2012年11月の記事一覧

俺が学制だったころ、盲学校に教育実習に行った。で、直接聞いたわけではないが、全盲の生徒が「回転寿司を自分で取るにはどうしたら良いか」について全盲の先制に訪ねたことがあるそうだ。その全盲の先制の答えは正直あっさりしていて「取ってもらう」だったらしく、生徒は結構落胆していたようだ。

その話を聞いて、俺もじつは同じ悩みを持つ全盲として何か解決策を提案できないかと思案した。そして、回転寿司を全盲でも利用できるシステムを考え出した。

このアイデア、確か前にも書いた気がするのだが、昔のブログを検索してもみつからないので、改めてここに書いておくことにしよう。NECとか日立で作ってくれないかね、このシステム。

まず回転寿司の定義であるが、以下のように定義する。

【回転寿司の定義】
  • 円形の皿に寿司を乗せて客に出す
  • 皿をベルトコンベアに乗せ、ベルトコンベアを回転させることによって皿を席まで運ぶ
  • 客は自席の周囲に来た皿に対し、、自分の食べたい寿司が乗った皿、または何らかの方法でその客用に握られた寿司であることが判別できる皿を取って食べる

この定義の下で全盲が結えの問題点として、以下が挙げられる。

  1. 皿に乗っている寿司のネタを識別できない。何故ならば普通ベルトコンベア上を回っている寿司のネタを識別するためには目視するが、全盲は目視できない。
  2. 仮に全盲がネタに触ることができるとしても、さらに次のような問題がある。
    • 触ったところで難のネタか判別することは困難である。マグロとサーモンの違いは触って分からない。サーモンにはタマネギが乗っているとか、店毎に統一されているとは考えにくい指標で判断するのは危険である。もしサーモンにはタマネギが乗っていることが常識だとしても、ブリとマグロは触っても分からない。
    • 不衛生である。他人が触った寿司なんぞ、食いたくもねえ。

以上のことから、全盲が回転寿司を利用するためには、以下の条件を満たすような仕組みが必要である。

【全盲が回転寿司を利用するための条件】
  • 触らなくても、自席の周囲を流れている皿に乗っている寿司のネタが何であるか識別できる。
  • その皿が自席から注文したものか否かを判別できる。

そこで、全盲でも回転寿司を利用するために、以下のシステム化構想を考えた。

【全盲が利用できる回転寿司のシステム化構想】
  1. 皿に非接触型ICチップを埋め込む
  2. ICチップには皿に乗っている寿司のネタの情報をインプットし、ベルトコンベアで流す。必要に応じて、席番号等の付加情報もインプットする。
  3. 客はICカードリーダを所定の位置にセットし、自席を通過した皿のネタを識別する。

たったこれだけだ。これだけのシステムを構築すれば全盲でも回転寿司を利用できる。ただし、現在普及している、タッチパネル端末での注文に対応することは別の問題だ。回転寿司を利用できることと、タッチパネル端末から注文できることは別の問題である。けれども、実際は両方できないと現代の回転寿司を利用できるとは言い難いが、ここではより本質的な「回転している寿司をどう識別するか」ということをメインテーマとして話を進める。

さて、単に上記のICチップシステムを組み込んでも、実際うまくはいかない。寿司を握る職人と、寿司を取る客がそれなりの運用を行わないと破綻する。

まず寿司職人の方である。その前に、皿にICチップを埋め込んで情報をインプットする手段としては大きく以下の2種類が考えられる。

  • 予め皿にネタ等の情報をインプットしておく
  • ネタの情報をベルトコンベアに乗せる直前にインプットする
    • ここで寿司職人の運用の話になる。前者の方法では、寿司を乗せる皿が予め定められているため、皿の色とか形とか、とにかくきっちりとICチップの情報に合致する寿司を乗せなければならない。だが、一般的に皿の色等は価格を表現するために用いられているし、皿と寿司のネタを1対1に対応させなければならないのは現実的でない。

      次に後者の方法であるが、これなら寿司を乗せる皿を選ばなくても良い。しかもベルトコンベアに乗せる時点で、ネタと、注文の品の場合は席番号等の情報も付加できる。寿司職人がシステムを操作する必要はあるが、運用としてはこちらが現実的だろう。

      続いて客の運用方法について考えてみる。

      よく知らないが、現在の技術では、ベルトコンベア上の皿の密度を考慮すると、非接触型ICカードリーダで識別できる皿は、リーダのすぐそばにあるもの、つまりはカードリーダの眼前を通過した皿ことになるだろう。ひょっとしたら1,2個前後の皿の情報も識別できるかもしれないが、できない前提で話を進める。

      そうなると、カードリーダが識別した後、たぶん音声とかで情報を知らせることになるが、客が情報を取得した時点で、識別した皿は既に通り過ぎていることになる。まぁ、ベルトコンベアの回転速度にも依存するので、実際の回転寿司で回転速度の平均値を計測するなり、店毎にカスタマイズするなりの対応でなんとかなる気もするが・・・。要するに、識別された皿を取るには、ちょっと先の皿をとる、という動作が客には求められるのだ。

      従って、全盲の客は、具体的に何皿分先行した皿を取れば目的の寿司を食べることができるか、どうにかして把握しておかなければならない。

      以上のような運用面をクリアできれば、技術的にはそう難しい話ではないはずだ。

      さっきも言ったが、NECか日立か三菱か、システム化して下さい。とりあえず、スシローに導入してくれればいいです。

タッチパネルが困る話

  • 日常

この前、会社で飲み物を買おうと思って財布を確認したら、中に1,000円しか入ってなかった。確かに給料日は少し先でちょうど金が無くなってくるころだけれども、流石に1,000円は中学生のお小遣いレベルで困ってしまった。

普通の日ならまだ良かったのだが、ちょうど飲みに行く日で、現金持ってないとやばい。そこで、会社の人にビル内のATMの場所を聞いて引き出しに行ったのだが・・・。Oh! No! タッチパネルしかなくて、数字キー付きのインターフォンが無かったため、現金が・・・。

そういう話を会社の人としているとき「見えないとタッチパネルが使えなくて困るよね。でも最近タッチパネル多いから困らない?」と言われた。

ええ、タッチパネルが溢れていて大変困っている。詳しく説明しておいたので、そのメモをここにも残しておこう。

第1にさっきのATM。郵便局のATMはハードキーが付いているし、最近は銀行ATMでもインターフォンに数字キーが付いていて、その数字キーで引き出し/預け入れの操作ぐらいだったらできる機械が多くなってきているが、依然としてタッチパネルしかないATMも存在する。某コンビニのATMとか。セブンイレブンじゃありませんよ。それに、関東は需要が多いのであれだが、地方なんかだとユニバーサルデザインATMは少ない所もあるんじゃなかろうか。

第2にカラオケ。デンモクに代表されるように最近はタッチパネルの端末でリクエストする。これが使えれば便利だなぁと思うのだが、残念なことにそうした端末を直接利用することはできない。だから、全盲だけでカラオケにいくと、インターネットでリクエスト番号を検索して、昔ながらの数字ボタンのリモコンでリクエストを入れるのだ。ただし、最近はiPhone上で動作するアプリを使って、デンモクのようにリクエスト操作ができるようだ。「デンモクLite」というアプリを使って、DAMの機械で昨日試してみたが、自分のiPhoneで検索した楽曲をリクエストしたら、ほんとに入った。あれはなかなか画期的だが、カラオケの機械とiPhoneをペアリングするのにQRコードを読み取る必要があるなど、そもそも全盲がデンモクの代わりに使うことを想定してなさそうな感じはプンプンする。あ、そういえばジョイサウンドのアプリは「VoiceOver対応」と書いてあって確かに読むけど、ペアリングは全盲でも自力でできるのかなあ・・・。

第3に飲食店での注文。安い居酒屋は人件費削減の一貫としてタッチパネル端末からの注文が可能となっていて、普通店員を呼ぶ手間もかからないから歓迎されるだろう。けれども、すいません、全盲はどうやって注文すれば?会社の人と飲みに行くときは問題ないけれども、全盲の有人と飲みに行って、たまたま入った店がそういうシステムだったもんで、だいぶ困った。そのときは、しょっぱなに案内してくれた人に最初の注文を伝え、その後は飲み物や食べ物を持ってきたときにバケツリレーよろしく追加注文を途切れさせないようにして対処した気がする。あぁいうところで、何も無い状態から店員をつかまえるのは容易でないので。

飲食店については、最近回転寿司もそんな感じであろう。回転寿司なのに、回転してるやつを取らずに注文ばっかりしてる人が最近は多い気がする。もう、あのベルトコンベアは、注文の品を届けるためのツールと化しているのでは?当然そんな回転寿司でも自分では注文できず・・・。はま寿司のシステムでは注文確認の際に音声が出るから、注文のときにも音声を出そうと思えば出せそうなんだけどなぁ。

ただし、回転寿司の場合、そもそも全盲は皿を取れないという問題があって、注文どうこうはその問題をクリアしてからでないといけない。これについては、「皿に非接触型ICチップを埋め込んでカードリーダで読み取ることにより、現在回っている寿司のネタを判別できるのではないか」というアイデアを具体的に俺が考案したのだが、一向にそのシステムが開発されたという話を聞かないねえ。と思っていたら、考案しただけで文章化していなかったらしい。では、この件は日を改めてメモしておくことにしよう。

タッチパネルで困ることは、他にも駅の券売機を全機能使えないとかあるけれども、主要なところは以上である。ちなみに券売機の場合、買いたい金額が分かれば画面右下の数字ボタンを使えば購入可能だが、JRと私鉄の乗り継ぎ切符を買ったりするのはできない。

タッチパネルはスクリーンに表示する項目と操作項目を統一できたり、操作項目を画面と同時に動的に変更できるなど、一般的には便利なインタフェースである。だから今後もどんどん増えていくことに間違いはない。携帯だってほとんどそうだしねえ。そんな中で、公共の場で全盲の視覚障害者がタッチパネルのインタフェースを使うために、どのような方法が良いのか考える必要が、今後ありそうだ。まぁ、暇なときに考えてみよう。

ところで、「iPhone使ってますよ」と言っても、どうやって使うかについて言及されたことが一度もないのだけれど、みんなタッチパネルのiPhoneを全盲が使うことに対して疑問を持たないものなのかね。VoiceOverを知ってればともかく、私の周りの晴眼者はみ~んなAndroidユーザなので・・・。

知り合いから「障害者って男でも女性専用車両に乗れるんでしょ?いいよなあ」と言われた。これは断固違うと主張しておいたので、その具体的な内容について無駄に書いておくことにしよう。

障害者であっても男が女性専用車両に乗ってしまうと、次のような事象が発生する。結構高い確率で。

第1に、頭の悪そうな女子高生に「名にあいつ、きもくない?」とささやかれる。そいつらはたぶん頭が悪い。勉強はできても頭は悪いだろう。知性がないという意味においてだ。それはいいとして、馬鹿な女子高生でなくとも、女性専用車両だというのに男が乗っていれば、普通気持ち悪い。それは障害者うんぬんは関係ない、と思うのは自然なことだろう。まぁ、口にするか否かという点で若干差はありますが・・・。で、気のせいかもしれんが、そういうオーラをひしひしと感じる訳である、男の身で女性専用車両に乗ってしまうと。

第2に、駅員に「お客様、ここは女性専用車両です、降りて下さい!」と大声でどなられる。この事象は、視覚障害者に限っていうと、 (1)白杖を駅員の死角となる位置で持っているか、または折りたたんでいる (2)女性専用車両の位置に駅員が立っている駅に電車が停車する という、わりと頻繁に満たされてしまう条件の下で発生する。ちなみに「白杖が駅員の死角となる位置」と抽象的に書いたけれども、要するに、例えば進行方向から見て自分が右向きに立っているとき、普通なら白杖を胸の前辺りで構えていて、そこで進行方向左側のドアが開いたような場合である。そうすると、駅員から見て白杖が自分の身体に隠れてしまう。駅員にどなられたら、もう降りるしかない。それでも乗っていられるなら、その人は堂々と白杖を見せびらかして障害者ぶりをアピールしつつ、女性専用車両を常用すべきだ。

というわけで、障害者という理由で女性専用車両に乗れることに対しては、特にメリットはない。コロンの香りが充満しているわけでもなければ、目が見えないからと言って痴漢OKなわけでもない。いや、痴漢は犯罪です!やめて下さい。ときどき全盲だからといって女性の胸を触ったりする変なおじさんがいますので、ご注意を。変なおじさんはテレビだけの存在ではないのだ。

さて、以上のような事情から、俺自身意図的に女性専用車両に乗ることはないのだが、不慮の事故というのは、不慮の事故であるからして、起きるときには起きてしまうのである。俺は3回、その事故に遭遇してしまった。

1回目は、普段利用しない電車を通勤時間帯に利用したとき。ホームの階段を下りきったとたんに電車が入線してきて、あわてて乗った車両が女性専用車両だった。それはたまたま明らかに戦闘車両に乗ったことと、車内アナウンスで「戦闘車両は女性専用です」と言っていたので気づいたのだ。次の駅で一度降りて隣の車両に乗り移ろうとしたが失敗。それを見ていた駅員に「障害者の方は女性専用車両でもご利用頂けますので、遠慮なさらなくても結構ですよ」的なことを言われたが、いや、遠慮します。

2回目は普段通勤に使っている路線。朝の糞忙しいときに渋谷でうんこしていたら、予定の電車に乗り遅れそうになったので、おそるおそる駆け込み乗車したらそこが女性専用車両だった。このとき、頭の悪そうな女子高生にののしられ、駅員にどなられた。

3回目も通勤に使っている路線なのだが、少し事情が違う。たまたま親切な女性が改札から電車まで案内してくれたのだが、そこで案内されたのが女性専用車両だった。「いつもどちらの車両をご利用ですか?」と聞かれ「決めてないのでどこでもいいです」と、確かに俺は言った。その女性も、たぶんいつも女性専用車両を使っているから、そのノリで一緒につれてってくれたんだろう。でも、女性専用車両なのだ。私は男です。もちろん、駅員にどなられた。

こうして、実際に女性専用車両に乗ってことがあるものの、何も良い経験なんぞしたことがない俺としては、「障害者は女性専用車両に乗れていいなぁ」などという、全く持って意味不明な妄想は断固として否定したいのである。あんな息苦しい場所、乗るもんじゃない。

そういえば、ちゃーんと過去に体験を文章化していたではないか。俺もつくづく暇な人間だ。ここここを参照。

最近俺のアイデアをパクったとしか思えないアニメとか小説によく出会う。

俺は「伝説の勇者の伝説」を見ていたときに「魔法使いと現実世界の軍隊が戦争するストーリーは面白いかもしれない」と思いついた。かれこれ2年前の話。そうしたら、「絶園のテンペスト」って、そんな感じでは?俺のアイデアではもう少し国家権力動詞の戦争って色が強いが、まぁ似たようなもんだ、一部は。これは俺のアイデアの盗作、とは言わないが先に思いついたのは俺だ。そんな、ハムレットなんぞ取り入れるつもりはなかったがな。いやでも、「絶園のテンペスト」は面白いと思う。

それと「時空断裂!蒼空燃ゆ」という小説。内容は近未来的な自衛隊が、過去からやってきた米軍とか、何故か時空を操作できる技術を身につけちゃったSS(ナチス親衛隊)と戦争する話だが、はっきり言って駄作。設定にも突っ込みどころはいろいろあるが、何せキャラクターの無駄な回想や思考をグダグダと何ページも書いてあるかと思えば、戦闘シーンなんてほんの数行しかない。科学高尚はそれなりだが、細かすぎてときどき「難の話だっけ?」と考え込んでしまうこともしばしば。読んだらがっかりする小説である。

しかし、この駄作にも俺のアイデアのパクリが存在している。それは「FCS搭載の小銃」だ。本作ではアサルトライフルにFCSを付けている。俺のアイデアではアサルトライフルにFCSを付けてもCQBにはほとんど役に立ちそうにないから、スナイパーライフルに付けるのがいいかなと思っていたのだが・・・。どうでもいいが、本作、歩兵携帯用の小銃にFCSが付いてしまったり、人間の子供を改造して対テロ舞台に仕立て上げちゃうような技術水準なのに、F15に搭載されてる空対空ミサイルがAIM7ってどういうこと?もう少しすごいミサイルとか開発しなかったの?

と、上記のようなあほらしい『妄想』をいだく人間はきっと他にもいるでしょうね。思いついただけじゃなんにもならんし、作品化されてたとしても、どうにかして流通してなきゃ、結局最初に人目につくようになったもんが「初めてのもの」なんですよ。

関係ないけど「日本朝鮮戦争」っていう小説は良策。長すぎるのがたまに傷ですが、現在私は3サイクル目です。続編なんだかパラレルワールドなんだか分からない「新日本朝鮮戦争」はだめだったけど・・・。

題名の通りだ。肉を食うやつらは、他の命を頂き自分の命を延ばせることに対して感謝しなければならない。そして、肉を提供する人々にも感謝しなければならない。

が、どうもみんな「肉は出てくるのが当たり前」と思っている。豚バラにしても和牛にしても。でもよく考えろ、肉はあぁして最初からパックに入っているのではない。もともとは動物なのだ。動物を殺して解体してパックに詰めるのだ。

肉に限らず、スーパーに売られている食品の多くはそのままの姿ではない。だから抵抗を感じぬままに平気で残飯と化したり期限切れで捨てられていくに違いない。それは、どうやって加工されたか、どんな苦労があるか知らないからに他ならないと俺は思う。それじゃだめだと思うのだよ。

この前知り合いに、「貴様がうまいと言って食っているその肉は、誰かが豚を殺して解体したものだ。端正込めて育てた豚をその手で殺す人の気持ちを考えて、噛みしめて食え!」と言ったら、とてもいやな顔をされた。

後、世の中を理解するために「高校生になったら普通科でも鶏の畜殺実習をやらせるべきだ」と言ったら、それも怒られた。何故だ?そうして殺した鶏をその場で料理して食って、命の尊さ、職業の尊さを学ぶべきじゃないのか?

「新鮮な肉や魚介類はおいしいよねえ」と言っている連中は、ただ新鮮なものを買うだけじゃなくて、自ら新鮮な肉や魚を捌くこともやった方がいい。それが究極の「新鮮」だ。殺した手の牛の肉はきっとうまいだろうに。

ま、ちょっと思っただけだ。ちなみに、畜殺のビデオとか見ただけで肉が食えなくなる連中は、一生肉を食うべきでない。自ら家畜を殺して、殺したことに罪を感じ、肉は「肉は食べない」と誓うのなら良いが。

ずいぶんと極端なことを言うもんだな、俺も。でも、俺はそう信じている。

ずーっと前から「可視化」とか「見える化」ってのはトレンドで、今じゃ「ビッグデータ」だ。もちろん、大量のデータを単に数値的に解釈するのは難しいし、全く直感的ではないけれども・・・。

データの傾向や、特定のパターンを見いだすのに可視化は大変有効だ。でも、数値的なデータをイメージとして可視化するならばともかく、論理的な要素も全部イメージで片付けるのは危険ではなかろうか。

というのも、私は目が見えませんので、なんでもかんでも言葉で説明して欲しいものですが。目が見える人は言葉よりも絵で説明することを求める。その方が直感的に分かり安いから。特に業務においてはそういう状況が多いと思う。そりゃ、ぐだぐだ言葉で説明するよりも絵を見た方が効率がいいので無駄な時間を削ることができますけれどもね。

絵で説明することは否定しない。だが、問題なのは、その絵の論理的な意味を理解して絵を描いているかどうかなのではないだろうか。別の言い方をすれば、絵を描く前に、ロジカルに物事を考える力が重要なのではないか。

俺自身は絵を描かないので回りの人を観察していて思うのだが、説明が下手な人っていうのは、言葉だろうが絵だろうが説明が下手なのである。逆に、説明がうまい人は、言葉だろうが絵だろうが分かり安い。その根底には、論理的にきちんと理解できているかどうか、という違いがあるように思う。

典型的なのは数学の世界。数学をやっているとグラフとか図形とかいろいろ出てくるが、そんなもんは表現の一種に過ぎない。式を形式的に操作することにより導かれる性質や論理的な意味を理解してこそ、初めてグラフや図形が描けるのだ。普通、関数 y=2x は右上がりの直線のグラフとして中学校で習うと思うけど、もっと本質的には線形の概念があり、そこまで理解して初めて直線となることが導かれるのである。いや、良く分からないけれども、とにかくだ。ロジカルに物事をみないといかんのだよ。

で、なんでもかんでも絵で説明させようとする文化は、このロジカルな考えを阻害する。SIみたいにトップダウンで0から物作りするときはいいが、既存システムの保守のようにボトムアップの作業が求められる現場ではなおさらだ。既にある物を理解するには、点と点を結んで直線にし、直線と直線から面を作っていく必要がある。具体的にいえば、既存システムを理解するにはデータの関連性やプログラムの動作をまずは形式的に理解し、形式を踏まえた上でその意味と、できれば設計者の意図をひもといていく必要がある。だが、絵を描くというのはまさに意味を形式的に表現する手法であり、ボトムアップのプロセスとは逆行する考え方と言える気がしないでもない。

なんか、だんだん支離滅裂な文章になりつつあるが、そんなことはどうでもいい。絵なんか使うのやめましょう。でも、よく考えたら、人類はまず象形文字の前に洞窟に壁画を描いたりしてたんじゃなかったか?実は、やっぱり絵でコミュニケーションすることは簡単でいいことじゃないか。そうだ、みんな原始人に戻って、絵でコミュニケーションしましょう。ねえ、ボビー。

このページの上部へ

プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

サイト内検索

最近のピクチャ

Powered by Movable Type 5.2.10