2013年11月の記事一覧

全盲が一般企業で働く際、困ることはいろいろあるけれど、今日はIT以外のことで・・・。

1. 人の在籍状況がよく分からない

だれかに用事があって話しかけたりしたいとき、その人が席にいるかどうかよく分からないときがある。キーボードを打ってたり、話をしていれば分かるけれども、じ~っと書類や画面を見つめている人までは認識できない。
外資系オフィスのようにパーティションで区切られて手、座ったままだと周囲の様子を見られないようになってれば、ためらわず内線をかけたりできる。けれども、「著しく生産性を低下させる」とどこかの新聞で揶揄された、オープンな、日本企業のオフィスだと、同じ島の席の人に内線を掛けるのはちょっと・・・。だからといって、同じ島でも、机二つ文ぐらい離れると、音だけでは在籍状況はよく分からないし、ましてや隣の島とか、普通だったら見える距離だけれども音でいろいろ判別するには微妙な距離となるとどうしていいのやら・・・。
まぁ、恥ずかしがらずに声を挙げて名前を呼べばいいのだが・・・。静まり返ったオフィスでは、私はあんまりやりたくない。
こういうときに、社内用のインスタント・メッセンジャーは便利そうだなと思う。うちの会社みたいに、メッセンジャーというだけで毛嫌いされてしまう敏感な会社じゃ、導入は無理だと思うけど。

2.電話の保留がわけわかめ

先進的というか、多くの会社では、部署単位または会社単位で、電話の保留バンクというのを持っていて、かかってきた電話を保留したときに自動的に空きバンクに保留するようになっている。保留された電話を取るときは、自分宛ての電話が保留されているバンクを選んで替わるわけだ。
この場合、他人が取った自分宛ての電話を取るのはそんなに難しくない。保留バンクの番号を教えてもらって、ボタンを押せばいいだけだ。
でも困るのが、自分が他人宛ての電話を取ったとき、どの保留バンクに保留されたか分からないのである。普通はランプでどの保留バンクか見るので・・・。そうすると、替わりたい相手に「保留何番にお電話です」と伝えなければならないところ、伝えられないということになる。みんな、どうしてるんだろう?
ちなみに、うちの会社の電話はそんな高機能ではなくて助かっている。保留バンクなど無くて、人に電話を替わりたいときは、単に替わりたい相手の内線電話に転送すればよいだけである。それか、受話器を渡すのだ(笑)。

3.席替えのときはほぼ役立たず

配置転換や担当業務変更などでチームが替わると、それに合わせて席替えすることがあるが、そのとき全盲はほとんど役に立たない。非常に居づらい。いっそ、席替えの日は遊休消化したいぐらいである。
手伝おうにも、だいたいそういうときはフロアがゴチャゴチャになるので、こちらとしても同僚としても「ちょっと動かないで!」ということになるのが通例だ。
フロアのレイアウト変更を伴うような比較的規模の大きい席替えならば、業者を入れたりするのであれだけど、仮にそうだとしても、移動した荷物の仕分けとかをみんながやっている間、自分の仕事をするというのもなんか・・・。あまり良い気分ではない。

4.自販機で飲み物を買うと、思っていたのと違うものが出てくることがある

最初に、自販機に点字ラベルを張ってもらうとか、どこに何があるか教えてもらったとしても、自販機というのは季節によってメニューが変わる。
冬はホットコーヒーだった場所が夏にアイスコーヒーになるぐらいの変更ならいいが、お茶のペットボトルだったところが、ある日炭酸飲料に換わっていたりすると悲しい気持ちになる。炭酸が飲めない人はもっと悲しいことだろう。
まぁ、これは別に会社にいなくても同じである。

5.会議中に何の話をしているか分からない

紙でもプロジェクタでもいいけど、資料を見ながら会議するとき、いったいどこの部分について議論しているのか追えなくなることがある。
同じ部署の場合だったら、なんとなく話の流れとかで分かったり、ちゃんと項目番号とかで話している場所を教えてもらったりすることもあるのだけれど・・・。話がはずむとだんだん普通のペースに戻ってきて、通常のように視線でのやり取りが始まる。
ましてや、他部署の、初めて打合せするような人とか、他社の人とかだと、一応配慮して欲しい旨伝えても、だいたい忘れられる。まぁ、これも、うまいこと逐次確認していくしか解決策はないのだけれど、なんとかならんもんか。

6.エレベータに遊ばれる

それなりのビルなら、エレベータホールに6機とか8機のエレベータがあるのが普通だろう。
そういう場合、どこかのボタンを押せばエレベータを呼べるけれども、どのエレベータを呼んだのか分かりにくい。ランプが点灯したエレベータが「ポーン」と音を出すタイプの機械もあるけれど、エレベータホールはそんなに狭くないため、方位を特定できないこともある。
で、そういうときに限って、手前側のボタンを押したのに一番奥のエレベータが来たりする。それを認知できた場合、すたすた奥に歩いていくのだけど、実際のところ一番奥なのか、それより一つ手前ぐらいなのかといった厳密な位置はまさぐらないとよく分からないので、恐る恐るいろいろやっているうちにドアが閉まって別の階へ行ってしまうことがよくある。加えて、こういうエレベータはホールの左右にエレベータがあるので、「これは右のエレベータが来たのだろうか、左のエレベータが来たのだろうか」ということも考慮せねばならず、まぁ、だいたい乗り遅れる。
しかも、これはうちのビルだけかもしれないが、しょうがないので乗り損ねたエレベータのところにあるボタンを押すと、今度はまたまた真逆のエレベータが来るのだ。そうして、エレベータホールを3,4回往復しちゃうこともしばしば・・・。最近、見かねた警備員さんが教えてくれるようにはなったけれど・・・。ボタンを押したときにどのエレベータを呼ぶか決定するアルゴリズムを、もう少し見直した方がいいと思う、なんちゃらビルシステムのエレベータは。

7.社員食堂はあるけど使いにくい

おいしいかどうかは別として、安い価格でご飯を食べられる社員食堂はぜひとも利用したいところであるが、そういうところはセルフサービスである。それをどうやって利用するかは重大な課題だ。
まず、「同僚と一緒に行く」という選択肢が思い浮かぶが、毎日というわけにもいかないだろう。同じ人ではなく、代わる代わる食堂へ行く同僚をみつければいいのかもしれんが、同僚がみんなコンビニのおにぎりや愛妻弁当を持参してくる人たちばかりだったらどうするのか?
とりあえずそれは置いておいて、独りでセルフサービスの食堂に行ったら何が困るかというと、まぁいろいろある。

  • メニューが分からない。普通の店みたいに、席やレジのところで聞くわけにはいかないからだ。意味が分からない人は、カフェテリアがどんな形式か調べてみるとよい。まぁ、だれかと行ったときに教えてもらって覚えればいいっちゃいいけど、メニューは変わりますので・・・。
  • 空いている席が分からない。セルフサービスであることから容易に想像できる通り、社員食堂にはほとんど人出がない。店員というか、(たいていは)おばちゃんにいろいろ手伝ってもらうのは、はばかられるほどの込み具合だし。お盆を持って白杖を使って、どうやって席を探せと?だいたい、お盆を持ってなくても、空いている席を探すというのは盲人にとって「働くのと同じぐらい神経を使う」ことなのだが・・・。

ちなみに予断だけど、全盲の人で、だれにも指図されずにお盆を水平に持てる人ってどれぐらいいるんでしょうかね?あるいは、晴眼者は、目をつむったらお盆を水平に持てるんでしょうかね?

あと、通勤中にも困ったことはある。

8.朝、うんこをしたくなっても「トイレはどこ?」状態である

平時にちゃんと通勤ルート上のトイレを確認しておけば、戦時にあわてることはないのだが、普通、通勤途中の駅を、トイレを探すためだけに利用することはあまりしないだろう。だから、いざというとき、必死に便意をこらえながら、漏れるか漏れないかのギリギリのラインで、駅員さんにいろいろお願いしなければならなくなるのだ。そのとき、たぶんすごい顔なんだろうと思う。
しかも、駅員さんに頼んでトイレまでたどり着けても、朝の駅のトイレにはだいたい先陣が個室を占拠しているため、すぐにリリースできないこともある。そういうときが、最も困る状況だ。

9. ババアがつっこんでくる

ババアでなくとも、最近はスマフォを使いながら歩く「たわけ」がたくさんいる。

10. ジジイにどなられる

てめえが死ね!馬鹿野郎!!点字ブロックの上につったってるお前が邪魔なんだよ、このハゲ野郎!

以 上。

昨日ごにょごにょとエントリーを書いたので、ついでに、具体的に仕事をしていて困ることについて書いてみようと思う。全盲限定で。

一般に、IT技術の進歩により、情報弱者だった視覚障害者は、以前に比べ多くの情報を取得できるようになったし、発信できるようになった。そして、仕事でITが活用され始めると、その領域で活躍できるチャンスが、視覚障害者、とりわけ全盲にもめぐってきた。

きちんと掘り下げると、今より2,30年以上前、全盲の仕事として「プログラマ」が注目され、当時プログラマとして活躍していた全盲もそれなりにいたようだ。

だが、それも過去の話。細かいことは省略するけど、いつのまにか「プログラマ」はおじゃんになって、今度はエンドユーザとしてITを活用した就労を考える時代となった。仕事でPCを使うのが当たり前の昨今、PCを活用できる全盲なら専門知識がなくても就労できる可能性が広がった、ということである。

けれど、実際のところ、それなりにPCを使いこなしている全盲でも、健常者と肩を並べて仕事してみると、驚きや落胆を経験することが多いはず。何より、困り果てることも多いのではなかろうか。

例えば、大多数の会社では、資料作成にWordとかExcelを使うと思うが、まず、健常者が作ったこれらのファイルを読むにはだいぶ慣れが必要だ。読み上げソフトが正確に読み上げないという問題もあるし、書式がバラバラで読み解くのに苦労することもある。そして、全盲にはほとんど理解できないであろう「色」を用いて、文書の直感的理解を促すようなケースが多い。

また、別の例として、会社のメールソフトとかグループウェアがぜんぜん操作できなくて、情報共有に支障が出る、というようなことも、全盲だったら有り得る。読み上げソフトでどう頑張っても読めないし操作できないシステムというのは、業務システムには割と多い。ただ、本当は、高機能な読み上げソフトを高レベルで使いこなせれば、実は使えるシステムだった、というケースも少なくないけれど。

余談だが、どこぞのなんとかという読み上げソフトは、「スクリプトを書けば読めないアプリケーションも読めるようになる」的なことがカタログに書いてあるけれども、あれは間違いだ。「読みにくい、あるいは操作しにくいアプリケーションが、読みやすく・あるいは操作しやすくなる」ということであって、そもそも潜在的に読めない/操作できないアプリケーションはスクリプトを書いたってなんともならん。反論したい方がいましたら、AccessBridgeを使っていないJavaのGUIアプリケーションを読み上げさせてみて下さい。 (FXとかは大丈夫なのかもしれんが、よく知りません)

この辺は、もうなんというか、慣れるか、あきらめるかのどちらかしか選択肢がない。まぁ、「慣れる」という選択肢の場合だと、いろいろ細かなテクニックはあるけど、まぁ面倒だからいいや。

これら以外にも、PCをそこそこ使いこなせていても、働いてみると落ち込むことはたくさんある。まぁ、2,3年我慢してればたぶんその辺の解決策は経験的に修得できると思うのだが...。もちろん、ただその場をしのいでいたってどうにもならない。変な話、仕事の経験を積むのと同じように、健常者の感覚や文化を理解していく手順が必要だ。

一方、本人の努力だけではどうにもならないことというのもある。IT技術がさらに進歩したり、会社の制度が変わったりしないとだめ、という意味においてだ。

私はIT関連の仕事をしているけれど、特にIT業界は様々な「技術的制約」の中で、システム開発を行ったり運用したりしなければならないことが多い。そして、そうした「技術的制約」は、ほとんどの場合、支援テクノロジと相性が悪い。

あまり具体的なことは書けないけれど、例えば、「システム開発」という仕事については、IDEを使いこなすのが全盲には厳しいので、健常者と同じ生産性でコーディングすることは、割と難しい。もちろんIDEなんか使わなきゃいいだけの話だが、どう考えても、構文エラーの箇所に色が着くあのIDEのエディタには勝てない気がする。

もう一つ。「システム運用」の場合、最近は仮想化とかクラウドとか流行だが、そうでなくとも、データセンタにサーバをハウジングするのは当たり前。するとオペレーションはリモートでやるわけだが、会社によっては、自社開発の、全くスタンダードでないプロトコルを使うため読み上げソフトが対応できないこともある。Windows標準のリモートデスクトップのRDPなら、読み上げソフトでも対応しているのに、そういう「謎のプロトコル」をリモートアクセスに使うことによって、なんか読み上げがおかしくてぜんぜん使い物にならない、というケースを聞いたことがある。Unix系サーバにするか、WindowsもSSHでなんでもできればいいのにね。でも、パワーシェルとか、その辺で最近はあれなんかね?

でだ。そもそも、リモートアクセスがうまく使えるとしても、技術的な理由でどうあがいてもサーバ側には読み上げソフトをインストールしなければならない。なので、有償の読み上げソフトならその分のライセンスが必要だ。10台も20台もサーバがあるのに、そんな本数、読み上げソフトのライセンスなんか買ってられない。

特に、名前は言わないけど、その「スクリプトが書ける読み上げソフト」は、高い金をふんだくるくせにローカライズのときになんかバグが混入するのか、著しく品質が悪いためブルスクとか発生するので、業務用のAPサーバになんかインストールしたくない、ということを思ったりもする。そういう意味では、行儀が良くてオープンソースなNVDAをもっと業務で活用できたらいいなあとは思うのだが・・・。

そうそう。もうほとんど愚痴だけど、このように便利そうなツールがあっても、ITの現場は「ツール使うな」という風潮がある。開発部隊のことは知らないが、運用部隊はどっちかっていうと「余計なツールは使わずに、今ある道具で最適の手順を考えろ」的なことをよく言われる。そういうわけなので、新しいツールを使うのが割と大変な手続きになっていたりする。まぁ、最近はマルウェアとかあるので、ゆるすぎるのもいけないとは思うけど・・・。そのくせ「スクラッチならOK」って意味が分からない。

あと、コンプライアンスは重要だが、あまりにコンプライアンス、コンプライアンス言うために、本当に必要かどうか疑問な審査/承認プロセスが介在して、結果的に業務が遅延したり損失が発生したりすることも少なくない。まったく、エンロンが余計なことしなけりゃ・・・。

だいぶ話が反れてしまったけれども、要するに、IT技術が進歩しても、職場によってはそのIT技術の恩恵を受けることができないので、全盲は苦汁をなめることが多い、ということが言いたかったのである。

今日はITにからめて話を進めてきたので、次はIT以外のことで困る話を書こう。

ところで、VDIでシンクライアントを使うのが当たり前に、たぶんもうすぐなるけど、支援テクノロジは対応できるのだろうか・・・。プロトコルがRDPとICAの二つぐらいならまだいいけど、それ以上増えると、対応しきれないんじゃないか?いや、そもそも、リモートアクセスのために追加ライセンスを買わせようとするどこかの読み上げソフトの思想を直すべきかもしれんが・・・。

障害者雇用にはまだまだ問題がある。法定雇用率があるので、大きな企業は障害者採用をやっているし、むしろ「やらざるを得ない」という状況ではあるが、どちらかといえば「やらざるを得ない」という感じが、多くの場合であろう。

一昔前は、企業としてまずは「障害者を雇う」こと、あるいは障害者としては「入社すること」が目標だった。障害者の目標は対して変わらないが、企業側の目標というか目的というか方針は、だいぶ変化しているように感じる。それは、障害者採用が拡大する中で浮き彫りになってきた問題が原因だろう。

私は人事の仕事じゃないし、耳にした話を元に適当に書いているだけなのだが、浮き彫りになった問題とは、たぶん次のようなことである。

  • 雇用が定着しない(あるいは、障害者がすぐ辞めてしまう)
  • 障害者の品質が分かってきたので、選別基準も分かってきた

後者は企業にとって悪いことではないけれど、障害者自身にとっては大変悪いことだ。いや、「弊害がある」というのが正しいかもしれない。

とりあえず「雇用が定着しない」という問題だが、もはや「どこに行っても聞く話」である。採用が目的のころは、何にしてもまずは会社に適合しそうな障害者を採用しなければならないが、ある程度採用数をこなしていくうちに、どこの会社も直面する問題だと思う。

これについては、Webとかでもいろいろ言及されているので、ここであえて説明することもないだろう。後で触れるかもしれないけど。

で、どっちかっていうと個人的には「障害者の品質が分かってきたので、選別基準も分かってきた」という方が重要だ。

書き方があれだけれども、企業の人事担当者で障害者採用に携わっている人は、このように感じている人もいるんじゃないかと思う。障害者採用をしたことがなければ、どんな役割を与えるべきかとか、いろいろ分からないこともあるだろうけど、すべての仕事がそうであるように、経験を積めば、それなりに処理の方法は確立できるものだ。

どこの企業とは言わないけれど。契約社員でも雇用率にカウントされるから障害者は契約社員でしか雇わないとか、研修生という建前で契約社員を雇って雇用率を引き上げたりとか、法律を守る手段は前からある。そして、最近は手段だけでなく、障害者採用の方針とかターゲットも固定されつつあるのではなかろうか。

もっと直接的に言うと、乱暴な言い方だが、「障害者には雑用させておけばいい」とかっていうようなことを、会社として決められるだけの材料はそろいつつあるということだ。それは流石に極端かもしれないが、少なくとも、障害の種別や部位による選別基準ぐらいは作れるだろう。例えば、全盲はイニシャルコストが高いから雇わないとか、車いすの人はイニシャルコストは高いけど生産性は健常者と同じだから雇える、とか。知的障害者には社内便の仕分けをやらせればいい、とか、いろいろ考えられる。

ただでさえ、健常者でも就職が難しい昨今、こんな風に基準に沿って判断したり、型にはめるような感覚を採用担当者が持つと、障害者の就職はますます困難になる。だから、有能な障害者がいても、企業としてはチャンスを逃してしまうことになるのだ(もっとも、有能な障害者はそう多くないし、今の障害者の働かされ方ではそんなに有能な人が育つようにも思えないが)。

まぁ、単なる私の妄想かもしれないので・・・。あまり気にしないで下さい。というか妄想でござんすよ。

ちなみに、最近の障害者求人には「オープンポジション」というのが多いらしい。「立場を限定せず幅広く可能性を期待する」ということらしいのだけれど、私に言わせれば本質は変わってない。「障害者は雇わなければならないが、雇ったところで何をさせればいいかよく分からない」という担当者の思いを表す、使い勝手の良い言葉ができただけだ。

で、いつもだったら、ここで問題を課題に変換したり、解決策を考えたりするわけであるが、今日はめんどくさい。だいたい当事者の俺が考えることだ、会社に原因を求めるだけで自分を顧みない対策になることは必至なので、考えなくてもいいかと・・・。

ただ、かなり批判的に書いてきたけれども、上記の選別基準とかっていう話は、良い方向に働く場合もある、かもしれない。

例えば、ITシステムの製造ラインだと、「1日何ステップのコードを書けるようになれ」とか「1日何件の試験項目を消化できるようになれ」とか、人材に求める生産性が規定されていることがある。もし、そういう数値目標があるのなら、障害者としては「私はその作業を、同じ時間で80%しかできないけれども、別の作業は120%の効率でできるから雇ってくれ」という言い方もできるし、定量的には劣っていても定性的に上回っている、というような趣旨の理屈を使いやすい。

まぁ、選別基準が「偏見」に基づくものではなく、「成果」に基づくのであれば、ということなのだが・・・。そして、過去に失敗したことがなかったり、まだ障害者採用の事例がない企業だったら、ということなのだが・・・。一度障害者採用で失敗すると、それが実績になってしまって障害者採用が停滞することもあるので・・・。

でも、企業の担当者からすると「そう言われてもどうしろっていうんだ!」って感じだと思う。言っちゃなんだが、行政は無駄に雇用率を上げるだけで具体的なことはぜんぜんやってくれないし・・・。事例集とか公開もされているが、あれは事例であって、実際に障害者を雇ったときには「ほとんど役に立たない」。企業側も、障害者側も、本当はもっと細かいレベルのノウハウを必要としているのだ。だって、もしあなたがコンピュータに詳しくないのであれば、インターネットに繋がらないときに「コンパネで設定確認して」だけ言われても、何を確認したらいいんだかさっぱり分からないことだろう。それと同じだ。

あと、なんか思いついたので書くけど。障害者採用のターゲットが「採用」から「定着」に変わってきたという話の延長で、仮に定着ができるようになると、次はどういう変容が起きるのだろうか。

「定着」の問題が解決するには具体的な仕事のメソッドなどをコンサルする会社などが登場しないといけないが、じゃぁそのなれの果てはどうか。障害者の雇用が定着するようになるということは、土台が健常者と同じになるということだ。ノウハウが充実すれば充実するほど、障害者に関する人材派遣やコンサルの市場は狭くなってくる。つまり、障害者の雇用定着に関する仕事で飯を食ってる人たちは、彼らの目標が達成できたとき、仕事を失う。

この構造はIT業界の構造と似ている。もし人間が完璧なシステムを作れるんだったら、人はいらなくなる。不完全な人間だからこそ、人出で運用しなければならないシステムしか作れないし、バージョンアップだなんだとメンテナンスが必要になってくる。これらに対応できるシステムを開発できる人間がいたら、その人間は仕事を達成したと同時に仕事を失う。

っていうか、仕事ってそういうもんだよな。あぁ残念。

会社の健康診断があるのだが、それのために検尿用機を渡された。渡されたのはいいが、なんだか先進的な検尿用機で、どうやって使ったらいいのかよく分からない。

一応、採取方法についての紙ももらったのだが・・・、以下のように書いてある。

(5)採尿の手順(ピー・ポールⅡの使用方法)
  1. ・キャップをねじらず真っ直ぐ抜き取り、採尿容器とカバーに分けます。
  2. 採尿しやすいように、キャップの上部にカバーの口部分をあわせて持ち手を長くします。
  3. 放尿中の尿に、キャップ側の中央にある採取口(かけた部分)を当てて尿を採ります。
  4. 尿を採取後、持ち手として差し込んだカバーを抜き取り、元の位置に戻します。戻すときは、カチッと音がするまでしっかり奥まで差し込んでください。

問題は三つ目の手順、つまり「放尿中の尿に採取口を当てる」方法である。

変な話、私の「ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲」と同じ太さの容器であれば、弾着計算などせず、標的に砲身をぶち込んでファイアすればいいのだが、容器の太さはネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲よりも細い。従って、AAAでターゲットを捕捉する必要がありそうだ。

ここで問題が二つある。

第1に、「放尿中の尿」をどうコントロールするかということである。タンSAMミサイルならレーザーやGPSで終末誘導できるところだが、あいにくそのような技術は使えない。放たれた尿は有線というか、流体なので、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の砲身を直接手動操作して発射方向をコントロールするしかないが、だからといって完全にコントロールできるわけではない。

第2の問題はまさに「under control」の問題。砲身を手動操作することで、ある程度のコントロールは可能だが、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング方から放たれる尿は、その日の体調によって、勢いが良い日もあれば、いまいち切れが悪い日もある。そして、地球上に存在する重力(gravity)により、一定の距離で地面へ落下していく。この一連の尿の動きをどのように捕捉するかを考えなければならない。目視できれば軌跡が分かるのだが・・・。

いろいろ小難しく書いているが、というか、実は上記二つの問題は本質的に同じ問題なのだが、とにかく「放尿中の尿にうまく採取口を当てるにはどうしたらええのん?」ということなのである。

で、健康診断担当の人(女性)は「採尿のことで分からないことがあったらなんでも聞いてくださいね」と笑顔で言っていたけれども、では尋ねていいですか?「どうやって採取口を尿に当てたらいいですか?」と。

でも、「教えて君」ではあるまいし、多少なりとも手段を検討した上で「そういう採取方法は問題ありませんか?」と尋ねる方がいいと思ったので、考えてみよう。

【手段A】 ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の砲身を採尿容器に密着させ発射する。安全そうに思えるが、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の口径の方が容器の口径より小さい場合、溢れる。というか、それができる形状じゃないんですけど、この容器。

【手段B】 紙コップやペットボトルなど、より採取しやすい容器に尿を貯め、それをストローなどの細い管で移し替える。やれないこともなさそうだけど・・・。そこまでしてやるか?

【手段C】 っていうか受付で放尿する。それが一番簡単だ。

だいたい案も出揃ったところで、これを健康診断の担当者(女性)に確認した方が・・・いい・・・ですよね?いや・・・しなくていいですか?

いやまぁ、なんとかして採取できるっちゃできるけど。お風呂場とか、どうにでもなるところで放尿して、なるべくネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲を床に向けて角度がつかないようにすれば・・・いいのかも・・・しれないが・・・。

いや、とりあえず、尿の初速を計測して、地面に対してπ/4(ラジアン)の確度にネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲を向けて、いろいろガチャガチャ計算すればいいのかもしれないが・・・。

昔のように、紙コップに貯水したのを空気圧でボワーっと容器に吸い込むタイプの検尿用機に、戻って欲しいものだ。紙コップがゴミになるとか、採取方法が面倒だとかで、今の、なんだっけ、オナホールみたいな名前の採尿容器に変わってしまったんだと思うけれどね。

「盲人でもサバゲーをやりたい!」

ということを思っているのは俺だけかもしれないが、全国の戦争大好き盲人のために、いろいろとサバゲーができないかどうか考えてみた。

まず、フィールドで必要とされるアクションとしては、移動・索敵・戦闘・フラグを取る、ぐらいだろうか。いずれにしても、動きとか敵味方識別とか、そもそもオブジェクトをどうやって識別するかが問題になる気がする。

では、はじめに「移動」について考えてみよう。移動において最も重要な二つの項目は、移動方向を認識することと、そして、現在地を認識することである。自分がどちらの方角へ向かっているかということは、敵陣地へ向かっているのか、自分の陣地をうろうろしているだけなのかを知る上で重要である。また、フィールド全体の中で自分がどの位置にいるかを認識できなければ、どのように移動するかを決定することもできない。

これらを解決する方法を考えないといけないが、とりあえず、現在地の認識は難しいかも。少なくとも、GPSのような機器では、本当の戦争ならまだしも、サバゲーには使えない。それほど精度の高い衛星は、軍用にしか使えないと思う。ひょっとしたら、特定の地域において座標を決定できるようなシステムはあるかもしれないけど、どっちにしても、そういう設備をサバゲーのフィールドに増設してもらわないといけない。

ただ、移動方向は把握できるし、障害物を探知することも、たぶんできる。方角は普通にコンパスを使えば良い。音声で読み上げるコンパスもあるし、針を触って確認できる方位磁針もあったはずである。障害物の探知は、パームソナーとか使えば、まぁ、目の前のものぐらいは分かる。足下は、分からないかもしれないから、白杖を突きながら移動しないといけないかもしれないけど・・・。なんか、それはそれでシュールかも。

次に考えないといけないのは「索敵」である。白杖突きながら移動するとしたなら、索敵よりもカモフラージュの方法を真剣に検討すべきだとは思うが、とりあえず、索敵も必要だ。これも、パームソナーが活躍するかもしれないが、オブジェクトが敵なのか、味方なのか、それ以外なのかを識別することはできない。まぁ、IFF的な機能はいらないとしても、人間が植物かぐらいは判別できる方法がないといけないけど・・・。まぁ、それはもう、発砲して確かめるぐらいしか思いつかない。でも、仮にオブジェクトが植物だったら、発砲すると逆に気づかれる可能性があるので、難しいところだ。

最後に「戦闘」。これも難しい。だいたい、索敵できたとしても、どうやって盲人は照準を合わせるんだろうか?いや、なんとなく敵がいそうな方向に銃を向けて発砲することはできる。だが、レーザーサイトとかで照準を確認できるわけではないし、ましてやスコープも見れない。するとどういうことが起きるかというと、腕は敵の方向に向いているけれど、手首の位置がおかしくて銃口は敵と違う方向に向いてしまったりする。そして、それすら認識できない可能性がある。

もちろん、どうやって照準するかという本質的な問題もある。よっぽど敏感な人でない限り、音か何かで知らせてくれる照準機がないと、敵を発見すらできないだろう。これは索敵の問題とも関連する。そして、もっと問題なのは、弾の軌跡が分からないので、弾着修正ができないことだ。敵がいると信じた方向に打つか、あるいは、そこにはいないと疑って感で照準し直すしかない。

他にもいろいろ問題はあるけれど、この辺がクリアできれば、形だけでもなんとかサバゲーができると思う。盲人も。

だれか、やりたい人は一緒に考えましょう。

重い話になるが・・・。

「神様は試練を乗り越えられないひとには試練を与えたりしない。」

このようにおっしゃる方は結構大勢いる。私自身、生活していていろいろサポートしてもらったときに、そう言われることがある。なお、この場合の試練とは「障害を負うこと」である。

まぁ、言いたいことはいろいろあるが、神の存在とかは認めるとして、「何故試練を与えるのか」ということと「乗り越えられる、乗り越えられないはどういう基準なのか」ということがすごく問題だ。

人間、生きていれば多かれ少なかれ、だれだって辛いことを経験する。そして、それは自身が引き起こした必然的な事象もあれば、他人や、もしくは自然のように人間が介在できない要因で引き起こされた事象もある。例えば、不注意で地面の石につまずいて転んで骨折することもあるだろうし、地震で倒壊した建物の下敷きになることもあるかもしれない。上司からパワハラを受けて自殺したくなることもあるかもしれない。

これ以降、しれんを、このように「一般的に辛いこと」として話を進めていく。

で、「神様は試練を乗り越えられない人に試練を与えない」という言葉について。

まず、「何故試練を与えるのか」という疑問。試練とは辛いことなのだから、宗教的な観点では「罰を与える」ということになる。すると、試練を与えられた人間は罪を犯したということか?殺人犯が障害者になるならともかく、生まれながらの先天性の障害者も何か罪を犯したというのか?そんなことはないだろう。だから、「罰を与える」という意味での試練は筋が通らない。

ただ、セクトというかカルト教団なら、「前世で犯した罪が現世に影響しているから清めなければならない」とか、訳のわからない理屈をこねて金をむしり取ろうとするのだろうが・・・。そうやって、金を納めたのに息子が死んでしまったお母さんはどうしたらいいんだろう。自業自得といえばそれまでだが、健常者の息子を持つ親が客観的に思うよりもずっと重く、障害を持つ親は悩み苦しみ助けを請う手いるのだ。「自業自得」の一言を持ちだして「耐えろ」とか「甘えるな」とかいう人がいたら、まずはその人自身が、子供を失ったりしてみたらいい。人の気持ちを想像できない人間に生きる価値はない。

話が反れてしまった。

「罪」が理由でないのなら、試練を与える理由を他に求めなければならないのだが、私が暇にまかせてつらつらと書いている範疇では、理由が思い当たらない。めんどくさくなってきたので次にいこう。

次に「試練を乗り越えられるか否かの基準」について。「試練を乗り越えられない人には試練を与えない」のなら、神様には(きっと)何か基準があるはずだ。気まぐれで割り振られてるとしたら今すぐ神を殺しに行きたいと思うが、神様なので、(きっと)ピッコロ大魔王のように点から地上をのぞき見していろいろ考えて下さっていることであろう。

でも、次のようなことを考えると、本当にそんな基準があるのか、非常に怪しい。

これは、少し冒涜的なことを書くことになるが。例えば人間として生まれてきたのに、先天性の障害を持っていて、身体も動かせず言葉もしゃべれず、人間の尊厳が存在する状態かどうか怪しい子も、世の中にはいる。例えば、津波がきたときに同じ場所で何かにしがみついていても、流されて死ぬ人と流されず生き残る人がいる。これはいったい何の違いによるものなのか。

ただ、思った。もし、先に述べた「罰を受ける」という観念を持ちだすと、あっという間にこの難題は解決する。「重罪犯は生きながら苦しめ」、「それなりの罪を犯したのなら今すぐ死ね」、「罪を犯していないのなら救ってやる」。なんともキリスト様様な観念だ。あれあれ、なんか、もやもやしていたのがすっきりしてしまったぞ。

というわけで、かな~り酔っぱらいながら考えた結論。「試練はやっぱ罰を与えることです」。なんか、すごく残念だなあ。

だったら今すぐ神を殺しにいこう。神を殺せばこっちが法だ。神が決めた法は、神がいなくなれば法で無くなるはず。よし。世界に革命を起こそう。革命の同志たちよ、プロレタリア革命実現のために、今すぐこの赤の布を腕に巻いて決起しようではないか!!

⇒非常に危険な思想。なんか、書き始めたときはぜんぜん予測していなかったのだけれど、意外なところで新左翼の人たちの思考が分かってしまったよ。そういう意味では、俺だけにとって有意義な文章だった。

あぁっと、最後に一応本筋に戻っておきたいのだが・・・。

いろいろ考えて、演繹的?に結論は出したけど、私の感情としては、「こんなもんただの言い訳だ」。「神様は試練を乗り越えられない人に試練を与えたりしない」というのは、どうしようもない状況に合理性を持たせるための呪文に過ぎない。または、相手を励ますための定形的な文言以上の意味はないと考える。

この辺は、障害を持ちながら生きている人や、被災した人などの話を見聞きしていて感じることだ。重要なのは、試練を乗り越えたか、あるいは現状乗り越えたように見える人が露出しているのであって、乗り越えられずに自殺してしまう人も、自殺でなくても亡くなってしまう人も、大勢いるということだ。もちろん、うそかもしれない、私は統計を見て話しているわけではないので。

ただ、実際、乗り越えられた人なんかいるのだろうか。少なくとも、被災したり、中途で障害を負った人が、それらの試練を乗り越えてなどいない気がする。割り切っているか、意図的に忘れているか、どちらかではないのか?先天性の障害を持っている人についても、その障害が壁になることを認識したその日から、乗り越えられない壁の前で立ち止まることになり、う回路を探す必要性を感じることだろう。

なので、やっぱこの文章は特段有意義でもなかったかも。まぁ、時間を浪費できたということで良しとするか。ちなみに、エレン・イエーガーを思い浮かべながら最後の部分は書きました。

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結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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