僕たちは能力を示し続けなければならない

「グッド・ドクター~名医の条件~」というドラマを見た。アメリカ版。なんか、韓国が元々で、日本版もあるらしいが、友達に「日本版は見なくていい」と言われ、アメリカ版を見た後だと説得力のある言葉に思えたので日本版はたぶん見ないだろう。

で、このドラマは自閉症の青年が外科医として成長していく様子を描いた作品である。自閉症というところにはあまり興味はなかったんだけど、作中で描かれる周囲との関わりや、多様な人々が暮らす社会での様々な問題を描いた部分に、とても共感できるドラマだった。切っても切り離せない人種の問題について、あれがアメリカの実際なのかどうかは分からないが、きっとリアルに近いんじゃないかと思う。マイノリティーが抱いている思いと、それに基づく行動といった面も丁寧に描かれていたと思う。

特に共感できたというか、自分に重ねて見てしまってたのが、マイノリティーが社会で生き抜くために遭遇する様々な問題について、正面から、多少の綺麗事だけで向き合っていたことだ。

例えば車椅子のおじさんが患者として来た時、主人公の自閉症のドクターに対してこう言った(厳密にこういう台詞だったかはちょっと忘れてしまったが)。

「普通のレジデントは優秀であることを期待されてる。でも君はそうじゃない。俺もそうだ。俺たちは常に能力を示し続けなければならない。」

俺はこのおじさんの言葉を聞いて、「そう、そうなんだよ!」と、ドラマを見るのも忘れて物思いにふけってしまった。障害を抱えて社会に出たら、当然普通とは違うので、その違いを受け入れてもらうために説明しなければならないけど、説明しただけで納得して理解してくれる人は少なくて、実際に行動したり能力を示して実感してもらうことが必要だ。しかし1階実感してもらっただけでは足りなくて、新しい課題が出てくる度に「これも大丈夫です、それも大丈夫です」と、常に自分の状況や能力を示し続けて理解してもらわなければならない。仕事の場面ではよくあることだが、日常生活でだってあるだろう。それに、あるコミュニティーで受け入れてもらえたとしても、新しい人がやってきたり、新しいコミュニティーへ移動したりすると、また1からやり直しになってしまう。

後半のことについてはドラマでも描かれていた。自閉症のドクターは最初同僚たちから全く信頼されていなかったのだが、能力を示すことで徐々に受け入れられ、皆が彼を受け入れていた。しかし、とあることで彼を守っていた人物が退くことになり、それに伴って外科部長にも新しい人物が来た。その外科部長も初め自閉症のドクターに問題を感じていたが、能力を目の当たりにすることで医学的な知識については認めていくことになる。だが自閉症の特性は問題視していて、コミュニケーションを学ぶことを強要し、結局「いつか患者とトラブルになる」という考えの基、ドクターを外科から病理のラボへ移動させてしまった。そして、「外科に戻してほしい」というドクターの懇願を敵対行動と見なして解雇してしまったのだ。

自分の経験や知り合いの話を聞いていると、こういうことは結構あったりする。単純に新しい上司と馬が合わないというだけではなくて、その上司に偏見があるんじゃないかってどうしても思ってしまうこともある。逆に、元々の上司が糞で、新しい上司が素晴らしくて自分の能力を開花させてくれるケースもあるんだけど…。要するに、やっぱり周りに理解してもらうためには能力を示し続けなければならないし、偏見とも闘わなければならないのだ。なんで障害があるからってそんなことしなきゃならないのか、不条理にも思うけど、まあしかたがない。

他にも「あるあるだよね~」ってことは結構あった。異性から「友達」とは見られても「恋愛対象」とは見られないとか、友達だと思ってた人に実は利用されてただけだったとか…。昔、出会い系サイト(マッチングアプリではない)でサクラではないっぽい子とメールしてた時に、「目が見えないんだ」と別に言う必要はなくても言った時、100%メールが返ってこなくなってたなあ。大学の時のクラスメイトにも、普段優しくしてくれる女の子がいたのに、いざとなると逃げられたなあ。

他にもいろいろ思ったことはあったんだけど忘れてしまった。思った時にメモしておかないとだめだね。

ちなみに、異性関係含め、自閉症のドクターの優秀さと誠実さに同僚もプライベートな付き合いの人々も、心を開いて良い関係を築いていけるのがこの話の感動ストーリーなんだけど、これぐらい人生がうまくいけばいいなあと、ちょっとひがみの感情が沸いてきてしまったのも本当の気持ち。自分も、もっと誠実にならないといけないかな。


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