最近の俺の疑問は、どうやら現象学というものを学ぶ過程で解決しそうだ。あまり良く分かっていないのだが、「客観性をどう証明するか」という哲学的な問題に対して答えを与える考え方らしい。が、現象学の基礎としてカントまでの考え方をあれこれ総合することで、極端な解釈では「社会は相対的である」という結論に達するらしい。ただ、実社会は必ずしもそのような構造にはなっておらず、例えば「死ぬ」という概念は全人類に共通である。このように、共有された概念や事実をどううまく説明するか、という問題に対してある種の答えを与えるのが現象学ということのようなのだが・・・。

そして、入門部分で、上記の「客観性の証明」において、「主幹と客観」という観念を捨て去らない限り、論理的に客観性を証明することは不可能である、との記述があった。これは直感的に理解しやすかったので、個人的に共感を覚えたというのもある。良い例がコンピュータのプログラムで、あるプログラムが正しいことをそのプログラム自身が証明することはできない。プログラムが正しいことを証明するプログラムがあったとしても、その証明プログラムの正しさを証明するプログラムが別に必要である、という具合に、「正しさの証明」は永遠に続く。ゲーデルの不完全性定理でこれは周知の通り。

そういうわけで、現象学をかじってみようと思う次第。その前にデカルトやカントを勉強した方がいいかもしれないが。ただ、哲学って抽象的で、有名な文献は日本語訳された時代が古くて読みにくいし、だからと言ってヨーロッパの言語を勉強してまで本を読む気にはなれないし・・・。