2008年8月の記事一覧

例の講演

  • 日常

本日はノスタルジーにひたるため、例の講演へ行っていた。分かる人には分かる例の講演。

とりあえずコンビニでブツを買って、旧ジャパネットの脇を入る。なつかしい神社。昔のようにここで2杯ほどやった。ああ、昔を思い出すね~この感覚。最近じゃ冷えたビールしか飲まないけれど、生ぬるいビールというのは青春時代を彷彿とさせる味がする。

そこで1時間ほど考え込んでから例の講演へ行く。だれもいない。じつをいうと1時間前にきたら糞が気が花火をやってたので神社脇に引き返したのである。が、夜の9時ともなればもう餓鬼はいない。のでベンチに座ってゆっくりする。イツの魔にこの講演から灰皿が消えていたのだね?困ってしまってワンワン言いそうになったよ。

まぁ、ほとんどの時間ポータブルラジオで野球を聞いていたので、ノスタルジーにひたるというより単に外で飲んでいただけだったのであるが。いつもより酔ったよ。弱くなったのもあるだろうが酔った。

帰りは結構必死だったぜ。券売機で切符を買おうと思っていたのにいつの間にか過ぎていて階段でつまづきそうになるし、適当に改札に切符をつっこんだら改札が動かなくなったし、ホームで待っている人のスーツケースを倒したr倒したりしたkれども。なんとか帰ってきた。マカロニサラダを買って。

話はぜんぜん違うが、こんなこと書いていいかどうか分からんが、友達のお母さんが亡くなったそうだ。悲しい。なんて言っていいか分からない。でも、親孝行せんとなあと思った。だから親孝行しよう。できるうちに。

The End of the Century.

主張

  • 日常

今日の疑問。競泳で、今回のようなオリンピックや世界選手権のときに、女子の選手が生理になっちゃったらどうするんだろう。学校のプールなら「今日入れません」でいいけどさ。生理でもオッケーなやり方があるんだろうか。

ぜんぜん話は違うけれど、俺は障害者の体験を健常者がするという行為には意味がないと思うのだ。

「全盲の人の体験をしましょう」と言って健常者に目隠しをして歩かせたりすることがある。学校の体験学習とかボランティアの時間とか、そういう授業で多いのではないだろうか。

だが、これは真の意味で全盲の体験をしたことにはならない。むしろ間違った感覚を植え付けてしまうかもしれない。

このような体験をした人に話を聞くと、「怖くてぜんぜん歩けなかった」という感想をよく耳にする。そんなの当たり前だ。今まで見て歩いていたのにいきなり目隠しされたら、そりゃだれだって歩けるはずがない。そして、たいていの場合全盲は初め一人で歩けないだろう。従ってここではスタートラインが間違っている。

真の意味で全盲を理解するとしたら、1ヶ月ぐらい目隠しした状態で過ごしながらリハビリ訓練を受けることによって、全盲が生活するための技術を身につけるところまでやらなければならないと思うのだ。いきなり目隠しされた健常者は、全盲をスペシャリストのように誤解してしまう可能性があるが、全盲はむしろいきなり目隠しされた健常者と同じラインからスタートしているのだ。それを、あたかも初めのラインがぜんぜん違うかのように体験させることは無意味である。

そもそも、健常者が障害者の気持ちや状況を理解するなんて不可能だと思う。一般論として、同じ体験をした人のことはよく分かると言うが、それだったらみんな一度障害者にならなきゃならん。今の医学では、片足を失った人に再び元通り片足を取り付けてあげることはできないし(義足はあくまで義足である)、見えなくなってしまった人をもう1回見えるようにすることはできない。すべての病状に対してそのような技術が可能であれば、とっくに俺は手術をしている。

このようなことから、一度障害者になってしまったら、健常者に戻ることはほぼ不可能なので(可能な場合もあるかもしれんが)、健常者が完全に障害者を理解することは不可能である。

だから、俺としては気持ちなんて理解してくれなくてもいいと思う。本当に理解して欲しいのは、できることとできないこと。頑張ればできることは障害者が自力でやるべきである。ただ、頑張ってもできないことは手をさしのべてもらえれば助かる。従って障害者体験なんてしなくていいから、できることとできないことを知識としてきちんと教え、援助方法を実践するような体験学習を今後取り入れていってほしいものだ。

北京オリンピック

  • 日常

産まれて初めて、今年はかなり真剣にオリンピックをテレビで見ている。今まではそんなに大したイベントでもなかったのだが、どうせ暇だしやることもないので、午前中は競泳、午後から夕方にかけて柔道を見るのがここ数日の日課であった。さらに、たまにバドミントンを見たり、一昨日からは野球も始まったので、ますますテレビの前から動けないのである。

野球は1戦目キューバに負けてしまったものの、昨日の台湾戦はいい形で勝つことができた。今日のオランダ戦はまぁ心配ないだろう。今のところヒットは許していないし。

柔道だけれども、期待されていた選手の予選敗退とか銅メダル止まりというのが目立っているが、それでもみんなガンバっていたと思う。金メダルだって女子と男子合わせて4つ取ったわけだし。

どの階級のときだったか忘れたけど、フジテレビが柔道の中継をしていたとき、古田が司会をやってたんだけれども、日本人選手の試合の直後、「いやぁいい相撲でしたね~」と言っていた。あわてて訂正してたけど、あれは受けたね。一緒にやってた女子アナなんて、我慢できずに大笑いしてたなあ。そういう面白い光景が他の局でもみられるといいんだけど・・・。

そういえば今日の女子78キロ超級の決勝戦の前、日本代表の塚田さん、鼻くそほじってたようで・・・。ばっちりカメラに映ってしまったようである。鼻くそはどこでふいたんだろうか。胴着でふいたんか?だから負けちゃったんじゃないだろうか。ちゃんとティッシュを使っていれば金メダルだったかもしれないのに。残念だ。

ついでにだが、男子100キロ超級で金メダルを取った石井さん。試合が終わってインタビューできるエリアにくる途中から、どうも一人でぶつぶつ言っていた。ひょっとしてインタビューの練習だったのか?練習の成果を発揮するためかどうかは知らないが、インタビューのときにはたくさん物を言っていた。「僕は全日本チャンピオンなんで、僕が負けたら日本の負けだと、斎藤先生に耳にたこができるほど言われました」とか「こういうのもなんですが、オリンピックのプレッシャーなんて斎藤先生のプレッシャーに比べれば屁のすっぽりです」とか。だれだ、斎藤先生って。最後には「今は遊びたいです」と言った後、インタビュー終了直前に「練習したいです」と訂正するし。どっちだ?

放送席では「練習したいという言葉を採用しましょう」とアナウンサーがいうと、解説していた篠原さん、「あんまりしゃべらない方がいいですね~」と辛口コメント。他の選手にの評価はそんなに悪くなかったけれど、篠原さんは石井選手があまり好きじゃないようだ。まぁ、俺もちょっと調子に乗りすぎなようは気はしたので、篠原さんを支持しようかな・・・。

余談だが、この篠原さん、俺の認識が間違っていなければ、2000年のシドニーオリンピックの決勝で、疑惑の判定によりフランス人に負けた篠原だよなあ。今大学でコーチやってたんだ。知らなかった。

ところで、女子の体操がガンバっていたようである。とても若そうで、チームの中には15歳の選手もいるとか。ただインタビューを聞くと、声が「アキバ系アイドル」にしか聞こえない。見た目は知らん。でも、あれはたぶん声優で頑張れると思うな。そっちの路に進む人はおらんかね?

かんせい

  • 日常

数日前のことである。面接の帰りに南部線に乗ったのだが、近くにいたカップルがこんな会話をしていた。大学生ぐらいだと思われる。

男: 「南部線の風景ってさ、すごく閑静だよな」 女: 「閑静って何?」 男: 「え?閑静?それはつまりだな、ええと・・・、昔ながらの感じでおちつくってことだよ」 女: 「なんだ知らないのかよ~!自分が知らない言葉は使うなよ」 男: 「別にいいだろう。とにかく、いい風景だって言いたいんだ、俺は」 女: 「ふーん。で、それって慣性の法則の慣性と違うの?」 男: 「あほか、違うに決まってるだろう。慣性の法則って何か知ってるのか?」 女: 「動いてる物体がキュキュキューって急ブレーキするやつでしょ」 男: 「まぁ言いたいことは分かるよ。なんとなく伝わるよ」 女: 「それで合ってるの?」 男: 「違うよ。慣性の法則ってのは、動いてる物体に力がかからないと、だんだん動きが遅くなって最後には泊まるって法則だよ」 女: 「ほんとかよ」 男: 「ほんとだよ」 (以下略)

やばい、やばすぎる!笑いをこらえるのがつらすぎる。

まず前半の女の主張「知らない言葉使うなよ」には大いに賛成。しかも男は勘違いしてる。「閑静」というのは「町の騒がしさが聞こえず物静かな様子」である。確かに南部線の周辺は閑静な住宅街が多そうだけど。

そして、そこから慣性の法則に持っていったのは、ある意味いい反応だろう。いつだったかの「重力のWは "Would you like" の W なんだよ」と言っていた女よりはましと言ってやってもいい。

けれど、「キュキュキューって急ブレーキ」って・・・あんた・・・もうちょっと大人らしい表現はできなかったのか?っていうか、物体は車だけじゃないんだぞ。

おまけに二人とも慣性の法則を完全に勘違いしている。高校で物理はやらなかったんだろうか。慣性の法則というのは、物体に力が加わらないとき、運動している物体は等速直線運動をし、静止している物体はそのまま静止する、という性質のことだ。あの、動いている物体が止まるというのは、なんらかの力が加わるから止まるんですよ。

ウプ!すいません。ごめんなさい。いやでも、若いっていいですな~。あぁやってどうどうといい加減なことを言えるとは・・・。

彼らから、「電車とかで物の説明をしたり知識をひけらかす事はやめよう」という教訓を学びました。アーメン。

水着

  • 日常

俺は前からずっとおかしいと思っていた。なんで男子と女子で水着の形状があんなに違うんだろう。

男子はパンツ、女子はワンピース。男は基本的に上半身裸である。それに対して女は上半身も水着でおおわれている。

レーザーレーサーだったか忘れたが、最近は水着の種類で泳ぐ速さも変化する時代、男だってワンピースを着るべきだ。と、俺はオリンピックの競泳を見ながら思うのである。競泳選手の中にはワンピースの水着を着用している男子選手もいたけれど、学校にもそれを徹底させてほしいものだ。

そう思う理由として、男は成長するとやや見苦しくなるからだ。胸毛は濃くなるし腹毛は生えてくるし脇毛もあるし。そんなもん大々的にお披露目せんでもいい。もちろんむだ毛処理は欠かせないが、女みたいにいちいち気をつかってられないこともあろう。

もう俺は学校で泳ぐことはきっとないけれど、男だってワンピース着ようぜ。男だけ裸を露出するのは不公平だと思うぜ。だったら女も上半身は露出しろ!

ただ女子の水着も男子のような水着が一般的になると、別に改善する必要はないと思うよ(笑)。むしろそっちの方が良い解決策なような気がしてきた。頼むぜ加藤さん。だれだそいつ?

今日は男と女について書いてみようと思う。一部エッチな表現が出てきても気にしないでくれ。俺は真面目だ。そう、真面目な俺が語るんだよ。

事の発端は俺の1つの疑問から始まった。「健常者は学校での学習や友人同士でのコミュニケーションによって性に対する知識を習得していくが、盲学校に通う生徒は全く同じようにはできない。それが性に対する意識にどのような影響を与えるのだろうか。」

学習という点では学校や先生ごとに差はあると思われるが、基本的には学習指導要領などにより標準化されているものと考えてよい。問題は友人同士でのコミュニケーションによる性知識の獲得や概念形成である。

例えば、普通の中学生男子ともなれば、講演に捨ててあるエロ本を拾って読んだり、密かにAVを入手して鑑賞したり、友達とそうした会話をすることによって、ともかく知識を獲得していく。正しい知識かどうかはとりあえずここでは考慮しないことにするが。

しかし盲学校に通う中学生男子って、そういうことをするやつは少ないと思う。小学生のころから盲学校にいる人は、地域に友達も少ないだろうからこうした経験も少ないだろうし、全盲にいたってはほぼ皆無だろう。だいたい、全盲の人は講演に落ちているエロ本の存在を認識することもできないし、拾ったところで読むこともできない。何か分からないホンを拾って歩いていたら変態に間違われるだけだ。

ただ一部上級生からAVに類似するものを借りるケースはある。ただ、弱視ならまだしも、全盲は声だけを聴くことになる。したがってセックスというものの全貌を知ることは難しい。性欲は満たされるかもしれんが。

盲学校は生徒数が少ないから、そういう会話も幅広い視野からの知識は期待できない。むしろ、下ネタを話すだけで痛いやつだと思われ、先生からも怒られることだってあるようだ。現に俺は中学生のとき、盲学校の友人とエロイ話をしたことがない。何故かはよく分からないのだが・・・。

他にも、少人数であることの特性から生じる現象により、性に関するコミュニケーションが取りづらいという原因も考えられる。例えば、「あの女子はかわいい」とか「あいつはブスだ」などと男同士の間でうわさすると、いつのまにか女子に伝わっている。もっと痛いのは、女子も男子も、人数が少ないのと昔から一緒にいるため異性として認識することが難しいのだ。

小学校高学年とか中学校になると、盲学校の場合、生徒より若い先生の方がかわいかったりかっこよかったりするのはざらだ。少なくとも俺は先生しか見てなかった(笑)。だって、かわいい女子がいなかったんだもん。それに綺麗な先生は数人いたから。

そして、このような状況は性に対する意識に影響を与えていると俺は考えている。実際に現場に立ち会っていたのだが、弱視の男が若い女の先生の腕をつかんで、息を吹きかけていたこともあった。これに何の意味があるのか俺は知らないが、彼にとってはそうすることで性欲が満たされたんだろう。ただ、この行為にはモラルが欠如しているということが問題である。そりゃ、だれだってそういうことしたいけどさ、やっちゃいけませんって言われたでしょ。

あるいは、どのように自分の性欲を満たせばよいか分からないというケースもあるだろう。障害者は全般的に過保護なケースが多いので、AVなんぞに触れることのできない人は、エッチなことを創造することはいけないことだとか思ってしまうかもしれない。学校で「エッチなことを考えるのは正常です」と言われたところで、それを親に話してもAVを買ってくれるわけでもなかろう。そこでAVを買い与えてくれるような親は、むしろ酷い過保護だろうと思う。

そのような場合、「先生の声をテープで録音させてください」というお願いをしたりという、あまり一般的でない方法を使って欲求を満たそうとするようだ。「先生の声を録音させてください」というのは実際に聞いたことがある。言われた先生は困ったようだけれど、勉強の内容を録音するということで了承したそうだ。ああ、なんか懐かしいね~。俺も先生の声でオナニーしたなあ(笑)。俺は公的に録音されたテープを使用していたけど。

これぐらいならまだかわいい方だ。問題なのは、やたらと身体に触ってくる人とか握手を求めてくる人。握手ならそれでもまだいい方だけれど、全盲にはやたら身体に触れてくる人がたまにいる。相手が男だろうが女だろうが関係ない。なんか、触ってくるのである。相手が女の子だと髪をなでたりもするらしい。はっきりいって、同じ全盲としても気持ち悪い。それじゃただの変態だ。そりゃ、「僕は目が見えないのであなたの水着姿を拝見できませんから触らせてください」という気分にはなるが、普通そこは理性が働く。相手がどこにいるか確認したいときは声で呼べばいいわけだし、手引きされるときなどは必要以上に相手に接触しないのが基本だと俺は思うのだ。それをベタベタ触るなどとは・・・。やめてほしい。っていうか、そういうことって盲学校では教えないんだろうか。俺のいた盲学校では一応そういうことについて先生がしゃべっていた。ただぜんぜん話をしないところもあるんだろうなあ。

以上の考察から俺は以下のような結論に達した。

第2次成長期に同年代の生徒との関わりが薄い盲学校の生徒は、環境によっても差はあるが、一般とは少し異なる性知識や感情を持つことがある。一部には性に対するモラルが欠如している場合もある。同年代の生徒とコミュニケーションすることで膨大な性の知識から正しいものを取捨選択できる健常者とは違い、盲学校に通う生徒には彼らの特徴を考慮した性教育が必要であろう。

以上、俺のオピニオンの発表を終了する。ご苦労様でありました、軍曹。除隊を許可する。さようなら。ガンダム。

本日の体験

  • 日常

実家に戻ってきた。鰹の刺身はうまいね~、ほんとに。最高だ。

ところで、帰る途中の新宿駅で女の人に声をかけられた。それはまぁいつものことなのだが・・・。そしていつものように適当に会話をしていた。

で、「これから買い物ですか?」と聞かれたので「いえ、実家に帰省するんです」と答えたら「実家はどちらですか?」と尋ねられたので「名古屋です」と少し見栄を張って答えたのである。俺の実家は名古屋には近いが名古屋じゃない。余談であるが、うちの方から東京へ出て行った人は、たいてい出身地を聞かれると「名古屋です」と答えているという話を聞いて、「俺はぜったいにごまかさないぞ」と強く心に決めていたのに、いつのまにか「名古屋です」と言うようになってしまった。言い訳をするとだね、名古屋って言った方がみんな理解が速いのですよ、ええ。それだけなんですよ!

話を戻そう。それで「そうなんですか。あの、ラジオとか聴きますか?」という話になったので聴きますと答えたら、「東海ラジオなんかはどうですか」と言われた。ぶっちゃけ、俺はCBC派である。東海ラジオは、中日戦を神宮球場でやっているときと、東京に出てきてから中日戦をラジオで聴きたいとき以外は聴かない。ほんと、小学校高学年からCBCに浸って生活してきたのである。

というわけでそう話すと、なんとその人、「私、東海ラジオでパーソナリティをしています」とおっしゃるではありませんか。あらあら、びっくり。ちょっと失礼なことを言ってしまったかもしれん・・・。そして前述のような事情で俺はその人がだれかぜんぜん分からなかった。でもなんか偶然だ。

で、番組の時間を聞いてきたので実家に着いてから早速番組表を調べてみると、それらしい番組を発見。だれがやっているかもそこで分かった。そして、一応ググってみたところ、Wikipediaに詳細を発見してしまった。それによると、この人、そこそこ有名人らしい。東海地方では20年ほど番組を持っているし、歌手だったり声優だったり作家だったりと、いろいろと活動なさっているようだ。ライブの観客動員数もかなり多いし、なんとAmazonでシングルCDが1位になったこともあるとか・・・。

俺はそんな有名な人と話をしていたのか。ぜんぜん気づかなかったぞ!そういえば、声優でこの人と同じ名前の人をどこかで見たことが有るような無いような・・・。ただ出演作品を見てみると俺の見たことのあるアニメは1つもなかった。

そういうわけで、東京で暮らし始めて、ええと、たぶん7,8年ぐらいになるが、初めて有名な人に出会いました。次は水樹奈々か釘宮理恵に会えますように。

先日ハローワーク主催の障害者のための合同面接会へ行ってきた。そのときに面接してもらった会社の中の1社から、明後日面談に来て欲しいと言われた。7月の中旬に浜松町で行われた面接会では13社受けて全滅だったので、今回はなんとか1社だけでも次のステップへ進めてよかった。

ただこの企業、最初は受けるつもりはなかったのだ。有名だしでかいので、俺には向いてないと思って。ところが当日会場を案内してくれた担当者のおばさんが、間違ってブースの前までつれてきてくれてしまったのである。それで「ならせっかくだし受けます」ということでこの会社と面接することになったのだった。

というわけで、明日は1日企業研究だな。


ところで、今日なんとなく教育テレビをみていたら、子供の早期教育について取り上げている番組がやっていた。途中からみたのだが、どうやら早期教育は大事らしい。

すべてアメリカの事例である。チャンネルを合わせたときには、小さいころ虐待を受けていて外界から隔離されていた子供の話をやっていた。その子供は隔離されていたので言葉もしゃべれず精神年齢は1歳半ほどだったらしい。父親が裁判所へ出廷する数分前に自殺したので、言語学者の人がその子供を預かって教育することになったそうである。しかし、物に名前があることやいろいろな単語は覚えて発話するようになったものの、結局文法は身につかなかったと言うことだった。

この子が文法を覚えられなかったのは、小さいころに脳が外界から刺激を受けなかったため、必要でないと判断した神経回路を切ってしまったのが原因だという。幼児の段階では成人の2倍ほどの脳神経回路が無秩序に存在しているため、成長するにしたがって脳がそれらを整理するのだという。上述の子供の場合、その整理の段階で刺激をほとんど受けていなかった脳は、本来人間に必要な神経回路まで整理の対象としてしまったために、最後までその子供は文法を覚えられなかったらしい。

一方、早期教育を行うことによって成功した例も取り上げられていた。貧困層の子供を対象に、最新の科学理論に基づく学習ゲームを小さいころから行った子供とそうでない子供を比較すると、生後12ヶ月まではほとんど差がないが、15ヶ月後から徐々に差が出始め、5歳を迎えるころには学習の理解などに明かな違いが出るそうだ。早期教育を受けた子供のほとんどが研究者や一流企業の社員となり、実験は成功したという報告であった。

さらには天才についても触れられていた。これは学者の主観だが、天才は普通の子供じゃないという。ピアノに対して特殊な才能を持ったという子供を取り上げていたが、練習時間は1日8時間なんだって。まず普通の子供はそんなに練習しない。だが天才というのは1つのことに夢中になると普通の子供では考えられないほどそれにとりついてしまう。そうすると、結局技術的にも向上するのでうまくなっていく、という循環らしい。

あと、天才は全体的にも優れているため、学校などでは他の子供と孤立してしまうこともあり難しいそうだ。へ、ざまあみろ。

いろいろ事例が報告されていたけれど、なんだかんだで普通がいいよ、やっぱり。天才なんてのはうまくいけば名声も得られるが、逆に失敗するとどん底だろう。まぁ俺は男だから、名声が欲しいと思ったりすることもあるが、でも、最終的には平凡な生活がいい、ということで落ち着く。

だから、俺に子供ができても特別なことはさせないでおこう。ただ、自然科学に興味を持って欲しいから、その手のことを子供の頃からやらせるかもしれんが。

すいません、タイトルとぜんぜん関係ない話題で。適切な題名が思いつかなかったもんで・・・。

占い

  • 日常

なんとなく「前世」を占ってみた。インターネット上の無料サイトで。そうしたらこんな結果になった。

強者の魂 : 34% 道楽の魂 : 100% 苦境の魂 : 100% 妖魔の魂 : 100%
あなたの前世は【幕末に人知れずところで影のように暗躍した暗殺者】のようです。 あなたの前世は、江戸時代末期、時代が新しく生まれ変わろうとする頃の幕末に暗躍した暗殺者であるようです。 何が正しくて、何が間違っているのか、日本人が手探りで暗中模索していたあの時代に、あなたは高名な人物の元で、影となり、悪を討ちつづけていたのでしょう。 そのためいつしかあなた自身が敵に狙われるようになり、激動の時代の最中、若くして命を絶ったようです。 数百年のときを経て、現代世界に転生したあなたですが、前世の生き様のためか、どこか心の中に翳りがあるようです。 この心の闇を取り払うことこそが、あなたの現世における使命なのかも知れません。 わずらわしい世事を離れて、一人になったときこそ、あなたの心に眠る暗殺者の血が落ち着きを取り戻すことになるでしょう。

なるほど、俺は陰の暗殺者だったわけか。ということは人切り抜刀債だな(笑)。そして一人になったときに落ち着きを取り戻すとは・・・。陶芸家になった 比古清十郎でもあるわけか。

と、まぁ暇つぶしにやってみたわけだが・・・。当たっているのかどうかぜんぜん分からない。ちなみに来世占いもやってみたが、現世と同じような生活を送るでしょうと言われた。

性格診断とか人生占いであれば、自分と照らし合わせてどんなもんかと分析できるのだけれど、この手の占いはどうしようもない。というか、前世とか来世のことが分かってもしかたがないんだなあ。前世の罪を現世で償えば来世でも幸せになれるとか、そういうことなら理解できるのだが・・・。あいにくそういうことはここには書かれていない。あくまでも自分自身の平穏を取り戻すにはどうしたらよいか、が書かれている。

何故こんなことをやったのかというと、ちょっと最近知り合いの周りでいろいろあって、その人と話をしているときに、その知り合いが「俺は2008年は運が悪いという占いだったんだよなあ」と言っていたため、「じゃぁ俺は占い上どうなんだ」と思ったからである。

俺は占いは信じない。科学的な根拠がないからである。

姓名判断は「名前だけでなぜ人の運命や相性が分かるのか」がなぞだし、六星占術や四柱推命などは生年月日と性別から運気の推移や本人の性格を割り出せる理屈が分からない。

よく分からないが、これらは生まれた年や月からそれぞれに該当する属性のようなものを割り出して占いをするらしい。そうした属性の割り当て方や、割り当てられた属性の組み合わせから出てくる運命・性格などは経験則によって体系化されているようである。詳しくは分からないが。

当然100%的中するという保証はどの占いもしていない。だがどういう根拠で結果を出しているのかすごく不思議なのだ。

それに、以前アカシックレコードについても書いたけれど、生まれたときから人生が決まっているようならそんなの人生じゃないと俺は思う。創造主がいるとすれば、俺達はそのゲームの駒だ。まあ、しょうがないか。

俺としては、根拠はもうこの際どうでもよくて、占いは自分自身が生きる上での1種の軽いアドバイスととらえ、真剣に信じずに楽しむ感じで利用するのが良い使い方だと思う。

ただここで俺は一つの疑問に遭遇してしまった。いくつかのサイトで四柱推命をやったのだが、「運は上昇気味」と出た差異ともあれば「運は下降気味」と出たサイトもあったのだ。

「2008年はあまり運が良くないから、新しいことを始めようとしたり大きなことをやろうとしても空回りするので、今年はゆっくりして来年まで待とう」みたいに書いてあるサイトもあれば「今は運が上昇中なので大きな仕事がうまくいきます。恋愛も順調に進むことでしょう」と書いてあるサイトもあった。

こういう場合、どっちのアドバイスを受け入れるのが良いんでしょうか。だれか教えてください。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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