2013年9月の記事一覧

困る話

今朝、通勤中の駅で、親切なお方が「どこまで行きますか、一緒に行きますよ」と声をかけてくれたので、お言葉に甘えて途中までつれていってもらったわけであるが・・・。とりあえず、人混みが落ち着いた辺りで「ここからは分かりますので大丈夫です」と言って会社へ向かおうとしたのだが、さらに親切なことに「出口のところまで行きますよ」と言って下さって・・・。

ところが、こういう場面、このようにお気遣い頂くのは、盲人としては有り難いし感謝しなければならないのだが、素直に感謝できない場合もある。例えば、「出口」と言っても、だれもが知っているような大きい出口から、特定のビルに行く人しか使わないような小さい出口まで様々である。そして、小さい出口に行きたいとき、どう説明したら良いか分からないし、説明できたところで援助してくれてる人が分からなくて、あちこち聞き回ってくれてしまうことも、ときどきある。

まさに今日がその場面。私は毎日自分が使う出口だから、道順は分かる。でも、人に説明しようと思っても、出口の名前も分からないし、例えば近くのランドマークを説明しようと思っても分からないし、困ったことになってしまった。声をかけて下さった方も、道順を説明したところで、はっきりとは分からない様子。

このような場合、親切を受け入れて、とりあえず援助者が知ってるところにつれていってもらったりすると、よく分からない出口につれていかれてその後困ってしまうことが多々あるので、最近は慣れた道なら適当なところまで案内をお願いすることにしているわけなのである。しかし、今日のように「いや、行きますよ」とか「暇なので一緒に行きます」と言われることもあるわけで・・・。

まぁ、本音をいうと、正直困る。こちらが「大丈夫です」と言ってるんだから、素直に放置して欲しい。いや、援助してくれようとする気持ちは受け取りたいと思うが、こっちの意志も尊重して欲しいな、と思うわけである。

で、今日はどうしたかというと、親切は受け入れるが私の分かる道を歩いてもらうようお願いをすることとした。でもだめだった。「その道はちょっと込んでますから、別の道で行きましょう」と言われ・・・。結果的には、ぜんぜん知らない出口につれてかれてしまった。まぁ、なんとなく位置関係は予想できる程度の場所だったんだけど・・・。本当に困ってしまった。

結局、会社を目前に「ここはどこ?」状態になって、「ちょっと途方に暮れてみようかな」と思いかけたときに、また別の人に声かけてもらってなんとかなったのであるが・・・。

さて。こういう問題は悩みどころ。むげに断るのも悪いし、だからといって必要以上のヘルプはいらない。せっかく声をかけてくれた人の心を傷つけずに、必要なだけヘルプしてもらうには、どのような言葉が適切なんだろうか・・・。

まぁ、これはもう、どうしようもないから、場面場面で臨機応変に対応していくことしか手はないんだろうが・・・。でも、微妙。

ところで、ぜんぜん別件、というわけでもないが、間違った方向の親切というのも困るものだ。

例えば、駅を歩いていて「どこへ行きますか?」と声をかけられたので私が「どこどこです」と答えたら、「あぁ、そうですか。私は別の方向なので、ちょっと待ってて下さい」と言って、少し離れた場所で「あの方、どこどこまで行くみたいなんですが案内してあげて下さい」と頼む人がいる。あの・・・。すいません。自分でヘルプできないなら声をかけるのは控えて頂けると有り難いのですが・・・。

あと、電車の中で「この方のために席を譲ってあげて下さい」と座っている人に頼んでくれる人もいる。これは、善し悪しは人それぞれかもしれないが、私としては、やらないで欲しい親切の一つである。人に席を譲るよう頼むなら、あなたが捕まっているつり革をお譲り頂きたく・・・。

誤解しないで欲しいのは、親切な行為やお気持ちには感謝していることだ。その親切を適切にぶつけて欲しいのである。従って、ここで私が言いたいのは次の2点。

  • ヘルプされる側の意志や気持ちも尊重して下さい。「援助不要」の意思表示があれば放置してかまいません。まぁ、それでホームから転落して電車に惹かれたりしたら自責の念を抱くかもしれませんが、まぁ、抱かなくてOKです。
  • 自発的、かつ責任取れる範囲の親切を希望します。担当を他社に移転させたり、他人に親切を誘発させる行為はおやめ下さい。

以上。でも、感謝してますよ。昨日の帰りに改札口までつれていってくれた、かわいいOLさん。あれはたぶん13Fの受付の人か、12Fの人だな。あぁ、良い香りだった、でへでへ♪

【追伸】 そういえば、朝駅で声かけてくれたおじいさんが、電車を待ってる間に身の上話をし始めて「あなたはこんなに頑張っているのに、私はぜんぜん頑張ってないんだ・・・」みたいな趣旨のことを言いながら大泣きし始めちゃったことがあったのを思い出した。電車が来たので、泣いてるじいさんを放置して乗車しちゃったけど、あの人今はどうしてるんだろう。たしか、2008年の11月ごろの記事に書いたような気がするが・・・。

視覚障害者の就労については、行政機関をトップとして、NPOや任意団体などの努力により、ずいぶん進んできた印象がある。本当は統計データを示せば説得力のある説明ができるとは思うが、それはめんどくさいので、「昔に比べてずいぶん一般企業に就職する視覚障害者は増えた」と、感覚論で言うことにするが。

一般企業に就職するといった場合、一般的な総合職・事務職と、視覚障害者の場合はヘルスキーパーという職種での採用もある。現状、鍼灸免許を持ってる盲人が多いので、就労といった場合も、ヘルスキーパーとしての採用は多い。

さて、いずれにしても、まずは「雇用を促進する」という観点において、視覚障害者が働く上での環境整備、法整備といった点では、かなり整ってきているものと思われる。ただ、昨今の雇用情勢を鑑みると、「だから良くなっている」とは言い難い。

とりわけ、支援機器の導入に関する補助金があったり、あるいはそうした支援機器を活用した職業訓練が成果を上げている一方、実際に起業に就職できた視覚障害者が突き当たる多くの問題についての対策については、認識されているかどうかも怪しい状況である。いや、就職後の問題について認識されてはいるが、まずは門戸を開くことが優先でそっちまで手が回っていない、というのが現状なのかもしれない。

視覚障害者、特に全盲が、一般の企業・団体で就労してから困る問題として、コミュニケーションが挙げられる。会話はできるから特に問題ないと思われがちなコミュニケーション、じつは結構困る。

例えば、用事があって同僚のAさんに声をかけようと思って声を出すも、Aさんは席にいないということがある。だれもいないのに話しかけるのは、恥ずかしいものだ。当然、周囲は「そうした行為はしかたがない」と認識しつつも、逆に本人からすると恥ずかしいと思ってしまう場合があるのだ。

これはかなり軽度な問題であるが、重度化してしまうとやっかいなコミュニケーション問題もある。それは、「私には周囲の助けが必要なんだから、不必要に同僚との関係を悪くしてはならない」と思ってしまい、視覚障害者が同僚に対して必要以上に遠慮してしまうことである。軽いことでいうと「飲み会を断れない」とか、致命的になると「本当はその意見に反対だけど、反対すると関係が悪くなってしまうかもしれないから、しかたなく賛成する」といった考えになってしまう人もいる。また、受け手はどうであれ、相手が善意で行ったと思われる行為に対して、善意として受け止めるために、常に笑顔で振る舞ってしまうなどということもある。

以上は私が体験したり見聞きしたことをいい加減に記述しているものだが、「就労による視覚障害者の精神状態の変化」については、もっと光を当てて、ケアの対象とすべきである。確かに就労においては機器や周辺環境の整備も大事だが、それ以上に、職場で視覚障害者と健常者がどうやってコミュニケーションしたら良いかということ、そして、重要なこととして、視覚障害者自身がどのような心の持ち方で仕事や同僚に向き合うべきか。こういった点のケアやカウンセリングをもっと重視すべきである。

繰り返すが、基礎的な業務の能力を育てることは大切である。私の持論として、視覚障害者には中級以上のITリテラシが必要だ、というのもある。が、個人が努力する部分は努力してもらうとして、経験しなければ分からないメンタル面や対人コミュニケーションのケアは、「就労」と同じかそれ以上に取り組んでいかねばならない問題である。ので、宜しくお願いします。JAWSの使い方も大事だけど、働き始めてからどうやって人とコミュニケーションを取るか、とか・・・。「無理に笑顔を作る必要はないんですよ」みたいなこともちゃんと教えてね。

この前、スーパーで「冷凍食品が解けてたから返金しろ」と言ってる人がいた。店は返金に応じていたんだけれど、冷凍食品が解けてたという文句を俺はぜんぜん理解できないのだが・・・。

基本的に、スーパーの棚に置いてある冷凍食品は、冷凍されているだろう。で、客はその冷凍食品を買い物かごに入れるなどしてレジまで持っていく。このとき、冷凍食品を取ってからレジに直行するかもしれないし、別の商品を見てからレジに向かうかもしれない。そして、レジで支払った後、レジ袋やエコバッグなどに収納して冷凍食品を持ち帰るわけだ。

この過程において、冷凍食品を棚から取った時点で、棚よりも温度の高いところに移動するわけだから、多少解けてしまうことは自明である。もちろん、冷凍食品の棚は冷凍できるだけの低い温度であるという前提の話だ。そして、その時間が長くなれば当然解ける量も増え、夏場などは特に、家に帰るころには、棚に置いてあったときと同じほど冷凍されている状態であることなど皆無である。

これは極めて当たり前のことであって、「家に帰ったら冷凍食品が解けていた!」という文句は言いがかりでしかない。ということは、冒頭の客は、棚にあった冷凍食品が解けていたことに文句を言っているか、もしくはレジで支払った後に解けていると気づいて文句を言ってきたのだと推測される(もちろん、言いがかりである可能性もあるが)。

レジで支払った後のことについても、先ほど述べた通り、返金するようなことではない。店の中が冷凍室と同じ温度ならともかく、人間の過ごしやすい温度である以上、冷凍食品は解ける。

一方、棚にあった冷凍食品が解けていたのなら、その客は何故それを買ったのか?という疑問が浮上する。棚に置いてある時点で解けてたなら、買うなよ。この場合も、解けていたと知りつつ買ったんだから、返金するようなことではない。

以上のことより、「冷凍食品が解けてたから返金しろ」というのは、どういう状況であれ、言いがかりである。でも、言いがかりをつけた方が勝ちのようなこのご時世、スーパーの人も大変だ。

ところで、最近、職場の人の態度が冷たく感じる。いや、たぶん気のせいだが・・・。

弁当箱に、ありったけのホウレンソウを詰め込んだ上にコロッケを載せて、そしてご飯には、白い米を覆い隠すように辛子明太子を大量に載せたものを持っていってからだ。なんか、メインのおかずがホウレンソウで、付け合わせがコロッケみたいになっていたけど・・・。なんか、それから、ちょっと、みんな詰めたい気がするの。ほほほほ。

あと、分かってはいたものの、消費しなきゃと思って入れた「腐りかけのサラダ」を持っていったときも、「食事には気を付けた方がいいよ」とさらっと言われた。色、変わってましたかねえ?

少し前に、JRなどの鉄道各社が、エスカレーターで歩かないよう呼びかけるキャンペーンをやっているというニュースを見た。

JR東日本ら鉄道事業者、エスカレーターの安全利用を呼びかけるキャンペーン | マイナビニュース

ところが、このキャンペーンはどうやら「無駄」だったようである。

エスカレーター歩かないで!JR呼び掛けも「知らなかった」 ― スポニチ Sponichi Annex 社会

エスカレーターで片側を空けることは悪習だと個人的には思うが、「それがマナーである」と認識している人は多いようだ。実際、私も片側に寄ってしまうし、人の流れの関係で両側を占有する状態になってしまうと、「止まってないで歩けよ」的な雰囲気を、周囲からひしひしと感じる。

どんなことでもそうだが、マナーと認識されていることや慣習を変えることは容易でない。エスカレーターで歩かないようにしてもらうのも、ただPRするだけでは、はっきり言って無駄である。唯一、ポスターを作るため印刷業者はうれしいかもしれない。

マナー、慣習を変えるには、ルール(法律)を変えるか、物理的に仕組み(インフラ)を変えてしまうかしかない。

例えば、「エスカレーターで歩いたら罰金千円」という罰則ルールを設ければ、歩く人は激減するはず。これは路上喫煙に罰則を設けた例と比較すれば、そんなにずれていない発想と考えられる。

あるいは、エスカレーターの幅を「一人用」に統一することで、歩こうと思っても歩けなくなる。片側を開ければ反対側を歩けるようになっている今のエスカレーターが悪いのだ。

当然、これらの対処には問題点もある。

前者のように罰則ルールを設けると、監視員を配置する必要があるのでコストがかかる。また、利用者からは苦情の嵐がやってくるだろう。

後者のようにインフラを変えるとなると、工事が必要なのでやっぱりコストがかかる。しかも、一度に運搬できる人数が減る(設置スペースは変えられないため、同じ場所に一人用エスカレーターを2本敷設するのは無理だと思う)ので、仮に実現したとして、エスカレーターの混雑がどうなるか・・・。または階段に流れる客が多くて、今度は階段利用についていろいろと検討が必要になるかもしれない。さらに、具体的には分からないが、一人分の幅では困る人がいるかもしれない。もちろん、利用客から苦情の嵐がやってくるだろう。

あとは、そういう諸々のコストと、エスカレーター事故による運営者側の損失を比較して、投資すべきかどうか、ということになるだろう。

でも、さんざん書いて思ったが、一人用のエスカレーターを2本設置すると、どっちかが歩行用エスカレーターになりそうだから、やっぱりインフラを変えるなら、上り・下りで一人用エスカレーターを1本ずつにすべきだ。そうすると、エスカレーターの存在意義が問われることになるかもしれない・・・。電気代かかるし、少ししか人運べないし・・・。

ただ、外国でもエスカレーターの片側を空ける習慣があるようなので、結局、いろいろ考えても、それこそ無駄かも・・・。あぁ、なんて贅沢。

今日は自分の思いをぶちまけるだけです。何かを主張したり、意見を述べるものではなく、単に自分が考えていることをだらだらと書くだけの、糞の役にも立たない記事です、これは。

今まで何もしなさすぎたので、何かやろうと思って、3,4個のことに同時に手を付け始めたところなのである。詳しくは省略するが、CPLGのこと。どれも中途半端になってしまっている気がする。

Cについては漠然とした思いしかなく、これから方向性を決めて行かねばならぬところであるが、人生を生きる上で将来的なCは重要なので、真剣に考えなければならない。

Pについては、別に取りかからなくても良いことであるが、12月にPをupdateする必要があり、updateかchangeかということで、現状はchangeを選択しているところであるが、今のPよりも高いクオリティのPがなかなか見つからず・・・。いくつかNewPは見ているが、気に入るものがない。今のPに不満はあるものの破滅的な要素は特にないので、ひょっとしたらPはupdateすればいいのかもしれないが・・・。

Lは要するにlanguageであって、英語が分かれば「終戦のエンペラーには吹き替えがないの?どうやってマッカーサーの台詞を理解したらいいの?」的な疑問が解決するからして、頑張ろうと思っているが・・・。

Gは楽器のことであって、いや楽器という総称ではなくもっと具体的に「弦楽器(GGK)」のうち特定の方式で音を鳴らす電気的なデバイスのことを言っている。要するに、シングルコイルとハムのどっちが良いかといわれると、どっちも良いわけで、甲乙付けるのは難しいため、今持ってる、「シングルにもハムにもなりますよ」的なこのESPの楽器はいいのであって・・・。でも、楽器が良くても奏者が良くなければ力は発揮できないため・・・。練習しなきゃと思うのである。

以上、CPLGについていろいろと書いてきたが、さっぱり分からない。俺も、ぜったい後で読み返しても分からないと思う、特にCPは。

なんか、文明的な生活を放棄して、「山で芝刈りをしたり、河で洗濯をしたりする生活」を送りたいものだ。ザーメン。あ、間違えた、アーメン。

年に一度のすてきな日

  • 日常

今日はすてきな1日になりそうだ。

本日は9月2日である。今日は何の日?クンニの日。

以上。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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