やることが一段落したので、大学にいるけど日記を更新しよう。決して今授業中ではない。バイト中だが(笑)。

昨日テレビで、公園でカラスに餌を播く女性について特集していた。世田谷(うちの近くだ)の公園でそういうことをやってるらしい。公園に設置された看板にも「非常識な人」書かれたようだ。

具体的には公園にやってきたカラスに対して餌を播くのだという。ウインナーだったりパンだったり、それも生ゴミではなく明らかに買ってきたものらしい。

それが周辺住民の多大な迷惑になっているということのようだ。例えば朝ネットをかけているにも関わらずカラスがゴミをあさるためゴミが散乱してしまったり、公園にカラスが増えたためにくつろげない、といった苦情があるとか。

テレビの取材班は当該女性との接触に成功。ちゃんと言い分を聞いていたのだが・・・。ボイスチェンジャーのせいであまりうまく聞き取れなかったのだが、確か「地球には人間だけじゃなくて他の動物もいるんです。でも人間はそうした動物を殺してしまっている。それはよくないことだから動物を守らなければならないんです」みたいな趣旨だったような気がする。だからカラスにウインナーをやっているんだというのか。

この女性、わざわざ車に乗ってくるらしい。それって近くの住民ではないということだろうか。

さて、今日はこの女性とその行為について考えてみよう。

まず行為について。餌を播くことによってカラスは空腹を満たすことができるが、これは人間とカラスの双方にとって好ましいこととはいえない。

人間が被る被害をみてみよう。公園にまかれた食べ物をすべてカラスが食べたとしても、カスやほんの少しの食べ残しで公園が汚れる。また、餌にありつけることを学習したカラスが公園に集まるので、人間にとっては公園で過ごすのが危なくなってしまう。カラスは共謀なのである。さらに、冒頭で挙げたように、ゴミが荒らされたりカラスに襲われたりする人が出てきて、地域にも多大な迷惑がかかる。

一方カラスにとってはどんな迷惑が考えられるか。迷惑というか必然的なことになるが、こうやって育ったカラスはいずれ自分で餌を取ることができなくなってしまうのである。

こんな話を聞いたことがある。大学のキャンパスによく野良猫がきていたそうだ。学生たちは可愛がって、子猫だったその野良猫数匹によく餌を与えていたそうである。ところが夏休みになって学生がいなくなると、子猫たちは餌をもらえず、そしてもらうことでしか餌を食べてこなかったせいで餌を取ることもできず、やせ細り、たまに集中講義でやってきた学生にむらがっていたんだそうである。

カラスも同じだろう。ずっと餌を与え続けていればいずれ餌を取る努力をしなくなる。そして餌をもらえなくなったカラスは餌を食べられず死んでいくのだ。まぁ少し飛躍している点はあるが、基本的にはこういうことだ。ただ、カラスが死ねば人間は喜ぶのだが。

そういうわけで、真剣にカラスのことを考えるんだったら餌なんて与えない方がよっぽどまともな判断だと思う。

次にこの女性について考えてみよう。今示したように少し考えるだけで当該女性の矛盾点がうきぼりになる。しかし、感情に支配されているからこんな論理的な思考ができないんだろう。ゆえに他人やカラスの迷惑も顧みずこんなことをしているに違いない。

そして注目したいのが車できているということである。近所のくせに車できているといことも考えられるが、普通車でくるんだったら歩いてくるには遠いところに住んでいると考えてよいだろう。ということは、自分の住まいの近くではやりたくないので、遠くにきて餌を播いてる、ということにはならないか。自分の住まい周辺でカラスがいっぱいになるのがいやで、車でわざわざ遠いところにきているとか。だとしたらただの身勝手なババアとしか言いようがない。

しかしこういう見方もできる。東京中の動物たちを守るために、車で東京中を回り、公園で餌を播いているのかもしれない。だとすると新年の強い人だと称賛しなければならない。どんなにいろいろ言われようと、ひとさまの迷惑になろうと、自分の信念をつらぬいているんだから立派である。

だがカラスだけに餌を播いてもあんまりうれしくないだろうに。手当たりしだい野良犬や野良猫、動物園の動物たち、小鳥、そういう動物たちにもちゃんと餌を与えないと。そうじゃないと動物たちは守れませんよ、おばさん。

で、おれとしての結論。新年を貫くのはいいが、人の迷惑にまでなるのはやりすぎなので、とりあえずカラスに餌を播くのはやめてくださいね。カラスうざいし。ちょっと減った方がいいよ。しかも、あんたが餌播かなくても、やつらはちゃんと自分で餌確保してるからね。