2013年5月の記事一覧

障害があるというのは、不便というか不幸というか。感じ方は人それぞれ。それは当事者にとっても、周囲で見ている人にとってもである。

障害当事者からすると、普段はなんとなく生活しているけれども、実際はいろいろな人に助けられているものだ。例えば、盲人であれば、普通に道を歩いているときでも、「大丈夫ですか?どこへ行きますか?」と声をかけてもらい、助かることもある。

ただ、その瞬間は助かっても、後々微妙なこともある。以下に例を示す。

  1. 目が悪いのはビタミン不足だからだとマジで思っていて、ブルーベリーを強烈に勧める人と出会ったとき。すいません、網膜剥離はブルーベリー食べても治りません。当然、勘違いしてる人にそんな理屈っぽい説得は効果がない。俺は一度「ブルーベリーを食べたらきっと良くなるわよ」とおばあさんに言われ、自宅までつれていってもらった数日後、郵便受けに何か分からないサプリメントらしき容器が投函されていたことがある。
  2. ハンドパワーで病気が治るとマジで思っている人と出会ったとき。いや、これマジ。思っている人は本当に思っている。そもそも、ハンドパワーなるものが実在するかどうか怪しいが、「私の知り合いにハンドパワーで病気を治している人がいるんですけど、一度来てみませんか?」とかなりマジで言われたことがある。秋葉原駅だったので、なんていうか、そういう意味では信憑性を感じた(笑)。
  3. 病気で目が見えないのは神様が与えた試練だとマジで思っている人と出会ったとき。アメリカ人はみんなそう思っているかもしれないが、日本人にもそういう人はいる。出家して集団生活を勧められたり、神を信じる人たちと共に共同生活をすることを強く勧められたことは、結構ある。全部断ったが。

いや、行為や気持ちは有り難いんですよ。助けてくれようとする。けれど、なんというか・・・。俺自身、そんな精神論とか科学的根拠の薄いことで障害が克服できるものとは、経験的に思ってないし・・・。息子の病気は自分のせいだと思っていろんな宗教をやったけれども、結局息子が死んでしまってどうしようもなくなってしまったお母さんも見たことあるし・・・。

あぁ。なんか、思い出したら切なくなってきたよ。障害児を産んだ母親は、やっぱり自分を責めて、自殺しようとしたりとかするのかな。うちの親もそうだったのかな・・・。たまたまなのにね。

でもさ、ぶっちゃけ、障害を持っていることは、俺は大学生までは不便だと思っていて、社会人になって不幸だと感じるようになったけれども・・・。障害者なんぞよりよっぽど不幸な人はたくさんいるよね。それを思うと。すいません。生きててごめんなさい。

こういう心の奥底に眠っている感情を主任に聞いて欲しいと思ったりするのは邪悪だろうね。だってね、そうしたとたんに・・・。いろいろ不都合な真実が明るみに出てしまうから・・・。すいません、すいません、すいません、すいません、すいません、すいません。

毎日自宅と職場の往復ばかりではメリハリがないので、今日はいつもと違うルートで帰ってみることにした。きっと事故っても労災は出ないだろう。

3月に東横線と副都心線が直通運転を始めて、渋谷駅が変わったので、とりあえず今日は渋谷経由で帰宅。

なんでもいいけど、遠い。東横線からJRへ行くにも京王に行くにも遠い。なんか、確かに副都心線のホームは昔から遠かったけど、直通になってから余計遠くなったような気がするんだけど・・・。いや、なんか、今日はヒカリエと繋がっている改札に出てしまったから、余計遠かったのかもしれない。

けれども、今日使った経路は就職してから数年間使っていた経路だ。渋谷駅の乗り換え以外は前と同じ道。なんだかノスタルジーだよ。時間が時間だったせいか、あまりにも渋谷駅が空いていたので若干ショックだったんだが、最近の渋谷はあんなもんなのだろうか。いやまあ、井の頭線は相も変わらず込んでたか。

でも、このルート、無駄に通勤時間がかかるのだけれど、長い距離を歩いたり小まめに乗り換えたりするので、健康には良いかもしれん。会社の近くに住めば疲れも減って健康になると思っていたが、案外そうでもないかもしれない、と思っていただけに、これがたまたまなのか、実際の効能なのかを実験で確かめて見る必要があるかもしれない。

本日、会社の上司がセミナー発表するというので、聴講してきた。某有名高級ホテルが会場だったのであるが、そこで感じたこと。

流石に高級ホテルは、トイレットペーパーも高級である。あぁ、なんと、尻に心地よいトイレットペーパーであろうか。女性の肌のようにしなやかで柔らかなその触感は、まるでルルドの奇跡で病気が治った人の晴れ晴れしい気持ちを彷彿とさせる。

一方、会社に戻ってきて、うんこをしにトイレに行ったとき、目にしたトイレットペーパーのなんと粗末なことか。再生紙とも思えるその粗雑な紙で尻を拭こうものなら、たちまち痔を悪化させる最大の要因になることは不可避だ。

ところで。全く関係ない話であるが。

「すごい」というのは形容詞である。意味など説明する必要はないだろうが、「すごい」という言葉の概念としては、相対的と言える。すなわち、普通、あるいは一般的な事象があって、それに比べて優れているとか劣っているとか考えられないと言ったことである。

で、ここからが本題。障害者が何かすると、だいたい「すごい」という見解を、健常者が持つ。「目が見えなくても電車に乗れるんですか、すごいですね」とか「目が見えないのにインターネットができるんですか、すごいですね」とか。この現象は、酔っぱらいのおっちゃんと偶然電車で出会ったときも、かわいい女子高生が(極めて低い確率ではあるが)話しかけてきたときも、仕事の場面でもほとんど発生する。いや、知識のない健常者は思うことがある、という表現が正確だな。まぁ、そういう細かいことはいい。

けれども、障害当事者からすると、「すごい」と言われることの9割は大してすごいことでもない。だって、それが普通だからだ。どちらかというと、そのような結果になるまでには、普通の人があまり想像できない努力をしている場合があり、そっちの方をすごいとたたえて欲しいものだ。

盲人には盲人にしか分からないことがあるので、盲人の例を示す。例えば、割と自由自在にあちこち歩き回っている全盲。何故か柱も避けるし、エスカレーターにも逆方向ではなく正確に乗るし、停車中の車も避けるし・・・という人が、たまにいる。これ、目が見える人の常識では超人的と思うかもしれない。端的にはすごいかもしれない。けれど、やってる本人からすると別に普通なのだ。柱や車が目の前に近づいてくると、周囲の音の反射率が変化して音の響き方が変わるので認知できるとか・・・。そういう能力は、結果的には現在普通に身についているが、それを身につけるまでには結構な努力をしているのだ。尤も、それを努力と思ってない人間も大量にいるわけだが・・・。ただし、本人が弱視なのに杖を携帯しているとか、手動以上の視力があるとかいう前提条件はないものとしますがね。

でだ。ここで考えて欲しい。普通の人だって、例えばパソコンの組み立てができない人は、パソコンの組み立てができる人に対してすごいと思うことだろう。そして、パソコンを組み立てられる人は、初心者で説明書片手に部品を取り付けているレベルにしろ、様々なパーツを組み合わせてパソコンを組み立てた経験があるにしろ、そこには努力がある。

だから、障害者だからすごいと思われていることの大半は、障害者にとってみればぜんぜんすごくないこと。本当にすごい障害者は、凡人障害者には到底できないことをやる障害者だ。パラリンピック出るとかね。まぁパラは、金があれば・・・出られるかもしれないけど・・・。

そして、ここが一番重要なのだが。仕事において障害者を活用する気があるなら、なんでも「すごい」で片付けないので、障害特性に応じて、作業量や作業品質に対する指標値を定めることが肝心である。

障害者を雇った企業がまず困るのは、どんなことをやらせればいいか。次にやることは、どれぐらいの量をどれぐらいの期間でやらせればいいか。こんなことを書くのもあれだが、障害の種別毎に、最初に雇った障害者はモルモットとして作業上の指標値作りに充当することが良いかもしれん。付き合わされた障害者は気の毒だが、それでその指標値が業務上許容できる範囲内であれば、その後の障害者雇用は明るいかもしれない。

このように障害者に求める作業量や作業品質を定量化、あるいは明確化することで、「入社したけれど、ソフトの使い方が分からないから研修に行かせてくれ」という、金のかかる障害者を排除できる。別の言い方をすれば、会社が費用を負担しなくても、外部で指標値を満たすだけの技能を修得した障害者を、企業は野党ことができるようになり、今までの障害者採用みたいに無駄金を使わなくて済むようになるかもしれない。

まぁ、その場合の訓練所のメニューとか、考えることはいろいろあるけれど。今日は、なんか、もういいや。

最近、公私共に、障害ってことについて考えることが多くて、なんかそういう話題が多くなっているけれど・・・。どうしてだろう。気持ちは晴れないね。宝くじ当たらないかな。

ちらっと昨日書いた、乙武さんの入店拒否問題が結構盛り上がっているみたいなので、草葉の陰から眺めてみた感想をば。あくまで感想ですから、論点がはっきりしないとかいうことは、気にしないで。

改めて書いておくけれども、私は全盲です。車いすは使っていないが、障害者である。障害者の立場で乙武さんの心情を思うと、むかつくとか腹立つ気持ちは分かる。障害者だから食べたいイタリアンも食べられないというのは、差別だと思う気持ちは、重々承知。

話は脱線するが、別の例でも似たようなことはある。例えば障害者が独り暮らしをするために部屋探しをしていると、大家さんに断られて契約できないケースが多い。私も何回か断られたことがあり、それはそれは腹が立った。

話を戻して。一方、店側の言い分も当然のことであろう。人手が少ない上に、いきなり「車いすと人間を運んでくれ」と頼まれると、まぁ、普通は戸惑う。事前に連絡があれば、段取りを考えておくこともできるが、そうでもなければ、断る店側の気持ちも分かる。

これをさっきの部屋探しの例で言い換えると、どうやって生活しているかも分からない障害者に部屋を貸したら、普通ではないことが起きるのではないかと、大家さんが思っても、そんなに不思議でも不自然でもないことだ。全盲の場合、火の始末(ガスコンロとか)をどうするかということを、90%ぐらいの確率で尋ねられるのだが、普通は疑問に思うだろうし、「何か解決策があるのかもしれないからリスクを取るのはやめよう」と思う人もいるだろう。

で、私としては、どっちが善でどっちが悪かということはどうでもいい。どっちもどっちだからだ。っていうか、乙武さんのブログしか読んでないので、事実関係に基づく判断は、公平な立場ではできないというのが本当のところである。

けれども、彼のブログに書いてあることについて、いろいろとつっこみたいことがあるので、それは暇つぶしに書いておこうかな。

まず、乙武さんは店舗に対して車いす利用であることを連絡したことがあまり無いとのこと。ちょっとこれは、普通の障害者には想像ができないのではないか?いや、これは俺個人とか全盲の発想かもしれない。多人数の盲人で押しかけるときとか、事前に予約が必要な店に対しては、事前にその旨を連絡して了承を得るのがマナーだと思っていたのだが、俺は。いや、流石にスーパーとかコンビニとかマクドナルドには事前連絡したことはないけれども・・・。それにしても、連絡無しでよく車いすユーザに対応してくれたなぁと思うのは、俺の知識が足りないだけなんだろうか。

と思ったら、普段は事務所のスタッフとか有人が面倒見てくれてたようだ、乙武さんは。あぁ、事務所のスタッフかよ。了解しました。あと、行けそうなところは自分でも階段上がって行くそうで・・・。

さて、次につっこみたい箇所。ホールの男性スタッフは、どうも乙武さんを運ぶために階下へ降りようとしたらしいのだが、それを店主が止めたそうである。え?何故止めるの?ホールスタッフが対応できるんだったら、それをわざわざ止めなくてもいいのでは?

まぁ、乙武さんがブログ内で書いているように、料理を出すタイミングとかがあってホールスタッフを止めたのかもしれないが・・・。でも、そこは店主自らが料理を運ぶぐらいのことはできなかったのかなと思う。シェフが独りのようなのでしかたないかもしれんが、シェフが自ら客に料理の説明をするサービスでもすれば、それはそれでいいと思うし、そうしている間、ホールスタッフが料理を作るわけでもないだろうから、そういうふうにタイミングを合わせるやりかたもあるだろうに・・・。と、実はこの議論は全部後付け論であって、当時その場でそんなこと思いつくはずはありませんね。

では次に参りましょう。実際、お店の中でスタッフとやり取りしていたのは同伴していた女性だったようなのだが、店主から「対応できない」と言われて女性が乙武さんの待っている外へ戻ったあと、店主が階段を下りてきたそうな。それで、「事前に連絡しろ」とかいろいろ言ってきたそうなのだが・・・。そこで乙武さんは「そもそもそういうこと(事前連絡)をせずとも外食を楽しんできた」という趣旨の発言をしたということである。

ここでつっこみたいのは、一つに、何故店主がわざわざ降りてきて本人にいろいろ言ったかということ。まぁ、店は狭いみたいだったし、やり取りは店の客にも丸見えだっただろうから、「ばつが悪いからとりあえず店を出て」、「本人がまだいたから思っていることを言った」ということなのかもしれない。事情はどうあれ、最低でも、店主の人は「申し訳ありません、次回からは連絡頂ければ対応しますから」ぐらいは言ってもよかっただろう。ぶっちゃけ、建前でもいい。本音は「この常識知らずが!ぼけ!」と思っていたとしても、サービス行やってんだったら建前の一つでも使ってその場はやりすごして欲しいものである。

そして、もう一つの突っ込みは乙武さんの発言。はっきり言って、そんな事情、言われた方にしてみれば知ったこっちゃない。あ、でもこれを言ったらおしまいかも・・・。それを言ったら、サービス行は「そんなもん知ったこっちゃない」で終わってしまうなあ。うーん、個人的にはこの発言、客からするのはちょっと・・・。というか、そうか、言い方が少しあれなんだな。もっと丁寧に、最初に「これはクレームです」と断っておけば良いかもしれん。俺はあまり気に入らないのだが、そういうと「他店でも1円より高い場合はスタッフにお知らせ下さい」とアナウンスしてる電気屋のサービスを否定することになってしまうなあ。

と、ここまで書いて。しまった、俺も似たようなことを、たまに言ってることに気がついた。PC周辺機器を買ったとき、ファームウェアのダウンロードに本体に張ってあるシリアルナンバーが必要だったのだが、当然全盲にそれは読めず、サポセンに事情を説明したのだが、「シリアルナンバー無しではダウンロードして頂けないシステムになっております」の一点張りだったメーカーがあった。別メーカーの類似商品でも同じくファームのダウンロードにシリアルが必要だったことがあったが、そのときは「今回は特別にダウンロードできるように致します」と言ってもらえたことがあったので、そのときは「○○さんでは対応してくれましたけどね」みたいに、サポセンのおねえちゃんに言ったことが・・・。そういえばあったなあ・・・。

すいません、なので、前言撤回。ブログに文字を残したまま前言撤回というのもなんだが・・・。まぁ、「一度発した言葉は消せないのだよ」ということの照明です。

とりあえず突っ込みたいことは終わったので、最後に言いたいこと。

結局、今回の入店拒否問題。声を上げたのが乙武さんじゃなければ、せいぜい2CH掲示板でスレが立ったり、ツイッターで該当の発言に対するコメントがちょいちょい書き込まれたり、ひっそり店が謝罪文を掲載して収束していく問題だと思う。ポイントは、知名度の高い人の発言は影響力があるということなのだ。

乙武さん、確か4月の朝まで生テレビで、ツイッターの良い点と悪い点について自身の解釈を偉そうに述べていたと思うのだが、結局、メディアの性質を理解できてなかったってことなんじゃないかと思う。ソーシャルメディアのせいで炎上した個人や企業はたくさんあるんだから、今後はその辺の事情も学習してものを言ったらいいと思いますよ(上から目線)。

ぶっちゃけ、入店拒否とか、盲導犬連れてる人なんかもよく経験するんじゃなかろうか。イスラエルの爆弾テロみたいに、日常的なことのように感じるが・・・。

まぁ、いろいろ感想を述べてきたけれども・・・。みんな同じように利用できるサービスが一番なんだけどね。個人が店に改善を訴えたところで効果はほとんどないんだけどね。ネットで名前晒す方が効果的なんだけどね。さっきからずっと、うんこを我慢しながら書いていて、そろそろ限界だから、トイレに行って寝ます。さようなら。

【参考】 乙武さんのブログ
イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト

最近腹が出てきたので、ダイエットしなきゃならん。でも、そう言うものの、酒はだんだん飲めなくなってきているのですが・・・。ビールとか、2杯ぐらいで腹一杯よ。

ところで。乙武さんがイタリア料理店に入店拒否されたことについて、障害者の皆さんがいろいろな反応をしていらっしゃる。というか、俺の周りに反応してる人が多いということなのだが・・・。

これ、同じ障害者としては、やはり腹立たしい。普通の人と同じ権利が保障されないというのは、理由がどうあれ気分の良いことではないだろう。

一方、正直、店に入れなかったぐらいでこんなにいろいろな人が反応するのも、ソーシャルメディアが普及したおかげなのかもしれないと思う。なんか、入店拒否した店の人が、ブログで謝罪文を載せてたし。相手が乙武さんだったからこういうことになってるが、ただの車いすユーザだったら、話題にもならなかったことだろう。結局、力がある=有名、ということなのだ、短絡的には。

個人的には、好き放題したいので、軽率にいろいろ書いても、話が大きくならないよう、今の凡人っぷりを保ちたいと思う次第であります。

それにしても、有名な人ってのは不自由なもんだ。乙武さんは別にいいけれど、橋下さんとか。ぶっちゃけ、慰安婦のことで彼が発言したことは、現実問題そう誤りではないと思うし、実際同じように思っている人は多いはずだ。だが、メディアの前で言ったのはまずかったね。俺が「極右」だと思っている石原さんも、流石にフォローに困った様子で・・・。石原さんも石原さんで、露骨に朝鮮人差別っぽい発言を結構してたと思うが・・・。まぁ、あの人は、どっちかっていうと「謝っておけばいいや」って思ってる節はあるが・・・。

いずれにしても、言葉には慎重にならなきゃいけないということですね。でも、単純に慎重というのも、実は困ったりする。最近の技術者はリスクばかり取ってはっきり名言しなかったりするように思うのだが、もうちょっと自信持って欲しいと思う。あと、「自分は材料をそろえるので、後はお客様で決めてください」と言わんばかりに、メリット・デメリットや様々な可能性を並列に並べ立てるだけの人もいるが、これも、「そんなにたくさん選択肢を言われてもねえ・・・」と思ってしまう。結局、慎重になるべきではあるが、あまり慎重に成りすぎると逆に嫌われちゃうこともあるんだよ?と言いたいのよ。

そういえば、最近部屋探し中なのだが、メゾネットとかちょっといいなと思ったりする。マンションのくせに階段があるとかめんどくさいと思ったりするが、いや確実に面倒だと思うが、なんかお洒落っぽいじゃんね。酔っぱらったとき、ちゃんと上に上がれるか心配だけどさ。

じゃぁさようなら。「乙武」さんを読み上げソフトは「おつぶさん」って読むから最初だれのことだか分からなかったよ。「おつぶさん」ってちょとかわいい!オンp♪

なんか、酔っぱらってバシバシTwitterに投稿していたらアップロードできなくなったので、こっちで吐き出すことにしようかしら。

だめなの、人妻に手を出しちゃ。昔、教育実習のときにいろいろ学んだでしょ?人妻に手を出そうとすると、いろいろめんどくさくなること。

いや、まぁ、若干俺から学級担任の先生(当時、そうさなあ、30代後半ぐらい)を誘ったというか、向こうもそういうそぶりを見せたので「え、これイっちゃってもいいんじゃね?」と思ったわけであるが・・・。だってよ、ただの学制相手に、最終日に涙を流しますか?

まぁ、そんなこんなで。生徒指導より人生の修羅場を経験させていただいた教育実習でありましたが・・・。はい。いや、修羅場はうそだけど。

っていうかさ、そのころのメールなんて読まなきゃいいものを、読んでしまったら、なんともやるせない気持ちになってきたの~!っていうかさっきメールきた。携帯に。だれ?いつでも俺は年上好きだよ。

はい。さようなら。最近。自分の存在価値って何かなって思うことがある。俺なんて、死んでも、あまりグローバルな影響はないだろう。ローカルな影響はあると思うけどな。

ね、たまには弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりするのもありっすよね。だから、これから書く。

第1に、俺はこのままITの仕事をやっていて、将来大丈夫なのだろうかと思う。

今勤めている会社はとても良い会社だ。大企業の看板を背負っているだけはあり、多用な人材が働きやすい環境を整備することに注力している。だから俺のような障害者も雇われているに違いない。

ただ、やはり、制度的に働きやすい、職場の空気も良い。そういう環境であっても、実際の仕事の中身がどうかというのが重要である。求職している人によっては贅沢な悩みかもしれないが・・・。

具体的にいうと、俺が所属している部署の仕事、数年後にはクラウドサービスにほとんどのシステムが移行し、人員も削減されることが決まっている。クラウドに移行しない一部のシステムの保守や、諸々の雑用は残ると思うが、なんか悲しい。まぁ、どちらかというと、個人の問題というよりは、うちの部署がどういう位置づけで社内に残るのかという方が問題のような気もするが、少なくとも、そんな将来はいやだと思う。

ITと言っても、パッケージを作る仕事もあれば、SIする仕事もあって、そっち方面に行くという手もないことはないが、ぶっちゃけIT自体、「もういいですわ」って感じなので、ちょっと、IT以外の仕事を、将来的にはできるように今の家から考えたいと思って射る。

ITやり続けるとしても、大企業ではなく、中小企業である程度幅の広い仕事をしてみたいとも思う。大企業の場合は分業化・専業かが進んでいて、自分の担当分は細かいところまで分かるが、その他はぜんぜん分からないということも珍しくない。だが、小さい組織なら人員も少なく、独りがカバーしなければならない領域も増える。大変だとは思うが、一つのシステムを専業でやるよりも勉強になるかもしれない。また、小さい組織の方が、業務として横断的に他部署と関わることも、大企業よりはしやすいかもしれない。

もちろん、昔ながらの終身雇用的な側面は大企業なら見込めるので、安定感があり、一方中小企業ではそうした安定感は必ずしも望めない。そして致命的なのは、中小企業のほとんどは障害者を雇うほど、金も心も余裕がないことだ。いくらか助成金が出るとは言え、イニシャルコストとか稼働率を考えるとやはり障害者を雇用することは高くつくのだ。なので、やはり大企業に当たって行くしか俺には道がない。

さて、じゃぁどういう職種に転換するのが良いか、ということになると・・・。これはなかなか難しい。一般企業で盲人が担当できる仕事って、はっきり言って限られている。企業に勤めている盲人の大半は人事・総務系の仕事だ。それに、最近ではIT部門の人がちょろっといる。営業職とか、技術職はなかなか難しい。あと、できそうなのは、広報とかかな。もしくは、盲人向けに商売している零細企業を当たって、細々やっていくという手ぐらいだ。

いずれにしても、アベノミクスが効果を発揮するとしてもしばらく先の話だし、今すぐ会社辞めると路頭に迷うし、だからといって将来やりたいこともよく分からんし・・・。いったい、俺はどうしたらいいの?!


第2に、障害者はやはり健常者からすると異質であり、そう簡単に受け入れがたいものなんだろうかと、既に答えの分かっている問いかけに対して、最近深く考えてしまうことがある。

というのも、ちょっといい感じになったメル友に「ご飯食べに行かない?」と送ったら、返信が返ってこなくなった。もちろん相手は健常者、いや、まぁ、子供のころにちょっと付き合いがあった子で、最近十数年ぶりに連絡を取ってみたら、メールでのやり取りが結構続いたし、なんか向こうがそういう話題を振ってくることが多くなったので、思い切ってこっちから声かけてみたのであるが・・・。

この事象は以前から確認されていたので、本当は今更どうこう言うことでもないのは分かっている。中学生のときにBBSで知り合った人も、大学のときにSkypeで知り合った人も、全盲だとメールに書いたとたん、返信がこなくなった。今回は、「メールするのはOKだけど、実際に会うのはちょっと・・・」という思いがあったかどうかは知らないが、結果としては同じである。

分かる。分かるよ。そりゃあ、相手が障害者だなんて自分が苦労するばっかりだし、他人からどう思われるかも分からんよなあ。それが悔しいのさ。そりゃ、他の人から「親に結婚を反対されるのなんて普通だよ」と聞かされたこともあるし、「出会い系で知り合った女と、会って一晩過ごすところまではいったんだけど、次の日の朝起きたら逃げられてた」という話も聞かされたことがある。結局はそれが真実なのだ。どうあがいても、多くの場合それが正しい世間の反応なのである。

もちろん、障害の有無は関係なしに接してくれる人も、世の中にはいる。いるが、相対的に少ない。

ちなみに、本当に、今回のような事象は昔から何度も経験してきたこと。ただ、過去の経験から10年経っても、自分が30歳を間近にしても、ほとんど状況が変わっていないことが、少しショックだっただけだ。で、なんか、最初に書いた仕事のこともあって、少しネガティブな感情がブーストされてしまって深く考えているだけなのだが・・・。


なんかね、もうどうでもいいから書くけどさ。毎年毎年無駄金ばっかり使ったりばらまく、24時間テレビってのがあるけど。あれで募金された金。ジジババが収容されてる施設なんかに、役にも立たない車いすばっかり寄付するのやめろ。ジジババはそう遠くない将来死ぬんだから、もっと若い障害者に夢を与えろ。

例えば、「赤井羽」みたいに障害者に現金を配るとか、オーディションして合格した障害者バンドに資金提供するとか、障害者用の技術開発をしてる会社に投資するとか・・・。

24時間テレビは、集まる募金より経費の方が高いという有名な話があるけれども、ね、合理的に考えればその無駄な経費を募金の代わりに使えばいいのに。面白くもない芸人にギャラ腹ってるんでしょ、どうせ。あれこそ無駄金だ。いや、仕事のない芸人に仕事を与えるという意味ではボランティアなのかもしれんが・・・。

あと、芸能人がマラソンしたり、障害者が頑張ってる様子をドラマ仕立てで放映するのもやめてほしい。芸能人が走ったって、だれも救われやしない。ましてや途中車使ってるのに、100キロ完走とか言われても・・・。あと、あの、「障害者が何かにチャレンジ」とか「これまでの人生の感動のドラマ」みたいなやつは、ほんと有害である。「障害者は頑張るもの、苦難を乗り越えるもの」という気持ち悪い認識が広まるだけだ。だから、ときどき街で「あなたも次の世代に何かを残せるようにいろいろ一生懸命に取り組まないといけないのよ」などと、豚の糞以下の説教をしてくるババアが登場するのだ。

あぁ。ちょっとすっきりしたわ。でもお腹が痛い。なんか、今朝からすげえお腹いたいんだよ。食パン、あれ1週間前のやつ、あれがまずかったかな?

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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