獣の数字

  • 日常

何も、俺はクリスチャンじゃないから、「666」というのは大した意味を持たない数字だと思っている。「スロットだとぞろ目だよなあ」とは思うけど。

でも、悪魔崇拝者、特に日本の「聖飢魔II」信者にとっては、黙示録に出てくるよりも重要な単語である。黙示録の場合、獣というか、反キリストだとかいう解釈がされるらしいが、悪魔にとってはむしろ666は悪なる数字そのものなのであり、彼ら自身なのだ。

で、どうしたかというと、どうもしない。 「聖飢魔IIライブしないかなあ」と思っているだけ。

何年か前に、直感でImpelitteriが来日することを知って、そっちは毎年「今年もこないかなあ」と思っているのだけれど、ぜんぜん来ない。そういえば、あの人たち、マーシャルのアンプは飛行機で運んでくるんだろうか、それとも船なのだろうか?船だと航行中に真空管が割れそうだし、飛行機の離着陸でも・・・。だから、ひょっとして真空管ははずして輸送してるんかな?

俺自身は見えなかったけど、友達が、あの、ずらーっと並んだマーシャルに興奮してた。いやあ、ステージではやっぱり、マーシャル並べて積んでやらないとね。

あのImpellitteriのライブは確か2014年だったかな?2015年だったかな?懐かしいねえ。。ロブロックもずいぶん歳だろうに、シャウトちゃんとできてたし、ありゃ、やっぱりアメリカ人ってのは歳食っても日本人とは違うもんなのだろうか?

おっと、話題が逸れてしまった。けれど、いや、まあ、題名通りに内容を書くようなブログではないので、良しとする。

なんで「ファッキン・クライスト」かというと、16世紀から17世紀のことを思うからだ。いや、そりゃクリスチャンにとっては、「我がなる父」であるからして、ファッキン・クライストのいうことは正しいのだと思うけれども、ローマカトリック教会が権力を持っていたころには、そんなファッキン・クライストの純粋な教えは、たぶんスクランブルエッグ並にどこかへぶっ飛んでしまっていたんだろう。

で、問題にしたいのは、コペルニクスとかガリレオは異端審問に欠けられて殺されたというのに、ケプラーはなぜ殺されなかったのか?ということなのである。

だれもが知っているコペルニクスなので細かくは書かなくてもいいだろう。おおざっぱに言えば、あのころ地動説を称えて異端審問で殺された哀れな科学者だ。

ガリレオもいろんなことをやっていて、異端審問にかけられるが、なんとか命は救われた。おお、これがファッキン・クライストのお導きか?

しかしながら、惑星の公転軌道が「太陽を焦点とする楕円」であることを示したケプラーも、同じぐらい死にそうな目にあってもおかしくないのに、彼自身は異端審問にかかることは無かった。母親が晩年、魔女狩りの対象になったようだが。

この3人は、ニュートン力学に送る惑星の運動において重要な役割を果たした人物である。僕は科学誌は専門じゃないからよくしらんが、ガリレオは自由落下の実験もやっていた(ピサの斜塔)らしいから、もう少し貢献度は高いのだろう。

それにしても、あの時代の異端審問とか魔女狩りのことはよく分からん。科学は、神の摂理を解き明かすものとして教会が恐れたことは周知の事実だし、悪いことはとりあえず魔女のせいにしとけばいいというのも、あの時代の文化だったのだろうとは思う。

で、前者は別として、後者はとても悲惨なこと。なんでそうなったかというと、問題はバイブル(清書)だ。あそこには、占いも魔法も禁止だと書かれている。だから民衆も貴族も過剰に反応したんだろう。

ファッキン・クライストは別に悪くないのに、科学者であろうと民間人であろうと、虐殺の対象にしたあの宗教観は好きになれない。もちろん、良いことは言っているが、所詮キリスト教は中東でユダヤ人と戦って、なんか買っちゃったとか、 貼り付けになったジーザスを本気で嘆いて意志をつらぬいたやつらのことだ。だいたい、ローマ帝国がキリスト教を射止めたのが良くなかった・・・。

いやいや、それは、まあいいとして。

ケプラーだ。ケプラーは、世に知られる第3法則まで出版しているというのに、何故かれは異端審問にかけられなかったのか?しかも、ガリレオの異端審問はケプラーの出版よりあと。であるからして、教会が彼らの間違いを認めたとは、どうしても言えない。

これは私の単なる愚鈍な推測であるが。 ティコ・ブラーエがいたのかもしれない。ケプラーは彼に指示していた。そして、ティコ・ブラーエはひたすら星の動きを記録する人物だった。教会にとって、結論さえ分からなければ、いくら記録を取っても問題ではなかったのかもしれない。

とにかく、学校ではキリスト教的世界観が教えられる一方だが、こうした科学者のことも教えるべきである。

病気について

  • 日常

いわゆる精神疾患と、ここのところ診断を受けている。今まではブログでは触れてこなかったが。

そもそもは、睡眠障害が原因だったと思う。神経質な気質である私は、5~6時間程度(場合によっては4時間でもよい)の睡眠を取らないと、なんだか心も身体も調子が出なかった。

もっと遡れば、会社の上司と折り合いが合わないころがあって、そのころから「適応障害」という診断は受けていた。しかし、そっちは1年ぐらいで完治したので、あまり気にしてなかったのである。

さて、睡眠障害と認識してからいくつか病院を回ったが、どうやら医者の見立てでは「抑鬱状態」という診断らしい。そっちが原因で睡眠障害を併発しているとか・・・。あと、たまに抗精神病薬を勧められるので、(適用範囲は広いと言え)統合失調症も疑われているのかもしれない。まあ、精神疾患って、心理検査や診察だけじゃ結構診断が難しく、せいぜい統合失調症の遺伝子検査ができるかどうかぐらいみたいなので、どんなもんか分からないが。

おまけに、春に骨折をした。腕は治った(関節可動域は完治してない)が、背骨が思ったより回復が悪いらしく、今はなにもできないでいる。AmazonとかDアニメストアで、暇つぶしにいろんなアニメを見まくったりしているぐらいだ。

個人的には、背骨が治ればもうちょっと積極的にいろいろできるんだと思うけど、場所的に処置ができないらしく、「家で寝ててください」ということ。「ずっとは無理だろ!」と思いつつ、明らかに活動量は減ってしまった。

そんな中、パートナーも家にいる時間が結構多い。まあ、いいんだか悪いんだかよく分からないのだけど・・・。

とあるWebサイトで、精神科領域の症状が出る人の場合、気質的なことと、夫婦間の問題が多いらしい・・・という記事を読んだ。どっちも、たぶん今の俺には当てはまっていて、それ、医者に言ってどうにかなるもんなのかと、ちょっと考え始めている。

一つ言えることは、「愛しさ」と「依存」と「自己保身」を取り違えているケースは、一般にも多く、それで苦しんでいる人も多いと聞く。数式のように形式的に扱えないのがはがゆい。

現実逃避的な個人的事情より、この2日は超常現象とかOパーツとか、その辺でもたもたしている次第。

子供の頃は、こういった話題を恐怖心として捕らえていた。中学生頃からは、TVタックルの「嵐の大げんか」の影響もあって、コメディーとして捕らえるようになった。そして、大学で計算機のことを学ぶうちに、「こういうのは馬鹿げているが、アカデミズムとは別の意味で面白い」と思うようになった。これが、私の、いわゆる「超常現象全般」に対する考えとなった。

で、私はアカデミズムを選ばなかったので、そういう「のほほん」とした気分で、UFOとか陰謀論なんかを読むのだけれど、そういえば学生時代から知識がアップデートされてないと思って、Webや書籍で最近の事情とか、個人の感想を読みふけっているのである。極めて不健全であることは承知しているのだけれど、アニメやドラマを見ているみたいで、繋がりのありそうな部分を繋ぎ合わせて、どういうことになってるのかを考えるのが、また面白い。

さて、そこで、前々から疑問に思っていた、というか、「どうなんだろう?」と曖昧に考えていたものの、文章にはしていなかったことがあるので、書きたい。

そう、タイトルの件である。

「媒体としての紙」は、デジタル故に仕事を進めてこられた自分にとって矛盾する要素をはらみつつも、時にその必要性、または重要性を考えさせられることがある。

それは、「伝える」という術後についてだ。

この発想は、古代文明の石版を解読するとか、壁画の絵から描写を試みると言った知見に基づいている。

例えば。仮定として人間の感覚が知覚できる範囲において、なんらかの絵または文章、あるいは文字列が書かれた何かがあったとする。それは石版でもいいし、朽ちかけた紙でもいい。そういう媒体に書かれたことは、人間が知覚できるのだから、目視なり手で触るなどして認識できるはず。で、形式と意味を関連付ける法則をどうにか見いだすことができるかもしれない。

でも、現代のように、ペーパーレス化が進み、個人の情報発信はWeb・・・という時代になると、近い将来(数百年とか)は良いとしても、数千年、数万年後に、私たちの知識が伝わるかどうかは、とても怪しい。

デジタル化を例にとれば、まず、入力・記録・保管の最低3つの要素が、媒体に要求される。これに対して、音楽でいうと昔はアナログ波形を焼き付けたレコードが使われ、今はデジタル化されたCD/DVD/BDが用いられる。これらの媒体は、ターンテーブル(レコードの)とか、CDプレイヤーとか、ディスク・ドライブなとどいった、デバイスが無いと読み取れない。しかも、記録された媒体を再生するには、企画に沿った形でデータが記録されていなければならない。デジタルでいうところの、「0と1でサンプリングする」といったり、逆のことだったり、のことだ。

ただ、一時的な記録媒体としては優秀でも、やはり物理的なものなので、劣化はする。それに、扱うデータが増えるごとに、企画も変わるしデバイスも変わる。レコードを再生できる人が、いまいったい、どれだけいることか?

ましてや、Webのような民主的なシステムにおいては、膨大かつ厳密(改ざんを防ぐという意味で)なアーカイブシステムを統合的に運用しでもしないかぎり、だれもその正確性や再現性を後世に保証できない。でも、そんな組織はたぶん無い。アーカイバは有っても、都合が良いように改ざんされるだけだ。

上記のような、わりと面倒なことを考えると、「伝えるにはダイレクトな媒体がいいんじゃねえの?」という思いになってくるのである。

個人的な意見としては。まず、デジタルを進めていくことに異論無し。だが、重要なものは紙のように、ダイレクトに人間が知覚可能な媒体に記録して保管すべきである、ということである。

結局、再生デバイスが無いような状況、もしくは使えない状況で、運用を行うなり、学問的分析を行うなりすることはできないのである。壊れたHDDからデータを吸い出すには費用がかかるし完全な保障はない。それに、そもそもHDDという媒体からデータを抽出、または再生できるデバイスがあればいいけれども。人類滅亡とか、電力のシャットダウンとかで取り出せなくなると、困ったことになる。そういうシチュエーション含め、紙で保管することも一部必要じゃないかな?という考察である。

まあ、そうはいえども。仮に体系化された言語で記述された文字列が有ったとして、その体系を知らない連中がどう解釈するかなんて分からないのだが・・・。少なくとも、0と1で符号化されたデータよりは、目で見て読める媒体の方が、あとあと伝わる確率が高いんじゃないだろうかという話。石版に書くとか、洞窟の壁に絵を描くとか、紙に文字列を書いて日の当たらないところに保存しておくとか。

地球から宇宙へメッセージを送るプロジェクトもあったようだけれど。電波で送るといっても、どうやって変調するかとか、そういうのは受信側か送信側の都合であることが多いし、受信した電波をちゃんと変調してくれることの方が、私は生命誕生より確率的に低い議論だと思うので。

だいたい、ハビタブル・ゾーンと言われているのが、ほんとに生命に必要な要素なのかっていうのも懐疑的なのだ、私は。だって、無機物を栄養源とする生物とか、放射線を栄養源とする生物(まあ、どっちも微生物だけど)もいるようなので、必ずしも水や酸素や有機物が必要とは限らないし・・・。

おお、話題が逸れかけたのでそろそろやめようか。

とにかく、言いたいことはさっきのとおり。

「今は今、後は後、ということで、紙も残そうよ!」

以上。

我れ、若いゆえに若さあり

  • 日常

ちょっと前から、ノスタルジックな気分になることが多くて、最近アニメで余計そうなることは書いた。

中学生の時に、先生が「歳を取るといろいろ難儀になるんだ」と言っていたけれど、30を過ぎてやっと分かった感じ。

でも20代前半のころって、がむしゃらに勉強したり、パソコンを分解したり、ギターをかき鳴らしたり、おまけに町中に酔っ払ってトラップを仕掛けたり・・・。

良い意味でも悪い意味でも、なんでもできた。心配することがなくて打ち込めた、というのもあるし、単純に興味を持ったことをやってれば、僕の場合は学校の成績にも繋がるし技術は身につくし、良かった。

あと、一人暮らしだったので、邪魔はされずに済んだというのもある。

コンピュータをいじっていると、徹夜なんて当たり前。学校のどうでもいい授業で寝て、必修科目は真面目に受けて、帰宅してからはまた夜通しPCで何かする。

何か、というのは、まあサーバー構築であったりプログラミングであったり、いろいろなんだけれど・・・。

まあ、話を戻すと、学生の時は心配せずに使える時間が多かったのと、若かったというので、なんでもできたなあと・・・。思うわけである。

で、今の俺は、心配することはあれど、使える時間はたくさんある。でも、あのときほど、何かしたいと思えない。なんでだろう?目的がないからだろうか?

やっぱり、僕はおじさんになってしまったんだなあ。

タイトルのとおり、「我れ、若いゆえに若さあり」ということかね。。。

恋は雨上がりのように

  • 日常

タイトルの作品は、現在フジテレビの深夜枠で放送中のアニメである。原作はコミックらしいので、たぶん読めないんだけど、この作品、俺的にヒットである。

粗筋とか細かいことはWiki先生で読んでもらうとして・・・。

毎回、涙無くしては見られない作品なのだ。まだアニメは数話放送されると思うけれど、なんというか、ノスタルジック過ぎて・・・。

最初は、JKがおじさんに恋をする話だと思っていた。でも展開が速すぎてどうなることかと思っていたのだけれど、なかなか良い方向に話が進んでいるので、最後まで楽しみなのである。

さて、だれが主人公なのかはよく分からないが。最初の方だけ見ると、部活で怪我をして夢をあきらめたJKと、しがないファミレス店長のおじさんの話だったんだけど。ときどき、そのファミレス店長おじさんが、妙に文学的なことを言ったり、何か書いて居る様子だったりするので、ちょっとおかしいなあと思っていたのである。

内容はさておき、この作品にはいろんな要素が詰まっていて、それが、たまらなく心に響くのだ。

まあ、夢をあきらめたJKとおじさんの恋模様はどうでもいいのだけれど、おじさんのたどってきた過去と今。その辺の話題になると、もうだめなのです。

おじさんは、そのJKと出会って、忘れかけていた気持ちを取り戻そうとしている。彼が青春時代にやってきたこと、その後に起きたこと。彼の人生は、今でこそ、しがないファミレス店長であるが、それゆえに、彼の内心にあるものを表現しているシーンとのギャップに魅力を感じる。

特に、彼が学生時代の同級生と10年ぶりに飲んだときのこと。たぶん彼らが学生だったのは20年以上前のことなんだけれど、そのころに共に過ごした思い出は変わらず、多少事情があったようではあるが、合えば元通り。すぐにそのころの彼らに戻ることができる。

そして、そのときのファミレス店長おじさんは、しがないおじさんではなく、忘れかけたものを取り戻したおじさんであった。

で、こういう部分がなんとなく自分と重なって・・・。自分も、会えば青春を思い出せる友人がいる。この先10年経っても、20年経っても、その友人を失いたくないと思う。

それに、学生時代、俺は特にサークルなんかはやってなかったけれど、あのころ無心で取り組めたことを今しようとすると、なんだか頭が働かないしリスク回避の方向に走ってしまう。これが「大人になった」ということなら、あまりに悲しいなあと思う。

話題は作品に戻るが、久しぶりにあった同級生の言葉が印象深い。40歳を過ぎたファミレス店長が「俺たちも大人になったんだな」というと、同級生は「大人じゃねえよ。同級生だよ。」と返す。

こういうやりとり、たまらなく切なくて、俺自身も周囲の人と、そういう関係でありたいと思う。

結局何が言いたいかといえば、戦争作品以外でヒットしたのは久しぶりだったので、ちょっと書いてみただけ。

その後、大学時代の講義ノートとか読み返して、ぜんぜん訳分からなくて愕然としてしまったことは、ちょっと内緒。

1月23日から、2泊3日で札幌へ行ってきた。友人にあって気晴らししたかったからという、安易な動機ではあるが、ちょうどこの時期は旅費も安く済むので、という理由もあった。

遠隔地に住む友人となら、今時SkypeだのLINEだので話せばいいのだけれど、実際に会って話をする良さというのもあるかなあ・・・などと思い、足を運んだわけである。

で、どうだったかというと、やっぱり良かった。電話で話すにしても、同居人がいたりすると気を遣うし、やはり対面でお酒を飲みながらでないと話がはずまないこともある。そういうことを再確認できた。普段から近くに、飲みながら話せる人がいることが、とても素晴らしいということも、改めて感じた次第である。

まあ、詳細は特に書くつもりはないのだけれど。

せっかくの旅行だというのに、移動の間にいろいろ考えることが多くて困ってしまった。いや、別に考えなくてもいいのだけれど、なんとなく暇で、あちこち見回していると、いろいろな考えが頭をよぎるのである。

例えば、飛行機。安全確保の観点で見れば、主体的に判断することよりも、マニュアルに沿って確実な点検やルーチンワークを行い、異常を見つけることが必要とされる。それができた上で、あれこれサービスが行える。いわば、「安全」というインフラの上に成り立つ商売であるから、そのインフラを確実に守ることは非常に重要だ。

私の良く知るIT関係でも、基本的にはやっぱり「インフラあってのシステム」というか、システムはインフラというか・・・。そんな感じなので、運用する側はクリエイティビティより精密なルーチンワークをこなせる方が向いている。そういう人たちがいて、初めて「じゃあ、新しいアプリを考えよう」とか「もっと改善をしよう」とかいう話になるわけで・・・。

電気にしろ水道にしろ何にせよ、インフラとして当たり前になったら、今度はそれを確実に維持する仕組み(たいていは地味な仕事になってしまうけれど)が必要で、圧倒的にそうした仕事の方が世の中多いなあと。フライトのときに思ったりしたものだ。

こういう余計なことをいちいち考えるんで、なかなか眠れなかったりするんだろうなあ、俺は。困った困った。もっといい加減に生きたいもんだねえ。

最近、はあちゅうさんの「自分」を仕事にする生き方を読んでいる。まだ途中なので本の感想は書かないけれど、今の私にとってはとても良い本である。

視覚障害者に限っていうと今も昔も、自立という言葉を使ってはみても、結局のところ「かごの中の鳥」だ(これについては別の機会に考えを述べたい)。こんなに多様性がある東京でもだ。だから、はあちゅうさんのような生き方に憧れる自分がいるのかもしれない。以前もこのブログでそんなことを書いた気もするけど。。。

はあちゅうさんのことは、東京MXの「モーニングCROSS」で以前、何度か拝見してお話を聞いたことはあったけれど、いろいろと自分の身辺が変わって、なかなか真剣にそうした話を聞くことができずにいた。そこに、「#MeToo」の謙(そう良いことではないけど)で久々にお名前を見て、本を買った。「月刊はあちゅう」もノリで契約しちゃった。

で、今回は、はあちゅうさんのことを書くのが目的ではなくて・・・。視覚障害者の読書についてが話題なのである。

視覚障害者が本を読む手段は一般に比べると多様性は多い。

古典的には、点字に翻訳されたものを読むことが主流だった。

次に出てきたのは、カセットテープ。「朗読」というとニュアンスが違うのだけれど、「音訳」という言葉遣いにはなるが、普通の文字が読めない視覚障害者や、点字を読むことができない視覚障害者に有効な手法だった。点字を習い始めたときは私もカセットテープで、アンパンマンを聞いていたし、もっと切実な人は、鍼、灸、按摩・マッサージ・指圧師の勉強を、カセットテープでやった人も多いはず。

その次に「Daisy」というのが出てきた。まあ、ざっくり言ってカセットテープみたいに音訳された内容を聞くものなんだけど、確かマルチメディアに特化したXMLのサブセット(名前が出てこない・・・)をメタデータとしてCD-ROMにインプットして、見出しごとにジャンプできたり、ページごとにジャンプできたり・・・と、カセットに比べればずいぶん発展したものであった。もちろん、今でもDaisyは音訳データの主流となっている。

それから、Daisyよりも前に、点字をデータとして取り扱う規格がいくつか定められ、準拠したデバイスであれば点字データをコンピュータのようなデバイスで読むこともできるようになった。細かいことだけれど、そうしたデバイスはソレノイドの技術を応用して、点字の凹凸をピンで表現し、表示を可能にするものである。その昔はブレイルライトとか、ちょっと金持ちか、そういうことに積極的な人が持っているものだったけれど、今はネイティブ点字使用者は、何かしらそういうデバイスを持っている。

まあ、視覚障害者の読書環境って、ざっくりいうとこんな感じなのだが・・・。あくまで、これらは、視覚障害者のために考えられたものだったり、 print disabilities (日本語が出てこない)に向けてのものだったりするわけだけど。近年は電子書籍が普及してきたおかげで、より、視覚障害者の読書環境は改善されてきた。たいてい、出版社は、著作権法を理由に、本を点字に翻訳したりすることを良く思ってないので、レギュラーな方法で私たちも本が読めるなら、願ったり叶った利だ。まあ、DRMフリーとか、コピペできる電子書籍じゃないと読めないという問題はあるにしても。

本当のところ、もっとデバイスレベルのことを書かないと、これからの本題は理解しがたいかもしれないけれど、前振りが長すぎるのもどうかと思うので、あとは本題に交えて書くことにしたい。

ここまできて、やっと件名の話ができる。

絶対的とは言わないけど、本を読むのって、やっぱり、点字が一番だと思う。視覚障害者がコンピュータとかiPhoneを使える今の時代でも。やはり、文字として入ってくる情報と、耳から音声で入ってくる情報って、感覚的に違うんだよね。その、理屈で説明するのはなかなか難しいんだけれど。分かりやすい例でいえば、文字なら、理解できなかった部分を何度も読み直せる。けれど、音声だと、多くの場合は聞き流しちゃう。もちろん、巻き戻せばいいんだけど。。。

あと、決定的なのは、数式だ。あんなの、音声で聞いて理解できる人なんか、ほとんどいないだろう。幸い私は数学が好きで、大学も半分ぐらいは数学に浸っていたので、きちんと記号まで読んでもらえれば数式が頭に浮かぶようにできてしまってるんだけど・・・。そもそも、日本語で、どうやって数式を読むのか、大学教授もほとんど理解してない。「f(x)」と書かれたら、皆さんはどう声に出して読むだろうか?私としては「エフ、括弧、エックス、閉じ括弧」とか読んでもらってもいいんだけど、「F of X」というシンプルな表現方法もある。あるいは「エフ・エックス」でもいいんだけど、「FX」かもしれない(まあ、監修としてそんなことはないと思うが)。

そういうわけで、本を読むなら点字だなあと、思ったわけである。

ただ、点字にも弱点はある。まず、重要な箇所にマーキングできない。そりゃ、まあ、工夫すればできるとは思うけど、したところで探索にかかる時間が手間だ。そして、何よりも、点字の表記は、仮名文字、かつ分かち書きを多様するので、点字に翻訳する過程で問題が起きることもしばしば。特に新しい外来語なんかはそうだ。「インターネット」って、普通だったら何も考えずに続けて書くものを、点字では「インターネット」と続けて書くか、「インター ネット」と分けて書くかが問題となる場合がある。見識があれば、「英単語は internet なんだから分けるのはおかしい」ということになるんだけど、どうも、ルール上、本の中で統一されてれば、どっちでもいいらしい。

そういう意味で、スマホのKindleなんかは視覚障害者でも、コンテンツさえきちんとしてれば読めるが、結局のところ、技術的な問題で音声での読書が最適だったり、「ハイライトってどうやるねん?」という問題はアルので。Appleには、iPhoneと点字デバイスの関係をもっと改善して欲しいところではあるが・・・。

いろんなことを、はあちゅうさんが読書するときにメモするということを書いているのを読んで、「ああ、やっぱ、それが一番かな」ろ思った次第。結局、私たちは、本の重要な場所に下線を引くとか、ハイライトするとか、こざいくするより、大学で勉強してたみたいに、重要なことをメモとかノートにするのが一番なんだなあと思ったわけである。音声しか使えない人は、ICレコーダーにでも録音すればいい。それか、前部頭に記憶すればいい。

最後に余談だけれど、みんながみんな、そうできるわけじゃないと思うけど、視覚障害者って、記憶力がどの程度かは、勉強したり仕事したりする上では重要なファクターだと思う。よく思うけど、会議でせわしなくメモを取っている人がいるけれど、会議のようにあらかじめ資料が用意されているような場で、いちいちメモなんか取らなくたって、覚えてればいいのに・・・とは思う。もちろん、長い本を読むときのメモには意味があるし、仕事上でメモをとりシェアすることは、認識の違いをなくす意味で重要なんだけど。

だんだん話が逸れてきた。いつものことだけどね。じゃあ、今日はこれで終わりにします。

今まで自衛隊の戦闘糧食(レーション)をレポートしてみたが、正直、今回はもっと緊急の時に食べるものだ。以下のアマゾンページに詳しく載っている。

救難食糧ER5食入 SOLAS条約準拠

要するに、船で遭難したときとか、航空機のパイロットが緊急射出して降下した際に、救助を待つ間のエネルギー補給が目的の食料でアル。

そのためか、衝撃にも耐えられるよう、缶がしっかりと密封されている。一度開封してしまうと、あんなに密封することはできないだろうなあ、という感じ。ちょっと落としたぐらいではどうってことなさそうだ。まあ、高度数千フィートからの落下も想定しているんだから、当たり前か。

で、内容物としては以下の通り。

  • ビスケットバー5戸
  • 乾燥ゼリー5戸

どうやら、ビスケットとゼリーで1食分のようだ。本気で食料が亡くなってきたら、1回にどっちかを食べることになるかもしれない。

さて、こちらも加熱はいらないので実食してみる。

まずビスケットバー。一番近いのは「カロリーメイト」のノーマル味だ。カロリーメイトはパッケージに細いのが二つ入っているが、このビスケットバーは、カロリーメイト1パッケージ分といった大きさ。

ただ、ここで気になったのは、商品ページにこっそり書かれていた「日本人にもなじみやすい駄菓子風味」の一言。おわかりのように、どう考えても、ビスケットバーは駄菓子風味じゃなかった。

では次に、乾燥ゼリーを食べてみる。ずいぶんと圧縮包装されているので、開封は簡単だが、堅くて、出して食べるまでがちょっと難儀だ。片手を怪我していたら困るだろう。

でだ、乾燥ゼリーを食べてみて愕然・・・。な、なんと・・・。和菓子風味だったのはゼリーのことだったようだ。乾燥ゼリーだというのに、ごまが入っている。しかも、なんか、ザラザラしていて、ゼリーというより、子供の時によく食べた「きなこの駄菓子」を思い出す。はっきり言って、普通に食べる分には、我慢が必要なレベルだ。まずい。

「洗浄をかけっるグルメ本」という本に、「アメリカ軍のMREに入っていたオレンジジュースは石油の味だ」と書かれていて笑ったものだが、どうも、そう笑ってもいられない。

まあ、この乾燥ゼリーが、スーパーの駄菓子コーナーに並んでいるものでなくて良かった。まずいとはいえ、救助を待つ間は、なんとか我慢して食べられるとは思う。

内容物は以上。非常にシンプルだ。まあ、災害の時に比べ、海で救助を待つというのは、エネルギー補給は最低限で良く、むしろ、忍耐力と、助けが来ると信じる気持ちが大事なので、これ以上は言うまい。

さて、アマゾンで入手できて、食べるのにそう困らなそうなものはレポートしてしまった。まあ、他にもMREとか売っているが、説明を読むと、中身はランダムな上に、どうせ説明書は英語で、OCRしたところで、まともに読めるとも思わない。そして、たぶんだけど、加熱にヒーターを使うMREは、アウトドアじゃないと実験できない。

そういうわけで、今度からは、日常生活でも使えるサバゲー装備とか、防災の観点から必要とされるものについてレポートをしてみたいと思う。

予告だが、次はバックパックとハイドレーションシステムについて紹介する予定だ。サバゲとか登山をする人にとっては、そう珍しい装備ではないだろうけど、日常生活でも、なかなか便利なグッズである。

気がつけば2017年も大晦日でアル。ちょっといろいろあって、実家に帰る予定がキャンセルされたり、不愉快なことが多い年末だったけれども。めげずにレーションについて書くことにしようと思う。

さて、今回紹介するのは以下のレーションである。

戦闘糧食II型 防災丸かじりミリメシセット

こちらも、自衛隊の「戦闘糧食II型」であるが、加熱しなくても食べられるタイプである。内容物はこんな感じ。

  • 主 食: パンの缶詰、イタリアンリゾット
  • おかず: 丸かじりチキン、炭焼きチキン、あぶり焼きチキン、ウインナー、コーンスープ
  • その他: バランスクッキー、ドライなっとう、保存水500ml
  • 食 器: スプーン1個

賞味期限は3年だそうであるが、例によって今回入手したものも、いつ製造されたものかが分からなかったので、食べられるものかどうか、よく分からない。なので、みなさんが食べるときは、どうにかして箱に書いてある製造日とか納入日を確認していただきたい。

さて、今回は加熱がいらないものの、立派な食事のように思える。実際に箱を開けてみると、レトルトのおかずみたいなのが、ぎっしりと入っている。セブンプレミアムで売ってるチキンとかハンバーグみたいな感じだ。ただ、スーパーのレトルトは湯煎などして食べると思うが、こちらの「丸かじりセット」の場合は、レトルトをそのまま開封して食べることができる。

試しに、確実に「ウインナー」と分かるものを食べてみた。味は、まあ、まずくないウインナーといった感じ。普通のおいしさを求めると20点ぐらいだけど、非常食ならば、こんなもんかな?という感じ。

他に、どれかチキンを食べてみたが、感想は似たようなものである。避難所で乾パンを食べるよりは良い。

あと、「パンの缶詰」を食べてみた。パンの缶詰なら普通に売ってる気もするが、私は食べたのが初めて。どことなく酸っぱくて、そう、レーズンが混じっているような・・・。腹は壊さなかったので腐ってたわけじゃないんだろうけど、これは、うーん、味の好き嫌いが分かれるかもしれない。

ちなみに、「丸かじりセット」には、スプーンは入っているが食器がない。リゾットとコーンスープの食べ方は研究が必要かもしれない。まあ、箱に書いてあるのかもしれないが、あいにく全盲には見えないので。

さて、加熱しないで良いため、特に調理手順を書くこともないのであるが。上記の内容物は1日分となっているが、特に食べるタイミングの指定がない。そのため、自分の好きなように食べていいようだ。救助を待ち続けるときなど、あまりエネルギーを使わないときは、1回に一つ食べるぐらいでもいいだろうし、ボランティアとして避難所内を駆け回る人は、一度に数個のレトルトを食べても良いだろう。「熱々セット」と違って、摂取量を自分でコントロールできるのは良いことだ。

あと、一応、保存水も入っているので、これも助かる。水はいくらあっても足りないと言うことはない。

これらのセットで主さは1.74kgだそうである。やっぱり軽い。災害時に、自宅で過ごす分には重さはあまり関係ないが、万が一逃げなければならなくなったときに、この軽さは魅力的だろう。もっとも、前回紹介した「熱々セット」も1.76kgとほぼ変わらないのであるが。

「戦闘糧食II型 防災丸かじりミリメシセット」については、正直、これぐらいしか書くことがない。ということは、開ければだいたい食べ方の想像がつくということで、非常時にはもってこいの防災食になるだろう。

ところで、「非常時の食事」としては、こちらが本物だろう・・・という商品がある。「救難食糧ER5食入 SOLAS条約準拠」というものだ。次はこれについて紹介したいと思う。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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