日常 一覧

昨日ごにょごにょとエントリーを書いたので、ついでに、具体的に仕事をしていて困ることについて書いてみようと思う。全盲限定で。

一般に、IT技術の進歩により、情報弱者だった視覚障害者は、以前に比べ多くの情報を取得できるようになったし、発信できるようになった。そして、仕事でITが活用され始めると、その領域で活躍できるチャンスが、視覚障害者、とりわけ全盲にもめぐってきた。

きちんと掘り下げると、今より2,30年以上前、全盲の仕事として「プログラマ」が注目され、当時プログラマとして活躍していた全盲もそれなりにいたようだ。

だが、それも過去の話。細かいことは省略するけど、いつのまにか「プログラマ」はおじゃんになって、今度はエンドユーザとしてITを活用した就労を考える時代となった。仕事でPCを使うのが当たり前の昨今、PCを活用できる全盲なら専門知識がなくても就労できる可能性が広がった、ということである。

けれど、実際のところ、それなりにPCを使いこなしている全盲でも、健常者と肩を並べて仕事してみると、驚きや落胆を経験することが多いはず。何より、困り果てることも多いのではなかろうか。

例えば、大多数の会社では、資料作成にWordとかExcelを使うと思うが、まず、健常者が作ったこれらのファイルを読むにはだいぶ慣れが必要だ。読み上げソフトが正確に読み上げないという問題もあるし、書式がバラバラで読み解くのに苦労することもある。そして、全盲にはほとんど理解できないであろう「色」を用いて、文書の直感的理解を促すようなケースが多い。

また、別の例として、会社のメールソフトとかグループウェアがぜんぜん操作できなくて、情報共有に支障が出る、というようなことも、全盲だったら有り得る。読み上げソフトでどう頑張っても読めないし操作できないシステムというのは、業務システムには割と多い。ただ、本当は、高機能な読み上げソフトを高レベルで使いこなせれば、実は使えるシステムだった、というケースも少なくないけれど。

余談だが、どこぞのなんとかという読み上げソフトは、「スクリプトを書けば読めないアプリケーションも読めるようになる」的なことがカタログに書いてあるけれども、あれは間違いだ。「読みにくい、あるいは操作しにくいアプリケーションが、読みやすく・あるいは操作しやすくなる」ということであって、そもそも潜在的に読めない/操作できないアプリケーションはスクリプトを書いたってなんともならん。反論したい方がいましたら、AccessBridgeを使っていないJavaのGUIアプリケーションを読み上げさせてみて下さい。 (FXとかは大丈夫なのかもしれんが、よく知りません)

この辺は、もうなんというか、慣れるか、あきらめるかのどちらかしか選択肢がない。まぁ、「慣れる」という選択肢の場合だと、いろいろ細かなテクニックはあるけど、まぁ面倒だからいいや。

これら以外にも、PCをそこそこ使いこなせていても、働いてみると落ち込むことはたくさんある。まぁ、2,3年我慢してればたぶんその辺の解決策は経験的に修得できると思うのだが...。もちろん、ただその場をしのいでいたってどうにもならない。変な話、仕事の経験を積むのと同じように、健常者の感覚や文化を理解していく手順が必要だ。

一方、本人の努力だけではどうにもならないことというのもある。IT技術がさらに進歩したり、会社の制度が変わったりしないとだめ、という意味においてだ。

私はIT関連の仕事をしているけれど、特にIT業界は様々な「技術的制約」の中で、システム開発を行ったり運用したりしなければならないことが多い。そして、そうした「技術的制約」は、ほとんどの場合、支援テクノロジと相性が悪い。

あまり具体的なことは書けないけれど、例えば、「システム開発」という仕事については、IDEを使いこなすのが全盲には厳しいので、健常者と同じ生産性でコーディングすることは、割と難しい。もちろんIDEなんか使わなきゃいいだけの話だが、どう考えても、構文エラーの箇所に色が着くあのIDEのエディタには勝てない気がする。

もう一つ。「システム運用」の場合、最近は仮想化とかクラウドとか流行だが、そうでなくとも、データセンタにサーバをハウジングするのは当たり前。するとオペレーションはリモートでやるわけだが、会社によっては、自社開発の、全くスタンダードでないプロトコルを使うため読み上げソフトが対応できないこともある。Windows標準のリモートデスクトップのRDPなら、読み上げソフトでも対応しているのに、そういう「謎のプロトコル」をリモートアクセスに使うことによって、なんか読み上げがおかしくてぜんぜん使い物にならない、というケースを聞いたことがある。Unix系サーバにするか、WindowsもSSHでなんでもできればいいのにね。でも、パワーシェルとか、その辺で最近はあれなんかね?

でだ。そもそも、リモートアクセスがうまく使えるとしても、技術的な理由でどうあがいてもサーバ側には読み上げソフトをインストールしなければならない。なので、有償の読み上げソフトならその分のライセンスが必要だ。10台も20台もサーバがあるのに、そんな本数、読み上げソフトのライセンスなんか買ってられない。

特に、名前は言わないけど、その「スクリプトが書ける読み上げソフト」は、高い金をふんだくるくせにローカライズのときになんかバグが混入するのか、著しく品質が悪いためブルスクとか発生するので、業務用のAPサーバになんかインストールしたくない、ということを思ったりもする。そういう意味では、行儀が良くてオープンソースなNVDAをもっと業務で活用できたらいいなあとは思うのだが・・・。

そうそう。もうほとんど愚痴だけど、このように便利そうなツールがあっても、ITの現場は「ツール使うな」という風潮がある。開発部隊のことは知らないが、運用部隊はどっちかっていうと「余計なツールは使わずに、今ある道具で最適の手順を考えろ」的なことをよく言われる。そういうわけなので、新しいツールを使うのが割と大変な手続きになっていたりする。まぁ、最近はマルウェアとかあるので、ゆるすぎるのもいけないとは思うけど・・・。そのくせ「スクラッチならOK」って意味が分からない。

あと、コンプライアンスは重要だが、あまりにコンプライアンス、コンプライアンス言うために、本当に必要かどうか疑問な審査/承認プロセスが介在して、結果的に業務が遅延したり損失が発生したりすることも少なくない。まったく、エンロンが余計なことしなけりゃ・・・。

だいぶ話が反れてしまったけれども、要するに、IT技術が進歩しても、職場によってはそのIT技術の恩恵を受けることができないので、全盲は苦汁をなめることが多い、ということが言いたかったのである。

今日はITにからめて話を進めてきたので、次はIT以外のことで困る話を書こう。

ところで、VDIでシンクライアントを使うのが当たり前に、たぶんもうすぐなるけど、支援テクノロジは対応できるのだろうか・・・。プロトコルがRDPとICAの二つぐらいならまだいいけど、それ以上増えると、対応しきれないんじゃないか?いや、そもそも、リモートアクセスのために追加ライセンスを買わせようとするどこかの読み上げソフトの思想を直すべきかもしれんが・・・。

会社の健康診断があるのだが、それのために検尿用機を渡された。渡されたのはいいが、なんだか先進的な検尿用機で、どうやって使ったらいいのかよく分からない。

一応、採取方法についての紙ももらったのだが・・・、以下のように書いてある。

(5)採尿の手順(ピー・ポールⅡの使用方法)
  1. ・キャップをねじらず真っ直ぐ抜き取り、採尿容器とカバーに分けます。
  2. 採尿しやすいように、キャップの上部にカバーの口部分をあわせて持ち手を長くします。
  3. 放尿中の尿に、キャップ側の中央にある採取口(かけた部分)を当てて尿を採ります。
  4. 尿を採取後、持ち手として差し込んだカバーを抜き取り、元の位置に戻します。戻すときは、カチッと音がするまでしっかり奥まで差し込んでください。

問題は三つ目の手順、つまり「放尿中の尿に採取口を当てる」方法である。

変な話、私の「ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲」と同じ太さの容器であれば、弾着計算などせず、標的に砲身をぶち込んでファイアすればいいのだが、容器の太さはネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲よりも細い。従って、AAAでターゲットを捕捉する必要がありそうだ。

ここで問題が二つある。

第1に、「放尿中の尿」をどうコントロールするかということである。タンSAMミサイルならレーザーやGPSで終末誘導できるところだが、あいにくそのような技術は使えない。放たれた尿は有線というか、流体なので、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の砲身を直接手動操作して発射方向をコントロールするしかないが、だからといって完全にコントロールできるわけではない。

第2の問題はまさに「under control」の問題。砲身を手動操作することで、ある程度のコントロールは可能だが、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング方から放たれる尿は、その日の体調によって、勢いが良い日もあれば、いまいち切れが悪い日もある。そして、地球上に存在する重力(gravity)により、一定の距離で地面へ落下していく。この一連の尿の動きをどのように捕捉するかを考えなければならない。目視できれば軌跡が分かるのだが・・・。

いろいろ小難しく書いているが、というか、実は上記二つの問題は本質的に同じ問題なのだが、とにかく「放尿中の尿にうまく採取口を当てるにはどうしたらええのん?」ということなのである。

で、健康診断担当の人(女性)は「採尿のことで分からないことがあったらなんでも聞いてくださいね」と笑顔で言っていたけれども、では尋ねていいですか?「どうやって採取口を尿に当てたらいいですか?」と。

でも、「教えて君」ではあるまいし、多少なりとも手段を検討した上で「そういう採取方法は問題ありませんか?」と尋ねる方がいいと思ったので、考えてみよう。

【手段A】 ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の砲身を採尿容器に密着させ発射する。安全そうに思えるが、ネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲の口径の方が容器の口径より小さい場合、溢れる。というか、それができる形状じゃないんですけど、この容器。

【手段B】 紙コップやペットボトルなど、より採取しやすい容器に尿を貯め、それをストローなどの細い管で移し替える。やれないこともなさそうだけど・・・。そこまでしてやるか?

【手段C】 っていうか受付で放尿する。それが一番簡単だ。

だいたい案も出揃ったところで、これを健康診断の担当者(女性)に確認した方が・・・いい・・・ですよね?いや・・・しなくていいですか?

いやまぁ、なんとかして採取できるっちゃできるけど。お風呂場とか、どうにでもなるところで放尿して、なるべくネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲を床に向けて角度がつかないようにすれば・・・いいのかも・・・しれないが・・・。

いや、とりあえず、尿の初速を計測して、地面に対してπ/4(ラジアン)の確度にネオアームストロング・ジェットサイクロン・アームストロング砲を向けて、いろいろガチャガチャ計算すればいいのかもしれないが・・・。

昔のように、紙コップに貯水したのを空気圧でボワーっと容器に吸い込むタイプの検尿用機に、戻って欲しいものだ。紙コップがゴミになるとか、採取方法が面倒だとかで、今の、なんだっけ、オナホールみたいな名前の採尿容器に変わってしまったんだと思うけれどね。

思い出したら腹が立ってきたので、怒りをぶつけます。

とある施設でのこと。障害者でも使えるように設備が配慮された施設である。そこに障害者用トイレというか多機能トイレというか、とにかくそんな感じのトイレがある。それはいい。良いことだ。

そのトイレには、ペーパーホルダーの上に、横に並んだ四つのボタンがあった。点字は書いてない。どれが何のボタンなのか・・・。点字が書いてないので、押してみないと分からない。

それで、分からないけれども、とりあえず今すぐ解放してやらないと俺の腎臓がいろいろ問題を起こす可能性があったので、いろいろ解放したわけである。一通りの解放ルーチンを終え(いや、ルーチンのチンはそういうことではなくroutineであって・・・)、「さて流すか」ということになったわけだ。

しかし前述の通り。おそらくこの四つのボタンのうちどれかが「流すボタン」であるとは思うが、はて、どれであろうか。

考え込んでいてもどうにもならないので、とりあえずトイレ内の洗面台で手を洗った。手は洗ったがトイレは流れてない。なんか、手を洗っておいてボタンを押すのも、今考えてみると順番が違う気もするが、流さねばならない。ので、とりあえず一番左のボタンを押してみた。

すると、どうだろう、便器がなんか反応した。でも、反応しただけで水が流れない。

その瞬間、便器から勢いよくシャワーが天井高く吹き出したのである。だがそのシャワーは、立ちはだかる「俺」に阻まれ、一部を除いて、壁や床にまき散らされた。そして、大半の水は「俺」のジーパンとポロシャツに吸収されたのである。

はい、そういうことなのでありました。マジ、便器をぶっ壊して野郎かと思った。多機能トイレを設置することは良し、ウォシュレットを設置することも良し、分かり安く大きなボタンを付けるのも良し。あと、点字付けて下さい。いや、付けろ!このインポ野郎!

そういうわけで、それが今日の一〇時半ごろの話。とんでもない1日の始まりだった。外は雨だし。もう、今日は寝る。明日朝早いし。

葛藤

  • 日常

踏切に人、助けようと... JR横浜線、一時運転見合わせ

なんとも、いたたまれない事故である。女性が死亡してしまったことは悲しいことだが、おじいさんの命が助かったことは救いかもしれない。死亡した女性は、線路にうずくまっていたおじいさんを助けようと、車から降りて線路の中に入ったそうである。そして、おじいさんは助かり、助けようとした女性は死んだ。

全く関係のない他人からすると、「電車を止めてなんやねん」と思う人もいれば、「勇気ある女性の行動をたたえるべきだ」という人もいるだろうし、あるいは特に何も考えない人もいるだろう。だが、当事者にとっては、どっちにしろ、とんでもないことだ。心中お察し致します。

どういうことかというと、まず、死亡した女性の遺族。これこそ突然の別れ。家族からしたら、なんというか、どう表現したら良いか分からない気持ちになると思う。はっきり言ってたまらない。たまらなく悲しく、たまらなく涙は出るだろうが、たまらなく実感が伴わない、ということになりはしないか?

そして、助かったおじいさんやその家族。命あっての物種、とはいうものの、これもまた、なんと表現して良いか分からない気持ちになるのではないか?他人の命を犠牲にして得た命。たまたま亡くなった人の臓器をもらった、というようなものではなく、明確に特定の個人を助けようという意志の下で助かった命なので、余計、死亡してしまった人への思いというのは、筆舌に尽くしがたいことだろう。私だったら、「そんなにまでして助けてもらって申し訳ない」と思い自殺をしようとするも、それでは女性が報われないと思って、お墓の前で毎日のように手を合わせながら生きていくことだろう。

でも・・・。だれも言わないと思うけど、あえていうけど・・・。女性の遺族にしてみれば、(女性との仲が特段悪くないという前提で)「そこまでして助けることはなかったのに」と思ってしまうんじゃなかろうか。なんというか、たぶんこれは失礼な発言だけど・・・。失礼というか、侮辱なのかもしれないけど・・・。でも、俺が遺族だったら、そういう思いはぜったいに抱く。限りなく罵倒に近い思いを抱く。「なんで助けになんか行ったの?」ってぜったい思う。

あぁ。つらいのう。

困る話

今朝、通勤中の駅で、親切なお方が「どこまで行きますか、一緒に行きますよ」と声をかけてくれたので、お言葉に甘えて途中までつれていってもらったわけであるが・・・。とりあえず、人混みが落ち着いた辺りで「ここからは分かりますので大丈夫です」と言って会社へ向かおうとしたのだが、さらに親切なことに「出口のところまで行きますよ」と言って下さって・・・。

ところが、こういう場面、このようにお気遣い頂くのは、盲人としては有り難いし感謝しなければならないのだが、素直に感謝できない場合もある。例えば、「出口」と言っても、だれもが知っているような大きい出口から、特定のビルに行く人しか使わないような小さい出口まで様々である。そして、小さい出口に行きたいとき、どう説明したら良いか分からないし、説明できたところで援助してくれてる人が分からなくて、あちこち聞き回ってくれてしまうことも、ときどきある。

まさに今日がその場面。私は毎日自分が使う出口だから、道順は分かる。でも、人に説明しようと思っても、出口の名前も分からないし、例えば近くのランドマークを説明しようと思っても分からないし、困ったことになってしまった。声をかけて下さった方も、道順を説明したところで、はっきりとは分からない様子。

このような場合、親切を受け入れて、とりあえず援助者が知ってるところにつれていってもらったりすると、よく分からない出口につれていかれてその後困ってしまうことが多々あるので、最近は慣れた道なら適当なところまで案内をお願いすることにしているわけなのである。しかし、今日のように「いや、行きますよ」とか「暇なので一緒に行きます」と言われることもあるわけで・・・。

まぁ、本音をいうと、正直困る。こちらが「大丈夫です」と言ってるんだから、素直に放置して欲しい。いや、援助してくれようとする気持ちは受け取りたいと思うが、こっちの意志も尊重して欲しいな、と思うわけである。

で、今日はどうしたかというと、親切は受け入れるが私の分かる道を歩いてもらうようお願いをすることとした。でもだめだった。「その道はちょっと込んでますから、別の道で行きましょう」と言われ・・・。結果的には、ぜんぜん知らない出口につれてかれてしまった。まぁ、なんとなく位置関係は予想できる程度の場所だったんだけど・・・。本当に困ってしまった。

結局、会社を目前に「ここはどこ?」状態になって、「ちょっと途方に暮れてみようかな」と思いかけたときに、また別の人に声かけてもらってなんとかなったのであるが・・・。

さて。こういう問題は悩みどころ。むげに断るのも悪いし、だからといって必要以上のヘルプはいらない。せっかく声をかけてくれた人の心を傷つけずに、必要なだけヘルプしてもらうには、どのような言葉が適切なんだろうか・・・。

まぁ、これはもう、どうしようもないから、場面場面で臨機応変に対応していくことしか手はないんだろうが・・・。でも、微妙。

ところで、ぜんぜん別件、というわけでもないが、間違った方向の親切というのも困るものだ。

例えば、駅を歩いていて「どこへ行きますか?」と声をかけられたので私が「どこどこです」と答えたら、「あぁ、そうですか。私は別の方向なので、ちょっと待ってて下さい」と言って、少し離れた場所で「あの方、どこどこまで行くみたいなんですが案内してあげて下さい」と頼む人がいる。あの・・・。すいません。自分でヘルプできないなら声をかけるのは控えて頂けると有り難いのですが・・・。

あと、電車の中で「この方のために席を譲ってあげて下さい」と座っている人に頼んでくれる人もいる。これは、善し悪しは人それぞれかもしれないが、私としては、やらないで欲しい親切の一つである。人に席を譲るよう頼むなら、あなたが捕まっているつり革をお譲り頂きたく・・・。

誤解しないで欲しいのは、親切な行為やお気持ちには感謝していることだ。その親切を適切にぶつけて欲しいのである。従って、ここで私が言いたいのは次の2点。

  • ヘルプされる側の意志や気持ちも尊重して下さい。「援助不要」の意思表示があれば放置してかまいません。まぁ、それでホームから転落して電車に惹かれたりしたら自責の念を抱くかもしれませんが、まぁ、抱かなくてOKです。
  • 自発的、かつ責任取れる範囲の親切を希望します。担当を他社に移転させたり、他人に親切を誘発させる行為はおやめ下さい。

以上。でも、感謝してますよ。昨日の帰りに改札口までつれていってくれた、かわいいOLさん。あれはたぶん13Fの受付の人か、12Fの人だな。あぁ、良い香りだった、でへでへ♪

【追伸】 そういえば、朝駅で声かけてくれたおじいさんが、電車を待ってる間に身の上話をし始めて「あなたはこんなに頑張っているのに、私はぜんぜん頑張ってないんだ・・・」みたいな趣旨のことを言いながら大泣きし始めちゃったことがあったのを思い出した。電車が来たので、泣いてるじいさんを放置して乗車しちゃったけど、あの人今はどうしてるんだろう。たしか、2008年の11月ごろの記事に書いたような気がするが・・・。

年に一度のすてきな日

  • 日常

今日はすてきな1日になりそうだ。

本日は9月2日である。今日は何の日?クンニの日。

以上。

8月20日のプライムニュースは、「少子化時代のお墓事情」ということで、番組を見ながらいろいろ思ったので、どうでもいいことを中心にメモっておこう。
本当は当日書いたのだけれど、いろいろあって公開は8/23となっているため、あんまりリアルタイムではありませんが・・・。

今日のゲストは、宗教学者の島田裕巳先生と、東洋大学教授の井上治代先生。井上教授は初めて見る人だったが(まぁ、そんなにメディア露出するような肩書きでもなさそうだし)、島田さんって、確か創価学会関連の本を書いてる人だった気がする。割とお堅い人かと思っていたが、フランクなプラグマティストのような雰囲気だったなあ。まぁ、それはどうでもいいや。

番組内容は、細かなところをざっくり落として、かなり大まかに纏めると、下記のようなものであった。

  1. まず、日本のお墓事情は家制度の名残である。歴史的には明治以降に法的に整備された慣習である。そして、都市化に伴う火葬の広まりによって、近年では家制度の象徴としての概念が強まってきた。村社会だった頃は土葬だったので、「村の墓地」があるだけで各家の墓を作る習慣は少なかったようである。
  2. しかし家制度が崩壊しつつある現在では、お墓の在り方が多様化しており、死者を葬る形式は個々人の考え方次第になってきた。家制度が機能していた時代は、長男が墓守となって守っていくというのが慣わしであったけれども、親の方が子供より長生きしたり、子供が遠方で働いているなど、昔の習わしではお墓を維持できない状況になっている。

その上で、ゲストの方の取り組みについて紹介があった。

井上教授は「桜葬」というのをやっているそうである。ものすごく簡単にいうと、桜の木の下に骨を埋めてお墓の代わりにするそうである。一応区画も区切ってあるらしい。詳細はめんどくさいのでリンク先参照のこと。ちなみに、井上教授は「こってり葬る派」らしい。

島田さんは「葬送の自由をすすめる会」というのをやっているらしい。こっちも簡単に説明すると、散骨(海や山に骨を蒔く)で死者を葬るということらしい。ということで、島田さんは「あっさり葬る派」である。

さて、ここからは私の感想である。

番組内でも前提として述べられていたことだが、この問題はだれもが共通に抱えている問題である。当然私にも関わってくる。つい先日祖母の初盆であったが、何十年かしたら自分が親の初盆の儀式を行うかもしれないし、それまでに葬儀の形式やお墓について決めておかねばならないだろう。

で、現状良心と自分の生活場所が別々で、割と遠方のため、実際に親が死んだときに墓をどうするかは問題なのである。子供としては、親には世話になっているから、責めて死んだ後ぐらいはそばで墓の面倒ぐらいは見たいと思うが、見知らぬ土地の墓に親が入りたいと思うかどうかが問題だ。もちろん、私の場合は墓の管理を自力でできるか、という問題もあるし、そもそも墓を作る場所を確保できるかどうかも怪しい。

そういうわけなので、母親の方は、「墓は作らず永代供養にしてくれ」とぼそっと言ったりもする。現実的にはそれが妥当のような気がするが、親父は墓に入りたいそうなので・・・。どうなんでしょう。

ただ、永代供養してもらうにしても、お寺に結構高額なお金を払う必要がある。まぁ「それぐらい払え」という話かもしれないが、払えない事情だってあるかもしれない。そういう場合に、前述した桜葬とか散骨といった方式も考え得る。

個人的には、自分自身が死んだときは、このように、あまり後に残らない形で葬ってもらいたいものだが、親を葬るときに、こういう選択をするのはいかがなものだろうか。別に否定的な意味で言っているのではなく、むしろ、もっと一般的な風習として定着すれば、あまり迷いもなく選択できるのに・・・、という思いがあるぐらいだ。

特に桜葬の場合、単純に骨を埋めるスペースを確保するだけでなく、「ある桜の木の下に骨を埋める」という共通点を介して、生前からコミュニティを形成していくというビジョンがあるらしく、家制度の代替として参道できる考えだと思う。少し脱線するが、墓の前に、老いた親の面倒を子供がどう見るかということとも絡んでくる話なのである。遠方に住む親を子供が呼び寄せるというパターンがあると思うが、見知らぬ土地で果たして親は満足するかどうか分からない。そうなるよりも、同じ墓に入る者同士という共通点で繋がったコミュニティを持っていた方が良さそうに思う。

まぁ、焦って結論を出すような問題では、今のところないので、そろそろ考えるのは辞めようと思うが、番組を見ていて「へえ」と思ったことを2点ほどメモしておくことにする。

1点目。現在の家制度の名残は、第2次大戦後に民法を抜本的に変えきれなかったことに由来するそうである。第2次大戦後に民法を見直す際、スローガンは「家制度の解体」だったそうなのだが、保守派の国会議員を納得させて国会を通すために、民法第897条にて、該当する条項を残したということである。詳しくは知らないが。

2点目。東京の青山霊園の使用量は一千万円ぐらいらしい。これに墓石の金がプラスでかかるそうな。東京ってのは、なんでも高いのう。

以上。

毎日自宅と職場の往復ばかりではメリハリがないので、今日はいつもと違うルートで帰ってみることにした。きっと事故っても労災は出ないだろう。

3月に東横線と副都心線が直通運転を始めて、渋谷駅が変わったので、とりあえず今日は渋谷経由で帰宅。

なんでもいいけど、遠い。東横線からJRへ行くにも京王に行くにも遠い。なんか、確かに副都心線のホームは昔から遠かったけど、直通になってから余計遠くなったような気がするんだけど・・・。いや、なんか、今日はヒカリエと繋がっている改札に出てしまったから、余計遠かったのかもしれない。

けれども、今日使った経路は就職してから数年間使っていた経路だ。渋谷駅の乗り換え以外は前と同じ道。なんだかノスタルジーだよ。時間が時間だったせいか、あまりにも渋谷駅が空いていたので若干ショックだったんだが、最近の渋谷はあんなもんなのだろうか。いやまあ、井の頭線は相も変わらず込んでたか。

でも、このルート、無駄に通勤時間がかかるのだけれど、長い距離を歩いたり小まめに乗り換えたりするので、健康には良いかもしれん。会社の近くに住めば疲れも減って健康になると思っていたが、案外そうでもないかもしれない、と思っていただけに、これがたまたまなのか、実際の効能なのかを実験で確かめて見る必要があるかもしれない。

なんか、酔っぱらってバシバシTwitterに投稿していたらアップロードできなくなったので、こっちで吐き出すことにしようかしら。

だめなの、人妻に手を出しちゃ。昔、教育実習のときにいろいろ学んだでしょ?人妻に手を出そうとすると、いろいろめんどくさくなること。

いや、まぁ、若干俺から学級担任の先生(当時、そうさなあ、30代後半ぐらい)を誘ったというか、向こうもそういうそぶりを見せたので「え、これイっちゃってもいいんじゃね?」と思ったわけであるが・・・。だってよ、ただの学制相手に、最終日に涙を流しますか?

まぁ、そんなこんなで。生徒指導より人生の修羅場を経験させていただいた教育実習でありましたが・・・。はい。いや、修羅場はうそだけど。

っていうかさ、そのころのメールなんて読まなきゃいいものを、読んでしまったら、なんともやるせない気持ちになってきたの~!っていうかさっきメールきた。携帯に。だれ?いつでも俺は年上好きだよ。

はい。さようなら。最近。自分の存在価値って何かなって思うことがある。俺なんて、死んでも、あまりグローバルな影響はないだろう。ローカルな影響はあると思うけどな。

ね、たまには弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりするのもありっすよね。だから、これから書く。

第1に、俺はこのままITの仕事をやっていて、将来大丈夫なのだろうかと思う。

今勤めている会社はとても良い会社だ。大企業の看板を背負っているだけはあり、多用な人材が働きやすい環境を整備することに注力している。だから俺のような障害者も雇われているに違いない。

ただ、やはり、制度的に働きやすい、職場の空気も良い。そういう環境であっても、実際の仕事の中身がどうかというのが重要である。求職している人によっては贅沢な悩みかもしれないが・・・。

具体的にいうと、俺が所属している部署の仕事、数年後にはクラウドサービスにほとんどのシステムが移行し、人員も削減されることが決まっている。クラウドに移行しない一部のシステムの保守や、諸々の雑用は残ると思うが、なんか悲しい。まぁ、どちらかというと、個人の問題というよりは、うちの部署がどういう位置づけで社内に残るのかという方が問題のような気もするが、少なくとも、そんな将来はいやだと思う。

ITと言っても、パッケージを作る仕事もあれば、SIする仕事もあって、そっち方面に行くという手もないことはないが、ぶっちゃけIT自体、「もういいですわ」って感じなので、ちょっと、IT以外の仕事を、将来的にはできるように今の家から考えたいと思って射る。

ITやり続けるとしても、大企業ではなく、中小企業である程度幅の広い仕事をしてみたいとも思う。大企業の場合は分業化・専業かが進んでいて、自分の担当分は細かいところまで分かるが、その他はぜんぜん分からないということも珍しくない。だが、小さい組織なら人員も少なく、独りがカバーしなければならない領域も増える。大変だとは思うが、一つのシステムを専業でやるよりも勉強になるかもしれない。また、小さい組織の方が、業務として横断的に他部署と関わることも、大企業よりはしやすいかもしれない。

もちろん、昔ながらの終身雇用的な側面は大企業なら見込めるので、安定感があり、一方中小企業ではそうした安定感は必ずしも望めない。そして致命的なのは、中小企業のほとんどは障害者を雇うほど、金も心も余裕がないことだ。いくらか助成金が出るとは言え、イニシャルコストとか稼働率を考えるとやはり障害者を雇用することは高くつくのだ。なので、やはり大企業に当たって行くしか俺には道がない。

さて、じゃぁどういう職種に転換するのが良いか、ということになると・・・。これはなかなか難しい。一般企業で盲人が担当できる仕事って、はっきり言って限られている。企業に勤めている盲人の大半は人事・総務系の仕事だ。それに、最近ではIT部門の人がちょろっといる。営業職とか、技術職はなかなか難しい。あと、できそうなのは、広報とかかな。もしくは、盲人向けに商売している零細企業を当たって、細々やっていくという手ぐらいだ。

いずれにしても、アベノミクスが効果を発揮するとしてもしばらく先の話だし、今すぐ会社辞めると路頭に迷うし、だからといって将来やりたいこともよく分からんし・・・。いったい、俺はどうしたらいいの?!


第2に、障害者はやはり健常者からすると異質であり、そう簡単に受け入れがたいものなんだろうかと、既に答えの分かっている問いかけに対して、最近深く考えてしまうことがある。

というのも、ちょっといい感じになったメル友に「ご飯食べに行かない?」と送ったら、返信が返ってこなくなった。もちろん相手は健常者、いや、まぁ、子供のころにちょっと付き合いがあった子で、最近十数年ぶりに連絡を取ってみたら、メールでのやり取りが結構続いたし、なんか向こうがそういう話題を振ってくることが多くなったので、思い切ってこっちから声かけてみたのであるが・・・。

この事象は以前から確認されていたので、本当は今更どうこう言うことでもないのは分かっている。中学生のときにBBSで知り合った人も、大学のときにSkypeで知り合った人も、全盲だとメールに書いたとたん、返信がこなくなった。今回は、「メールするのはOKだけど、実際に会うのはちょっと・・・」という思いがあったかどうかは知らないが、結果としては同じである。

分かる。分かるよ。そりゃあ、相手が障害者だなんて自分が苦労するばっかりだし、他人からどう思われるかも分からんよなあ。それが悔しいのさ。そりゃ、他の人から「親に結婚を反対されるのなんて普通だよ」と聞かされたこともあるし、「出会い系で知り合った女と、会って一晩過ごすところまではいったんだけど、次の日の朝起きたら逃げられてた」という話も聞かされたことがある。結局はそれが真実なのだ。どうあがいても、多くの場合それが正しい世間の反応なのである。

もちろん、障害の有無は関係なしに接してくれる人も、世の中にはいる。いるが、相対的に少ない。

ちなみに、本当に、今回のような事象は昔から何度も経験してきたこと。ただ、過去の経験から10年経っても、自分が30歳を間近にしても、ほとんど状況が変わっていないことが、少しショックだっただけだ。で、なんか、最初に書いた仕事のこともあって、少しネガティブな感情がブーストされてしまって深く考えているだけなのだが・・・。


なんかね、もうどうでもいいから書くけどさ。毎年毎年無駄金ばっかり使ったりばらまく、24時間テレビってのがあるけど。あれで募金された金。ジジババが収容されてる施設なんかに、役にも立たない車いすばっかり寄付するのやめろ。ジジババはそう遠くない将来死ぬんだから、もっと若い障害者に夢を与えろ。

例えば、「赤井羽」みたいに障害者に現金を配るとか、オーディションして合格した障害者バンドに資金提供するとか、障害者用の技術開発をしてる会社に投資するとか・・・。

24時間テレビは、集まる募金より経費の方が高いという有名な話があるけれども、ね、合理的に考えればその無駄な経費を募金の代わりに使えばいいのに。面白くもない芸人にギャラ腹ってるんでしょ、どうせ。あれこそ無駄金だ。いや、仕事のない芸人に仕事を与えるという意味ではボランティアなのかもしれんが・・・。

あと、芸能人がマラソンしたり、障害者が頑張ってる様子をドラマ仕立てで放映するのもやめてほしい。芸能人が走ったって、だれも救われやしない。ましてや途中車使ってるのに、100キロ完走とか言われても・・・。あと、あの、「障害者が何かにチャレンジ」とか「これまでの人生の感動のドラマ」みたいなやつは、ほんと有害である。「障害者は頑張るもの、苦難を乗り越えるもの」という気持ち悪い認識が広まるだけだ。だから、ときどき街で「あなたも次の世代に何かを残せるようにいろいろ一生懸命に取り組まないといけないのよ」などと、豚の糞以下の説教をしてくるババアが登場するのだ。

あぁ。ちょっとすっきりしたわ。でもお腹が痛い。なんか、今朝からすげえお腹いたいんだよ。食パン、あれ1週間前のやつ、あれがまずかったかな?

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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