2012年10月の記事一覧

あの、まず先に断っておきますが、私はだいぶ酔っぱらっています。理性は微妙に保ちつつ本能を解放しています。あぁ、寒い。

前座として俺の通勤ルートのほんの一部について説明しよう。要するに小学生の通学路なのだ。朝の7:30~8:30は車は通行禁止、通行禁止区間の端と端にはPTAみたいな人が立って見張っている。

で、今朝の話。

俺が通勤する芳香と小学生が通学する芳香は逆なのだ。いつもウザいと思いつつ、前からやってくる小学生の群れをやり過ごして、駅へ向かって歩き始めたところ。後ろからこんな声が聞こえました土佐。

「あの人目が見えないんでしょ。でもなんで目が開いてるの?あ、そうか、目が腐ってるんだ。」

これは小学生の言葉。これを聞いてどう思うかは人それぞれだろう。さて、私はどう思ったかというと・・・。

殺す!よく聞け糞餓鬼、視神経とか網膜が行かれると眼球の有無に関わらず見えなくなるんだよ。貴様は手足切断の上、皮をはいでフォークで眼球を串刺しにしてやろう。言葉の重みを噛みしめろ、FUCK!

まぁ、後半は単なる妄想というか、憂さ晴らしですがね。私は大人ですから、いくら腹が立っても理性を働かせて、平穏に歩き続けますよ。心の中ではその糞餓鬼を17回程惨殺しましたがね。

糞餓鬼どもは思ったことを根拠も無しにストレートに言いやがる。これじゃいじめは無くならないよ。人を思いやることもできない餓鬼がいる限り、いじめはなくなりません。

それに特にうちら辺というか、関東の餓鬼どもは教育がなってない。

前に、朝の通行禁止時間帯に通学路へ進入してきた車がいた。この辺に住んでる人はそんなこと当たり前だろうから、たぶん、たまたまこの辺を通った人なのだろう。当然路の端でPTAに止められて「通学時間帯は車両通行禁止だから注意して下さいね」と言われる。ここまでは普通だ。

だがその後、その様子を見ていた糞餓鬼が運転手に向かって「犯罪者!」と一言。もちろん子供の言うことだ、ぶち切れしたら大人げないけれども、その運転手の人は心の中で、俺と同じようにその子供に憎悪を抱いたに違いない。

だいたい、今の小学生、中学生の親って、30代後半から40代でしょ。その世代は糞みたいなもんだ。さんざん自分たちは学校で暴れ回っておいて、自分が親になっても学校の先生に馬鹿な主張を繰り返すファッキン・ペアレンツだ。そんな出来損ないの大人に育てられた餓鬼がまともな育ちな訳ねえよなあ。あぁ、FUCK!

あぁ、思い出したらまた腹立ってきた。昨日は昨日で犬のうんこ踏むしよ~。なんか、もう、いやだ。だれかの目をつぶして障害者にしてやりたい。そうして、苦しみを味わって欲しい。金じゃ解決できないこともあるんだと知って欲しいね。FUCK!

あぁ、おしっこしたいので、トイレ行ってくるね。じゃぁ、おやすみ。ちなみに今週の金曜日は休みなんだ、俺。

  1. 日曜日の夜に居酒屋でとにかく飲む
  2. 飲み終わったら家に帰らず会社に行く
  3. 会社で寝て朝を迎える。

もし自宅のそばで飲んでいて家に帰りたくなってしまうようなら、会社のそばで飲め。

書いてて思うけど、これじゃだめだね。まず、よっぱらった状態で会社へ行こうとは思わない。仕事帰りに飲んでて家に帰れなくなったとかなら別だけれども・・・。楽しい気分のときに普通しょんぼりする場所へは行かねえべなあ。

んじゃ別の方法を考えるとですね・・・。

  1. 1週間取り貯めたアニメを日曜日の夜から見始め、朝を迎える。
  2. 見終わったら名にも考えずにスーツをきて出勤。朝の5時だろうが、機械的にこなす。

これは、昼間ものすごく眠くなるという問題、または、朝までにアニメが終わらなくて結局月曜日の昼までかかってしまうという、二つの問題が想定される。だめだ。

  1. 女主任に罵倒される夢をみる

一部の人間はこれでOKかもしれないが、大半は無理だな。

結局月曜日は憂鬱です。

人間が積み重ねてきた歴史は、地球の歴史に比べればほんの小さいものだという。数値的な比率だけでいえばそうだけれども、じゃぁ人類と一人の人間で比べれば、これについても同じことが言える。

その例が音楽だ。原始的な音楽は既に千年以上前から存在したと考えられており、現在我々日本人が耳にするような音楽は主にヨーロッパで発展してきたものがさらに変化したものと考えられる。本当かどうかは知りませんよ。

ただ、少なくとも、バッハに代表されるバロック時代の作曲家は、古代ギリシャやローマの旋法を引き継ぎ発展させたものには違いない。それにある種のアレンジを加え、メタルの構成要素として取り入れたのがネオクラシカルメタルであり、これは大変素晴らしい物である。

残念なのは、ネオクラシカルメタルは既に時代遅れの産物であるということだ。80年代のメタルブームならいざ知らず、アメリカでも日本でもメタルはぜんぜん流行ってない。これは悲しむべきことではないか。

とは言え、細々か大々的にか、まだメタルの潮流は続いているのだ。ただ、どうも、中には理解に苦しむ人たちがいる。

その前に、ネオクラシカルメタルも含め、今回の議論として区分するならば「正統派」に分類される人たちの名前を挙げておこう。

  • Impellitteri
  • Judas Priest
  • Yngwie Malmsteen
  • Deep Purple
  • Gamma Ray

他にもいろいろなバンドがあるが、まぁ、俺の中ではこんなもんだ。

さて、題名にもある「理解に苦しむ音楽」。これはXに代表されるように「逝っちゃってる感じ」なのと「文化背景的によく分からないもの」の二つに区分できる。

逝っちゃってるタイプは以下の通り。

  • Luca Turilli
  • この人は精神崩壊寸前としか俺には思えない。個人的にセンスはいいと思うのだが、何故こんな曲の構成を思いつくのか、感性が全く理解不能なのだ。チェンバロ(シンセだとは思うが)とオーボエで始まる物静かなクラシック調の調べと思いきや、いきなりアルトの歌い手が叫び散らしながらディストーションギターの奏でるメロディック・スピード・メタルへと変貌する。何がどうなってそうなったのか。最初からメロディックで良かったじゃないかという俺の疑問をよそに、終演を迎える曲はまたチェンバロとオーボエに収束していく。ぜんぜん有名じゃないけど、だからこその心地よさもある。是非お勧め。

    もう一人。文化背景的に良く分からない人は以下の通り。

    • Kamelot

    音楽性の面からも、日本には100%いないタイプなんですが、『The Black Halo』というアルバムはそれこそジーザスの教えをベースに、ダンテの作品についての造詣が深くないと理解できなさそうな感じに思える。「Marilyn Manson」のように分かり安くはないのだ。

    最後にそれらとは離れて、センスの良さとテクニックのすばらしさの両方に私が感動したアーティストと曲を紹介しよう。

    Paul Gilbert
    言わずと知れたギタリスト。「Get Out Of My Yard」というアルバムの12曲目「Haydn Symphony No. 88 Finale」と13曲目「Three E's For Edward」が良い。大変良い。涙がこぼれそうになる。そんなに指は動きません、凡人は。
    Majestic
    マイナーですが、だいぶ極端です。ジャンルとしてはネオクラシカル。で問題なのは「TRINITY OVERTURE」というアルバムの「Cadenza op.1 in A minor」。バロックはやはり素晴らしいという印象とともに「愛すべきはネオクラシカル」であることを再確認させてくれる。

    以上。

    最近の俺は悩み人なのだ。とても悩んでいる。いったんは結論を出したことで、俺自身の考えから言ってもその結論は妥当であるのだが・・・。その結論を正当化して本当に良いものかどうか、理屈を超えて感情論で悩んでいるのである。

    何に悩んでいるのかというと、かなり親しい有人が「ネットワークビジネス」にはまってしまったことである。もっと具体的に言えば、ネットワークビジネスって俺は嫌いなのだが、それにはまっちゃった有人と、どのように付き合えばよいかということである。

    本論に入る前に、何故俺がネットワークビジネスが嫌いなのか説明しよう。言いたいことを先延ばしにして、割とどうでもいいことでお茶を濁すのは俺の得意技である。

    まぁ、ネットワークビジネスといっても多種多様な形態があり企業によっても精度は違うだろう。まぁ、私がターゲットにしている企業はだね、あれです、あえて名前は書きませんが「ア」で始まるやつですよ。ちょっと前はCMでもよく見かけた「ア」のつくマルチ商法と言えば、ほぼ分かるでしょう。

    で、古い情報かもしれないが、その会社の制度というのは「ネットワーク」という名に全くふさわしくない。階層型ビジネスという方が適切なようにも思える仕組みと理解している。あくまで90年代後半の知識に基づいているので現在はどうか知らないが、少なくとも俺にはそういう偏見があるということだ。

    この会社については、一般的にあまり良い話は聞いてなかったけれども、最も俺の心を動かしたのは、親の知り合いにもこれをやってる人がいて、しっつこく勧誘していたのを見たことだ。まだ小学生かそれ以下だった子供の俺からみても、度が過ぎた勧誘だった。結局俺の親はそんなしつこい勧誘にも屈せずにいたのであるが、思えば昔から親には大変口うるさく「そういうことに関わるんじゃないよ」と言われたものだ。簡単に玄関のドアを開けずに、知らない人がきたらまずお母さんを呼びなさい、的な・・・。どうも俺が4歳ぐらいの時に、名にも知らないでドアを開けてしまったら、何かの押し売りをする人だったらしく・・・。それが原因というよりは、むしろお母様の様々な人生経験からそういうことを思ってたんじゃないかと予測していますけれども・・・。

    おっと、それでだ、俺が「ア」のつくやつらを嫌いな理由ですが・・・。これは例の有人から聞いた時に思ったこと。「これは権利収入とか不労収入というものだから、一生懸命働いてどうこうというのじゃないんだよ」と俺の有人は俺に言ってきた。はっきり言って「こいつ馬鹿じゃねえのか」と思った。

    まず、「ア」の付く会社の、俺が知っている限りの制度体系を前提とするなら、「権利収入」という点は正しい。全く正しい。会社の担当者は「ネズミ講と違うので後からやり始めた人が損をするということはありません」っていう説明をするらしいけれども、会員が人を勧誘してさらに会員を増やした時、勧誘する側とされる側に親子関係が生じ、子の売り上げの一部が親のインセンティブとして入ってくる制度のどこが「後から入った人は損しません」なのか全く理解できない。単なる言葉遊びだ。損はしてないけど、早く始めた人が有利なのに変わりねえじゃん。

    次に不労収入という点だが、「ア」の付く会社って、そこの取扱商品を他人に売りつけて自分の利益にする商売だ。こう書くとすごく卑しく聞こえるが、俺に言わせてみればそういうこと。法的には「連鎖販売取引」と言って違法ではないみたいだし、なんというか、まぁ、営業ならそんぐらいやるだろうなとは思うが・・・。それはともかく、人に物を売ることが果たして「不労」なのかというのが俺の疑問なのだ。物を売るって、はっきり言ってとても大変なことである。誠実にやるとすれば、商品のメリット・デメリットを熟知し、顧客の疑問や悩みにも紳士に対応し、信頼関係を構築できて初めて物は売れるのではなかろうか。このプロセスのどこが「不労」なのか。重労働の間違いじゃなかろか?

    子供のころも思ったことであるが、大した知識もないくせに物を押し売りしてくる連中というのは、たいてい感情的なうたい文句を使う。まぁ、無知な人とか、おつきあいだと割り切っている人はそれで納得して買ってしまうのかもしれないが、少なくとも俺はそんなんじゃ納得できない。人から聞いたような文句を並べて「ここのサプリメントは自然の成分だけを使っているから品質はいいらしいよ」と言われても、じゃぁ具体的に他の商品と何がどう違うのかちゃんと説明しろ。っていうか「らしい」ってなんだ、お前は使ってみてどうなんだよ?まぁ、売る立場だとね、良いことしか言わないでしょうけれども・・・。

    権利収入と不労所得についてはこんな感じである。最後に付け加えるなら、本当の権利収入というのは、例えば土地を持ってる地主だったり、ミッキーマウスを作ったディズニーだったり、運か才能に恵まれた人だけが持てるもんだと思うよ。運も才能もない人はこつこつ、そういう人たちの下で働くしかない。

    さて、「ア」のつく人たちを俺が嫌いなのにはもう一つ大きな理由がある。俺には怪しい宗教と区別がつかないのだ。その理由は手口にある。

    まず、宗教にしてもそういったビジネスにしても、「最近の生活に満足できてる?」とか「何かやらないといけないと思わない?」というところから始まる。まぁこれはいい。で、そういうことを話しているうちに「いい話がある」という展開になってくる。こちらが「どんな話」と聞いても向こうはさっきの権利収入とか不労所得という魅力的な言葉を残し、具体的な話はしようとしない。で、こちらが渋り出すとようやく本題に入る。

    要するに、人の弱みにつけこむというか、心の隙間をつくというか、そういう手口に思えるのだ、俺にとっては。しかも、そういうやつらは大変気持ち悪いことに、初めはかなり強く押してくるのに、こちらが鈍い反応とみるや一歩引いて「いや、無理することはないんだ。ただ俺はお前の気持ちを分かってるつもりだから進めてるんだよ。決してお前にこれを勧めて設けようとかは思ってないんだ。お前の悩みも理解できるから、お前のことを考えてるんだ。」とのたまう。これが、俺にはどうにも気持ち悪くて吐き気がするのである。他人に俺の気持ちが分かってたまるか、このインポ野郎。

    で、やっと本題に入いろうではないか。私の有人はそういう馬鹿なまねはしない、常識のある人間だと思っていた。いや、もう酔っぱらっているからいうけれども、今の世の中でそういうのを新たに始めるって、世間知らずもいいところだと俺は思うのだよ。つまり、「彼がそんな世間知らずなファッキンデブだったのか」ということと、それを見抜けなかった自分に腹が立つのだ。

    その有人はいろいろと腹を割って話せるやつだ。一方でやつがはまり込んでしまった組織を俺は嫌悪している。でも、もう俺もそいつも子供じゃない。やつの行為に俺が朽ちだしする権利なんか無いので、いくら俺がやめて欲しいと思っても、俺がそれを彼に強制するどころか、発言することも出しゃばりだと思ってしまう。

    もっと言うなら、もし俺が正義感の強い人間なら、彼をまともにすべく働きかけていただろう。ただ、残念なことにというか幸いなことにというか、俺はそんな面倒なことはしたくない。やつが選んだんだから、やつの好きにすればいいと思う。

    そういうわけで、俺の嫌いな組織に所属してしまった有人との付き合い方について、基本スタンスはもう決まっているのだ。深入りはしない。できればその件で関わりたくない。その件でなくても、いつどんな時にその件に誘導されるか分からないので、普通の付き合いも避けたい。そういうことだ。

    でも、そのスタンスが俺自身の感情や根底にある考え方から言って妥当なものであったとしても、将来的に有用なことかと言われると、本当にそうなのか?と疑問に思ってしまう。これまで俺は割と人間関係を大事にしてこなかったので、余計そう思うのかも知れない。

    頭では分かってるんだけどね。もうやつとは今までのように接することはできないと。これがさ、俺って弱い人間なんです。彼から「最近のお前、なんか変だよね。俺のこと避けてる?」ってメールがきたことがあって・・・。当然「ア」の付く話の後である。彼の言う通り私は君を避けているのだけれども・・・。そうだと肯定できなかった。「最近会社のこととかでイライラしてるからさ、俺は無意識なんだけど、お前からそう見えるんだったら他の人にたいしても避けるような態度とってるかもね。教えてくれて有り難う。」などと、思ってもいない、大変下品な対応をとってしまった。本当は、はっきりyesというべきだったのに。自分に対して反吐が出るわ、マジ。

    そろそろ終わりにしようと思いますが・・・。結局、彼も悩んでいたので、その隙間につけ込まれてしまったのだ。そういう意味では被害者なのかもしれない。

    俺も彼も視覚障害があって、しかも全盲である。全く目が見えないのだ。そんな中でも、俺も彼も、名前を聞けばだれもが知っているような企業で働いている。当然回りは目が見える人間ばかり。健常者には理解できない苦労もあるし、職場の文化そのものに対する不満も当然ある。そういうところも含め、俺も彼もつらい時機があった。結果的には二人ともそのつらい時機は乗り越えられたのだが、彼の場合は、どうも乗り越えるきっかけが「ア」の付くやつだったらしいのだ。

    先ほども書いたが、それについて俺はどうこう言う権利はない。だから、俺からそのことについて助言や忠告はしない。本当は今すぐやめろと言いたいが・・・。彼が悩んでいろいろ考えて決断した結果なら、それは尊重すべきだよね、やっぱり。でも、そこで救ってやるのが本当の友達では?という意見もあるだろう。でもそれって驕り(おごり)じゃないのか。人生の先輩ならともかく、似たような経験しか積んでない俺が忠告できる立場にはないよね。

    あぁ、酔っぱらっていい気分になりかけたけど、何かのきっかけで思い出して、ついここに書き始めてしまったら、酔いが覚めた。寝る。おやすみ。

    電話に出んわ

    うちの会社、最近電話システムを刷新した。詳しいことは知らないけれども、ただの電話より安いらしい。

    けれども困ったことが一つ。郵便小包の再配達依頼がかかってくるようになってしまったそうな。どうも、とある方のダイヤルインにその電話はかかってくるらしいんだけれども、とにかく仕事中に「こちらは郵便局じゃないんですよ」とか「小包は扱ってなくて、一般の会社なんですけど・・・」とかいう応対を耳にする度、笑いをこらえるのに必死なのである。

    どういう訳でこんなことになっているか知らないが、大事な取引先から電話がかかってくる約束になっている状況で「昨日不在通知が入ってた小包の再配達お願いします」とかいう電話がかかってきたら、たぶん俺は殺意を覚えるだろう。当然電話口の糞ババアにな。幸い、郵便局にも繋がるポテンシャルを有するダイヤルインの持ち主は、もう慣れてしまって、郵便局にかけてきた人に毎日丁寧に応対しているのだが・・・。

    おい、ところで。そんな話はどうでもいい。中日負けた。おいおい、3連勝しといて3連敗かよ。まぁ、もうギリギリのラインで戦っていた選手のことを考えると、しかたがないのかもしれんが・・・。巨人は強いねえ。原監督が「巨人は若い」とか最後の勝利監督インタビューで言っていたんだが、それ違うんじゃねえ?いや、若手はだいぶ来てますがねえ・・・。

    それよりももっと大事なのはだねえ。もう酒が欲しいのだ。もう酒が無くなってしまって、酒が飲めなくて、明日仕事なのでもう飲んじゃだめだけど飲みたくて、どうせ飲むならもうこうなったらラッキーストライク!原爆投下!!記念?いや、ただメンソールが嫌いなだけなんだ。そいつはまぁどうでもいい。イワンの糞どもに一発食らわせてやれ!!そうだ、肥だめをロシアに作るべきだ。賛成の人は挙手!

    ちなみに、私はどちらかというと右よりですけれども、いや別にそういう活動は一切してなくて、単に兵器テクノロジに関心があるからどちらかといえば右よりなだけであって・・・。けれども、左寄りの人ってのはどんな連中かと思って、最近Wikipediaさんのお世話になっている。やっぱり私は左にはなれない。右か左か言われたら、右です。はい。手も右利きだし。

    そういや、「ジョシラク」ってなかなかそういうシビアな感じを軽いノリでやるのがいいよね。北に向かって「人を返せ!領土を返せ!」と言ってみるとか、左がどうだ、右がどうだ、とか・・・。っていうか、そういう発想がいいと思う。シュールで。

    じゃぁ最後に一言。私は生きている間に次の問題を解きたい。「人間は、働くために生きているのか、生きるために働いているのか、それとも、死ぬために生きているのか。難の目的で生きているのでしょうか・・・。というか難のために存在しているのでしょうか。」

    プトレウス的観点では「人の生は死と同化されていることといよりは、むしろ同義に捕らえられるべきプロンタリウス的解釈を与えられるものであり、それはすなわち、思想的には全く個人の考えに依存するかといえば必ずしもそうではなく、多義的な意味合いを含むレストリヌス的解釈を方眼する思考とも言い換えることができるだろう。

    上記は哲学者がよく書きそうな「全く持って論点不明な自己完結方なぞなぞ」である。ぜーんぜん意味が分かりません。さようなら。

    今までMovable Typeを自サバに設置してブログを書いていたのだが・・・。いや、もうほとんど更新してなかったのだが・・・。先日コメントを久しぶりに頂いて、屑みたいな文章の中にうもれている真面目な記事は役に立つんだなあと思って、細々と続けていこうかと思った次第。

    ところが、最近はソーシャル連携とかが流行らしく、ブログの記事からツイッターやフェイスブックができるようになっているところが多い。俺もそういうのがいいかなと思って・・・。でも自分でコード書いてHTMLをカスタマイズするのも大変面倒だし、そもそもやり方を忘れてしまったため、こうして一般のブログサービスを利用してみることにした。

    で、まぁ、見ていれば分かると思うが、FC2である。広告とか入るので今までより余計なものが増えるけれども、デザインのテンプレートとかもいろいろあるし、適用するのも簡単だし、まぁこれでいいか。

    実はFC2に登録するだけでも大変な苦労をしたので、後日その苦労話を纏めようかと思っているところ。スクリーンリーダーユーザーがFC2ブログに登録するのはとても骨の折れる作業なのである。これだったらMTでHTMLカスタマイズするのと手間は変わらなかったんじゃないか?

    というわけで、これからはブログを更新したらツイッターに勝手にツイートされるらしい。糞文章をこうして世界により多くの手段で発信できるのは喜ばしいことだ。

    これからも、思わずお釈迦様とマリア様が目をそむけるような文章を書き続けることに全力を尽くします。ええ。大丈夫、仏壇の横に十字架を飾ったりしないから。

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    プロフィール

    結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
    視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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