2013年3月の記事一覧

題名の通り、人の感覚は千差万別。良いものを理解できない人種ってのはどこにでも存在するもんだ。

その一例がカルピス牛乳だ。原液のカルピスと牛乳を1対1、または1.3対1ぐらいの割合で混ぜると、超絶おいしい飲み物が完成するというのに、信じないやつが多い。うまいからやってみなさい。夏は特にお勧めだから。

夏と言えば冷やし中華。これにマヨネーズをかけるのは日本人として当たり前のことと思うが、何故かこの風習は全国的でないようだ。冷やし中華にマヨネーズをかけない連中は、人生の半分を損してると言っても良い。何故マヨネーズをかけないのか?ほら、ちりめんじゃこにネギをきざんで混ぜ、マヨネーズとからめて白ご飯に乗せると、非常に美味ではないか。それと同じ理屈だ。私はここに、「冷やし中華にマヨネーズをかける習慣を広める委員会」略して「ひやまよ委員会」を発足することとする。

逆に理解できない風習に、「味噌汁にカボチャを入れる」ってのがある。なんだこれは?!カボチャは煮付けが一番なのに、何故味噌汁に入れる?いや、それはちょっと間違っている。カボチャは、テンプラか煮付けが一番だ。どちらかというと、テンプラに塩を付けて食うのがうまい。それを味噌汁に入れるなんぞ笑止!

ということで、カルピス牛乳と、マヨネーズをかけた冷やし中華は、帝国臣民、いえ、日本国民であるのなら、食うべし。

「数学は嫌いだ」と言う人は世の中にたくさんいる。私の考えでは、そういう人々はだいたい以下のいずれかの理由で数学が嫌いなのである。一つは様々な数式の意味が理解できていない。もう一つは数式変形の過程が理解できていない。そして、数学は結果より過程が大事なことを知らない。一番最後のは純粋数学について言えることだが、応用数学、特に工学の場合は必ずしも正しいとは言えない。ただ、数学が嫌いな人の気持ちも分からないではない。何千年か何百年か知らないが、それだけ前に暇な人たちが生涯をかけて考え抜いた数学の問題を、たかが二十歳にも満たない頭で全部理解することは、結構付加が高いのかもしれない。

一方、「数学は答えが必ずあるから好きだ」という人もいる。これはこれで困ったことだ。何故ならば、高等学校までに教わる数学は、答えが用意されているだけであって、実際に数学を勉強していくと、解けない問題もあるし、なんでその結果になるのか分からないこともたくさんある。

答えがないということにフォーカスしてみると、高等学校で教わる範囲でいうと、いわゆる文系の学問には正しい答えなんぞちんぷんかんぷんなことがある。例えば、国語の教科書に載っている物語の一場面で、「登場人物や作者の信条を考えてみよう」、あるいは「その登場人物は何故そのような行動をとったのでしょう」といった問いかけである。

前者は、本人でないのにそんなもん分かるわけがない。問いかける方としては、人の気持ちを察することを学んで欲しいのかもしれんが、実際に社会に出てみると、子供のころに先生の前で一生懸命考えて導いた結論は、だいたい間違っていたことに気づかされることが多い。だいたい、蛍の墓を書いた作者、あんな物語を書いておいて、娘の学校で「(蛍の墓の)この場面での作者の気持ちを考えてみよう」っていう授業があったらしいのだが、家で娘に同じ質問をされて「締め切りに追われてヒイヒイ言いながら書いた」と答えたらしい。現実はそんなもんだ。

後者の「何故そのような行動をとったのでしょう」パターンも似たようなものだ。学校で取り上げられるような話題は、一部を除いて、非日常的なシーンが多いので、想像してもあまり役に立たない。だって、母親を殺した少年がその動機について「殺人をしたのでおやが悲しむと思ったから殺した」ということを言うことだってある。あ、これもまぁ非日常的なことだが・・・。お母さんは隠したはずのエロ本を見つけるのが何故うまいのかとか、女の子に「あんたは生理的に受け付けない」と言われたときに何が原因なのかとか、そういうことを考える方がよっぽど有意義だ。

また別の話で、歴史認識というのも答えがない話題の典型例だ。日本と近隣諸国の主張の違いを見ていれば一目瞭然だろう。ただ、学校教育に限っていえば、歴史教科書が結構左寄りの内容であることは嘆かわしい。もちろん、直接的に過去の日本の行いを否定するような記述はないものの、記載されている事実がどうにも「日本は悪かった」という方向性に持っていこうとしているように感じられる。ほら、私はこう考えるが、そうは考えない人も当然いるだろう。

その一例が韓国併合である。韓国人がこれを悪いというのは当たり前だが、日本人にもこれを悪かったと思っている人は大勢いるだろう。ちなみに私は、一部統治の仕方に問題はあったものの、韓国併合により朝鮮半島の近代化が促進されたことは事実であると認めるべきと考える。当時のインフラ整備や教育制度の策定は多くの朝鮮人に近代的な暮らしをもたらした。もちろん、日本人の差別感情やら、まぁ諸々で、苦渋を嘗めた人たちもたくさんいたことは否定しませんが。

そして、植民地という言葉を使うことが適当であるかは別として、欧米列強の植民地支配と対比すると、大日本帝国の朝鮮統治は、どちらかといえばましな部類に入ると思う。考えてみれば、イギリスなんて、中国にアヘンを売りつけて、どんどん国がやばくなってきたことに気づいた中国がアヘンを禁止すると、「アヘンを買いやがれ!」と言って戦争をしかけるような国だったのだ。少なくとも、韓国に対する併合政策はそんなもんではなかった。なお余談だが、中国についてはまた話が違う。1938年からの日中戦争は韓国併合と異なり侵略戦争だ。

ところで、似たような経験をしてる地域に台湾がある。台湾も第2次大戦までは日本の統治下にあったが、多少朝鮮との統治方法に違いはあったものの、戦後の台湾人の日本人に対する印象は、結構ポジティブである。韓国の反日感情と比べて不思議でならない。まぁ、その辺りの説明はネットを検索すればごろごろ出てくるのだが・・・。これも、本当の答えというものは分からないものだ。

余談だが、以前、「日本統治下の朝鮮で行われた日本語使用の強制は許せない」と言っていた有人が、「アメリカが日本を占領したとき、公用語を英語にしてくれればよかったのに」と言っていて驚いた。この有人、一応本人にも指摘したが、完全に自己矛盾している。「日本の公用語を英語にしろ」というのは、現代において結果的に英語が世界の共通言語として定着しているから便利なだけであって、彼の考えである「朝鮮における日本語強制使用」と本質的には変わらないことだ。まぁ、それだけじゃなく、朝鮮の場合は、学校では日本語を使い朝鮮語もきちんと語学として教えていたことを踏まえれば、彼の認識に間違いがあったということも補足しておく必要はあるし、フィリピンはこれと類似して学校の授業は国語以外英語で行う方式らしいことも付け加えておかなければならないだろうが。

で、数学の話にやっと戻そう。実は、数学だってこれと似たようなもんなのである。例えばフェルマーの定理(詳細はググれ)を照明するのに、様々な数学者がそれぞれの見解で照明法を考えた。照明が発見されるまでは正しいかどうかも分からないことで論争が起こっていたのだ。また、答えの有る無しとは反れるが、ニュートンとライプニッツの「微分法はどっちが先に発見したか」という論争も有名である。

また、少し踏み込んで話をすると、主に物理の世界で表れる非線形微分方程式の中には、解析的に解けないものがある(例:2重振り子、振り子の先にもう1個振り子を付けて運動させたときの動きを表す方程式)。こうしたものは、数値解析とか数値積分といった手法で近似解を求めることはできるが、厳密に一致する答えは得られない。

※すいません、偉そうに書いたけど、物理はよく分からないので、2重振り子の微分方程式は解析的に解けないというのは間違いかも・・・。

ただ、今までに挙げた国語や歴史の問題と違って、数学的に照明された事実はだれにとっても一つの意味しか持たないということだ。もちろん、照明された結果をどう解釈するかで見解が分かれることはあるが、ある命題に対する照明が与えられたとき、その照明、すなわち論理的な考えはだれもが認めるものなのである。逆に、照明そのものが複数の解釈を持たれるようなものでは、照明として成立しない。故に結果は正しいとは言えない。

じつは、今書いたこと、ほんとは順序が逆である。照明に複数の解釈がある場合は帰結が変わる場合があるし根拠が不十分であることがあるので、一義的な照明でなければ照明としての効果がない。故に、照明はだれにとっても一つの意味しか持たないのである。先の記述では結論を先に言いたかったがためにあえて逆順で書いた。

と、まぁ、酔っぱらっていますからね、そこはそういうつもりで読んでもらいたいのだが、結局何が言いたいのかというと、いつまでも半日半日言ってないで、半日に向ける力をもっと別の芳香に向けたらどうかということなのだ。どこの国とは言いませんが、財閥のせいで大多数が貧乏人に成り下がってしまったどこかの国なんかは特にね。「金こそすべて」の拝金主義に溺れてしまった国とかね・・・。あの、どうしようもないマルクスの教えはどこへ行ったんだい?

まぁでも、隣人なんて、だいたい仲悪いよね。お隣さんと土地の境界線でもめることだって日常的に起こりうることだし、それが国レベルで起こると領土問題になるだけの話だ。領土問題になると軍事力が表に出やすいのが少し違うところだが。

なんか最近は北朝鮮がなんか、かまって欲しい子供みたいにゴチャゴチャ言ってますが、万が一にも南進するようなことがあれば、第2次朝鮮戦争勃発だ。まぁそう簡単にならないとは思うが、今回は、残念ながらアメリカが日本に参戦するようしつこく言ってくるでしょうからね、戦争特需は期待できないでしょうな。

みんな、きちんと覚えておくべきだ。戦争すればだれかが儲かる。だかれ戦争はなくならない。そして、人間は損得勘定だけではなく、感情でも動く。腹が立ったら村人全員虐殺して、それが戦争の引き金になることもある。

戦争になれば普通では思いつかないことも起こる。おもしろ半分にアパッチで非武装の民間人を射殺してみたり。村を襲って女をレイプしたり・・・。どこかの国は、慰安婦のことで日本に謝罪を要求するなら、ベトナムにちゃんと謝罪して下さいね。

WBCで日本がアメリカでの決勝ラウンド進出を決めたため、良い気分である。なので、社会的・政治的に微妙な話題だけれども、書いちゃおうかな。

題名にもあるとおり、日本の学校で学ぶ歴史教科書の、特に東アジアに関する近代史の記述は、極めて左寄りの記述であり、日本が行ったことが悪かったことのように書かれている。これは問題だ。NGと言ってもいい。

問題の一つとして、近代の大日本帝国が行った植民地支配は、全面的に悪いことだという概念の元に教科書が編集されていることである。一般に現代では植民地支配は反省すべき歴史として各国から認識されているものの、第2次世界大戦までは強い国が弱い国を支配するのが当たり前なのであって、本来はそうした構造の中で支配国がどのような政策を行い、被支配国がどのような社会だったかを論ずるべきなのである。

しかしながら、ヨーロッパではわりとそういうことを客観的にやってる気がするのだが、日本と韓国・中国については、あたかも日本が韓国や中国の人々に悪いことばかりしていたような記述が、教科書には見受けられる。まぁ、中国に関しては、全面的に日本が悪いのだが、満州事変以降は。

驚くべきことは、草紙改名などの同化政策を批判的に記述した内容は多いものの、朝鮮半島のインフラを日本が整備したことなんかほとんど書かれていないこと。台湾については、もちろんレジスタンス運動はあったが、親日的な感情が多かったこと、それより何より、20世紀初頭には、大陸から孫文などたくさんの留学生が日本にやってきて、日本をモデルに自国の近代化を促進させようとした立派な人たちについて書かれている量よりも、戦争で苦しんだ民衆のことについての記述が多いことは嘆かわしい。

幸いなことは、戦争の是非とか、戦争の本質についてはあまり記述されていないことだろう。もちろん、東京裁判の極めて人種差別的結果についてなど、餓鬼が理解できるわけもないしね。

要するに私が言いたいことは、日本が犯した戦争犯罪や、戦争中の庶民の暮らし、そしてそもそも何故戦争に至ったかという経緯も含めて教科書に掲載するとともに、開国から明治時代にかけての世界情勢を加味すれば欧米列強の支配を免れるために周辺諸国を植民地化することは合理的な政策であり、当時の価値観としては当たり前だったことも一緒に教科書に書いて欲しいものだ。

あと、細かい話になるが、治安維持法ができる過程を記述した部分では、共産主義者を取り締まるためという名目は書かれていたものの、なんで共産主義者が悪者なのかがよく分からない記述となっていた。この部分は、「ソ連の共産主義者のように革命(すなわち政府転覆)のためには血を流すことも必要だ」などと馬鹿げた考えをしている連中をのさばらせておくわけにはいかず、日本でも社会主義・共産主義を信仰する連中が増えてきていたからである。これ書かないと、なんのこっちゃ分からないでしょう。

もっといえば、日本では数すくない五・一五事件とか二・二六事件 のような軍事クーデターの背景もきちんと説明しないとね。

はっきりいって、これは近代東アジア史だけに限ったことじゃないけれど、西暦何年に何が起きたかだけ覚えたって何の役にも立たない。本当の意味で歴史を覚えるためには、史実とともにその因果関係もきちんと勉強せなあかんですとよ。

だもんでね、最後にいうわ。教科書はもっと日本に愛着を持つような内容にしてください。日教組はもう関わらないでください。以上。

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結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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