2014年4月の記事一覧

久しぶりに実家で家族4人そろった。

今はまだ、俺も弟も独身なんであれですけど、弟が結婚したりしたら、どうなるんかね~。嫁さんがきたら、実家に俺が寝るスペースないなあ。そうしたら、まとまった休みは帰らずに、特に何もないときにこそこそ帰ることにしよう。

それはともかく、私は墓守としての役割を果たすべきだと思うが、無理そうだなとも思うし、でも親が墓に入るときぐらいは親の意思を尊重したいところだが、仮に距離的に近いとしても俺が墓守できるかどうか、という点で微妙なわけで・・・。

もちろん、今の世の中「桜葬」とか「散骨」など、様々な葬り方があるんだけど、それは私たちの世代にとっては多様な形式として受け入れられるとしても、昔かたぎの人がそれで納得するかというと、それは分からないわけで・・・。「寺じゃないといかん」と言ってる親父の意思を無視して、勝手に神道で葬式とかやったら、いや別に実害ないと思うけど、心の持ちようとしてね・・・、「いいのかな?」っていうのがあるのでね。

まぁ、俺が死ぬとき、葬ってくれる人がいるのかいないのか知らないが、あとくされなく存在が残らない形でやってほしいものです。

でも、どうなんかな。ほんとは、惜しまれるのが一番幸せなんだと思うけどね。ごめん、また思い出しちゃった。

ほんと、ごめんなさい。今からすごく無責任なこと書きます。

人間、何かを失ったときに「喪失感」を味わうのはごく普通のことらしい。「家族の死」みたいな、自分ではどうにもならん事象に対しては確かにそうだと思うんだけど、まさか自分で決めたことについて、しかも俺自身にそういう状態が起こるとは思ってなかった。

なんというか、喪失感というと少し違う気がするんだけど、今まで当たり前にしてきたことをしなくていいとなってみて、なんか微妙・・・。もちろん身体的にも精神的にも、とても楽なんだけど・・・。ほんとごめんなさいね、今更「これで良かったんだよね?」と、つい自問してしまったりする。

自分で決めた路なので、「良かったよ、だからつべこべ言わずに前へ進め」というのがおそらく答えなんだけどね。まぁ、それを否定も肯定もする気はないが、少なくとも否定はしません。わけわかりません。

で、そこは端っこにやったとして、じゃぁ、虚無感にも似たこの感情は何なのかと考えてみると、一つの答えにたどり着いた。「承認欲求」とか「存在証明」とか、そういった類のものだ。

会社では、どちらかといえば、俺は一人でもくもくと作業することが多かったので、仕事してるときは、直接的にリレーションシップを感じることはなかったんだけど、それは単に無意識なだけで、本当はいろいろな人と関わり、自分の存在を認識できていた。もちろん、「たぶん俺はそう必要とされてないな」と思わなかったかといえばうそだけど、結果的には、(必要か否かということは抜きにして)いろいろな人とつながってて、無意識のうちに俺はそれを自分の価値に結び付けていたことに、ほんと今更気づいた。

ここ数日、SNSへの俺の投稿頻度が上がっているのは、たぶんそれが関係している。ゆるい形に変容したとはいえ、これまでのリレーションシップが多少なりとも維持できる状態をSNS上で、これまでに作った。そして、それを本格的に維持するために、ここのところ、SNSへの投稿がアクティブになっている。そういうことだろう。

っていうか、こんなこと書いて、俺は何がしたいんかね?さっぱり分からんこともないけど、なんか、こういうことを書いてしまい、ちょっとためらいながらも、ポストしてしまう自分が、なんか微妙・・・。

まぁ、「自分はここにいるんだ!」ということを、自分で認識できる手段が、たまたまSNSだったので、そうしているだけなんだろう。そして、今はどうか知らないが、少なくとも、そういう感情を抱いたことを後で思い返して懐かしめるように、こうして文章を残しているんだろう。

ま、会社でのリレーションシップを保持しておきたい理由は他にもあるかもしれんけど、まぁ、分からん。まあ、いいや。個人n的なこととかもあるけど、まぁ、それなりに大きな会社から、だれも知らないような職場へ転職するんで、親戚に言うときもなんか・・・みたいなのは無いこともないけど。怒られちゃうね、そういうことで判断しちゃね。自分の仕事にプライドを持てることが、一人前の要素だと思うから、頑張ることにします。

言っておくけど、割と葛藤してんだよ、俺は(笑)。

そういや、「俺の思い出って、どういう形で残ってるんだろう?」とふと気になったので、思い出してみることにした。

たいてい、普通の人は思い出に写真を残すことだろう。旅行や観光、何かの記念、いろいろな場面で写真を撮る。そして、アルバムを作る。昔みたいに、1冊の本に現像した写真を張っていく人もいれば、電子端末にデジタルデータとして写真を管理している人もいるだろうけど、とにかく、写真で思い出を残すことが多いはず。それは、多くの人、そして多くの場面において、目に映った出来事が思い出になりうるものであり、かつ、最も鮮明な思い出たりうるからだ。

けれど、全盲の私としては、写真とかあっても、「何の写真だっけ、これ?」という、思い出とはかけ離れた感想を持ってしまう。いや・・・。今は携帯とかデジカメで写真撮って、タグを付けたりファイル名を工夫したりすれば、どんな写真かをテキストでも確認できるように保存できるけれども、正直、俺はそんな面倒なことはしたくない。してもいいんだけど、めんどい。

そういうわけなので、盲人が思い出を残すとなると、記憶するか、または音声を録音するかのどちらかということになる。盲学校にいたころは、先生が気を使って、保護者用に写真を撮るのと同時に、例えば修学旅行の様子を録音したりして思い出を残す工夫をしてくれていたものだ。ただ、当時、音声を録音するのにカセットテープが主流だったけれど、今、私の手元にカセットテープを再生できる機械がないので、実家をあさってそのカセットが出てきても、思い出を再生することはできないんだけど・・・。そういう風に考えると、昔の写真でも、端末に左右されず閲覧できていいなあ。

でだ。学校にいたときは、そうやって周りが気を使ってくれてたり、記録として録音するという文化が当たり前だったんだけど、健常者の世界に出てくると、当然そうではなくて、さっきも書いたように、思い出としての記録は主に写真である。で、俺的に写真撮っても、あとあと思い出を懐かしむ材料にはならないので、そういうものは自分で撮ろうと思わなかったし、他の人が撮ったものを焼き増しするというようなことも考えてなかった。

そういう感じで今まできたから、最近不安になることがある。俺は事実上、自分の記憶にほとんどの思い出を残している状態だけど、この記憶はいつまで持続するんだろうか?

まぁ、私の目が、将来仮に見えるようになったときのために、少しぐらい写真を残しておいてもよかったかもしれない。一般常識は外れるけど、事情を説明して、何かの様子を録音させてもらえばよかったかもしれない。そういう風に、自分の身体と切り離した形で、思い出を残しておいた方が、よかったかなあと、ちょっと、ここ2,3日思っているわけである。

特に、最近のソーシャルメディアの普及が、よけい俺にそう思わせるのかもしれない。写真をアップロードするのが目的のSNSもかなり普及しているし、Facebookなんかは、テキストも書けるけど、どちらかといえば [picture-based SNS] という感じ。これらは、自分の写真を他者と共有できるのが良い点であり、これまでは同じ「時」を共有している人たちが思い出を共有していた状態を、サービスベースで思い出を共有できる形へ変化させた。

ここで注目すべきは、普通の人のFacebookの利用方法と、盲人のFacebookの利用方法は、割と異なるということだ。普通の人は前述したように [picture-based] なんだけど、盲人同士の友人が多い人は、Facebookであっても、テキスト中心のコンテンツをアップする傾向が強い。また、盲人だけど周囲に健常者が多い人は、テキストを中心にしつつも、ときどき写真をアップすることがある。

で、いろいろ長く書いてきたけれども、Facebookの友達だって、比較的強いリレーションシップの人もいれば、弱いというかゆるいリレーションシップの人もいるわけで・・・。盲人コミュニティとは比較的強いものの、健常者コミュニティとは割とゆるい繋がりであると、自分自身のことを考えている俺としては、「うーん・・・。」という感じなわけである。

その、思い出を共有する形態がね、プラットフォームは同じでもコンテンツが違う故に、事実上共有できてないし、だからといってこっちから共有できるようなものもないし・・・。

できることなら、音声も共有できるようなSNSだったらいいんだろうけど、でも個人的にはそれだけじゃだめだと思う。それだけ、というか、写真も音声も共有できたって、そもそも普通の人と盲人は、視覚情報が有るか無いかの違いによる「感性の違い」が割と著しいから、技術的に音声コンテンツの共有が簡単にできても、コンテンツとしてアップする人たちは、前述のテキストベースの人たちが移転してくるだけになるんじゃないかな、と思う。

なんか、だんだん話が逸れてきたので元に戻しますけど・・・。俺の不安としてはですね、一義的には「形に残らない思い出を持続できるか怪しいことが不安」であって、他には、さっきみたいに他人と自分の思い出を共有できるプラットフォームがあるのにうまく共有できないことについて微妙な気持ちになったりするし、あとは、もしも結婚式とかを自分がやるときに、「スライドで流すような写真なんかねえなあ」ということも思ったりするのである。

まあ、一番最後の問題は、当分私は結婚しない予感がするので、対して心配することではないかもしれない。

結婚といえば「結婚するためにはいろいろな処へ出かけなければなりません。積極的になってください」と、つい先日アドバイスを頂きましたが・・・。まぁ、努力はしてみようと思うけど、結婚は、たぶんそう単純にできるもんじゃないと、俺は思うなあ。相手が盲人だったらそう壁はないかもしれんけど、運よく健常者の彼女ができても、ご両親が偏見の塊で破断になること、多いみたいだし・・・。いや、まあ、好きになったら、相手がどんな人だろうと関係ないかもしれんけど、好きになるまでのプロセスが、俺にとっては一番問題なんだよ。

まぁ、いいや。結婚については、もっと酔っぱらったときに気が向いたら書こう。自分の結婚感とか書いたら、だれとも結婚できなくなるかもしれんけど、まぁ、しかたないね。長期的な視点を持たず、こうやって酔っぱらったノリで文章書いちゃう時点で、もうだめだ。さようなら。あぁ、心が苦しいよ。

題名のとおり、「私事」という単語を、自分が自由きままに書いているブログで書くのは、ちょっと「どうかと思う」けれども、それはそれで、なんとなく奥深いというか、あほみたいなので、やっぱり書きます。、

私事ですが、本日、会社を辞めました。自分が他人の「退職告知」を読む度に「そんなもん書く人の気持ちは5割ぐらいしか分からん!」と常々思っていたけれど、今日、8割ぐらいは分かる気になったので、したためているということである。

さて、今の会社と言ってよいものか・・・。とりあえず、今日まで出社していた会社。相対的には、長く世話になったとは言えないかもしれない。が、初めて勤めた会社ということもあり、どっぷりその会社の文化にひたったのではないかと、我ながら思う。

文化とか、方針とか、個人的にどうかと思う部分はあったにせよ、こう言っちゃなんだが、俺はこの会社に拾われたと言ってもいい。大学院に進んだものの、なんだかんだで中退して、リーマンショックの影響が波及する前に運よく入社できた会社。全盲という、正直、俺自身も「どういう存在なん、それ?」と思うような人でも、雇う決断をした会社。

関係者が読んでいることを承知であえて書くが、この会社を私が「好きだったかどうか」と尋ねられれば、「Yes」とは即答できない。もちろん、それなりに大きな企業だったので、体裁は整っていたけれど、それなりに大きい故に、矛盾した側面もあったように思うし、それでも、きちんとした側面はあった。

様々な要素を内包していた会社。組織として見た場合の感じ方はそういうことなんだが、同僚、上司、仕事上で関係のあった人々、それぞれを個々に考えると、皆良い人であった。技術者としてのプライドを持ちつつ、もちろん技術職でない人も、自分の役割をきちんと果たすという意識を感じたし、相対的には優秀な人材がいた会社だったのかなと、今になって思う。

けれど、私は、会社を辞めることにした。それは、次の、全く違うステップへ進むためである。めんどくさいし、最近は物騒な世の中なので、詳細は書かないけれども、私は私の決断を正しいものと信じている。

新しいステップに対し、希望はある。自分の実現したい夢もある。同時に、現実を見れば、そのような綺麗事ではなく、もっとドロドロした財源とか政治的リレーションシップのような、ビジネスではあまり想像のつかない領域に、ひょっとしたら足をつっこまないといけないかもしれない。まぁでも、それはそれでありじゃないか。別に、それで失敗したなら、また、別のことを探せば良いだけ。

正直に書きますが、今朝までは、「今日で会社を辞めるんだな」という意識はほとんど持たなかったし、関係者へ挨拶しているときも、そんなに意識することはなかった。でも、飲んで帰って着て、割と酔っぱらっているけれどもうちょっと飲みたい気分でちょっと飲んだ今、今になっていろいろ思っている。

人間、自分は大してウェイトが高くないと思っていることでも、他人からすると、結構ウェイトが高いように言われることもあるし、逆のこともある。お世辞にも私は会社に利益を与えたと言えないが、・・・いや、そうではないと言ってくれる人もいるかもしれないが・・・。終わってみれば過去のこと、でも、感じている今は今なので今なんだ!

そういうことなので、最後の「ギュー!」は忘れません。

ところで、入社した当初にお世話になってた人のところへ挨拶に行ったときのこと。「メール送っておいたから」と言われて、席に戻ってメールを開いたら「真剣に結婚を考えろ」と書いてありました。まぁ、そういう年齢ですがね・・・。どういう意味ですか?「凪のあすから」を見て、「片思いが一番美しい」とかいう感想を述べる俺に、どうやったら結婚を現実的な人生のライフプランとして認識できるんだろうか?っていうか、「ギュー!」が忘れられなくて割と困っています。

そういうわけなんで、もう、何を書きたいんだか、さっぱり分からんね、これは。

では最後に。

なんだかんだ、この会社で良かったよ。人間、ないものねだりするのが常だから、在職中に思ったことは、真実であり願望であり希望であったが、今となっては、悪くない思い出です。

今後は、別に自分を高めるわけでもなく、とりあえず、いつ死んでもいいように、毎日を必死に生きて、余力があったら将来の自分と、それから、将来の子供たちへ、希望を繋ぐ仕事をしていきたいと思います。というのも、隣の部屋で、あかちゃんが「夜泣き」しとるもんだいね~。

それでは、また。とりあえず、仕事じゃなく遊びに、今度横浜行こう!確か、去年の終わり、シベリア鉄道だと思っていたら、ただの東横線だったとかっていう意味不明な出来事がおきたけど(笑)。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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