踏切に人、助けようと... JR横浜線、一時運転見合わせ

なんとも、いたたまれない事故である。女性が死亡してしまったことは悲しいことだが、おじいさんの命が助かったことは救いかもしれない。死亡した女性は、線路にうずくまっていたおじいさんを助けようと、車から降りて線路の中に入ったそうである。そして、おじいさんは助かり、助けようとした女性は死んだ。

全く関係のない他人からすると、「電車を止めてなんやねん」と思う人もいれば、「勇気ある女性の行動をたたえるべきだ」という人もいるだろうし、あるいは特に何も考えない人もいるだろう。だが、当事者にとっては、どっちにしろ、とんでもないことだ。心中お察し致します。

どういうことかというと、まず、死亡した女性の遺族。これこそ突然の別れ。家族からしたら、なんというか、どう表現したら良いか分からない気持ちになると思う。はっきり言ってたまらない。たまらなく悲しく、たまらなく涙は出るだろうが、たまらなく実感が伴わない、ということになりはしないか?

そして、助かったおじいさんやその家族。命あっての物種、とはいうものの、これもまた、なんと表現して良いか分からない気持ちになるのではないか?他人の命を犠牲にして得た命。たまたま亡くなった人の臓器をもらった、というようなものではなく、明確に特定の個人を助けようという意志の下で助かった命なので、余計、死亡してしまった人への思いというのは、筆舌に尽くしがたいことだろう。私だったら、「そんなにまでして助けてもらって申し訳ない」と思い自殺をしようとするも、それでは女性が報われないと思って、お墓の前で毎日のように手を合わせながら生きていくことだろう。

でも・・・。だれも言わないと思うけど、あえていうけど・・・。女性の遺族にしてみれば、(女性との仲が特段悪くないという前提で)「そこまでして助けることはなかったのに」と思ってしまうんじゃなかろうか。なんというか、たぶんこれは失礼な発言だけど・・・。失礼というか、侮辱なのかもしれないけど・・・。でも、俺が遺族だったら、そういう思いはぜったいに抱く。限りなく罵倒に近い思いを抱く。「なんで助けになんか行ったの?」ってぜったい思う。

あぁ。つらいのう。