の整理をしているとき、スキャナで読み取り終わった書類で必要なものをまとめておいたのにどこに置いたか覚えてないとか。ベッドの上でゴロゴロしていて何かしようと起き上がるのだが、何をしようとしたのか思い出せない。

昨日から体調が悪いため、そういうことが起きているのかもしれないが。今日は授業があったのにいけなかったし。明日も大事をとって行くのはやめよう。バイトもしなきゃならんし、部屋の片付けもしなきゃいけないし、買い物にも行かなきゃいけないし、郵便局にも用事ができたし。

そうやって休息(?)を取れば、物忘れが激しいこの状態もなんとかなるだろうか。ほんと、どうかしている。なんといっても、一番最悪なときは、結局何がしたかったんだか思い出せずに別のことをやり始めたのが確か2回ぐらいあったことだろうか。

なんか自分がだんだん腐ってきてるような気もするが、とりあえず、今週は休息に充てよう。だらだらと。

  • 日常

ネット通販で傘を買った。注文しただけでまだ届いてないが。ネットで買うもんでもないとは思うのだが、傘ってどこに売ってるのか分からないのでネットで購入したのである。

以前は近くのスーパーの雑貨コーナーに売っていた。いや、今も売ってはいる。のだが、何故か婦人物しかない。前は紳士用の傘がきちんと置いてあったのだが、先日売り切れて以来入ってきてないそうである。

梅雨の季節で需要が多く、メーカーの方から降りてこないのかもしれないが、梅雨なのに傘もろくに置いていないんじゃあ、どうなんだろう。梅雨がくるのは分かってたんだから、比較的需要の少ない時期に大量に仕入れておけばいいのに。腐るもんでもないし。

そういうわけでネットで購入なのだが、いつもよく買ってきた500円とかの傘をネットで買うのはどうかと思う。送料の方が高そうだし、それならコンビニのビニール傘でいい気がする。

そこで今回はちょっと高いやつにしてみた。骨が24本というやつで3000円もする。朝のニュース番組の「梅雨のグッズ特集」みたいなやつでいろいろな傘が紹介されていて、そこで骨が16本のタイプが紹介されていたので、まぁ骨の本数が多い方が丈夫だろうということで24本のものにした。

それにしても、ちゃんとした傘っていろいろなものがあるんだってことを今日初めて知った。濡れると花柄が浮き出てくるやつとか、裏地が青空だったり星空だったりするやつとか。

個人的には、電信柱とか壁とかにぶつかっても壊れにくい傘が欲しい。俺が傘をよく壊すのは、歩いているときに傘がいろんなところにぶつかるからだと思うので。今度買ったやつは、大雨や風には強いらしいが、どうなんだろうか。


かなり余談であるが、その傘を置いていないスーパーのこと。

いつも買い物を手伝ってくれている店員の方がいる。Sさんとしよう。もう3年ぐらい手伝ってもらってるのでだいぶ俺の思考とか分かってきてくれている感じである。

で、移動の際「右に曲がります」とかって教えてくれるのだが、角度も教えてくれるのである。

例えば、真右に曲がるときには「15度右に曲がります」と教えてくれる。そして、向かっているのと真反対に進むときは「30度回転してください」と教えてくれる。

俺はいつも悩むのだ。「あの、15度じゃなくて90度です」と指摘するかどうか。Sさんはよっぽど数学が嫌いだったんだろう。いや、算数かもしれないが。とにかく、真右に曲がるのは90度なのだが、うーん、それって指摘したいけど・・・言えない。

かれこれそういう悩みを持って同じく3年ほどになる。まあいいか。ただ、角度に関して他のところで似たようなことを言ってないか気になる。1回転が360度なんだから、右に曲がる、すなわち4分の1回転が15度なのはおかしい、と気づいて呉ればいいが・・・。こういう考え方も分かってないとできないかな。

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My 悩み

  • 日常

俺は悩んでいるのである。すっごく悩んでいるのである。

近くのスーパーによく買い物に行くのだが、そこでいつも買い物の手伝いをしてくれる人がいる。Sさんとしよう。この人、角度にして90度のことを15度と言っているのだ。それを指摘しようかどうしようか、すごく悩むのである。

店の棚って、たいていは通路が5番の目になるように配置されている。ということは、通路を歩くためには、90度あるいは180度の方向転換を必要とされる。したがって、「右に曲がります」とか言われれば角度なんて必要ないんである。この変は直感で納得できる。

しかし、Sさんは丁寧に、向かって右に進むときには「15度右に曲がります」と教えてくれるのである。しかし実際、この角度は90度である。Sさん、きっと算数とか数学は大嫌いだったんだろうなあ、と思うと、「いや、15度じゃなくて90度です」とは指摘しにくいんである。 <・p>

そういう悩みを持ってもう2年ほどになる。Sさんは90度のことをずっと15度だと思っているのである。ぶっちゃけこれって常識じゃないかと思うので指摘すべきなのかもしれないのだが、うー、でもなんか言えない。

ちなみに、実際は180度回転するときには、Sさんは「30度回ってください」と教えてくれる。一応「2倍」という概念はあるようだ。馬鹿にしているのではないのだが、やっぱ根本的に理解してないんだなぁ。

俺の前で言ってる分にはいいんだが、ほかの人の前でそういう風なことを言っているのかと思うと、老婆心ながら心配になってしまうのである。ねえ、日本人の大半が角度に対する概念を知らないならいいんだけど、細かい角度は別として90度とか180度とかは常識だろう。

でも、もうすでに指摘するタイミングを失ってしまった感がある。なんか、今更こんなことw言えないなあ。まあ、いいか、俺が「15度右に曲がります」といわれたら「ああ、90度ね」と思っていれば。

独り言

  • 日常

最近独り言が多くなった。しかも外で。

家の中でぶつぶつ何か言うのはまだいい。でも、つい外でも同じように言葉を発してしまうのである。独り言だから音量はそれほど大きくないのだが、静かな場所だったらたぶん聞こえるし、口が動いているのを見られると独り言を言っているのが他人にばれる。

例えば地下鉄の駅の出口を出て地上に出たとき雨が降っていると「マジかよ」とつい言ってしまったり、信号が微妙に赤に変わりそうなときに「今なら渡れるかなあ。微妙だから待つか」と気づいたら口走っていたり、といった具合である。

だれとも会話しない日が多いとはいえ、これはちょっと自分ではどうかと思う。歩きながら独り言をいうなんて、怪しい人手はないか。俺だって、独り言を言っている人を見かけたらおかしいと思ってしまうだろう。でも、そういう意味でおかしい人と思われるのはちょっといやだなあ。まあ、別の面でおかしいと思われているのは間違いないのだが・・・。

まあいいか。忙しい大都会では、他人のことなど気にせずみんな動いているだろうから。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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