2014年11月の記事一覧

11月から無事働き始めた。ああ、ビールがうまい。

さて、働き始めて「ああ!」と思ったのだが、人間ドックって大変困るなあと思う。ただの健康診断とは訳が違うのである。

まあ、検査される内容についてはよく分からないのだが、最大の問題は「バリウム」である。バリウムそのものは最近おいしくなったらしいのだけれども、いやいや、その後ですよ。

「うんこ、どうするの?」

一般的に、バリウムを飲んだ後のうんこをどう処理するかはそれぞれだと思うけれども、気になる点は次のとおりである。

  • ケツから出てくるときはどんな感触なのか?普通とは違うだろう。なんか、こう、堅いものを産み落とすような、痔になりそうな、そんな感じなのだろうか?
  • 産み落としたうんこをどうやってすくい上げるのか。目が見えていれば、まあなんとかなりそうだけれども・・・。便器に排出されたバリウムうんこって、見なくても取り出せるもの??

間違ってもバリウムを飲んだあと、自宅ではトイレに行きたくないなあと思うのだが、だからといって、出るものは出ちゃうのだからどうにかしなきゃならん。一部には、「人間ドックの後はカフェで時間をつぶしてそこでしてくる」とか「百貨店へ行く」とかいろいろ解決策はあるようだが・・・。

まあ、人間ドックなら、会社のトイレでしてもいいかな、とは思う。けれど、いくら会社のトイレだからといって、流すわけにもいかない。となると、会社のトイレで産み落として、流さず放置するということになるのか?うちの会社のトイレは内側に扉が開くタイプなので、だれも入ってないときはオープンであり、流さないで放置しておくといろいろ不都合なのですが・・・。

何より、近年は個室でケータイを見る人が増加していることにりょり、常に会社トイレの個室は稼働率95%以上という、その辺の情報システムよりよっぽど利用率高いような昨今・・・。個室から人が出てくるのを、歯を食いしばって待っていた人が「ああ!やっと個室空いたわ!」と思って入ったとたん、目の前に広がるバリウムうんこを目にしたら、それはショックが大きすぎるだろう。そういう意味でも、あんまり、放置プレーはだめかなあという気もする。

結局もんもんとするだけで、バリウムうんこをどうやって解決したらいいのかはよく分からなかったけれども、みんなどうしてるんだろう?

11月1日は「点字制定記念日」である。一応、Googleの検索結果に「今日は点字制定記念日です」的な表示が出た年もあった。基本的に俺は毎年忘れていて、何かの時にだれかがそういう話をしてやっと思い出すのだが、今年は、今後の点字についていろいろ思うところがあるので、記念日に寄せて批判的な論調を展開しようと思う。

まず、大前提として、点字は、視覚障害者の教育や文化に、大変に大きな役割を果たしており、点字に関わってきたすべての人々に感謝したいと思う。点字を発案したルイ・ブライユ、日本語点字の基礎を気づいた石川倉次。これらの二人は有名人だけれども、僕が知らない多くの人が点字に関わり、点字で教育を受け、点字による文化を享受してきた。個人的には、視覚障害者の市民権と点字の市民権は切っても切れない関係だと思う。

点字で初等教育と高等教育を受けた私にとって、点字が無ければ今の知識・技術は身につかなかったといってもかごんではない。近年は中途失明者が音声(daisy)で学習を行うケースが増えていると思うが、点字を使いこなせるのであれば、点字を使った学習の方が定着も高いことだろう。そのような理由から、今後も「点字」を存続させていく必要はある。

さて、ここからが本題。

点字を存続させると言っても、視覚障害者を取り巻く環境の変化に伴い、どのように存続させていくかは検討の余地がある。

具体的には、点字のあれこれを決める組織が、もっと柔軟で、かつ、世の中の流れに即した形で議論を進め、これからの世代がもっと点字を活用しやすくなるインフラを整えていくことが必要なのではないだろうか。

次のことは聞いた話である。その、日本の点字のあれこれを取り仕切る組織というのは「日本点字委員会」というところで、点字の書き方などについて喧々がくがくの議論をいつもやっているそうだ。しかも点字大好きな老人たちが。もちろん、一貫性というか統一性を担保することは大切なので、基準を作ることは賛成なのだが、議論の対象が「ます開けをどこにするか」といった、割とどうでもいい議論でめちゃくちゃ長く喧嘩するということらしい。

点字は、おおざっぱに言って、仮名のみで構成されるために、小学校低学年の国語の教科書のように、一定のルールで分かち書きされている。その分かち書きの方法は、国語の文法を元にした小難しいルールになっていて、覚えるのはなかなか大変なのである。だから、生粋の点字ユーザーであっても、正しい点字を書ける人は希だろう。そんな状態だというのに、これ以上分かち書きのルールを増やすことに意味があるとは思えない。むしろ、そんな議論をするよりも、きちんとした点字を浸透させるための議論をした方が良い。

というのも、点字の分かち書きのルールは、過去数回にわたって大幅な改訂があったにも関わらず、昔から発行されている点字新聞とか点字雑誌は、古いままの書き方で編集されている場合が多いのだ。なんで、マスメディア(と言っていいかどうか分からないけど)のそうした動きを批判せず、どうでもいいルール作りの議論をしているのか、私には理解できない。

もちろん、聞いた話なので、事実とは異なるかもしれないし、それだけをやっているわけではないと思う。そうだとしたら、逆に現実を私に教えてください。

広い視野で考えれば、これからの点字というのは、IT技術と密接に関わる形での存続が、おそらく一番可能性の高いことだ。パソコンの画面読み上げソフトが点字ディスプレイに点字を出力したり、点字データを音声や点字ディスプレイで読んだり・・・といった利用のされ方が、すでに一般的になっている。もともと紙の点字の本はかさばることもあって、教育現場と新聞・雑誌以外は、ほとんど点字もデータ化されることが多くなったのではなかろうか。

それに、事務職で働く視覚障害者が増えていることで、学校卒業後に点字を必要としない人も増えている。そのような人たちの中には、点字と墨字の表現のギャップに苦しんでいる人もいることだろう。

分かち書きのルールよりも、そうした社会の変化に対応する点字の有り様を議論していくのが、これからは重要ではないだろうか。

だから、点字のあれこれを取り仕切る組織には、もっとテクノロジーに関わる人々とコネクションを持ってもらい、新しい点字の文化を創造してほしいと願っている。

まあ、全体的な話はこんな感じなんだけど、実は、個別の事案についてはもっと具体的に提案したいことがあったりする。それは、また今度にしよう。そろそろお酒を飲む時間なので・・・。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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