一人で歩ける全盲と歩けない全盲

全盲には、一人で歩くのが比較的できる人と、あまりできない人がいる。

もう少し細分化すると、一人で歩く事に抵抗が無い人、誰かと歩く方が好きだが一人でも歩ける人、道を覚えれば一人でも歩ける人、知っている道以外一人では歩きたくない人など、様々である。

比較的歩ける人には、人に道を聞いて目的地へたどり着くことがそんなに苦労なくできる人が多い。逆に一人で歩くのが苦手な人には、なかなかそういうことができる人はいない。

そのような違いは、おそらく頭の中に地図を描き、それを利用して歩いているかどうかではないかと考えられる。歩ける人は自分の辿った道筋や教えてもらった道順を描き、それを頼りに補講することで迷わないのではないだろうか。逆にイメージ化ができないと、一人で歩くのは難しいことになる。

友人とこのことを議論したことがあるのだが、大きな焦点は、地図を描ける人と描けない人の違いである。

その友人の分析によれば、まず、自力で歩行できるだけの視覚経験のある人は比較的歩ける部類に入る人が多いようだ。これを俺たちの周りの人々に当てはめてみると、だいたい当てはまる。逆に先天性の全盲には苦手な人が多いのではないかという。かく言うその友人も先天性で一人で歩くのが苦手だそうだ。言うまでもないが、見えていたのなら図形概念が存在しているので、脳内でイメージ化するのも可能だという主張である。

次に、スポーツをやっていた人も一人で歩ける人が多いという。まぁ理屈は分からないでもない。スポーツにおいては自分の位置は非常に重要であるから、動いた距離や方向から自分の位置を推測し、それを元に行動する能力が養われるというのである。

そしてこれは俺の推測であるが、おそらく数学ができる人も比較的歩けるのではないか。これは数学を学ぶことにより図形的な概念が形成されるので、特に作図などをきちんとやっていた人は脳内にイメージを作ることもできるのではないだろうか。

ここで、歩行訓練にも注目してみたい。盲人はたいてい小学校のうちに一人で歩くための訓練を行う。その訓練を歩行訓練といい、大きくは2つの訓練に大別される。

1つは歩行スタイルの獲得である。歩行するときに白杖を使うこと、白杖をどのようにして使用するか、電車にはどうやって乗るかなど、歩行する上で基本となる事項の訓練である。

もう1つはルート歩行などとも呼ばれているようだが、目的地を指定し、ある地点から目的地へたどり着くために必要な様々な技法を習得するための訓練である。

考えたいのは後者の訓練である。ルート歩行の訓練では、主に次のような訓練が行われる。

  • 簡単な地図(触図)でルートを確認し、スタート地点から目的地までの道順を暗唱する。
  • スタート地点から目的地までの道順を口頭で教わり、地図に書き起こす。
  • 地図や口頭での説明を元に、実際に歩行する。
  • 補講したルートを地図に書き起こしたり口頭で説明したりする。

これらは最も基本的な訓練である。初めは建物の中から始め、次第に外に広がっていく。このとき、手がかりを使って歩行ルートの確認や危険性把握などを行う訓練も同時に行われる。

発展的な訓練として、同じスタート地点、同じ目的地へ行くために、複数のルートを使って補講する訓練、スタート地点から目的地までのルートの中で、ランダムな地点へ連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。さらにこれを発展させ、スタート地点から目的地までのルートとは全く別の地点に連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。

俺はこういう補講訓練を受けてきた。おかげでというか、一人で歩くのは全く問題ない。おそらくほとんどの全盲はこういう訓練を受けただろう。にも関わらず、人によって歩けるようになる人とそうでない人がいるのだ。

訓練の仕方にもよるかもしれないし、普通の人だって方向音痴の人がいるのだから全盲は余計多いという主張もある。実際のところ、小学校や中学校などで、6,7年歩行訓練を受けるわけだが、できない人はできないようである。

そうしたことは誰かが論文で発表してないか気になるわけだが、どういうキーワードで検索したらいいんだろう。悩ましい。

では、もう少しこれを発展させてみる。一人で歩くのが苦手な人は、今から訓練したら解消されるんだろうか。

大人になって今更歩行訓練を受けるなんて、ほとんどの人がいやがると思う。けれども、俺としては、どちらかといえば一人で歩けず人に頼る事の多い人生を送るなら、ちょっとの時間を割いて自分で歩けるように努力する方が有意義だと思うのだが、そこで問題なのは効果があるのかどうかということなのだ。

点字を大人になってから勉強しても習得が難しい。これは感覚器官ができあがってしまっている大人だから問題があるようなのだ。何にしても、子供のころからやっていることと、大人になってから始めたことでは、伸び率も違うし、到達地点も違う。明らかに子供からやっていた方が身につくのだ(大人には時間がないという主張はあるにはあるけれども)。そうであるならば、補講能力についても、子供のころさんざんやって身につかなかった人が、大人になって訓練を受けたところで無駄なんだろうか。

これらの問題については、これからも考えていきたいと思う。

Comments [3]

No.1

人間の運動には、視空間認知というものが根底にあって、それをもとに、今いる空間の中で自分がどんな位置関係にあるかを認識して運動が始まる。

先天性の全盲の場合、小児の発達段階で、視空間認知を会得してないのだから、恐らく「頭の中で地図を書く」行為そのものが、全く異なるニューラルネットワークだと思う。

だから逆に、中途の場合、今まで視覚的認知に基づいた運動学習を行っていたのだから、急にその入力が無くなると、そこから新しく空間認知機能を構築しなければならない。

まぁ、なにがいいたいかというと、正常発達段階(あくまでも先天性の全盲としての)で学習される空間認知機能と、中途の場合が学習する空間認知機能とでは、フィードバック機構が異なるため、どちらが学習されるのが早いかで、決まると思う。

案外、先天性の方が環境適応はすごいかもしれない。認知運動学習においては。

だからその、異なる2つの運動学習を効率的に行える「結果の知識」とか、フィードバック機構を明確にしないと、ひとりで歩ける全盲は、「暇すぎて南武線の脇を歩いているだけのただの男女」とか、「あえて迷ったフリをして可愛い女子高生に声をかけてもらいたいパソコンアニメヲタク」とかになってしまう。

No.2

人間の運動には、視空間認知というものが根底にあって、それをもとに、今いる空間の中で自分がどんな位置関係にあるかを認識して運動が始まる。

先天性の全盲の場合、小児の発達段階で、視空間認知を会得してないのだから、恐らく「頭の中で地図を書く」行為そのものが、全く異なるニューラルネットワークだと思う。

だから逆に、中途の場合、今まで視覚的認知に基づいた運動学習を行っていたのだから、急にその入力が無くなると、そこから新しく空間認知機能を構築しなければならない。

まぁ、なにがいいたいかというと、正常発達段階(あくまでも先天性の全盲としての)で学習される空間認知機能と、中途の場合が学習する空間認知機能とでは、フィードバック機構が異なるため、どちらが学習されるのが早いかで、決まると思う。

案外、先天性の方が環境適応はすごいかもしれない。認知運動学習においては。

だからその、異なる2つの運動学習を効率的に行える「結果の知識」とか、フィードバック機構を明確にしないと、ひとりで歩ける全盲は、「暇すぎて南武線の脇を歩いているだけのただの男女」とか、「あえて迷ったフリをして可愛い女子高生に声をかけてもらいたいパソコンアニメヲタク」とかになってしまう。

No.3

> C.Cさん


認知学的・運動学的コメントを有り難うございます。説得力のある理論ですね。

最後の方は微妙にだれのことを言っているのか想像ができるわけですが・・・、私も散歩しながら神社や公園を発見できるよう努力します。空間認知力を磨いて。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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