2017年11月の記事一覧

「せっかく金を払っているんだから・・・」と、とある映像配信サービスを除いていたら、「紺碧の艦隊」と「旭日の艦隊」が配信されてることに今更気づき、ついつい、寝る間も惜しんで、紺碧の艦隊を前部見てしまった。

紺碧の艦隊は、昔流行った、歴史改変の軍事小説。太平洋戦争で戦死した人間が、その記憶を持ったまま、別の新しい世界(作中では後世と呼ばれている)に転成し、悲劇を繰り返さないように日本をうまく負けさせる戦略を持って、歴史を変えていくというもの。

見てて、「なんと都合が良いことばかりなんだろう」と思いつつも、史実として日本が無謀な戦争を続けず、早急に和平を模索していれば、今の日本はどうなっていただろうか・・・と、想像を巡らすのも、もう一つの楽しみ方である。降伏せずに和睦という形でアメリカと戦争を終わらせていたら・・・。

まあ、個人的に、作品としての完成度は良いと思うのだが、不満もある。紺碧の艦隊では、天皇陛下について、全く存在感がない。「統帥権干犯」といった下らないやりとりも参謀本部の間では全くない。ナチとソ連は全体主義の危険な国として描かれているものの、そもそも日本だって、エンペラーを主体とした全体主義者の群れだと、連合国からは見られていたのが史実的にはオーソドックスな解釈だと思うけど、そのような話は出てこない。ああ、なんてご都合主義な作品なんだろう。

まあ、そんなことはどうでも良くて・・・。

紺碧の艦隊を見た後、昔よく読んでいたフルメタルパニックというライトノベル、日本朝鮮戦争という作品、その他、戦争に関する小説やエッセイなど、懐かしくなっていろいろ読んでみたのだが・・・。なんか、こういうのを読んでいると、自分らしい考えが今まで失われていて、作品を読み返すことによって、若いころに形成された価値観が戻ってきたようで、なんだか良い気分でアル。

兵士として俺は戦場にはいけないが、兵士の視点で語られる話に、学ぶべきことは多い、と思う。兵器類のことも好きではあるが、戦士の教訓としてキャラクターが語る言葉には、なかなか良い言葉も多いように思う。

もちろん、作品全体の質が低い場合は、キャラクターの台詞も結構雑で、わざわざ書くなよ!と思う場面もあったりして、前部の作品を生き方の見本にはできないが・・・。

で、戦争の話になると、切手も切れないのは、宗教に関する話だ。それが主題ではないものの、例えばソ連のアフガン侵攻を題材とした話になると、無神論の共産主義者と、神を信じるイスラーム・ゲリラ、といった構図で語られることがある。現実世界でも、本質的には権力争いだったり経済的利害の対立だったりしたとしても、表層的には「宗教Aと宗教Bの対立」という構図にすり替わっていることも、しばしば起きる。

で、実際のところ、小説で戦争と宗教が絡む話になると、宗教にうとい俺にとっては、その辺の辛み具合がどうにも理解できない。なので、同時に、最近は宗教がらみの本も読んで、小説への理解を一層深めようとしているところである。

まあ、キリスト教にせよイスラームにせよ仏教にせよ、実はほとんど知らないことばかりだというのが、俺にとっての本当のところだ。まあ、イスラームについては、率直に言ってなじみがないので、以前からいくつか本を読んで知識を持っていた。でも、よく考えてみると、キリスト教についても知らないことだらけだということに最近気づいて、キリスト教についても知識を増やそうと、現在いろんな本を読んでいるところ。まあ、イスラームに比べて、いくらか知った話はキリスト教の方が多かったが。

宗教のことが分かれば、そうした要素をふんだんに盛り込んでいる戦争小説も、また新たな視点で楽しめるというものである。まあ、素直な気持ちとして、普遍的な神を信仰できれば、少しは気持ちが楽になるのかなあと、宗教のことを学びながら思ったりもするわけだけど、とりあえず信仰を持つことがさしあたっての目的ではないので、知識を快楽のために得ているということは厳然たる事実であり、主張である。

そういうわけで。気がついたらF35が沖縄に配備されてるし、ちょっと前にF22がやっと実戦やったし、日本もヘリ空母増えてきたし・・・。これで、武器輸出できるようになれば、なかなかいい案配ではないのか?そう、確か今の日本の首相は「積極的平和主義」を理念としていたはず(最近言わなくなったな)。その行動の一つが「武器輸出」だとすれば、お笑い物だ。平和を説きながらミサイルを売る糞野郎ってことじゃないか。

まあ、オーストラリアの潜水艦も取り損なったし、ほんとに武器・兵器を外に売れるようになるには、まず信頼性と互換性、そして、性能の高い兵器を作れる環境を整えなければならない。戦闘機を自国で作れないようじゃ、武器輸出とか机上の空論。日本の潜水艦は優秀だと思うんだけどなあ・・・。まあでも、外国に兵器を売るのは、単純に商売だけの話じゃなくて、政治的な絡みとか、経済的なこと(雇用問題)なんかも絡んでくるので、一筋縄ではいかないのは承知しているけれどもね。

あああ。何を書いているのか全く分からなくなってきた。もういいや、面倒だ。さようなら。

ずいぶん久しぶりの更新になってしまった。まあツイッターにはゴチャゴチャ書いてたのであるが、こうして纏まった文章を公開するのは久々でアル。

そういうわけで、人にとってはどうでもいい、これまでの自分の記録を簡易的なメモとして残しておくことにしよう。

現在、私は仕事を休んでいる。理由は自分でもよく分からない。事実だけ書けば、眠れなくなって病院に行ったけれども、経過はいまいち。そのうち仕事に支障を来すようになってきたので、会社から休めという命令が出て、休息しているのだが、ここ1年ぐらい症状は芳しくない。おかげで、なかなか仕事にも戻れず、家でPCいじったり、本を読んだり、無駄なことを考えたりするだけの日々である。

その間にいろいろあって、結婚した。結婚したら何か変わるかと思ったけど、症状としては特に改善に向かっている様子もなく・・・。

細かい出来事は多々あったものの、ざっとこんな感じで、用は無職とほぼ同じ状態でアル。

過去にも仕事を休んだことはあったが、そのときは明確で単純な原因があり、それが除去されたので、うまく復帰することができた。そのままやってればよかったんだけど、一度転職して、そこの空気になじめずにすぐ辞めてしまったころから、なんか具合がいまいちな気がしてならない。その後一応また職に就いたものの、どうも続かない。

といった具合でアル。

こういう状態であることを憂うだけで、何らまともな対策もできずにいる自分がなさけない。そう思うと、余計リスク回避の方向へ頭が働いてしまい、行動できなくなる。このデフレスパイラルみたいな状況が、ここ1年の俺だったのである。おそらく、もうしばらく続くんだろう、この状態は。

しかし、どこかで打開策を見つけないと今後の人生にも関わってくるので、どうにかして自分の人生設計を見直し、それに向けてのアクションプランを考え、実際に動ける身体と心に自分を持っていかねばならない、・・・と常に思っているんだが、思っているだけで具体的な内容まで踏み込めていない。

なので、他人にとっては非常にどうでもよいことであるとは思うが、具体策の検討の一部として、思考した記録を残しておこうと思う。別にこんなもの、ブログに載せる必要もないと思うのだが、万が一、似たようなことで悩んでいる人がいればご参考まで。反面教師的な意味で。

で、まずは今の状態になってしまった原因を考えてみるのが筋なんだと思うが、それをやるといろいろフラッシュバックしてくるので、後にしよう。問題は、今後どうするかだ。

マズローの5段階欲求説に照らし合わせて考えてみると、自分の心理状態は、おそらく「社会的欲求」を満たせていない段階と思われる。これは仕事してないことが主な理由でアル。それに伴い、経済的な面で「安全欲求」も危うくなってきている。

ただ、問題なのは俺の場合、「社会的欲求」と同時に、「自己実現欲求」もわりと強いことだ。ここで「承認欲求」をすっ飛ばしていることに留意されたい。ということは、俺は社会的欲求を満たすことが、自己実現と同義だと考えているということだ。それが他人に認められようが認められなかろうが関係ない。

だからこそ、必要以上に自分を責めるし、思考がネガティブになっていくのであろう。

ということは、いずれにしても、社会的欲求を満たすために、ひとまずは、きちんと仕事を持ち、経済的自立を取り戻すのが俺の主たる目的となるかなあ。

以上を踏まえると、どういう風に仕事に戻るかが次の課題となる。たぶん、このブログの存在は会社の人にも知られているんだけど(教えたつもりはない)、まあいい、ざっと手段を検討してみよう。

第1の手段は、今の会社に再び戻ること。これが一番リスクが低い。職場の人の理解もあるし、仕事をする環境も整っているし、福利厚生も充実している。オフィスが遠いというのが、難点といえば難点であるが。ただ、この場合、これまでの病的症状が改善されていることを示す必要があるが、今のところ、第3社に理解してもらえるかどうか怪しい。

第2の手段は、思い切って別の仕事に移ること。これはリスクが高い。そもそも転職先があるかどうかが問題だし、同じような業種・職種の会社に転社するなら、今の会社に留まった方が良い気もする。結局、新しいところへ行くと、周囲の理解を得たり、役割を持つまでに時間がかかる。しかしながら、今の会社の業務内容とかオフィスの場所とかに何らかの問題があるのなら、環境を変えてみることは、悪いことでもない気がする。まあ、ベースとなる心身を整えた上で・・・という話になるが。

第3の手段は、自営業になること。これは極めて現実性が低い。そもそも、俺が自営業でやっていけそうな業界はたぶんICTなんだけど、「枯れた技術や自社製品を主体とするシステム」の面倒をみた経験しかなかったり、休んでいる間に表層的な技術革新が進んで、少なくともプログラマとしてやっていけるかどうかが謎すぎる。そして、その手のフリーランスもグローバルに増加傾向にある今、障害がある自分が晴眼者と同じ土俵で勝負するには、準備が足りなさすぎる。なので、この手段は却下。

第4の手段は、1年発起して勉強をやり直して、新しい路を模索すること。鍼灸の免許を取るなり、哲学者になるなり、路はいろいろあると思うが、ここに立ちはだかる問題は、経済的な面でアル。大学生のときに借りていた奨学金をまだ返し続けている今、新たに借金してまで学校に行けるほどの余裕は俺にはないし、学費はなんとかなっても生活費が続かないだろう。学び直すなら学業に専念すべきところだが、そういう状態では何かバイトでもしなければならない。しかも、ごく限られた時間で、ごく限られたバイト先しか見つからないように思える自分。結局、学校に通い直すにしても、自分の力で金を稼ぐことが求められる。だったら自営業する方が踏ん切りついて良い気もする。なので、これも却下・・・したいところだが、保留。

となると、現実的なのは一つ目の手段か二つ目の手段になるかと思う。

一つ目の手段、つまり今の会社へ復帰するならば、そのために取るべきアクションは、「働けます」ということを認めさせるための諸々の行動、状態、周囲の意見を引き出すことであり、自分が努力すればなんとかなる。

二つ目の手段、つまり転職するならば、ここでいくつかの選択肢が考えられる。一つは、企業へ転職すること。二つ目は、もっと社会貢献の理念が大きい社福やNPOなどへ転職すること。ただ、どっちも厳しいのが現実でアル。企業への転職については、何社も応募してみたものの、だいたいは書類選考で落とされる。きっと、微妙な立ち位置のIT屋ことと、今は身体障害だけで無く精神障害の雇用率も上げなければならないご時世ということもあるのだろう。一方、社福やNPOはどうかといえば、財務状態の関係で雇用されにくいのが現状でアル。そもそも、補助金とか寄付金とかボランティアあって、やっと成り立つような法人が多く、そこへエンプロイー(employee)として潜り込むのは至難の業に思える。そうとうのコネと、良いタイミングでなければ・・・。実際、いくつか当たってみたが、回答はいずれもネガティブ(否定)だった。個人的には、継続性を考えるなら、もっとビジネス的な視点も必要だと思うんだけど、現状の制度ではいろいろ制約があって難しいんだろう、きっと。

しばらくは、あがいて見るつもりだけれど、結局のところ、今の会社に受け皿があるうちは、職場復帰する方向で考えが落ち着きそうな感触だなあ、これは。

ただ、正直に書くと、フルタイムで働くことができれば経済的な安定はできるし、社会的欲求は満たされ、たぶん、時間の経過とともに、自己実現欲求も満たされていくとは思う。けれど、不安定だけれど、あちこちでちょっとずつ働いて、ある程度自由な時間を作れるような状態も、うらやましいのは事実。その時間で何をするか、という面はあるにせよ、この1年、ほどほどの収入で、自分のやりたいこともきちんとやっている人たちを見てきて、そう感じるようになった。でも、心のどこかでは、高度経済成長期から続く、大企業思考、安定志向が俺にはあって、そちらも拭い去れないのも、また事実。おそらく、俺が育った古里は、自動車産業で食ってる人が今もかなりの数いるし、昔からそうであったので、親からさんざんすり込まれた思考なんだと思う。まあ、アメリカのように、基本有期雇用で、必要とあらばレイオフされるのが当たり前なのもどうかと思うが、企業に囲い込まれて一生を終えるのも、なんかしゃくに障る。けど、今の日本では、そう選択肢は多くないのかもしれない、特に障害者にとっては。東京という都市は、人も企業も多様性に溢れている場所だと思っていたけれど、あくまで、それは一般の人々にとっての話だ。それでも、地方よりはましな方だと思うが。

以前、多様性が眼前にあるにも関わらず、選択肢の少なさに嫌気がさして、故郷に戻ろうと思ったこともある。もともと選択肢の少ないところで、少ない選択肢から物事を選ぶ方が、事実認識との乖離が少なくて良いだろうと思ったからだ。しがない公務員か、あるいは熱血教師にでもなって、実家の近くで暮らしていくのも悪くない・・・。いずれ両親がいなくなった後、土地や建物の処分の問題もあるわけだし。けれど、結局それは今のところ辞めた。両親も、地方には職が少ないことを知っているせいか、俺が故郷へ戻ることには、積極的には賛成しなかったし、俺自身、青春時代より後を東京で過ごし、それなりの人間関係を構築してきたのもあって、やっぱり辞めたのだ。親友は、学校卒業後に地元付近へ戻ったものの、結局また上京してきたし・・・。そういう事例をみても、あまり良い選択では無いという結論に至ったのだ。

さあ、だんだんカオスになってきた。すでに自分でも何を書きたかったのか分からなくなってきた。ああ、人生設計を考えるんだったな。でも、1年近く考えて出なかった答えが、こうしてキーボードをたたくだけで出るわけもないんだから・・・。まあ、これも気晴らし、ということで・・・。

ああ、寝不足のせいで眠くなってきた。現在午前10時14分。ここで昼寝すると、また夜寝れなくなるから、頑張らねば・・・。ああ、でも眠い。非常に眠い。夜までは長いなあ。

昔は、会社から帰ってきた後、酒を飲みながらこういう駄文をよく書いてたなあ。それは、ある意味ストレス発散だったのかもしれない、と最近思う。まあ、再びこうして分量が多いだけの駄文を書き連ねることを、続けてみてもいいかしらねえ。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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