9月11日に、「地方に戻りたい」という趣旨のツイートを連騰したら、一部が切り取られる形でリツイートされて、ちゃんと伝わったかどうか心配なので、改めてここで書くことにしようと思う。まあ、飲んでいるので大した話ではないし、妄想がかなり入っているのだが・・・。

私は今東京に住んでいるが、4,5年後を目処に、ふるさとに戻りたいと考えている。何故4,5年後かというのは、会社の細かな事情も含むので割愛するが、とにかく東京を離れて地方に戻りたいと言うことだ。

中学生までふるさとで過ごし、高校生から東京に出てきた私にとって、東京というのは本当に便利な町だと思う。ガキのころは、渋谷を歩いていれば芸能人がいるなどという空想をしたものだが、実生活において、こんなに便利な町は日本には他にないと思う。

一方で、十数年住んでみて、東京に関してあまり良いとは思えないことも出てきた。とにかく人が多すぎるとか、ね。いや、まあ、人がたくさんいるから様々な経済活動やインフラが成り立つのであって、そのこと事態は全体的に悪くはないと思うけど、僕は最近人混みが嫌いなのだ。

さて、「じゃあ何故ふるさとに戻りたいのか」ということになると、主に以下のような理由である。

第1に、先にも書いたように人が多い。若いころはそんなに気にならなかったが、最近人混みがどうも苦手である。通勤電車の異常な混み具合も、どうにも最近我慢ならない。その点、私のふるさとは、そう大して人がいるわけでもないし、通勤電車が混むと言っても、首都圏のあほみたいな混み具合にはならないので・・・。

第2に、高齢化する両親と過ごす時間を、親孝行のために少しは作ってもいいかなと最近思い始めたからである。両親が、彼らの親に対して今介護などに直面していて、そう遠くない将来俺にも降りかかってくることだなと思っているので、今単純にホットなだけかもしれないが。ただ、高校生になってからずっと実家を離れているので(もちろん連休には帰省しているけれど)、まあ親が元気なうちに酒を酌み交わす日常を過ごすぐらいの親孝行は、してもいいかなと思うようになったのである。いささか上から目線な物言いなので、ちょっと鼻につくかもしれないけど。

これに関連してだが、私が戻るんじゃなくて、親が東京に移住するというパターンも有りだとは思う。実際にうちの親の友人が、娘たちが神奈川にとついじゃったので、家を売って移住してきたそうである。それはそれで有りだとは思うが、元の地域で過ごした時間が長ければ長いほど、人間関係はその地域で構築されるわけで、移住すればその人間関係は希薄になってしまう。だから、一概に親が移住するというのは良いとは言えない。地域にこだわりを持ってる人もいるし。

他にもいろいろ理由はあるけれど、本題はここからなので省略。

では、実際にふるさとに戻ることに決めたとして、どんな問題が生じるだろうか。ここからは議論の本筋である。

まず一番に考えなければならないのは、仕事をどうするかということである。経済基盤を整えるのが生活するためには大切なことだけれど、フリーランスでもない限り、移住に当たって経済基盤を再構築するのは容易ではないと思う。具体的には、「地方に戻っても仕事があるのか?」ということである。

一般的にも、首都圏の方が求人は多いと思うが、障害者にフォーカスするとかなり顕著にその傾向は現れる。去年私が就職活動していたときにも感じたことだが、特に東京・神奈川の求人は、丘の道府県に比べてかなり多かった。しかも、数字にはあまり出ないかもしれないが、視覚障害でかつ全盲の人は際だって就職が難しい。理由はいろいろあるけれど、一言で言えば、コストとリターンの割合が他の障害者に比べて悪いからだと思う。まあ、その議論はここでは本意ではないので避けるが、とにかく全盲はただでさえ修飾が難しい。

で、私の場合、今と同じようにIT関連の会社で働きたいなあと思うわけだが、地方の障害者向け、とりわけ視覚障害者を想定していると思われる求人には、そんな職種は皆無である。ほとんどが、マッサージとか、そういう関連の求人だ。ここ数年でヘルスキーパーという職種が一般的になってきたせいもあってか、「視覚障害者=マッサージ」という印象が企業には多いらしい。しかも、ヘルスキーパーですら募集しているところって、地方ではそんなに多くない。

結局のところ、就職を考えたときには、大企業が集中する首都圏で、とにかくへつらって体力のありそうな大企業になんとか雇ってもらうのが近道なところを、わざわざ逆の路をたどろうとすれば、当然それは困ったことになるわけである。

二番目に考えなければならないのは、東京に比べて「移動の自由」が制限されるということである。東京なら電車でだいたいのところへ行けるけれども、地方では基本的に車が必須である。GoogleでもAppleでも日産でもワーゲンでもどこでもいいから、さっさと自動運転車を実用化してほしいなあと思うわけだけれども、変な話、買い物一つ車が無いと困るような地方に戻るのは、あまり合理的な選択とは言えない。もちろん、駅の近くに住めばそれなりに生活には困らないだろうし、どうせネットスーパーとAmazonの世話にしかなってない俺にとっては、大した差はないかもしれないのだけれど・・・。

他にも、「親が介護を必要とするようになって、おまえが面倒を見られるのか?」という問題とか、人間関係の問題はある。あるけれど、ちょっとユーターンするための試作をまじめに考えてもいいんじゃないかなあとは思っている。

話は脱線するが、本当のところを言うと、国のあり方がどこかに定まってくれれば、こういった悩みも比較的小さくなるのではないかと思う。例えば、自民党の地方創世政策がうまく言って、地域が経済成長できて雇用を必要とする状況になれば、そこに視覚障害者が入る隙間も生まれてくるかもしれない。ぎゃくに、地域が衰退することによって、都市圏に人口が集中し、ある種のコンパクト・シティー化すれば、それらの都市へ移住することが自然な流れとなり、経済活動の集中と雇用の創出が実現するかもしれない。だいたい、メリットがあるのはこのどちらかの方向へ日本の経済構造がシフトすることである。でも、そんなの起こるかどうかも分からんし、待っててもしょうがないので、今何ができるかを考えるわけである。

さて、順番は前後するが、まず「移動の自由が制限されること」に関しては、正直そんなに問題ではないと思っている。すでに書いたように、たいていの商品はAmazonが持ってきてくれるし(正確には運送会社が運んでくるんだけれど)、ネットスーパーもあるし、それ以外にもネット通販で手に入るものが多いので、正直、引きこもりになったとしても生活には困らないだろう。まあ、吉牛を食べたりするのに車が必要だったりすると、そういう点は我慢しないといけないだろうが。でも、牛丼が食えなくてもそんなには困らないのでOKだろう。

真剣に考えなければならないのは仕事である。はっきり言って、地方に戻って再就職するというのは、全盲にとって論外ではなかろうか。鍼灸の免許を持ってれば、病院に就職するとか、開業するとかいう選択肢もあるだろうけれど、そんなの俺は持ってないし、取得するために3年学校に通い直すほどの余裕はない。そうなると、どうにかして今の会社に勤めたまま移住ができないか、ということになる。

会社を辞めずに地方に移住する場合、選択肢は二つしかない。新幹線か何かでがんばって通勤するか、在宅勤務を認めさせるかのどちらかである。前者は正直つらいと思うので、現実的には後者になるだろう。在宅勤務を許可してもらうことのメリットはいくらでもあって、例えば天候不順でも安定的に業務を行えるとか、通勤のストレスが無くなることで生産性を高められるとか、いくらでも理由はつけられる。ただ、全くの在宅勤務はたぶん会社側が良い顔をしないので、週に何日かは出社する方向で調整するのが良いかもしれないが。実際、営業主体の会社で、在宅というかリモートワークを全面的に導入している会社もあるわけなので、IT系の仕事は、技術的な制約をいろいろクリアできれば、リモートワークは可能だと思う。たぶん、視覚障害者が地方で働くのに効果的なのは、リモートワークをするということなんじゃなかろうか。

以上、私が移住するとなったら、何を考えなければならないのか、考えてきたけれど、さらに広げて、視覚障害者の地域間格差についても考えてみたいと思う。

私の印象から先に言うと、首都圏に在住の視覚障害者と地方在住の視覚障害者には、かなりの格差があると思う。本人たちがそれを格差として認識しているかどうかは別として、客観的な数値をいろいろ見ていくと、たぶんそういうことになると思う。就職率とか収入とか。

あとは、数値にはできない部分の格差もきっとあるはずだ。その最たる物は「職業選択の自由」がどの程度あるか、ということ。視覚障害者、とりわけ全盲であれば、その時点で職業選択の自由はだいぶ制限されているように感じるが、前述のように、首都圏と地方では求人の質に差がある。首都圏では、少ないとはいえ、がんばれば全盲でも事務職やSEになれる。が、地方では皆無だ。全くないとは言わないけれど、首都圏以外で事務職とか技術職に就いている人って、ほんの数名しかいないんじゃなかろうか。全盲といえば、大部分がマッサージや鍼灸の仕事で、そもそも何故そうかといえば、伝統的な国策でそれらの職業が保護されてきたことと、規制緩和されていろいろ働き口が無くなってるにもか関わらず鍼灸マッサージの路を盲学校が勧めるからではないかなあ。この辺はよく分からない。

仕事についてはこんな感じだけれど、生活面でも、いろいろと格差はあるだろう。近年はインターネットの普及で、多少改善はされているかもしれないが・・・。

やはり、地方創世で地方が元気になるか、機能集積型のコンパクト・シティーをモデルとした都市政策にシフトするかしないと、どうにもならんということだ。

で、そろそろ収束させようかなと思うわけだけれど・・・。

地域間格差は無い方が良いに決まっているわけなので、せっかく私が地方に帰ることになったら、その地域間格差をできるだけ縮める方向で何か取り組みをしたいなあと、ぼんやり考えている。

一つは、私がリモートワークを問題なくできるということが実証できれば、その動きを、まずはグループ会社から広めて言って、いずれは地方の視覚障害者がリモートで仕事できるような環境を整備していけたらと思っている。これには技術的な側面や、リモートワークできちんと会社に貢献できるかという成果を出して行く必要もあるけれど、それが格差を縮める一つの手段となるのなら、やる価値はあるだろう。

二つには、そうしたリモートワークを行う上で必要な基本的スキルを、義務教育の段階から習得させるプログラムを作ることだ。はっきりいうが、視覚障害者がスクリーンリーダーを使ってPCを操作できるようになるためには、訓練が必要である。今、一見PC操作できているように見える人も、基礎的な訓練を受けずに適当に使っている場合、あるところで必ずつまずく。何故ならば、オペレーションが全く異なるからだ。その辺は細かい話になるので割愛するけど、とにかく、最低限仕事で困らない程度のPC操作スキルと、IT関連の知識は、視覚障害者には求められるので、これを義務教育の段階からきちんと教えて行く必要があると思っている。

ちなみに補足すると、普通の人は画面を見てマウスをチョイチョイっと操作すれば、なんとなく直感的にアプリケーションを操作できるかもしれない。が、視覚障害者はそもそもスクリーンリーダーの読み上げ内容とか、OSが用意しているアクセシビリティー機能とかをある程度知っておかないと、ぜんぜん操作できないわけである。この話を書き始めると、また長くなるので、もういいや。

そういうわけで、一筋縄ではいかない古里移住計画だけれども、まあ、ぼちぼちやっていこうかと思っているところ。

ただ、ほんとに心配というか大丈夫かなあと思うのは、東京・大阪・名古屋辺りの視覚障害者はまだ恵まれてる方だと思っていて、もっと地方の視覚障害者はちゃんと生活できているのだろうか?先天的な方もいるだろうが、中途視覚障害者とか特に困るんでなかろうか?

余談だが、欧米って障害者の社会進出がだいぶ進んでいる印象があったのだけれど、オーストラリアはぜんぜん違うらしく、多くの視覚障害者はセイフティーネットに救われているらしいと、先日聞いた。オーストラリアといえばNV Accessがある国だし、英語圏だし、日本よりもそうした状況は良いのかと思っていたけど、どうも違うようだ。だからこそのNVDAの理念なのかもしれないが・・・。 そろそろ文章を書くのが面倒になってきたので、今日は終わりにします。さようなら。