2017年12月の記事一覧

気がつけば2017年も大晦日でアル。ちょっといろいろあって、実家に帰る予定がキャンセルされたり、不愉快なことが多い年末だったけれども。めげずにレーションについて書くことにしようと思う。

さて、今回紹介するのは以下のレーションである。

戦闘糧食II型 防災丸かじりミリメシセット

こちらも、自衛隊の「戦闘糧食II型」であるが、加熱しなくても食べられるタイプである。内容物はこんな感じ。

  • 主 食: パンの缶詰、イタリアンリゾット
  • おかず: 丸かじりチキン、炭焼きチキン、あぶり焼きチキン、ウインナー、コーンスープ
  • その他: バランスクッキー、ドライなっとう、保存水500ml
  • 食 器: スプーン1個

賞味期限は3年だそうであるが、例によって今回入手したものも、いつ製造されたものかが分からなかったので、食べられるものかどうか、よく分からない。なので、みなさんが食べるときは、どうにかして箱に書いてある製造日とか納入日を確認していただきたい。

さて、今回は加熱がいらないものの、立派な食事のように思える。実際に箱を開けてみると、レトルトのおかずみたいなのが、ぎっしりと入っている。セブンプレミアムで売ってるチキンとかハンバーグみたいな感じだ。ただ、スーパーのレトルトは湯煎などして食べると思うが、こちらの「丸かじりセット」の場合は、レトルトをそのまま開封して食べることができる。

試しに、確実に「ウインナー」と分かるものを食べてみた。味は、まあ、まずくないウインナーといった感じ。普通のおいしさを求めると20点ぐらいだけど、非常食ならば、こんなもんかな?という感じ。

他に、どれかチキンを食べてみたが、感想は似たようなものである。避難所で乾パンを食べるよりは良い。

あと、「パンの缶詰」を食べてみた。パンの缶詰なら普通に売ってる気もするが、私は食べたのが初めて。どことなく酸っぱくて、そう、レーズンが混じっているような・・・。腹は壊さなかったので腐ってたわけじゃないんだろうけど、これは、うーん、味の好き嫌いが分かれるかもしれない。

ちなみに、「丸かじりセット」には、スプーンは入っているが食器がない。リゾットとコーンスープの食べ方は研究が必要かもしれない。まあ、箱に書いてあるのかもしれないが、あいにく全盲には見えないので。

さて、加熱しないで良いため、特に調理手順を書くこともないのであるが。上記の内容物は1日分となっているが、特に食べるタイミングの指定がない。そのため、自分の好きなように食べていいようだ。救助を待ち続けるときなど、あまりエネルギーを使わないときは、1回に一つ食べるぐらいでもいいだろうし、ボランティアとして避難所内を駆け回る人は、一度に数個のレトルトを食べても良いだろう。「熱々セット」と違って、摂取量を自分でコントロールできるのは良いことだ。

あと、一応、保存水も入っているので、これも助かる。水はいくらあっても足りないと言うことはない。

これらのセットで主さは1.74kgだそうである。やっぱり軽い。災害時に、自宅で過ごす分には重さはあまり関係ないが、万が一逃げなければならなくなったときに、この軽さは魅力的だろう。もっとも、前回紹介した「熱々セット」も1.76kgとほぼ変わらないのであるが。

「戦闘糧食II型 防災丸かじりミリメシセット」については、正直、これぐらいしか書くことがない。ということは、開ければだいたい食べ方の想像がつくということで、非常時にはもってこいの防災食になるだろう。

ところで、「非常時の食事」としては、こちらが本物だろう・・・という商品がある。「救難食糧ER5食入 SOLAS条約準拠」というものだ。次はこれについて紹介したいと思う。

先日「戦闘糧食II型」について紹介した。そのときは1食だけ、手順の確認も含めて食べたわけであるが、あと2食残っていた。それで、まあ、ずっと箱を置いておくのも邪魔なので、残りの2食も食べることにしたのである。

以前の記事で書いたように、今回入手した戦闘糧食は、加熱材に水を加えるタイプである。説明書には150mlの水と書かれていたが、非常時に計測できないかと思い、とりあえず、ペットボトルから適当に水を流し込んで温めることにした。

これがまずかった。ちゃんと、150mlの量を計らねばならなかった・・・。

しばらくして瞬間的な加熱が起こり、水蒸気が発生する。この前やったときは、確かに同じような感じだったが、なんか、今回は勢いが良い気がする・・・。目分量でやったら水が多すぎたのだろうか?

と思っていたら・・・。なんと、火災報知器がピーピーと甲高い音を立て始めた。インターフォンも何か怪しげなプルプル音を発している。どうやら、水蒸気がすごかったらしい。あっという間に自宅のリビング、というか、狭いマンションの1室は、どうしたらええのん?的な状態になってしまった。

音がうるさいので、あまり気乗りはしなかったが、窓を開けて、換気扇を全開にして、加熱中の糧食を換気扇の下に移動させる。その後、非常ベルの停止スイッチをあれこれ探し回り、15分ぐらいかけて、やっと騒ぎは収まった。まあ、その後警備会社がやってきたのは、いうまでもないが・・・。

ということで。

  1. 戦闘糧食を加熱するときは、窓を開け、通気性の良い状態でやるか、もしくは換気扇のしたでやりましょう。
  2. 通気性を良くしても、火災報知器の真下ではやらないようにしましょう。

まあ、火が出たわけじゃないので警備会社的にも問題はなかったんだけど、みなさん気をつけましょう。はい、私も。

どういうわけか、表題のようなものが最近アマゾンとかで売られているようで・・・。業者が災害用に民間へ下ろしているのか知らないが、それ以上は考えないことにして・・・。

戦闘糧食(レーション)というと、戦争とかのときに食べるものと思う人がいるかもしれないが、これは災害時の食料として活用できる。もちろん、本来は軍などが作戦行動中に使用するものなんだけど、防災グッズの中に入れておけば、有事の時にも、せめて食事だけはなんとかなる。

ちなみに防災グッズの食料と言えば、乾パンとかアルファ米とかを思い浮かべる人が多いだろう。っていうか、俺もそういうイメージ。こういった食品は、生きるために最低限必要ではあるが、地震などで精神的に参っているときには当然、平時でも、毎日だとあきてしまうだろう。

戦闘も似たようなもので、実際、戦争というのは待機時間が多いようだ。そういうときの唯一の楽しみは、食事でアル。食事がうまいかどうかは、兵士にとっても重要なことだし、防災上も、避難所で慣れない暮らしをする人々にとって、食事ぐらいは温かいものが食べたいことだろう。

そういうわけで、前置きが長くなったけれど。今回は自衛隊の「戦闘糧食II型」というものを試食してみる。ただ、グルメレポというよりは、「いざというときに、どうやって使ったら良いか迷わないように、あらかじめ余裕があるときに手順を確認しておこう」というのが趣旨でアル。

今回手に入れた「戦闘糧食II型」は、以下のような内容物となっている。

  • おかず...ウインナーカレー250g×1、すき焼きハンバーグ200g×1、中華風カルビ180g×1
  • 主食 ...ご飯...3年保存ご飯170g×3
  • 食器 ...お召し上がり用皿+フォークスプーン×各3
  • その他 ...加熱剤60g+加熱用袋×各3

ちなみに本当は「戦闘糧食II型 あつあつ防災ミリメシセット(1人3食分)1個【3年保存】」というのが正式な名前らしい。どうも、民間用に作ったものなのかも。

それから、本来、箱に納入日が書いてあって、だいたいそこから1年ぐらいが保存期間らしいのだけれど、あいにく全盲の私には確認できなかった。なので、保存期間内かどうかは、よく分からないことだけお断りしておく。

さて、届いた箱を開けてみると、そんなに広くないスペースにぎっしりと効率的に物が詰め込まれている。カレーのレトルトパックみたいなやつがおかずだろう、それが三つ。ご飯は3食分がビニールでひとまとまりになっているが、「サトウのごはん」を知っていればすぐに分かる。あと、ジップロックのような袋、使い捨てカイロのようなものがそれぞれ三つと、フォークスプーンが三つ。ようもまあ、よく詰め込んだな・・・という感じでアル。 ただ、内容物に「皿」と書いてあったんだけど、どうやら皿は入ってない模様。ご飯を食べ終わったところに、おかずを入れるか、ご飯の上からかけて、どんぶり風にして食べるか、といった感じだろうか。

とりあえず、レトルトばかりだと視覚障害者には、どれが何だか分からないのだが、ハンバーグらしきおかずを食べてみることにする。あとは、ご飯一パック。食器がないので、ご飯の上からかけて食べよう。

さて、ここまで書くのを忘れていたが・・・。「戦闘糧食II型」は暖かい食事が取れるタイプの糧食である。なので、そのままでは食べられず、加熱しなければならない。さあ、どうしたもんか。

同封されていた紙をスキャンしてみると、全文は厳密にOCRできなかったものの、おおよその加熱方法は分かった。

以下の手順は厳守した方がいいだろう。後でも触れるが、とにかく火傷の危険性があるからだ。

  1. まず、おかずとご飯を出しておく。後から用意すると手遅れになるので。
  2. 加熱袋(ジップロックのようなやつ)を開けて、底面のへこみをいじって、袋が上向きに立つようにする。ちなみに、普通のジップロックはただの袋だけど、加熱袋は、底面が折り返されていて、レトルトカレーにもよくあるように、口を上にして真っ直ぐ立てられるようになっている。
  3. 150mlほどの水を用意しておく。ここで用意しておかないと手遅れになるので。計量カップがあるといいだろう。
  4. 手をなるべく綺麗に拭いて水分を飛ばす。
  5. 加熱剤(使い捨てカイロみたいなやつ)を開封し、加熱袋の中に、横にして寝かせるように置く。この作業はできるだけ迅速に行った方がいい。
  6. 3.で用意した水を加熱袋に入れ、おかずとご飯も加熱袋に入れる。そして、袋の口を閉じる。この作業は迅速に行う。ちなみに、おかずとかご飯は寝かせて入れなくてもよく、自然な形で入れればOK 。
  7. それから20分、加熱袋には触れずに待つ。20分経ったら加熱袋からおかずとご飯を出し、食べる。このとき、袋がとても熱いので注意すること。

だいたい、食べるまでの手順はこんな感じだ。

特に注意が必要なのは、加熱剤に水を加えると、化学反応が一気に起きて、瞬間的に加熱袋の温度も上がるということだ。そのときに水蒸気も一気に噴出する

説明書には「加熱中は袋を倒したり触れたりしないでください」と書いてあったが、こっそり触ってみると、マジ熱かった。瞬間的にやけどを負うような温度ではないものの、数分触っていたら低温やけどぐらいはするかもしれない。加熱剤を開けてから水を加え、食品を入れ、加熱袋を閉じるまでの作業は、できるだけ手際よくやった方がいいだろう。あと、周りにだれかいたら、注意を促すことも忘れないように。

ちなみにだが、加熱袋の口部分には水蒸気を放出する穴が空いている。なので、倒してもだめなのだと思われる。だから、全盲は特に要注意。

「そこまでして非常時に暖かい飯が食いたいのか?」という意見もあろうが、いやいや、前述のとおり、そういうときは食事ぐらいしか楽しみがないのだ。1日のほとんどを不安な気持ちで過ごさなければならない非常時に、飯を食うときぐらい不安を閉め出す意味でも、こうした手順をこなすことは悪いことではないと思う。

さて。一応「味」についても触れておこうかな。

とりあえず、ご飯におかずをかけて食べるのは問題なさそうだ。きちんとやれば、こぼれたりしない。だいたい、カレーだっておかずに含まれてるわけだし・・・。

味は、まあ、「まずいレトルト食品」といった感じ。でも、「まずい」というのは少し言い過ぎて「おいしくはないレトルト食品」というのが正しいかもしれない。でも、まだハンバーグしか食ってないけど、普通に常食として食べても、食べられるとは思う。ガスとに言った方が安上がりだとは思うが。とはいえ、避難所で乾パンを食べることを想像すると、これは大ご馳走だ。

それから、ご飯についてだが、20分ほどの加熱では、柔らかいところと堅いところに、むらがあった。おかずも、もうちょっと暖かくてもいいかな・・・という感じ。でも、おかずをご飯にかけることで、おかずの水分(タレとか)がうまく絡み合って、ご飯の軟らかさはバランス良くなった。少々柔らかすぎるけど、非常食にこれ以上求めることはないだろう。あえていうなら、冬場だと、30~40分ぐらい加熱袋に入れっぱなしにしておいても良いかもしれない。加熱袋は、水を加えてから1時間ぐらいは熱く、それから、だんだんぬるくなってきた感じだったので。

そういうわけなので、食品を暖め終わった後の加熱袋は、暖を取る目的では使用しない方がいいだろう。実際、自衛隊では禁止されているらしい。まあ、瞬発力がある分、民生用の使い捨てカイロと違い、持続時間が短すぎるので、そういう用途には不向きだし、何よりも、たぶん火傷する。ただ、それこそ冬場は暖かくする必要もあるだろうから、タオルを2重・3重にして、火傷しないような対策を講じた上で、カイロのように使うのは、(自己責任かもしれないが)、ありかも。

さてさて。実際に「戦闘糧食」なるものを食べてみたわけだが、問題がないわけじゃない。

それは、加熱に水が必要だということだ。加熱剤には、このように水を加えて熱を起こすタイプと、カイロのごとく酸素にさらすことで加熱するタイプの2種類が、自衛隊では装備されていて、個人的には後者のタイプがよかった。非常時に水は貴重だ。3食分をそれぞれ加熱するとなると、今回の場合、合計で450mlの水が必要になる。これは500ml1本分ほどに相当し、水が不足している状況では本当に貴重な量だ。しかも、戦闘糧食そのものに保存水すら付属していないし、計量するカップもないから、目分量で水を入れないといけない。戦闘糧食II型を携帯するときは、十分な水と、無駄にしないように計量カップを用意して置いた方がいいだろう。

まあ、もしこれが民生用だとすると、1食1食を個別に加熱するには、この方式が向いているのかもしれない。前述の、酸素にさらして加熱するタイプの加熱剤の場合、「加熱剤、主食、加熱剤、主食、加熱剤」といった具合に、暖めるものをサンドイッチして、タオルにくるみ、加熱と共に比較的長い時間保温することができるようだ。しかし、これは作戦行動中には向いているかもしれないが、避難所生活ではあまり向かない手段かも。だから破水型?というのだろうか、水を加えて加熱するタイプの加熱剤が、使われているのかもしれない(もっとも、自衛隊でもこのタイプは最近主流らしいが)。

ただ、水が付属していないのはちょっと解せない。まあ、重くなるし、スペースも取るし、普通は別途水筒を携行していたりハイドレーションパックに水を入れておいたりするだろうから、糧食に水が入ってないのも当たり前かもしれんが・・・。でも、別の機会に紹介しようと思っている「防災丸かじりセット」には500mlの保存水が入っていた。まあ、そいつは一つ一つの食品が小さいので、水を入れるスペースもできたんだとは思うけど・・・。

ということで、「戦闘糧食II型」は、なんだかんだ言って、非常時に暖かいご飯が食べられるというメリットがあるので、防災グッズの中に入れておくことをお勧めしたい。保存期間がきたら、新しいのを買って、古いのは普通に食べればいいわけだし・・・。

ただし、それなりにコンパクトな箱だとはいえ、3食分の食料となると、そうさなあ、お徳用の60個入り使い捨てカイロとか、ブラウンのひげそりのセンジョウカートリッジ(6個入り)ぐらいの大きさ・重さにはなるので、2日分、あるいは二人分が限界かな、とは思うけど・・・。ちなみに、アマゾンの情報では、商品重量は1.76kgだそうだ。これに、水と、あと、可能なら計量カップ。

そろそろ長くなってきたので終わろうと思うが・・・。1.76kgって1日分のレーションとしては軽い方だと思う。だって、イタリア軍のレーションは、1日分を片手で持てないと聞くし・・・。あと、米軍など日本以外の軍では、基本的に固形燃料とヒーターで食事を温める。それに比べて自衛隊はカイロなので、やっぱり軽いと思う。まあ、米軍とかイタリア軍みたいに、オレンジジュースだの、ゼリーだの、ナプキンだの、ビスケットだの・・・と、「おいおい、おまえらピクニックかよ」と思うものが入ってない・・・ってのもあるんだろうけどね。

それでは、機会があったら、今度は暖めずに食べるレーションを紹介してみたいと思う。以上。

Black Lagoonからは、いろいろと学ぶものがあると思っている。原作は漫画なので残念ながら読めないけど、とりあえずアニメ化されているもので十分だ。

まあ、書き始めると終わらなくなるので、とりあえず、第15話の「Swan Song at Dawn」について。

初めに、この話は通算で大15話だけれど、セカンド・バレージとしては3話目に当たる。通算第13話と第14話、そしてこの第15話の3話で一つのエピソードとなっている。

さて、粗筋とかはWikipedia先生に譲るとして。私がこの話で気にいっている歌が一つある。以下のリンクはYouTubeにアップされているものだ。リーガルかどうかは、まあさておいて、ちょっと聴いてもらいたい。

Swan Song at Dawn, Ending

歌詞は英語っぽいのでよく分からないが、綺麗な歌声だ。そう、歌声は天使のそれだ。

しかし、この歌は、「ヘンゼルとグレーテル」とバラライカたちから呼ばれていた、殺しを辞められない屑餓鬼の妹の方が歌ったものだ。第13話と第14話では、なかなかのガンマンっぷりと残虐な殺害方法、死体で遊ぶシーンなどが描かれていたが、それらとは全く対照的でアル。

フィクション作品に対して考えることは無駄だと承知で書くが、なぜ彼女はこうも2面的な側面を見せたのだろうか?その背景にはいったい何があったのだろうか?

これを考える上で欠かせないのは、前述の歌が、ロックの前で歌われたということだ。ロックは、まあWikiにいろいろ乗ってると思うが、社会の暗部に入り込んで日が浅い人間だ。だとするならば、グレーテルは、闇を生きる人間たちの中にも、ロックに何か違うもの・・・、そう、それは、闇ではなく、光のようなものを直感的に感じたのではないか?

グレーテルは歌を歌い終わったあと、船のキャビンにいて、海が見られないことについて、このような言葉を発している。引用しよう。

あ~あ、海。せっかく海に来てるのに、ちっとも見ることができないわ。残念。

これに対して、ロックは「海は・・・見たことがないのかい?」と問いかける。するとグレーテルは次のように返答した。長くなるが、引用しよう。

シチリアに居たときも、その前の孤児院でも、見てたのは灰色の壁ばっかり。産まれたのはカルパチアの岩山の中。いつも曇ってばかり。 (中略) シチリアに引き取られてからはずーっと血と闇の中。死ぬほど蹴られて真っ赤なおしっこが止まらない日もあったわ。 兄様とは、よく話してたわ。どうして神様は・・・私たちに、こんなにも、つらく当たるのだろう。 でもね、私と兄様は気づいたの。他の子が私たちの前につれてこられて、泣いているその子をバットで繰り返し、たたいた時にね。・・・大人たち笑ってた。私も兄様も笑った。笑いながら思ったの。これは仕組みなんだって・・・。そう、だれかを殺すことで世界が回り続けているのなら、・・・私たちがここに居る理由も、また、それだけなの。殺し、殺され、また殺して。そうやって世界はリングをつぐむのよ。 (以下略)

なんか、ただ見てるだけだと、すーっと耳を通り抜けていくだけだった台詞が、このように文字にしてみると、ひどく残酷なものに感じる。もう書くのを辞めたいけれど、私は向き合わなければならない。なぜかと問われれば、ただの趣味なのだが。

そして、以下のロックの台詞にも共感を禁じ得ない。再び引用する。

違う!違うんだよ!世界は、ほんとは、君を幸せにするために、あるんだよ!いいかい、血と闇なんか、世界のほんの欠片でしかないんだ。すべてなんかじゃ、ないんだ・・・。

正直なところ、これらの台詞を聞いたところで、今までの私ならば、大した感情も覚えなかっただろう。だが、なんというか・・・。この作品以外の部分で感じるようになったことも含めてなのだが・・・。何かによってだれかが救われ、人間が人間らしく振る舞える環境もあれば、救いを求めること自体がリアルではない環境もある。日本流の言葉を使うならば、「臭い物に蓋をする」のではなく、直視し、考え、感じ、そして再び考え、行動する。そうした一連の活動がシビアに必要なことも、あるのだと・・・。最近はそう思うようになった。頭では「差別はNG」と分かっていても、インプリンティングされた情報を書き換えるのは容易な作業ではなく、偽善的にそれを行っている人々も目にしてきた私にとって、偽善ではない、真の善とは何か?という、非常に難解な問題を突きつけられた思いもある。

そもそも、グレーテルの出所は、とある独裁者(たぶんルーマニアのやつだ)が、労働力不足を補うために妊娠中絶を禁止したが、貧しい国に子供を育てられる訳もなく、孤児になった子供たちが秘密警察の要員供給源になった・・・、というロックの説明に求めることができる。人間的な要素を残しつつも、必要ならば無慈悲に残虐に敵を殺す能力は、そうした秘密機関や軍の特殊部隊に必要とされる技能だ。

だからこそ、「また、いつか・・・、また、いつか会いましょうね。今度は二人で・・・ランチバスケットを持って・・・」と言い残して殺されたグレーテルを、表面的には、憂うでもなく、極めて冷静に葬り、弔ったロックの姿は、見習わなければならないと思う。

ただ、そうできるまでには、ロックの葛藤があったのだろう。「Damn it!」とどうしようもない怒りを口にしながら、「皆が、よって、たかって、あの子を虎(monster)に仕立てたんだ!人食い虎(fuckin' monster)にしちまったんだ!」とわめきながら、ベニーに諭され、そして、きっとロックは理解したのだ。ベニーの助けもあっただろう。

ああいうものを真っ直ぐ見るな。(中略)だれかが、ほんの少し優しければ、あの子たちは学校に通い、友達を作って幸せに暮らしただろう。でも、そうならなかったんだよ、ロック・・・。だから・・・、この話はここで終わりなんだよ、ロック。

そして、結局、ロックは、やっとオープンになり、空を仰ぐことができたグレーテルを受け入れた、ように思う。それが、死体だったとしても。

改めて書くが、あくまで、Black Lagoonはフィクション。実際の出来事ではない。ただ・・・。神に祈ることも許されなかった人たち(子たち)がいて、たぶん、それは今でも、世界のどこかで、同じようにいる。私たちが祈ることは容易いが、現実的に救うのは極めて困難だし、とても勇気がいることだ。だとするならば、せめて、彼らが、彼らの信じる神に祈ることができる世界になるよう、私たちが祈るぐらいしか、私たちにはできることがないのかもしれない。

まあ、そういう、つまらない話です。

ちなみに私は「Pessimistic realist」を自称している。けれど、どうも最近EQが上がってきてるような気がしてならない。まあ、EQの高低は人格的な優劣をつけるものではないと分かっているけど、EQ高い人になっちゃったんだなあ、俺・・・みたいな、不思議な感慨はありますね。だいたい、Black Lagoon見て、こんな無駄な文章を書くようになっちまったってのが、「俺、変わったわ」と思う瞬間なのであった。

以上。

I'm alone in this Christmas. Now it's funny to think what I do those days.

というわけで。クリスマスの日に、一人でケンタッキーに行ったときの、むなしさというか、「なんでこんなに並ぶのよ、チキン買いたいだけなのに!」などという気持ちを味わわないように、ケンタッキーへは行かない。というか、近くのケンタッキーは外までずらっと並ぶので、24日とかは、それだけで萎えるんだが・・・・。

学生のときは、みんな暇だったので、いつもと変わらなかったけど、居酒屋で飲んでた。その日だけはビールや日本酒じゃなくて、ワインだった気がするけれども・・・。

ある年は、LINUXサーバにスパムフィルタを構築したり、LAMPの開発環境を整備していたら、クリスマスが終わっていたときもあった。特に寂しさを感じなかったあの当時に戻りたい。

高級レストランでクリスマス・ディナーを楽しんだり、チャーチでクリスマス礼拝に参加したり、そういったことは一切したことがないので、何か、今までに経験の無い過ごし方をしてもいいのかもしれんなあと思いつつ、たぶん思うだけで家にこもってんだろうなあ・・・。そもそも、社会人になってからは、クリスマスというものを意識したこともなかったし。外国と違ってクリスマス休暇なんかないしね。

個人的には、チャーチでの礼拝に興味がある。礼拝の意味合いというより、どんな音楽が流れるんだろう?15世紀~16世紀のローマ・カトリック教会で歌われていたような賛歌だったら非常に興味があるんだけども・・・。あのころの音楽は、基本的な旋法の組み合わせを主体とする楽曲が多くて、聞いてて楽しいのよね。ドリアンとかミクソリディアンとか、そういうやつね。

でも、信徒でもない人間がクリスマスだけ礼拝に行くとか、いいんかねえ?ジーザスの言葉を借りれば、俺は岩の上に落ちた種みたいなんだけれども・・・。

あと、OKだとして、さてさて、どこのチャーチに行くか、だよね。ローマ・カトリックの音楽が良いとか言いつつ、行くならプロテスタントだなあと思っているわけだけど、プロテスタントと一口に言っても、仏教の寺並にいろいろな宗派があるので、どうにも気が重い。仏教の宗派は、宗派間に階層的な構造があって、「格が上」だとか「下」だとかということが、わりと気にされる。似たようなことがプロテスタント諸派にもあるのなら、吟味した上で行きたい。いやまあ、別に洗礼を受けに行くわけじゃないんだけど、とかく宗教とかイデオロギーのことは面倒なので、人間関係のことをいろいろ考慮した上で動かないと、面倒なことになりかねない。となると、チャーチには勝手に行かない方がいいだろう、ということになり、結局何もしないことになるのであった。残念。

誘われれば礼拝に行ってみたいけど、あいにく、誘ってくれるほど親しい人にクリスチャンはいないので、Youtubeで礼拝の動画でも探すか。「主よ、今日も私どもに糧をお与えくださり、ありがとうございます」とか祈りながら、黄金に輝く飲み物でもいただきつつ(笑)。

さてさて、殺伐としたこの自宅で、今日あと半日、どうやって過ごそうかしら・・・。

これに対する答えはシンプルだ。「やつらは何を考えているのか凡人には理解できない。」

10年ぐらい前までは、哲学の学会はフランス語が一般的だったという。そのころ、やっと英語でも発表して良いという雰囲気になってきたとか・・・。大学の哲学の教授が言っていたんだから間違いないだろう。

まあ、考えてみれば、フランスとかドイツの哲学者がいだいだったもので、そんな知的な人々に、わざわざドイツ語の方言とも言える英語を話させるのは、はなはだプライドを傷つけられるものだったんだろうと、なんとなく思ったりするわけだが・・・。でも、デカルトにせよ何にせよ、フランス人なんだから、哲学をフランス語で勉強するのは理にかなってる。

で、俺から言わせると、哲学と数学はほぼ同義語というか、数学者は哲学者であり、哲学者は数学者であったわけなので、形式的な操作においては哲学者もなかなかだと思うのだけれど。その哲学が日本語として訳されたとたん、訳の分からん言葉の羅列になってしまうことが不思議でならない。

まあ、プリンキピアですら、その原著に数式は出てこず、文章で説明してあったというのだから、形式論を重んじる文化は、17世紀ごろにはきっと無かったんだろうなあという憶測は成り立つわけであるが・・・。それにしても、どこのどいつだ、 ma=F なんて数式を書いたのは?

確か、学生時代の友達が、ハーディにすごく興味を持っていて、・・・いやいや彼は整数論をやっていたわけでもないのだが・・・。ハーディの一番の欠点というか最悪なところは、「なんでそう思いついたのかを残さなかったことだ」と聞いて、つくづく数学者ってのは変わったもんだと思ったものだ。ハーディではなかったと思うような気がするけど、とにかく、起きている間は自室にこもって、ひたすら数学の何かの問題を考え続けていた数学者なんぞ、ざらにいるもんだから、昔は世の中良い時代だったんだなあとは思う。

ポスドクですらちゃんとした職につけず、研究もままならない今、きっと行き過ぎた至上主義経済がアカデミックな分野に悪い影響を及ぼし、本来、基礎的・あるいは応用的科学技術が発展してもいいところを、無意識的に国が押さえ込んでいる。これは大変ゆゆしき問題でアル。だから優秀な人は海外へ行っちゃうのよ。別に日本を保護したいわけじゃないけど、でも、結局僕は日本で生きるしかない気がするので、日本には健全な発展をしてもらいたいと、説に願うものである。

ここ数年、表題のようなニュースをたまに見かける。なんで、そんなことがニュースになるのか分からんが、社会が目を向けてくれるようになったんだとポジティブに捉えることにしておこう。

かくいう俺も、電車のドアに白杖が挟まれてしまったことがある。しかも、折りたたみの白杖だったので、ひっぱってもゴムが伸びるだけで全く抜ける気配もない。終電だったので頑張ったんだけど、結局電車が動き始めてしまったので、白杖から手を離し、予備の杖も持たっていなかったため、呆然とホームに立ち尽くしてしまったのであった。

しかし、問題はシチュエーションである。率直に言って、俺の場合は「ただのあほ」だったのであるが・・・。

友人としこたま飲んだ後、乗り換えで降り立った駅で、無性に喉が渇いたのである。で、たまたま前を歩く人が自販機で何か買っている音を聞きつけ、「ああ、助かった」とばかり俺も自販機に金を入れた。酔っ払っていて、なんかジュースの自販機にしては妙だなと思ったんだけど、とりあえず適当にボタンを押した。すると・・・。なんと、出てきたのはアイスじゃないか!!カップの下から棒が突き出てて、手でも持てるし、カップのアイスみたいにスプーンでほじくって食ってもいいやつだ。

「まあアイスでもいいや」と思って、ホーム上でアイスを味わっていると、終電がやってくる旨の自動包装があり、遠くから電車の音が聞こえてきた。さ、さすがに・・・アイスを持って電車に乗るわけにはいかない。混んでたら悲惨なことになるし。

なので、その瞬間から頑張って猛スピードでアイスを食べた。電車が進入してきて、ドアを開けたころに、ようやく最後の一口を書き込んだ。あんがい白線より内側にいたらしく、急ぎ足でドアに向かったのだが、白杖を出したとたん、ドアがしまってしまい・・・。あ~あ~あ~。白杖がドアに挟まれ、引っ張るとゴムがビヨーンとなるだけで抜けやしない。駅員や車掌にも気づかれず、電車は動き出し、白杖は電車と共に走り出したのであった。

手ぶら・・・ではないけど、白杖が持ってかれて、その当時は予備の白杖を持っていなかったので、「どうしたもんか・・・」と、しばらくホームで途方にくれてしまったものである。いやあ、電車に乗るまでは白杖が無くてもなんとかなるだろうけど、それこそ、挙動不審な人となり、いちゃもんを付けられても言い訳できない。いやあ、どうしたもんか・・・。終電が行ってしまったのであったが、とりあえず、途中の駅まで行く電車はまだあったので、それに乗って、最終的にはタクシーで帰ることになりそうだったんだけど、それにしても白杖は持ってた方が良いに決まってる。っていうか道交法的なやつがあれでこれでそれなはずだ(汗)。

と、途方に暮れていると、とぼとぼと歩いてきたおじさんが「これ、落ちてましたよ」と言って、白杖を持ってきてくれた。俺はそのとき、「神よ!おじさん、ありがとう」と、どれだけ頭を下げたことか・・・。この際、神に感謝していたのか、おじさんに感謝していたのかはどうでもいい。っていうか、こういうとき、神は何の役にもたたんなあ。おじさん、良い仕事してくれました!

おかげさまで、白杖は電車のドアに挟まれたものの、運良く電車のドアから落ちて、おじさんが持ってきてくれたおかげで、俺は帰ることができたのであった。

最低なのは、自販機がアイスのやつだったってことだ。いや、おかしいと思った俺も躊躇したんだけど、酔っ払ってて著しく判断力が欠如してたんで、「まあ変わった形の自販機もあるよなあ」と思ってたのも悪いんだが・・・。いやいや、ホームにアイスの自販機があるんだったら、ホームでアイス食ったって良いだろう。いやいや、そうじゃなくてだね、あの・・・。

その後は、必ず予備の白杖を携帯するようにしている。仕事用の鞄とプライベート用の鞄と、それぞれ、移し替えなくても良いように。

以上は大変に懐かしい思い出なのだけれども。。。若い頃は、全盲のくせに駆け込み乗車したら、身体がドアに挟まれて、電車をしばらく止めちゃったこともあったなあ・・・。ああ、すいません。営団地下鉄(当時)の駅員さんごめんなさい!

っていうか、どうでもいいけど、営団地下鉄じゃなくて、ええと、東京メトロか。あれって民間なんだよなあ。一部の駅は他の私鉄に委託運営してるのかもしれんが、民間の会社が地下鉄を運用してるって、東京だけじゃね?だって、横浜も名古屋も仙台も福岡も札幌も大阪も、市営だよね、確か?

さらにどうでもいいというか文化の違いなのか分からないが・・・。東京近郊だと、券売機でとりあえずボタン押しておいて、後で金を入れれば切符買えるんだけど、大阪市営地下鉄で券売機を使ったとき、金を入れないとボタンが反応しないっていうのには、ちょっと戸惑った。いや、ここ15年、東の文化に慣れてしまったせいかもしれんが、金を入れないと切符は買えないのは常識だと思うんだけれども、なーんか、これって西と東の文化の違いなのか、ユーザーインタフェース的なものが関係してるのか、どういうことなんでしょうか??挙げ句の果てには、10年前の札幌市営地下鉄の券売機には、「障害者割引」のボタンがあった。文化ってなんだ?合理的配慮(Reasonable accomodation)ってなんだ?

個人的には、どちらかと言えば、西の色が濃い場所で育ったもんだから、てっきり大阪の文化や言葉はなじみやすい、と思ってたんだけど。。。高校生から東京に居座っているおかげで、西の奥深き文化を忘れがちになっているようだ。もう少し大阪に根があれば、正直に言って、東京より大阪に住みたいよ、俺は。週末NGKへ行きたいもの。梅田でもいいけど。でも、俺の周りには、なーんだか関西嫌いの人、多いんだよなあ。そんなに毛嫌いせんでも、ええんとちゃうか?

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結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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