面白い記事を見つけたので、私の見解も加えてメモとして残しておこう。

>> 「lapalette 偏見と差別と個性~ソン・ヘギョのヒール論争~|韓国 芸能 情報 まとめ」

上記は雑誌か何かの記事と、それに対するコメントの2パートから成っている。記事内容はともかく、コメントの部分には大筋で賛同できる。特に以下の文章には。

この記者さんは、平等を訴えて障害者への偏見が我々にあると言っていますが、その結論で「ソン・ヘギョがキレイに映らなければ」というのは全く論点が違っています。

だが、視覚障害当事者の私に言わせれば、やはり細かいところはなかなか理解してもらえないんだなと感じる。以下の文章は、別に上記サイトの批判をしたいわけではないのだが、たぶん批判めく。私のようなどうでも良い人間に批評されるのも、サイトの管理者は迷惑だろうが、「実際どうなのか」を記述する材料ぐらいに思って頂いて、そこら辺は寛容にお願いしたく。

さて、記事内容の論点は「視覚障害者がヒールを履くのが自然か否か」であり、コメントもそこを中心に記述されている。そして、コメントでは「ドラマの中でヒールを履いているシーンに違和感があるのであって、視覚障害者だってヒールを履く人は履くでしょう。偏見が違和感を作っている。」という趣旨のことが書かれている。まず、この点に関して異論は無い。

だが、一方でコメントでは以下のようにも記述している。

日本のドラマ『愛なんていらねえよ、夏』のリメイクだったら、新しい解釈を入れずに広末ちゃんが「ペタンコ」シューズで点字ブロックの上を歩いていたように、ソン・ヘギョちゃんもそこには忠実になるべきだったとも思います。

私は写真を見られないから、この人が書いている問題のシーンがどういうものか分からないが、少なくとも「視覚障害者は点字ブロックの上をペタンコシューズで歩く」のが忠実な姿ということだ。

実際そういうケースが多いのかもしれないが(私は男なのでよく知らない)、ただ気になるのは、やはりこの文章にも偏見は内包されているのである。ヒールを履いて点字ブロックの上を歩く全盲女子もいるし、でこぼこ道なのを知っていてもヒールを履いてきてよくつまずく全盲女子もいる。結局のところは本人の考えなのだ。自然かどうかは、受動する側がどう解釈するかという問題である。

この辺は、実はあまり重要ではなくて、いわば前座のようなもの。私が言及したいのは下記の点である。

コメントの著者は、全体を通して「違和感が偏見を助長している」という趣旨の意見を述べている。少なくとも私にはそのように見受けられる。が、実はそうした違和感を一般の人が持つことも、自然なことではないだろうか。その違和感を否定してしまうと、健常者と障害者の差はなかなか埋まらない気がする。

特にファッションなど見た目に関することは往々にして違和感があることが多い。「ヒールを履くか履かないか」と同じように、「本人が気を遣うか遣わないか」によるのだ。自らでその姿を確認できない全盲にとって、その辺のことは意識しにくく、全体的に違和感を生み出すことがある。もちろん気遣う人もたくさんいるが、逆にその気遣いこそが違和感の原因である場合もある。例えば、上下の洋服をトータルでコーディネートすれば自然な着こなしができるが、もっと格好良くしようとして別の店でアクセサリを買ったらぜんぜん似合わなかった、とかね。

だから、私としては、ドラマの1シーンが違和感のあるものだとしても、それが正当な違和感であればそのままで良いと思う。前述のように、スタイル良く見せたいがために不適当な道にヒールを履いてくる人だっているのである。

そうすると、「違和感を認めてどうするんだ?」と言われそうなので一応書いておこう。

理想的なのは、違和感を認めた上で、それを一般的な芳香へ修正するか、個性と受け取って受け入れるかを、受動した側が判断して接することである。ここで注意すべきは、「障害者だからしかたがない」という発想をしないこと。

「でこぼこが多いから、この道を通るときはヒールは履かない方がいい」と忠告したり、「そのチェーンはお前の顔に似合わない」と有人同士ふざけ会ったりすることを、「障害者だから」という理由の有無関わらずできるのが理想であろう。

もっとも、障害者としては、自分の意志や常識を恩着せがましく押しつけてくる健常者に辟易することもあるし、健常者からの指摘を「あの人は信用できない」という理由で受け入れない障害者もいたりして、簡単にうまくはいかないのだが・・・。

少し脱線してきたので最後にまとめておくと、「障害者を理解する上で感じる違和感はごく自然なもの」ということだ。これを是非知って欲しい。もちろん反論はあると思うので、私としては聞いてみたいものである。

ちなみに何故上記のサイトに辿り着いたかというと、最近韓国や北朝鮮の生活・文化などについて興味を持ち、いろいろな本を読む中で「韓国の障害者差別は酷い」という話があったので、ネットで検索していたらたまたま見つけたのである。障害者差別の問題そのものは、日本語だと中立的観点に基づく記事が多くないため、実際どうなのかは良く分からなかったが、儒教的な思想が強い韓国では、割と事実のようであることは推察できた。