2014年5月の記事一覧

人生に迷う(マジ)

今回は、本当に迷っている。「水樹奈々のレコードをどの店で買おうか」みたいな適当な悩みではなく・・・。

ツイッターではさんざん文句をたれているんだけど、5月に入社したばかりだというのに、その会社の雰囲気と前職の雰囲気が違い過ぎて、戸惑い、パワーを吸い取られている。ここ数日も、もんもんと布団の中で毎日17時間ほど思考を巡らせていた。

あれこれと即断するのはよくないし、そういう、もんもんとした気持ちを黙っているのは誠実でないので、とりあえず、明日、頑張って自分の思いを伝えてみようかと思っている。たぶん、全面的に今の仕事を否定することになるが、言いたいことは言わなきゃいかん。入って間もない下っ端が言ってどうにかなることじゃないし、生意気だと思われるかもしれんが、それならそれで相手の考え方も分かるというものだ。決めるのは、それからでも遅くないかな。

職場は悪くないんだと思う。待遇(=給料)は前より良いし、まぁ福利厚生は前の方がいいけど、人間関係も悪くはない(ただ、肯定的な見方をすればアットホームなんだけど、おせっかいで俺としてはめんどくさいこともある)。

問題は業務内容。内定をもらう前に、もっと掘り下げて聞いておくべきだった。なんとなく職場見学で「こんなもんか」と思ったり、アルバイトで経験がある仕事だったからそんなにきちんと見なかった。それに、面接のときはもう少し別のことも聞いていたんだけど、どうもそれも影が見えない。

ただ、業務内容については、「聞いた話とまるで違う」ということはざらのようなので、あまり文句は言えないんだけど・・・。でも、もっとちゃんとやってるかと思いきや、生産物のプロセス管理や品質管理なんか「概念すら存在してない」状態で「え?」ってなったし、デザイン定義書もないし、情報共有インフラもないし、製作プロセスが手動で、成果物の品質が悪すぎだし・・・。

挙げ始めたらきりがない。「だから流せ」とも言われたけど、なんというか、今まで培ってきた、俺の「業務に対する認識とかプライド」みたいなのが、「これは流しちゃいかん!」と思わせている。長いものには巻かれろ、という言葉でいうなら、甘んじてこの「いい加減な状態」を受け入れるのがもっともなのだろうけど、それじゃ俺は納得できない。

少なくとも、これらを意識する気があるのかないのか。それから、生産プロセスを見直して、将来の変革に対応する準備があるのかないのか。これだけは問いたださないと、俺の気が収まらない。それで嫌われてもいいや。もし、何も考えていなかったり、必要のないことという返事だったら・・・。決断しよう。

ま、ここまでは俺のちょっとした思い、なんだけど・・・。

結局、俺の人生って、なんなんだろう。大学までは順調に卒業したけど、大学院では在籍する意義を見出せず辞めて・・・。その後運良く就職できて、途中いろいろあったけど、それなりに業務経験も積んだ。そして、「さて、新しい場所で俺の夢を!」と思った矢先、思わぬところで躓いて・・・。

まぁ、転職については、夢は当然あったけど、でも、ぶっちゃけ、「今の仕事の方が楽かな」と思ってた面はあった。ところが、とんでもない。ITの業務でいえば『工程管理』に当たる部分がいい加減なのもあるけど、何より担当作業が半端なく神経使う。前の会社で「席がプリンタの横だとうるさくない?」と気を遣ってくれていた優しい方々がいましたけど、プリンタの音なんてとんでもない!1日中プリンタがガーガー用紙を吐き出してる横で作業する方が17倍ぐらいましです!

まぁ、俺の場合は、自分で自分を追い込んでるだけ、というのもあるので、あまり同情されるような悩みではないと思うけどね、個人的には。だからこそ、俺にとっては死にたくなるほど悩ましいことなのだ。

ちなみに、今の作業内容が永遠に続くようなら、僕は発狂して何かしでかすかもしれない。そうならないように祈りたいもんだ。

線と点

私は、人生って「線」だと思うのだ。いや、まぁ、哲学的な議論を始めれば、『人生は平面だ』とか『人生はcubeだ』とか、変な方向に走ってしまうんだけど、大まかに言って『人生は「線」』だと思う。(細かいけど、『』っと「」の使い方は意図的に間違えています)

人生に限らず、例えば[歴史]であったり、例えば[ビジネス]であったり、例えば[学問]であったり・・・。これらは、その瞬間、その瞬間は「点」であるかもしれないが、「史実や知識や経験の連なり」である。そのように考えれば、イメージ的にこれらも「線」だと考えて差し支えないだろう(集合・・・とかそういうことは言わないように)。

で、ここで仕事の話になる。私は前月まで勤めていた会社でいろいろ勉強したけど、根本的な概念としてこの「線」ということがあった。だれかがそういったわけではないが、会社で業務を遂行するために運用されている制度や手順は、~外圧もあるにせよ~過去の経験や実績を積み重ねたものの延長上にある。外圧にしても、突然湧いてきたのではなくて、それまでに何らかの経緯があって湧いてくるのであって、その時系列的な経緯をたどれば、それは「線」のイメージになる(例:Internal Controlとか)。

ところが、ここで『個人のストレス』について思いを巡らせると、必ずしも「線」であることが良いわけではなくて、「点」にしておいた方がいいこともある。っていうか、「点」にしておいて、とっとと頭の中から捨て去ってしまう方が、精神衛生上よろしいことの方が、たぶん多い。[座禅]のように、仏教的な思想はそのような考えのようだ。

でだ。問題は、今の私は、仕事で「点」を要求されているということである。この際、こういう微妙な話題になると、抽象的な思いを書くのにとどまり、第3社は何の事だかさっぱり分からなくなってしまう、ということは置いておいて、とにかく、「点」で考えることを要求されているように思えてならなくて、戸惑って、すごく迷っている。

今の仕事、私に言わせれば『その場しのぎのやり方』で、今までの仕事の進め方と相反しているがために、本当にこれでよいのか、と自問自答する毎日なのだ。

これは決して悪いことではないのかもしれない。生活のために働く、と割り切っている人にとっては、単純作業の繰り返しで良いかもしれない。でも、ゴールが見えない、というか無いので、ゴールを与えられるばかりの仕事をしてきた人間にとっては、つらい瞬間もある。いや、まあ、ゴールというかノルマというか、そういうのがあると、それはそれでプレッシャーだし、嫌なんだけれども、同じぐらい『ゴールが無いこと』も、結局は嫌。そうなると、すべてのことが嫌になってしまうんだけど、それは『ないものねだり』なのである。

だんだん支離滅裂になってきたのだけど、なんというか・・・。僕、どうしたらいいんだろう?

そうそう、さっき、前職を辞めてからの記事をなんとなく読み返していたんだけど、割と後悔し始めたのは早かったんだね。そうだね、遊休消化してるころから、若干迷ってた。転職の1日前には、前職を辞めたことを後悔している節もあった。そして、ここで暴露しますけど、ぶっちゃけですね、『前職の方が良かった』と、転職後、思ってしまった。

そりゃ、前職は前職で嫌だと思っていたことはたくさんあったけど、ね、こんなこと今更言ったってしょうがないんだけど、現職に比べれば前職はドライで良かった。職場の人たちは優しいにも関わらず適度に放置プレーだったし、業務内容も、まぁ、趣味とごっちゃになるぐらいには好きだったし理解はしていた。

今の職場はというと、それはもう、『ラーメン大』の醤油豚骨スープ並に濃厚な人間関係で、活版印刷並の職人芸が必要とされるもので、つまりそれは究極のルーティンワークで・・・。なんか、俺はそういう仕事じゃなくて、もっと、基盤づくりに携われるという話を聞いたつもりだったんだけど・・・。僕の勘違いだったんだろうか?

そういうわけで、ぶっちゃけ、今の方が前より疲れる。今は、仕事が終わるともうだれとも会話する気が起きない。前は、業後はもう少しものを考えたりするぐらいの気力はあったと思うのだが・・・。

ということで、『飲みを断ったくせにブログ更新しやがって』とか思っている皆様方におかれましては、誠に申し訳なく思っておりますが、少し、人と距離を置きたいというか、いや、そういう意味ではなく、文字コミュニケーションはOKなんですけど、その、face to faceな感じがあれなので、もう少し落ち着いたら、また声かけます。

最後に。家入さんという、この前都知事選に立候補したけど落選してしまった人がいるのだけど、その人の言葉。「死にたくなったら全力で逃げろ。」。文言がちょっと違うかもしれないんだけど、心にひびく。頑張らなくても、いいかな?

これは自問自答の記録である。

新しい職場の業務内容は、例えれば「毎日同じように豚骨スープを作って客にラーメンを出す」ような、ある種職人芸的な要素が強いと、入ってから知ったので、とにかく今はルーティンを覚えたり、基準を見直したり、基準と適合するか否かを精査するための材料を整理したり、そういうことに手一杯で、余計なことを考える暇がない。

とは言え、さすがに通勤電車の中とか、こうして家に帰ってきたときは、思う存分無駄なことを考えられる。まあ、そう考えることもないんだが、毎日通勤してれば、道中、「どうしたもんかね?」と思ってしまうことは、一つぐらいあるものだ。

で、本日の問題である。

【問】 駅で視覚障碍者を案内してくださる方には感謝すべきだと思うが、無言で、後ろから腕をひんづかむ(より一般的には「ひっつかむ」)のはやめて欲しいんだけど、それをどうやって丁寧に伝えればよいか?

ここで「ひんづかむ」と書いたのは、ただつかむだけでなく、強力な握力で二の腕をギューっと握りしめられたり、すごい手際の良さで腕を強力に絡みつかされたりすることを、総称している。「ひんづかむ」って下品に聞こえるけど、実際にそうされたら一番ピンとくるのが「ひんづかむ」だと思う。「ひっつかむ」は、まあ悪くはないが、俺的にまだ弱い。

さて。一応、私は男だから「もうちょっと優しくして!」とか思うだけなんだけど、女の子の視覚障碍者がこれやられると、たぶん心理的に微妙だと思う。「この人痴漢です!」という最終奥義はあるものの、いちいち奥義を発動していたら、週に数回警察署で事情聴取されるはめになるだろう。

で、まぁ、女の子に限定せずとも、ひんづかまれるのは、正直あまり気分がよろしくない。そこで、このサポート方法をやめて欲しいことを、どうやって伝えたら良いんだろう、ということになったのである。

ここで、世間話できるほど気さくな人で、かつ、手引きの方法についてさりげなくお願いできるぐらいに目的地まで距離があれば、さほど問題にならない。問題なのは、エスカレーターに乗る瞬間とか、電車に乗る瞬間とか、そういう一瞬の出来事についてである。

このような場合、サポートしてくれた人がどこにいるんだかよく分からないし、「有難うございます」以上の会話はなかなかできない。仮に、エスカレーターとか電車で近くにいることが判明しても、いちいち、手引きの作法について説明するのは、まぁ、するに越したことはないんだろうけど、面倒でもある。でも、説明しなきゃしないで、これからも彼らは僕たちをひんづかんでサポートすることだろう。

で、そこから本来はあと30行ぐらい話は続くのであるが、長いので省略。

最終的な結論としては、「せっかく盲人団体があれこれ啓蒙活動しているんだから、手引きの方法をもっとちゃんとやればいいのに」ということになった。なんか、本当なのかどうか俺は信じがたいのだけど、今、そっち系の団体が、白杖を上にしてグルグル回しているときはヘルプ要請のサインであると、キャンペーンしているらしい。そんな、周囲にとって危険で、かつ、恥ずかしいことはやめて、もっとシンプルにやることはできないんだろうか?いや、まあ、絵的なインパクトはあるかもしれんが・・・。

っていうかですね、白杖の振り回すのは、酔っぱらってたまらなく楽しい気分で帰路についているとき、あまり街灯の無い道に差し掛かって、だれも歩いていないことをしばらく耳をそばだてて確認した上で、「ちゃんばらごっこ」するときだけです。覚えておいてください。

この土日は、疲れがなかなか取れなくて、結局昼間から飲んだくれておりました。土曜日の昼過ぎまでちょっと用事があったけど、その後はもう、ごくごくと・・・。

ただ、おかしなことに、昼間はあんなにやる気出なくて、ビール飲むかアニメ見るぐらいしかやることが思いつかなかったのに、夜になるとあれこれ試してみたかったり、やらなきゃならんことが出てくるし、というか思いつく。夜の方がいろいろひらめくし作業も捗るのは昔からだけど、なんでなんだろうか?

そして、今やっと分かった。理由はどうであれ、夜の方がいろいろ生産性が高いのに、夜は酒を飲む時間になっているか、または昼に酒を飲んでグダグダになっていることによって、結局何もできない、と・・・。昼にやろうとしても結局思い描いたことの25%以下しかできないのをなんとかするには、酒を辞めることが最善策であると・・・。

ところが、「酒を飲むのを辞める」のは極めて困難だ。荒行と言ってもいい。平日でも「今日は酒飲まない」と思っていても、仕事から帰ってくると、耐え切れず「プシュッ」とやってしまう。もちろんビールを。これは、夏になるにつれて避けがたくなるので、もう、僧侶にでもなる覚悟がないと酒は辞められないんじゃないだろうか。

ただ、もちろん、酒を飲むのも、おいしいとか以外にちゃんと理由がある。

酒を飲んでちょっと酔いが回ってくれば、ささくれだった心が落ち着いてくるし、気分も良くなるのだ。当然飲み過ぎない程度に飲んだときは。飲みすぎるとだめだけど。

日常生活していると、多かれ少なかれ、仕事や通勤で ストレスが貯まる。ストレスは解消した方がいいに決まってる。まあ、アルコールで解消するのがどうか、という是非はあるけど、いいんですよ。手っ取り早いからね。

そういうわけなので、普段お酒を飲まない人って、どうやって、そういうちょっとしたストレスを発散してるんだろう、と疑問に思うことがある。まあ、人それぞれだから、いろいろあると思うんだけど・・・。ただ、どっちかっていうと、俺は「酒が好き」です。

そうそう、別件ですが、最近自分の「おじさん化」が進行している気がする。自分から加齢臭がする気がするし、うんこが毎日下痢だし、酔うとすぐ寝るし(ただし、気絶している可能性の方が高い)、息子に元気がないし、よく道でつまずくし、「マクドナルドは脂っこい」と思うようになったし(でも食事の35%ほどはマック)・・・。なんか、全部「マックの食い過ぎ」が原因なような気がするけど・・・。せっかくだから、一度「スーパー・サイズ・ミー」計画を実行してみようかしら。

さ~て。今日は1日「Black Lagoon」を見て、糞メイドと、アフガンでネジをおっことしてきたいかれポンチの火傷顔(フライフェイス)と、テロテロテロッピでご挨拶申し上げたアンクルサムの糞正義に心癒されたので、明日から頑張ろう。やっぱり、指揮官は女がいい。大尉殿!

先日、最近の学校教科書を閲覧する機会がありまして・・・。

討論をするときの形式や手順について記されていたのだが、その記述に絶句してしまった。厳密には忘れたけど、「多人数で行う討論会では、たくさんの意見が出て収集がつかなくなるので、多数意見に集約していくのがよい」とかなんとか書いてあった。

っていうか、そういうことを学校で教えることにもちょっとびっくりしたけど、「多数意見に集約しろ」とか意味不明だ。いや、なんというか、丸く収めるにはそれがベターですけど、その方針が日本の社会をだめにした要因な気がしている俺にとっては、結構衝撃的だった。そんなことを学校で教えてもらった子供たちが、大人になってグローバルな市場でまともな競争ができるとは思えない。

日本的な文化がイニシアティブを持っている現場では通用するかもしれないが、一般的なグローバル市場ではどうにも通用しそうがないこの「討論」、こんなんで将来の日本は大丈夫なのか?僕がおじさんになってしまったのか?

そういうわけでですね、さっきツイキャスやってた子がかわいかったなあ。She is so pretty, so not beautiful, Pretty! She is Pretty!

あのねのねのねのね~。壊れたよ。どうやら回路がショートしちゃったらしくてね・・・。ナイジェリアで女子高生がさらわれた事件を、NHKは昨日割と大きな枠で放送してたけど、それって1か月ぐらい前じゃなかったっけ?っていうか、「ボコハラム」はイスラム過激派の名前だったの?ナイジェリアの首都の名前だと思ってたよ、俺。BBCを聞いてると、ぶっちゃけ意味わかんないけど、とりあえず「ボコハラーム」的なあれが分かるけど、でも、やっぱり、BBCは難しい上に、どう考えても日本人には理解しにくそうなナイジェリアのニュースなんて英語で聞いてもわかんねえよ!!

あと、めっちゃどうでもええねんけど、ヘイトスピーチが意味不明すぎ。BBCでは英語の吹き替えがかぶってて聞き取れなかったけど、鶴橋のあれ、女の子がひどいこと言ってるよ。あれは、本人の意思か、言わされているだけかは分からないけど、ちょっとね・・・。ヘイトスピーチはだめだよ。心の中で「死ね!」と思うのはしかたないにしても、それ口にしたり、ましてや街頭でわめくのは、だめだろ!

昔から、あぁいうレイシストは日本に潜在的に存在したんだろうかね。とほほ。

初日

  • 日常

あぁ疲れた。っていうか疲れた。もう、「疲れた」ぐらいしか言うことがないぐらい疲れた。

今日から新しい職場で仕事が始まったわけだけど・・・。ぶっちゃけ、なめてました。僕が悪かったです、ごめんなさい!

正直、「疲れるほど疲れないだろうな」と思っていたのだけど、疲れましたね~。教育なんて無でいきなり実務だし、想像以上に濃厚な人間関係で、「孤独って素晴らしい」と人生で何度かしか思わないようなことを思ってしまい・・・。

何より、便所が残念すぎた。学校のトイレ未満である。もう時効だと思いますが(笑)、前の会社では、集中力が切れたらトイレにこもってツイッターとか見てましたけど、そういうことはできない。なんというか、物理的にいやだ。和式だしうんこ臭いし狭いし・・・。給料を多少減らしてもいいから、今の便所を全部ぶっ壊して新しくウォシュレット装備の快適トイレにしてほしい。朝の通勤だってね、「会社に着けばとりあえずウォシュレットのあるトイレに行ける!」と思えば頑張って我慢できたものを、これからは「洋式なだけ駅のトイレがまし!」と思ってしまうかもしれない。

あとは、職場の最寄り駅があほみたいに混雑するとは、思っていなかった。ぶっちゃけ、「横浜駅はやばい」と思っていた俺が浅はかだった。なんか、ホームも改札も「満員電車か?」と思ってしまうほどの人の山で、なんか、もう、「芋虫じゃね?」みたいな・・・。地上から撮影したら、働き蟻がむらがっているようにしかみえないことだろう。っていうか、あれなら通勤時間帯の渋谷の方が3倍ぐらいましだよ。あぁ、残念すぎる。

まぁ、細かいことを書き始めたらきりありませんが・・・。私の描いていた青写真は、割と妄想だったのかもしれないなとか、目標は強制的にでも立てた方が成長に繋がるんだなあとか、やっぱり閉鎖的な空間は居心地が良い分周囲から異質なものになるんだなあとか、まあ、書き始めたらきりがありません。

初日なんてこんなもんかもしれないけど・・・。前の会社だって、入社初日に辞めたくなったし・・・。現実は厳しいですな。とりあえず「石の上にも3年」をマジで実効しないとどうにもならなさそうなので、目先の目標は「石の上に3年座るだけの覚悟を持つこと」にしようと思います。それじゃだめじゃね?

ああああああああああ!酒飲んでもぜんぜん酔わないし。いやもう酔っぱらってる?わかんねえ?いや、まぁ、ちょっとヤケ酒してるだけだから気にしないで!む~む~、あぁ苦しい。さようなら。

今日は飲まないようにしようと思っていた。いよいよ明日から新しい職場でnext stepを踏み出すことになっているから。

でも、飲んでしまった。結構大量に。いや、最初は「明日に備えて飲まないようにしよう」と思っていたのだけど、だんだん「いや、変にペースを変えないで飲んだ方が良いのでは?」と思うようになり・・・。気が付いたら、このざまだ。「どうせ飲むんだから飲み行きましょうよ」と友達に言われたのをわざわざ断った意味がぜんぜんなかった。ごめんなさい。

それはさておき、まあ、明日からがらりと変わるわけで・・・。眺めの連休だというのに、酒を飲んだのと、Windowsサーバのイベントログにエラー出力された場合にメール送信されるツールをしこんだこと以外、これといって何もしてなくて、どうなんだろうと思う部分はあるけれど、まあ、とりあえず明日からは今までと違うのですよ。

準備のため鞄をごそごそやってて、いつも内ポケットに入れていた社員証が無くて「あれ?!俺ひょっとして貸与物無くした?」とか一瞬思ったけど、いやいや辞めたんだから持ってなくて当然だよ!俺のばーか。

ああ、もう酔っぱらっててまともなこと書けない。でも、なんか書いておかないと忘れちゃうから書くんだけど・・・。

俺もつくづく未練がましい卑屈な人間だなあと思うわけだけど、今更、「やっぱ前の会社でもうちょっと頑張ればよかったかな?」とか思っちゃうのよね。いや、まあタイミング的にここしかなかったので結果的に変わりはなかったんだけど・・・。ただ、大学院を辞めるときはそういうこと思わなかったなあ。「やっと解放される」という感覚が強かった。今思えば、なんで俺は大学院行ったんだろう。なんも考えてなかったなあ。それに比べて、とりあえず、表面的にも目的を持って路線変更できた今は多少進歩したということなのかしらね。

前の職場に未練があるのは、たぶん人間関係が、後半は良好だったからだと思う。前半についてはあえて触れまい。とにかく、退職時に在籍していた部門の人は、とても優しくて、感謝している。まぁ、たぶん会社の風土もあるし、いろいろな圧力だったり個人的な思い出あのような雰囲気になっていたとは思うけど、そいう面倒な話は抜きにして、ほんとに良い職場だった。あんな職場は、たぶん俺にとって二度と出会えないだろう。

新しい職場では、しばらくは地味な仕事になると思う。ひょっとしたら、政治的な力の兼ね合いで俺の思い描く方向にはならないかもしれない。そういう意味ではギャンブルだと思っているんだけど、そこらへんは、周囲の人たちの力も借りながら頑張ってみたいと思う。なんか、知らなかったけど、実は今度の業界には知り合いが多いようなので...。

ただ、一つだけ忘れないようにしたいと思っていることは、技術を追及することに力を入れること。それは業務面でもそうなんだけど、どちらかと言えば個人的な領域での話。前職は、新技術でイノベーションするというよりは、インフラストラクチャとしてのシステムを維持するという意味合いが強い職場だったので、個人的な興味・関心よりも、安定的なITシステムの運用という面を重視せざるをえなかった。しかし、今度の業界はIT関係じゃないので、少なくとも、個人的な時間をITの新技術なり、自分の興味・関心に振り分けることができる。具体的にはNVDAを改善するためのアドオン作ったり、まぁ、そういう細かいことで、別に大きなことじゃないけどね。ゆくゆくは「情報保障」の観点でアクセシビリティ技術を応用してコンテンツを提供するための技術的な基盤を整えたり、「コンテンツの活用方法」といった面で、プライベートでも業務でも関われるようになることがベストだとは思うけど、まずはね。そういう心掛けでいきたいと思います。

まぁ、実際のところ俺はそんな大層な人間ではないですけどね。「毎日を必死に生きる!」とか言っておいて、毎日夜遅くまで、というか、朝早くから、というか、そういう時間から飲んでですね、飲みすぎて1日無駄にすることが数日続いて、「あぁ、廃人だ、せめて最後は俳人でありたい」とか意味不明なこと思ったりするんだけど・・・。

では最後に。僕はね、Facebookのプロフィールの職業欄に「お花屋さん」って入力したいんだけど、できないよね?いや、できるかもしれんが、俺はネットの世界では「お花屋さん」でありたい!「仏壇販売業」とかでもいいけど・・・。やっぱり職業と言ったら、「お花屋さん」か「パン屋さん」か「パイロット」だろう。パイロットだとしたら、俺はF15Eのパイロットがいい。なんでEかというと、そりゃもちろん、ストライクイーグルだからだよ!いやまぁ、それはいいとして、お花屋さんとかパン屋さんとか、実際に経営するとどうなんかね?とある洋菓子店は、クリスマスになるとあほみたいな連中が次々とケーキを買っていくけど、普段はだれもいないっていう、「なんていうか、どうなの?」って状態だけれども、そういうのでもフランチャイズできるってことは、それなりになんとかなるってこと?うーん、分からん!SI企業の収益モデルはこの数年でだいたい分かったけど、個人店とか、季節感のあるチェーン店の収益モデルは今でもぜんぜん理解できない。

でもね、前は「ルーチンワークなんてつまんねえ」って思ってたけど、世の中のほとんどってルーチンワークだよね。というよりは、目に見える形ではルーチンなんだけど、ルーチンになるまではすごいんだろうなあと思う。豚骨ラーメンのスープを作る仕事にしても、車の製造ラインにしても・・・。もう、だめだ。世界がぐ~るぐる~!

こんなんで俺は明日7時に家を出て、ちゃんと仕事場にたどり着けるんかね?一応昨日確認しに行ってみたけどね。地震でプルプルだったけど、そこは我慢してあえて行ったら、いや、まあ、プルンプルンだったよ。コラーゲン万歳!大日本帝国万歳!

以上です。ああ、さっきからトイレ我慢してたの。じゃあ、行ってくるね。あ!?ジョロ~。

その昔、会社帰りにコンビニでビールを買って、ちょうど夏だったので我慢できず、道半ばにしてプルタブをプシュっとやり、そして、「ビールといえば野球」なので、ワンセグで野球中継を見ながら歩いていたところ・・・。

慣れてる道とはいえ「さすがに盲人がこれやるのはちょっとなあ」と思いつつも、でもビールうまいし、野球は良い場面だし、とりあえず自宅へ向かって歩いていたわけだが・・・。そこで突然後ろから声をかけられた。

「あの・・・。いつもお見かけするんですが、どちらまで行かれますか?宜しければ一緒に行きます。」

若い女性の声であった。あぁ、なんと。聖母マリア様はおいでであった。マリア様は見ていらしのだ、堅実に仕事をこなす私のことを・・・。だから、このような形で褒美を与えてくれたのだ。

とまでは思わなかったけど、「あ、どうも、有難うございます、では○○まで・・・」と言いかけて、ふと我に返った。片手にビール、片手に携帯を持ち、ビールを飲みながら野球見てた俺は、どうやって手引きしてもらったらええのん?

女性の申し出はとてもありがたいことだった(まあ、サプリメントとか押し売りされるまでは)。ただ、暗がりで後ろからは見えなかったんだろうけど、白杖かかえながら、両手にビールと携帯を持って歩く人に声をかけてくれるなんて・・・。あぁ、いや、だったらこれからも歩きながらビールのもうかな(笑)。

そういう、昔の一場面。なぜ、そういうことを思い出したかというと、ぜんぜん関係ないんだけど、中学生のころメル友だった子とのやりとりを読んだら、なんか思い出したのである。かなりどうでもいい話。

で、なんでそのメールをほじくり返したかというと、メーラーを乗り換えようと思ってるんだけど、データの移動がぜんぜんうまくいかなくて、あまりにイラっときたので、ちょっと和もうかと思って、手近なところにあった中学生時代のメールを手を伸ばしたという次第。ああ、ガキだったわ、俺。女の子の方がませてるっていうのは、中学生ぐらいの年齢でも当てはまるらしい。書きながらちょっと面倒なこと思い出したわ・・・。東京に出てきてから「変わったね」とかメールきて、そのまましばらく返事こなくて・・・。あぁ、まぁ、いいや。

あ~あ。社会人にしては長い休みを過ごしてきたけど、それも明日までか。ま、特段悪いこともなかったのでいいのかな。・・・

すいません、一般論なので、特定の個人をいうものではないことをご了承頂きたい。

人間、手遅れになってからでは遅いので、問題が発生しそうなら、できるだけ事前策を考えるものだが、結果的に問題が発生してしまうことはよくある。

ハゲにならないために、若いうちから育毛剤を使っていても、悲しいことに「運命の日」は訪れてしまうことがある。努力が無駄になってしまうことがある。つまり、「ハゲてしまう」こと、は・・・ある。

というのも、最近実家で家族とテレビを見ることが多かった。で、いちいち「あの野球選手はヘルメをとるとピカピカだな」とか、「あのアナウンサーは普通にしてると分からないけど、頭を下げるとツルツルだ」とか「頑張ってサイドを寄せてるけどてっぺんはカバーできてないね」とか、無駄な情報が入ってくるのである。そうすると、こちらとしては「そうなったら、自分は困るなあ」と思うわけで・・・。

個人的には毛が多い方なので、美容院でも「お客さんは将来大丈夫ですね」と言われることが多いんだけど、でも、そんなのあと何年かしたら状況が一変するかもしれない。どこかのウミボーズは「30過ぎたら一気にくるんだよ!」と、切実に切れていたので、三十路を間近に控えた俺としては、何か今のうちから考えておけることはないかと思うのだ。

とりあえず、「ハゲ」を発見することはできるだろう。髪を洗うときに、どの辺がやばいかは分かる。

問題は、発見できた後、どうやってごまかすか、である。もちろん、ごまかさないのも手だけど、もし「若ハゲ」だったら・・・。彼女がもしそのときいたら・・・。もうすぐ結婚式だったら・・・。ハゲたまま、神父さんに愛を誓えというのか?というか、ハゲ全開でプロポーズとかしろというのか?それは・・・割と無理だろう。

それは、以前にもちょっと書いたけど、私のおばが「ハゲは嫌い」と言っていたので・・・。「髪型をセットしないのは気にしなくても、ハゲはさすがに厳しい」という女性も多いことだろう。

で、まあ、それだけじゃなくて、仕事で取引先に挨拶するときも、やっぱり、堂々とハゲを見せるのもちょっと、どうかなと思うし(自然現象なんだからどうしようもないんだけど)、全盲ならあれだけど、視線とか気になるかもしれんし・・・。

脱線してしまったが、どうやってごまかすかは、非常に難しい問題だ。そう、全盲にとっては問題である。

女性の化粧にも言えることかもしれないが、例えば髪型のセットとか、健常者が鏡をみてやるような作業は、全盲にはアウトプットを確認するのが困難な作業なので、ある程度ごまかし方を習ったとしても、ほんとにごまかせてるかどうかは、もうだれかに確認してもらうしかない。その場合、一人暮らしだったらどうしたらええのん?

髪がふさふさのときに、「ワックスつけてセットしても残念な感じ」ということであれば、まぁ、あきらめはつく。でも、ハゲをごまかすのにあれこれ髪をセットしても、あまりごまかせてなかったときや、逆に目立つ感じになってしまっていたとしたら・・・。いや、それを確認する手段は多くないんだが、気づいたときの精神的ショックは計り知れないことだろう。

いっそ、ズラを作ってしまえばいいんだが、あれはあれで維持が結構大変みたいだし、費用もかかる。必ずしもズラが良いとは限らないようだ。

ということなので、自分に降りかかってきたときのために、ハゲないよう努力すると共に、ハゲてしまったときの対処方法については、今後学習することにしたいと思います。

なお、ここからは予断ですが、一応ここでは「ハゲ」とカタカナで表記してきた。他にも「はげ(ひらがな)」とか漢字もあるが、あえてカタカナである。

これは以下の本に習った書き方である。

須長 史生 著: 「ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学」

この本、ハゲた人の心理を社会学的に分析した書籍としては結構面白い。昔読了したが内容を忘れてしまったので、もう一度読もうと思う。

で、この本は点訳されているのだが、何故「ハゲ」がカタカナであるかが分かったかというと、以下の本に、上記の著者が「ハゲ」とカタカナで書いた理由について、ある人の解釈が記述されている。

と学会 編: 「トンデモ本 男の世界」
   >> [ファイル05 おっちゃんの世界] → かつらすだれも踏み越えて

本日は以上です。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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