日常 一覧

先日ハローワーク主催の障害者のための合同面接会へ行ってきた。そのときに面接してもらった会社の中の1社から、明後日面談に来て欲しいと言われた。7月の中旬に浜松町で行われた面接会では13社受けて全滅だったので、今回はなんとか1社だけでも次のステップへ進めてよかった。

ただこの企業、最初は受けるつもりはなかったのだ。有名だしでかいので、俺には向いてないと思って。ところが当日会場を案内してくれた担当者のおばさんが、間違ってブースの前までつれてきてくれてしまったのである。それで「ならせっかくだし受けます」ということでこの会社と面接することになったのだった。

というわけで、明日は1日企業研究だな。


ところで、今日なんとなく教育テレビをみていたら、子供の早期教育について取り上げている番組がやっていた。途中からみたのだが、どうやら早期教育は大事らしい。

すべてアメリカの事例である。チャンネルを合わせたときには、小さいころ虐待を受けていて外界から隔離されていた子供の話をやっていた。その子供は隔離されていたので言葉もしゃべれず精神年齢は1歳半ほどだったらしい。父親が裁判所へ出廷する数分前に自殺したので、言語学者の人がその子供を預かって教育することになったそうである。しかし、物に名前があることやいろいろな単語は覚えて発話するようになったものの、結局文法は身につかなかったと言うことだった。

この子が文法を覚えられなかったのは、小さいころに脳が外界から刺激を受けなかったため、必要でないと判断した神経回路を切ってしまったのが原因だという。幼児の段階では成人の2倍ほどの脳神経回路が無秩序に存在しているため、成長するにしたがって脳がそれらを整理するのだという。上述の子供の場合、その整理の段階で刺激をほとんど受けていなかった脳は、本来人間に必要な神経回路まで整理の対象としてしまったために、最後までその子供は文法を覚えられなかったらしい。

一方、早期教育を行うことによって成功した例も取り上げられていた。貧困層の子供を対象に、最新の科学理論に基づく学習ゲームを小さいころから行った子供とそうでない子供を比較すると、生後12ヶ月まではほとんど差がないが、15ヶ月後から徐々に差が出始め、5歳を迎えるころには学習の理解などに明かな違いが出るそうだ。早期教育を受けた子供のほとんどが研究者や一流企業の社員となり、実験は成功したという報告であった。

さらには天才についても触れられていた。これは学者の主観だが、天才は普通の子供じゃないという。ピアノに対して特殊な才能を持ったという子供を取り上げていたが、練習時間は1日8時間なんだって。まず普通の子供はそんなに練習しない。だが天才というのは1つのことに夢中になると普通の子供では考えられないほどそれにとりついてしまう。そうすると、結局技術的にも向上するのでうまくなっていく、という循環らしい。

あと、天才は全体的にも優れているため、学校などでは他の子供と孤立してしまうこともあり難しいそうだ。へ、ざまあみろ。

いろいろ事例が報告されていたけれど、なんだかんだで普通がいいよ、やっぱり。天才なんてのはうまくいけば名声も得られるが、逆に失敗するとどん底だろう。まぁ俺は男だから、名声が欲しいと思ったりすることもあるが、でも、最終的には平凡な生活がいい、ということで落ち着く。

だから、俺に子供ができても特別なことはさせないでおこう。ただ、自然科学に興味を持って欲しいから、その手のことを子供の頃からやらせるかもしれんが。

すいません、タイトルとぜんぜん関係ない話題で。適切な題名が思いつかなかったもんで・・・。

占い

  • 日常

なんとなく「前世」を占ってみた。インターネット上の無料サイトで。そうしたらこんな結果になった。

強者の魂 : 34% 道楽の魂 : 100% 苦境の魂 : 100% 妖魔の魂 : 100%
あなたの前世は【幕末に人知れずところで影のように暗躍した暗殺者】のようです。 あなたの前世は、江戸時代末期、時代が新しく生まれ変わろうとする頃の幕末に暗躍した暗殺者であるようです。 何が正しくて、何が間違っているのか、日本人が手探りで暗中模索していたあの時代に、あなたは高名な人物の元で、影となり、悪を討ちつづけていたのでしょう。 そのためいつしかあなた自身が敵に狙われるようになり、激動の時代の最中、若くして命を絶ったようです。 数百年のときを経て、現代世界に転生したあなたですが、前世の生き様のためか、どこか心の中に翳りがあるようです。 この心の闇を取り払うことこそが、あなたの現世における使命なのかも知れません。 わずらわしい世事を離れて、一人になったときこそ、あなたの心に眠る暗殺者の血が落ち着きを取り戻すことになるでしょう。

なるほど、俺は陰の暗殺者だったわけか。ということは人切り抜刀債だな(笑)。そして一人になったときに落ち着きを取り戻すとは・・・。陶芸家になった 比古清十郎でもあるわけか。

と、まぁ暇つぶしにやってみたわけだが・・・。当たっているのかどうかぜんぜん分からない。ちなみに来世占いもやってみたが、現世と同じような生活を送るでしょうと言われた。

性格診断とか人生占いであれば、自分と照らし合わせてどんなもんかと分析できるのだけれど、この手の占いはどうしようもない。というか、前世とか来世のことが分かってもしかたがないんだなあ。前世の罪を現世で償えば来世でも幸せになれるとか、そういうことなら理解できるのだが・・・。あいにくそういうことはここには書かれていない。あくまでも自分自身の平穏を取り戻すにはどうしたらよいか、が書かれている。

何故こんなことをやったのかというと、ちょっと最近知り合いの周りでいろいろあって、その人と話をしているときに、その知り合いが「俺は2008年は運が悪いという占いだったんだよなあ」と言っていたため、「じゃぁ俺は占い上どうなんだ」と思ったからである。

俺は占いは信じない。科学的な根拠がないからである。

姓名判断は「名前だけでなぜ人の運命や相性が分かるのか」がなぞだし、六星占術や四柱推命などは生年月日と性別から運気の推移や本人の性格を割り出せる理屈が分からない。

よく分からないが、これらは生まれた年や月からそれぞれに該当する属性のようなものを割り出して占いをするらしい。そうした属性の割り当て方や、割り当てられた属性の組み合わせから出てくる運命・性格などは経験則によって体系化されているようである。詳しくは分からないが。

当然100%的中するという保証はどの占いもしていない。だがどういう根拠で結果を出しているのかすごく不思議なのだ。

それに、以前アカシックレコードについても書いたけれど、生まれたときから人生が決まっているようならそんなの人生じゃないと俺は思う。創造主がいるとすれば、俺達はそのゲームの駒だ。まあ、しょうがないか。

俺としては、根拠はもうこの際どうでもよくて、占いは自分自身が生きる上での1種の軽いアドバイスととらえ、真剣に信じずに楽しむ感じで利用するのが良い使い方だと思う。

ただここで俺は一つの疑問に遭遇してしまった。いくつかのサイトで四柱推命をやったのだが、「運は上昇気味」と出た差異ともあれば「運は下降気味」と出たサイトもあったのだ。

「2008年はあまり運が良くないから、新しいことを始めようとしたり大きなことをやろうとしても空回りするので、今年はゆっくりして来年まで待とう」みたいに書いてあるサイトもあれば「今は運が上昇中なので大きな仕事がうまくいきます。恋愛も順調に進むことでしょう」と書いてあるサイトもあった。

こういう場合、どっちのアドバイスを受け入れるのが良いんでしょうか。だれか教えてください。

冷凍食品

  • 日常

昼間、ノリノリでデーモン小暮閣下のシャウトを練習していたら、郵便局の人が郵便を持ってきてくれた。うちはワンルームなので、あまり大きな声を出していると廊下に響くのだ。あぁ、聞かれた。隣が出かけたからやったのに。残念。恥ずかしい。


ところで、最近近くのスーパーが冷凍食品4割引をやめたらしい。そして普段から今までよりも安い値段で販売するようになったとのこと。っていうか今までの通常時の冷食の値段は高すぎた。

考えてみてほしい。普段500円で売ってるものが4割引の日は300円である。そうとう食料に困っているときでもない限り、500円の日に買わないだろう。普通は4割引の?日をねらって買う。どれだけ設けてるんだ。

こういう場合、4割引の日は冷凍食品が売れるが、普通のときは全く売れないという状況になるだろう。冷凍食品って賞味期限が長いからそれでもそんなに困らないかもしれないが、明らかに効率が悪い。

安易な考えだけれど、特定の日にものすごく売れるよりは平均的に毎日それなりの売り上げがあった方が良さそうな気がする。プラマイ0なら大したことないが、たぶん毎日それなりに売り上げがある方がプラスになるんじゃないかと思う、冷食の場合は。

通常500円だったものが、まあ350円とか380円ぐらいで売られるようになるんだったら、納得できるかなあ。そうすれば、4割引のときほど大量に買い込むことはないにしろ、普段から冷食を買うようになるかもしれん。

メールマナー

  • 日常

最近とある雑誌でメールのマナーについての記事を読んだ。主にビジネスシーンでのマナーについて書かれた記事であったが、たいていの部分は一般のメールマナーにも通じるだろうと思う。

例えば、「分かりやすい件名を着ける」というマナー。筆者は強く主張していたが、「お願いします」とか「教えてください」という件名じゃ、件名をみただけでは何の用件か分からない。全くそのとおりなので俺も強く主張したい。加えて近頃は迷惑メールがかなりたくさんやってくるが、そういうメールの件名もたいてい、件名だけからはなんとも用件が分からないのである。俺の場合、仮にそういう件名でメールが送られてくると、件名をみただけで削除してしまうだろう。どっちにしても不快なメールであるので。

もう1つぐらい紹介すると、「サイズの大きなファイルを添付しない」というもの。こんなの当たり前だと思うのだが、最近俺の周りでもあまり守られていない傾向にある。10MBのファイルをメールでやり取りしていた友人を見たことがあるのだ。まぁ、それぐらいのファイルでもメールでやり取りできるようになったという、言わば技術の進歩とポジティブに受け取る方もおられるだろうが、ちょっと信じられない。いくらプロバイダのメールボックス容量もギガの時代だとはいえ、そんなでかいファイルはFTPで送れ。

記事で取り上げられていたマナーの多くは俺も賛同できるし、できるだけ俺自身そのマナーに気をつけているつもりだ。ところが1つだけ受け入れがたいマナーがあった。

それは「日本人相手のメールなら差出人欄の名前は漢字を使え」というもの。まぁごもっともかもしれない。

だが俺が電子メールの世界に足をつっこんだとき、ネチケットの1つとして「差出人(From)欄に日本語は使用しない」というのがあった。そういう古き良きメールマナーはどこへいってしまったのか。そういうもんだと思ってこれまで生きてきたためか、この「差出人欄の名前は漢字を使え」というのには抵抗がある。

俺が予想するに、メールヘッダに日本語を含める場合には文字コードをきちっとエンコードしなきゃならないという制約があるのに、10年前のメールソフトではそこらへんの対応がいい加減だったため、「差出人欄に日本語を使用しない」というネチケットが産まれたんじゃないだろうか。知らんが。

これも時代が変わった、と捕らえるべきなのだろうか。そりゃ、日本人からのメールなら日本語で名前が書いてあった方が分かりやすいんだけどさ。

余談であるが、名前に関連することで俺は非常に気に入らないことがある。多くのメールソフトでは、アドレス帳からメールを作成する際、宛先欄には名前とメールアドレスがセットで挿入される。例えば、 abc@hogehoge.net というメールアドレスを 山田孝夫 という名前で登録しているとき、宛先欄には「山田孝夫 」のように入力されるのだ。

これは形式上問題ない。RFCの何番だったか忘れたが、とにかくこういう形式でメールアドレスを表現してお良いことになっている。けれど、自分でこういうふうに書くならともかく、アドレス帳から自動入力するときにこうやって名前も一緒に入るのはやめてほしいものだ。

何故こういう仕様がいやかといえば、相手にメールが届いたとき、Toヘッダにこの名前が表示されてしまうからである。つまり、相手をどういう名前でアドレス帳に登録しているか相手にばれてしまうのだ。先輩や先生をアドレス帳に登録するときには、こういうことを考慮しないといけない。またニックネームでアドレス帳に登録すると後でいろいろとまずいことになるかもしれない。

もう1つ気に入らないことがある。広い意味で名前に関連するが、何故ケータイのメールは差出人の設定ができないのか。From欄にアドレスしか表示されないのはものすごくむかつく。

例えばケータイからPCにメールを送ってくる人がいる。この行為は問題ないのだが、ケータイから送ってくる人というのは名を名乗らないやつが多い。しかもFrom欄には名前が書かれてないんだから「お前だれだ」という状況になる。普段ケータイ同士でやり取りしている友人だとしても、ケータイの場合電話帳に登録してあれば名前が表示されるからアドレスなんざ覚えてない。

またケータイのメールというのは頻繁に変更されることが多く、その度に「アドレス変えました」というメールがやってくる。このときもFrom欄に名前が書いてないせいで、本文を読まないとだれからのメールか分からない。こっちだってそんなに暇じゃないんだ。っていうか1ヶ月に1回アドレス変更するとかやめろ。

最近はケータイの機能が発達してきているのでFrom欄の設定ができる機種もあるかもしれんが、俺はそういう設定をしている人はみたことがない。本文の後ろに書名を付けている人ならみたことがあるが、ケータイの場合、はっきりいってそんなもの付けないで欲しい。パケ代がかかるし、本文を読まないと名前が分からないから。

話がずいぶん脱線してしまったが、とにかく、マナーを守ったメールは少なくとも消してはいけないことぐらいは分かるので、皆さんメールのマナーはきちんと守りましょう、ということが言いたい。

具体的にはこういうことを守って欲しいと俺は個人的に思う:

  • 用件があるときには分かりやすい文章で件名に書く。「教えてください」と言われても俺は知らない。「Windowsのシャットダウンができない件について教えてください」というように書け。
  • 件名と関係のない挨拶をだらだら書かない。用件より挨拶が長いメールをよく見るが、件名と関係のない文章がだらだら書いてあるとイライラする。
  • 件名が空欄になっているメールをPC宛に送らない。迷惑メールと勘違いされても文句は言えないだろう。
  • 用件のあるメールで顔文字とか絵文字を使わない。音声で聞いていると煩わしい。俺は用件をさっさと聞いて仕事をしたいのだ。
  • ケータイからPCへメールを送るとき、少なくともやりとりの最初には名を名乗る。差出人不明の郵便物は基本的に受け取らない方針である。
  • 話しているときのように「ええ」とか「ああ」と場を繋ぐような言葉を書かない。こんな文字列は無駄以外の何者でもない。
  • 文章は共通語で書く。関西弁とかで書かれると読みにくい。

あぁ、メールを読む度にイライラするのはそろそろ控えたいので、皆さんご協力お願いします。気がついたら長くなってしまったが、まぁいいか。

新潟は先生の古里

  • 日常

I'm in Niigata. There are many delicious Nihon-shus. I drank the Yoshinogawa. And I'll drink Kirinzan and Asahiyama in my home. Because I'm very lucky that I get them Beer on Kuji when I bought its at Seven-Eleven. A shop attendant which guide to shopping for me is very very cute, she said "Please come tomorrow too." I'm happy, but i won't go to that Seven-Eleven, because I bought my breakfast then.

そうさ、俺は新潟にいる。学会が京都明日新潟であるからだ。大学院はやめることにしたけど、興味のある研究会だし、6月に参加申し込みしていたので今回はくることにしたのだ。ちょっと、たまには東京を離れてぜんぜん知らない土地に行ってみたかったというのもあるしね。

そういうわけで今は新潟駅近くのホテルにいる。昼ご飯を食べてなかったのでめちゃくちゃ腹が減っていて、ホテルのフロントで「ご飯食べる所ありませんか」と聞いたら、近くに居酒屋があるという。ちょうどいいからそこで夜を食べることにした。

正直、チェーン店っぽさ全開な店内。たぶん新潟ではチェーン店なんだろうけれど、東京じゃ聞いたことない居酒屋だ。とりあえず新潟なので魚を頼もうと思って、マグロのフライと焼きそばを頼んだ。いつも居酒屋に行って頼むものとあまり変わらないのはこの際気にするな。新潟は日本海のお魚がおいしいんだ、きっと。

焼きそばは大したことなかったが、マグロのフライは美味であった。マグロがおいしかったのか、調理方法がよかったのかは定かでないが、とにかくいける味だ。

ついでに、せっかく新潟にきたので新潟の酒を頼んだ。なんでも、研究会場へ行くときのタクシーの中で運転手のおっちゃんが言っていたのだが、新潟には98ぐらいの藏があるから酒もいっぱいあるそうだ。・・・ネットで昨日みたときは96の藏と書いてあったけれども、まあそんなもんなんだろう。でも、なんとなく有名な吉野川を頼んでおいた。

またまたついでに、新潟なんだから魚だろうと思って鮭のはらす焼きというのも頼んでおいた。おいしかったよ。どういう料理かよく分からないが、サーモンが焼いてあったのは確かだ。

それで居酒屋を出たわけだが、明日の朝飯を買おうとセブンイレブンに寄った。いつもしているようにレジで「お手伝いしてください」とお願いしたら、なんかめちゃくちゃかわいいおねえちゃんが案内してくれた。しかもなんか手慣れてる感じで。ああ、新潟素晴らしいよ。俺新潟に引っ越そうかな(笑)。

そこで明日の朝飯と、ホテルに帰ってからのお酒とつまみを買ったのだが、籤でビールとチューハイがあたった。というわけで詳細は表面上飛ばす。 で、そのおねえちゃんには「新潟の人じゃないんですか」と聞かれたので「学会が新潟であったので東京から来ています」と答えたら「じゃあ明日も来てくださいね」だって。ああ、行きたいよ、君がいるなら。でも残念、俺は朝ご飯を買ってしまったからもうこのセブンイレブンにはこないと思います。また新潟に来ることがあればきますよ。

というわけで今はホテルの部屋でこうして書き物をしながらプレミアムモルツを飲んでいる。日本酒を飲む予定だったが、ビールを持って帰るより日本酒を持って帰った方が安全なような気がしたので。

明日は聴講したいセッションがあるから、午前中それを聞いてから帰ります。夕方、とんでもない品物が到着する予定なので。

冷やし中華

  • 日常

冷やし中華にマヨネーズは掛けない、と東京に出てきてから聞いてびっくりしたのである。おかしい。何故だ。お好み焼きにはマヨネーズを掛けるだろう。だったら冷やし中華にもマヨネーズ掛けるだろう。

これが名古屋近辺での文化だということに東京に出てきて気づいたわけだが、どうしてこの文化は広まらないのだろう。まぁ、冷やし中華のたれだけでもうまいのだけれど、そこにマヨネーズを掛けることによってプラスアルファの味わいが産まれるのだ。

この「プラスアルファ」について詳しく解説しよう。まず、冷やし中華のたれとして採用されるものは酸味の強いたれが多い。もちろんおいしいように調整されているのだが、私の味覚ではこれでも少々酸っぱい。そこでマヨネーズを加えるのだ。あくまでも別途マヨネーズを掛けるのである。たれに混ぜてはいけない。それは邪道だ。

たれが麺にからんで冷やし中華の味わいを引き立てるのに大使、マヨネーズは同じように麺にからむのだが、たれの酸味にマヨネーズのまろやかさとこくをプラスした形で冷やし中華に浸透する。

ポイントなのはたれとマヨネーズがからみあった麺だけではない。冷やし中華に欠かせない薄焼き玉子、キュウリ、ハムにマヨネーズは絶妙にマッチするのだ。ハムやキュウリにマヨネーズを掛けて食うとうまいのは周知の事実。であるからして、冷やし中華に具材として入っているハムやキュウリ、ひいては薄焼き玉子にマヨネーズが加わるとおいしくなるというのは自然なことだろう。

どうしてみんな分からないんだろう。たこ焼きにマヨネーズを掛けることには抵抗が無いようなのに、冷やし中華にマヨネーズを掛けるとなると皆あからさまに拒否するのだ。カレーライスにソースを掛けると豪語してたやつに言っても、「お前馬鹿だろう」と言われるし。何がどう違うというんだ!そりゃ、浜松のお好み焼きにたくあんを入れるというのを聞いたときにはショックだったけれど、それより冷やし中華にマヨネーズの方がいくらか普通だと思う。

それにだ、おいしいと俺が主張しているんだから一度ぐらい試してみてもいいと思うのだ。やりもしないうちにまずいと決めつけて、あのおいしさを知らぬまま時を過ごしていくのは非常にもったいない。アレルギーがあるとかなら別だが、下手物でもないんだから食べてみなさいよ。

そういうわけで、俺は冷やし中華にマヨネーズを掛ける文化を、攻めて俺の周りでだけでも普及させるべく、これからは活動していきたいと思う。以上。

魔の水曜日

  • 日常

履歴書用の写真が無くなったので撮影するために写真屋に行ったのだ。いちいち撮るのは今後面倒だから、CDRを作ってもらって焼き増しを簡単にできるようにしてもらおうと思い。それにしてもCDRにデータを保存して、次からそのデータを焼き増ししてくれるとは、写真屋もハイテクになったもんだ。これが、昔だったらネガとかだったんだろう。

さてあっつい中わざわざスーツを来てとぼとぼ駅前までやってきたのだが、写真屋、休みだった。ってか水曜日休みの店が多すぎだ、この変。

いつだったかアイロンを買おうと思って電気屋に行ったら水曜日で休みだった。時計の電池を替えてもらって「できたんで取りにきてください」と連絡があってから数日、水曜日に行ったら休みだった。そして、朝も昼も食べれず、ようやく晩飯だ~と意気込んで行った駅前のラーメン屋も、水曜日休みだった。そのときはしかたなくマックに行った。

昔からお店は水曜日休みが習慣だったのだからしかたないとは思うが、どこもかしこも水曜日休みというのはいただけない。何故にみんなこぞって水曜日に休みたがるのか。火曜日とか木曜日じゃだめなのか?っていうか、ずらせ。全部水曜日休むんじゃなくて、写真屋は火曜日、ラーメン屋は水曜日、電気屋は木曜日、みたく・・・。ぜんぜん違う店なんだからうまくずらせないよ、というのなら、俺はこう言ってやる。「商店街組合だろ、あんたら」とね。

まぁそれでも、近頃は大型店舗は年中無休とか多いけれども。個人でやってる店にそれは言わないからさ、ほんと、一斉に水曜日に休みになるのだけはやめてほしいもんだ。

仕事

  • 日常

本日はサークルのシステム入れ替えであった。詳細は割愛するが、事前にテストを行っていたおかげで、今日は予測されていたトラブル以外はおきず、作業は順調に終了した。困ってあたふたすることがなくてよかったよ。

それにしても、チームで作業するというのはやはりすてきである。俺の担当になっている作業については俺1人で事前テストを行ったのだが、結果を上司に報告した際に抜けを指摘されたので、本番ではその部分も含めて大きなトラブルはおきなかった。また別の人が担当になっていた部分については、作業が終わった人たちで抜けがないかチェックし、いくつかミスを発見することができた。1人ですべての作業を行うのは当然無理があるけれども、個別に担当になっている作業についても、別の人にカバーしてもらうことによって、全体として調和の取れた作業工程・結果を産み出すことができるのである。そう俺は今日思った。

はっきり言えば、サークルでやっていることが職業になれば、一番うれしい。ただそれは現実的には課題も多いだろう。

例えば、趣味で楽器をやってイル人ならば、楽器で飯を食えればそんなに楽しいことはないかもしれない。しかし、プロとして飯を食うためには、趣味の領域を1線超えた領域で活躍しなければならないし、そのための知識や技術も必要である。アマチュアのバンドは星の数ほどあるが、その中でプロになれるのは、ほんの一握り。技術と運に恵まれた人たちだけなのだと思う。

少し事情は違えど、どんなことでも、たいていの場合は似たようなものではないだろうか。職業人になるということは、突き詰めればその路のプロフェッショナルとして活躍することである。そのためのステップもまた職業、仕事なのである。

ということで、速く仕事見つけたいですね~。は~。

今日不採用通知を受け取った。この前いった合同面接会の中の1社からである。個人的には印象がよかったところだったのだが、まあ不採用ならしょうがない。もうどうでもいいや。

ところで、今日は友達と飲んできたのだが、帰り道、コンビニでアイスを買った。追加の酒も買ってきたのだが、そのつまみとしてスパゲティーサラダを買うかアイスを買うか電車の中でさんざん悩んだのである。ところが、駅についてコンビニに向かって歩き始めた瞬間、外のじめじめした感じで一気にアイスを買う方向に決定した。あぁ、明日の朝ご飯買い忘れた!

チューハイとアイスというのは、甘いもの同士であまり合わないかと思いきや、これが意外と合うのだ。バニラアイスとかは知らん、俺が買ったのはパイナップルアイスだ。けれど、クーラーがあまり効いていない部屋では表面から溶け始めて結構食べるのがつらい。なんか損した気分だ。


話はぜんぜん違うが、昨日夢をみたのだ。あの人の夢を。夢の中では楽しいことをしていた。あぁ、あの夢、覚めなきゃよかったのに。

ここで疑問となるのは、「夢に出てくるということは、つまり忘れられていないのではないか」ということだ。表面上「もう俺はあいつのことは忘れた」と言っていても、深層の部分では実はまだ思いを断ち切ることができていないのではないか。あいつに関するうわさはいろいろ耳にするが、それを聞いても正直嫉妬のような感情は今では沸かないし、もう次の瞬間忘れている。が、表面ではそうでも、心の奥底では痛みを覚えているんじゃないのか、と、ついつい考えてしまうのである。

まぁ、今更そんなことを言ったところで無駄だし、ぶっちゃけそんな余裕もない。女と遊ぶより俺には今やらなければならないことも、やりたいこともある。とりあえず就職だよ、俺。

と、言い聞かせて納得させようとしている自分がいるようです。はは~、ブラボー!ガール!イェ~!ルンルンルン!実は「ショッキン・グー」です☆

アカシックレコード

  • 日常

コードギアスというアニメに出てくる用語に「アーカーシャの剣」というのがある。どういうものなのかよく分からないのだが、この「アーカーシャ」ってなんだろうと気になった。まぁ、こういうのはギリシャ神話の何かとか、そういうものからネーミングを考えているんだろうと思ったのだが。

ググってみるとそれらしいものが出てきた。 「アカーシャ」 という項目をウイキペディアで発見。内容を読んでみるとそれらしいことが書いてある。たぶんこれで備後だろう。

で、関連項目として「アカシックレコード」というのが書かれていた。こんな言葉もあったなあ。「アカシックレコード」と聞くと、ノストラダムスの予言についての議論のときに、韮沢さんが「アカシックレコードってのがあるの!」と一生懸命主張していたシーンを思い出してつい笑ってしまう。

アカシックレコードなどというものがあれば、それはずいぶんめでたい話だ。インドに、地球上の人間一人一人の運命が書かれた葉っぱがあるという話(なんというのか名前を忘れてしまった、心当たりのある方は教えてください)も似たようなものだが、つまりは俺達はだれかが考えたシナリオに沿って生きているということになる。すると様々な決断を自分の意志でしたと思っていても、それは自分ではなく他人の意志だということになってしまう。なんともつまらないことになってしまうのである。

しかし、残念ながらアカシックレコードのようなことを信じて疑わない人もいる。ちょっと調べてみただけでも、関係ありそうなものからなさそうなものまで、いろいろウェブページがヒットしてきた。その中に「アカシックレコードは4次元や5次元の世界の存在だから我々は関知することができない」という趣旨の記述を発見。なんて楽しいことが書いてあるのだろう。相対性理論の入門書でも読ませてあげたい。

そして、アカシックレコードを使って占いまでやってる人がいるらしい。確かにアカシックレコードを読むことができさえすれば運命が分かるんだから、そうした能力を持っているアカシックレコード・リーダーの人たちにとってはいい商売だ。ただ、手相占いの方が知名度高そうなので、広告をしっかりやらないといけなさそうだが。

まぁ、こういうのを信じたりするのは人の勝手だけれども、俺としては単純に信じるのはやめた方がいい気がする。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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