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困る話

今朝、通勤中の駅で、親切なお方が「どこまで行きますか、一緒に行きますよ」と声をかけてくれたので、お言葉に甘えて途中までつれていってもらったわけであるが・・・。とりあえず、人混みが落ち着いた辺りで「ここからは分かりますので大丈夫です」と言って会社へ向かおうとしたのだが、さらに親切なことに「出口のところまで行きますよ」と言って下さって・・・。

ところが、こういう場面、このようにお気遣い頂くのは、盲人としては有り難いし感謝しなければならないのだが、素直に感謝できない場合もある。例えば、「出口」と言っても、だれもが知っているような大きい出口から、特定のビルに行く人しか使わないような小さい出口まで様々である。そして、小さい出口に行きたいとき、どう説明したら良いか分からないし、説明できたところで援助してくれてる人が分からなくて、あちこち聞き回ってくれてしまうことも、ときどきある。

まさに今日がその場面。私は毎日自分が使う出口だから、道順は分かる。でも、人に説明しようと思っても、出口の名前も分からないし、例えば近くのランドマークを説明しようと思っても分からないし、困ったことになってしまった。声をかけて下さった方も、道順を説明したところで、はっきりとは分からない様子。

このような場合、親切を受け入れて、とりあえず援助者が知ってるところにつれていってもらったりすると、よく分からない出口につれていかれてその後困ってしまうことが多々あるので、最近は慣れた道なら適当なところまで案内をお願いすることにしているわけなのである。しかし、今日のように「いや、行きますよ」とか「暇なので一緒に行きます」と言われることもあるわけで・・・。

まぁ、本音をいうと、正直困る。こちらが「大丈夫です」と言ってるんだから、素直に放置して欲しい。いや、援助してくれようとする気持ちは受け取りたいと思うが、こっちの意志も尊重して欲しいな、と思うわけである。

で、今日はどうしたかというと、親切は受け入れるが私の分かる道を歩いてもらうようお願いをすることとした。でもだめだった。「その道はちょっと込んでますから、別の道で行きましょう」と言われ・・・。結果的には、ぜんぜん知らない出口につれてかれてしまった。まぁ、なんとなく位置関係は予想できる程度の場所だったんだけど・・・。本当に困ってしまった。

結局、会社を目前に「ここはどこ?」状態になって、「ちょっと途方に暮れてみようかな」と思いかけたときに、また別の人に声かけてもらってなんとかなったのであるが・・・。

さて。こういう問題は悩みどころ。むげに断るのも悪いし、だからといって必要以上のヘルプはいらない。せっかく声をかけてくれた人の心を傷つけずに、必要なだけヘルプしてもらうには、どのような言葉が適切なんだろうか・・・。

まぁ、これはもう、どうしようもないから、場面場面で臨機応変に対応していくことしか手はないんだろうが・・・。でも、微妙。

ところで、ぜんぜん別件、というわけでもないが、間違った方向の親切というのも困るものだ。

例えば、駅を歩いていて「どこへ行きますか?」と声をかけられたので私が「どこどこです」と答えたら、「あぁ、そうですか。私は別の方向なので、ちょっと待ってて下さい」と言って、少し離れた場所で「あの方、どこどこまで行くみたいなんですが案内してあげて下さい」と頼む人がいる。あの・・・。すいません。自分でヘルプできないなら声をかけるのは控えて頂けると有り難いのですが・・・。

あと、電車の中で「この方のために席を譲ってあげて下さい」と座っている人に頼んでくれる人もいる。これは、善し悪しは人それぞれかもしれないが、私としては、やらないで欲しい親切の一つである。人に席を譲るよう頼むなら、あなたが捕まっているつり革をお譲り頂きたく・・・。

誤解しないで欲しいのは、親切な行為やお気持ちには感謝していることだ。その親切を適切にぶつけて欲しいのである。従って、ここで私が言いたいのは次の2点。

  • ヘルプされる側の意志や気持ちも尊重して下さい。「援助不要」の意思表示があれば放置してかまいません。まぁ、それでホームから転落して電車に惹かれたりしたら自責の念を抱くかもしれませんが、まぁ、抱かなくてOKです。
  • 自発的、かつ責任取れる範囲の親切を希望します。担当を他社に移転させたり、他人に親切を誘発させる行為はおやめ下さい。

以上。でも、感謝してますよ。昨日の帰りに改札口までつれていってくれた、かわいいOLさん。あれはたぶん13Fの受付の人か、12Fの人だな。あぁ、良い香りだった、でへでへ♪

【追伸】 そういえば、朝駅で声かけてくれたおじいさんが、電車を待ってる間に身の上話をし始めて「あなたはこんなに頑張っているのに、私はぜんぜん頑張ってないんだ・・・」みたいな趣旨のことを言いながら大泣きし始めちゃったことがあったのを思い出した。電車が来たので、泣いてるじいさんを放置して乗車しちゃったけど、あの人今はどうしてるんだろう。たしか、2008年の11月ごろの記事に書いたような気がするが・・・。

年に一度のすてきな日

  • 日常

今日はすてきな1日になりそうだ。

本日は9月2日である。今日は何の日?クンニの日。

以上。

8月20日のプライムニュースは、「少子化時代のお墓事情」ということで、番組を見ながらいろいろ思ったので、どうでもいいことを中心にメモっておこう。
本当は当日書いたのだけれど、いろいろあって公開は8/23となっているため、あんまりリアルタイムではありませんが・・・。

今日のゲストは、宗教学者の島田裕巳先生と、東洋大学教授の井上治代先生。井上教授は初めて見る人だったが(まぁ、そんなにメディア露出するような肩書きでもなさそうだし)、島田さんって、確か創価学会関連の本を書いてる人だった気がする。割とお堅い人かと思っていたが、フランクなプラグマティストのような雰囲気だったなあ。まぁ、それはどうでもいいや。

番組内容は、細かなところをざっくり落として、かなり大まかに纏めると、下記のようなものであった。

  1. まず、日本のお墓事情は家制度の名残である。歴史的には明治以降に法的に整備された慣習である。そして、都市化に伴う火葬の広まりによって、近年では家制度の象徴としての概念が強まってきた。村社会だった頃は土葬だったので、「村の墓地」があるだけで各家の墓を作る習慣は少なかったようである。
  2. しかし家制度が崩壊しつつある現在では、お墓の在り方が多様化しており、死者を葬る形式は個々人の考え方次第になってきた。家制度が機能していた時代は、長男が墓守となって守っていくというのが慣わしであったけれども、親の方が子供より長生きしたり、子供が遠方で働いているなど、昔の習わしではお墓を維持できない状況になっている。

その上で、ゲストの方の取り組みについて紹介があった。

井上教授は「桜葬」というのをやっているそうである。ものすごく簡単にいうと、桜の木の下に骨を埋めてお墓の代わりにするそうである。一応区画も区切ってあるらしい。詳細はめんどくさいのでリンク先参照のこと。ちなみに、井上教授は「こってり葬る派」らしい。

島田さんは「葬送の自由をすすめる会」というのをやっているらしい。こっちも簡単に説明すると、散骨(海や山に骨を蒔く)で死者を葬るということらしい。ということで、島田さんは「あっさり葬る派」である。

さて、ここからは私の感想である。

番組内でも前提として述べられていたことだが、この問題はだれもが共通に抱えている問題である。当然私にも関わってくる。つい先日祖母の初盆であったが、何十年かしたら自分が親の初盆の儀式を行うかもしれないし、それまでに葬儀の形式やお墓について決めておかねばならないだろう。

で、現状良心と自分の生活場所が別々で、割と遠方のため、実際に親が死んだときに墓をどうするかは問題なのである。子供としては、親には世話になっているから、責めて死んだ後ぐらいはそばで墓の面倒ぐらいは見たいと思うが、見知らぬ土地の墓に親が入りたいと思うかどうかが問題だ。もちろん、私の場合は墓の管理を自力でできるか、という問題もあるし、そもそも墓を作る場所を確保できるかどうかも怪しい。

そういうわけなので、母親の方は、「墓は作らず永代供養にしてくれ」とぼそっと言ったりもする。現実的にはそれが妥当のような気がするが、親父は墓に入りたいそうなので・・・。どうなんでしょう。

ただ、永代供養してもらうにしても、お寺に結構高額なお金を払う必要がある。まぁ「それぐらい払え」という話かもしれないが、払えない事情だってあるかもしれない。そういう場合に、前述した桜葬とか散骨といった方式も考え得る。

個人的には、自分自身が死んだときは、このように、あまり後に残らない形で葬ってもらいたいものだが、親を葬るときに、こういう選択をするのはいかがなものだろうか。別に否定的な意味で言っているのではなく、むしろ、もっと一般的な風習として定着すれば、あまり迷いもなく選択できるのに・・・、という思いがあるぐらいだ。

特に桜葬の場合、単純に骨を埋めるスペースを確保するだけでなく、「ある桜の木の下に骨を埋める」という共通点を介して、生前からコミュニティを形成していくというビジョンがあるらしく、家制度の代替として参道できる考えだと思う。少し脱線するが、墓の前に、老いた親の面倒を子供がどう見るかということとも絡んでくる話なのである。遠方に住む親を子供が呼び寄せるというパターンがあると思うが、見知らぬ土地で果たして親は満足するかどうか分からない。そうなるよりも、同じ墓に入る者同士という共通点で繋がったコミュニティを持っていた方が良さそうに思う。

まぁ、焦って結論を出すような問題では、今のところないので、そろそろ考えるのは辞めようと思うが、番組を見ていて「へえ」と思ったことを2点ほどメモしておくことにする。

1点目。現在の家制度の名残は、第2次大戦後に民法を抜本的に変えきれなかったことに由来するそうである。第2次大戦後に民法を見直す際、スローガンは「家制度の解体」だったそうなのだが、保守派の国会議員を納得させて国会を通すために、民法第897条にて、該当する条項を残したということである。詳しくは知らないが。

2点目。東京の青山霊園の使用量は一千万円ぐらいらしい。これに墓石の金がプラスでかかるそうな。東京ってのは、なんでも高いのう。

以上。

毎日自宅と職場の往復ばかりではメリハリがないので、今日はいつもと違うルートで帰ってみることにした。きっと事故っても労災は出ないだろう。

3月に東横線と副都心線が直通運転を始めて、渋谷駅が変わったので、とりあえず今日は渋谷経由で帰宅。

なんでもいいけど、遠い。東横線からJRへ行くにも京王に行くにも遠い。なんか、確かに副都心線のホームは昔から遠かったけど、直通になってから余計遠くなったような気がするんだけど・・・。いや、なんか、今日はヒカリエと繋がっている改札に出てしまったから、余計遠かったのかもしれない。

けれども、今日使った経路は就職してから数年間使っていた経路だ。渋谷駅の乗り換え以外は前と同じ道。なんだかノスタルジーだよ。時間が時間だったせいか、あまりにも渋谷駅が空いていたので若干ショックだったんだが、最近の渋谷はあんなもんなのだろうか。いやまあ、井の頭線は相も変わらず込んでたか。

でも、このルート、無駄に通勤時間がかかるのだけれど、長い距離を歩いたり小まめに乗り換えたりするので、健康には良いかもしれん。会社の近くに住めば疲れも減って健康になると思っていたが、案外そうでもないかもしれない、と思っていただけに、これがたまたまなのか、実際の効能なのかを実験で確かめて見る必要があるかもしれない。

なんか、酔っぱらってバシバシTwitterに投稿していたらアップロードできなくなったので、こっちで吐き出すことにしようかしら。

だめなの、人妻に手を出しちゃ。昔、教育実習のときにいろいろ学んだでしょ?人妻に手を出そうとすると、いろいろめんどくさくなること。

いや、まぁ、若干俺から学級担任の先生(当時、そうさなあ、30代後半ぐらい)を誘ったというか、向こうもそういうそぶりを見せたので「え、これイっちゃってもいいんじゃね?」と思ったわけであるが・・・。だってよ、ただの学制相手に、最終日に涙を流しますか?

まぁ、そんなこんなで。生徒指導より人生の修羅場を経験させていただいた教育実習でありましたが・・・。はい。いや、修羅場はうそだけど。

っていうかさ、そのころのメールなんて読まなきゃいいものを、読んでしまったら、なんともやるせない気持ちになってきたの~!っていうかさっきメールきた。携帯に。だれ?いつでも俺は年上好きだよ。

はい。さようなら。最近。自分の存在価値って何かなって思うことがある。俺なんて、死んでも、あまりグローバルな影響はないだろう。ローカルな影響はあると思うけどな。

ね、たまには弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりするのもありっすよね。だから、これから書く。

第1に、俺はこのままITの仕事をやっていて、将来大丈夫なのだろうかと思う。

今勤めている会社はとても良い会社だ。大企業の看板を背負っているだけはあり、多用な人材が働きやすい環境を整備することに注力している。だから俺のような障害者も雇われているに違いない。

ただ、やはり、制度的に働きやすい、職場の空気も良い。そういう環境であっても、実際の仕事の中身がどうかというのが重要である。求職している人によっては贅沢な悩みかもしれないが・・・。

具体的にいうと、俺が所属している部署の仕事、数年後にはクラウドサービスにほとんどのシステムが移行し、人員も削減されることが決まっている。クラウドに移行しない一部のシステムの保守や、諸々の雑用は残ると思うが、なんか悲しい。まぁ、どちらかというと、個人の問題というよりは、うちの部署がどういう位置づけで社内に残るのかという方が問題のような気もするが、少なくとも、そんな将来はいやだと思う。

ITと言っても、パッケージを作る仕事もあれば、SIする仕事もあって、そっち方面に行くという手もないことはないが、ぶっちゃけIT自体、「もういいですわ」って感じなので、ちょっと、IT以外の仕事を、将来的にはできるように今の家から考えたいと思って射る。

ITやり続けるとしても、大企業ではなく、中小企業である程度幅の広い仕事をしてみたいとも思う。大企業の場合は分業化・専業かが進んでいて、自分の担当分は細かいところまで分かるが、その他はぜんぜん分からないということも珍しくない。だが、小さい組織なら人員も少なく、独りがカバーしなければならない領域も増える。大変だとは思うが、一つのシステムを専業でやるよりも勉強になるかもしれない。また、小さい組織の方が、業務として横断的に他部署と関わることも、大企業よりはしやすいかもしれない。

もちろん、昔ながらの終身雇用的な側面は大企業なら見込めるので、安定感があり、一方中小企業ではそうした安定感は必ずしも望めない。そして致命的なのは、中小企業のほとんどは障害者を雇うほど、金も心も余裕がないことだ。いくらか助成金が出るとは言え、イニシャルコストとか稼働率を考えるとやはり障害者を雇用することは高くつくのだ。なので、やはり大企業に当たって行くしか俺には道がない。

さて、じゃぁどういう職種に転換するのが良いか、ということになると・・・。これはなかなか難しい。一般企業で盲人が担当できる仕事って、はっきり言って限られている。企業に勤めている盲人の大半は人事・総務系の仕事だ。それに、最近ではIT部門の人がちょろっといる。営業職とか、技術職はなかなか難しい。あと、できそうなのは、広報とかかな。もしくは、盲人向けに商売している零細企業を当たって、細々やっていくという手ぐらいだ。

いずれにしても、アベノミクスが効果を発揮するとしてもしばらく先の話だし、今すぐ会社辞めると路頭に迷うし、だからといって将来やりたいこともよく分からんし・・・。いったい、俺はどうしたらいいの?!


第2に、障害者はやはり健常者からすると異質であり、そう簡単に受け入れがたいものなんだろうかと、既に答えの分かっている問いかけに対して、最近深く考えてしまうことがある。

というのも、ちょっといい感じになったメル友に「ご飯食べに行かない?」と送ったら、返信が返ってこなくなった。もちろん相手は健常者、いや、まぁ、子供のころにちょっと付き合いがあった子で、最近十数年ぶりに連絡を取ってみたら、メールでのやり取りが結構続いたし、なんか向こうがそういう話題を振ってくることが多くなったので、思い切ってこっちから声かけてみたのであるが・・・。

この事象は以前から確認されていたので、本当は今更どうこう言うことでもないのは分かっている。中学生のときにBBSで知り合った人も、大学のときにSkypeで知り合った人も、全盲だとメールに書いたとたん、返信がこなくなった。今回は、「メールするのはOKだけど、実際に会うのはちょっと・・・」という思いがあったかどうかは知らないが、結果としては同じである。

分かる。分かるよ。そりゃあ、相手が障害者だなんて自分が苦労するばっかりだし、他人からどう思われるかも分からんよなあ。それが悔しいのさ。そりゃ、他の人から「親に結婚を反対されるのなんて普通だよ」と聞かされたこともあるし、「出会い系で知り合った女と、会って一晩過ごすところまではいったんだけど、次の日の朝起きたら逃げられてた」という話も聞かされたことがある。結局はそれが真実なのだ。どうあがいても、多くの場合それが正しい世間の反応なのである。

もちろん、障害の有無は関係なしに接してくれる人も、世の中にはいる。いるが、相対的に少ない。

ちなみに、本当に、今回のような事象は昔から何度も経験してきたこと。ただ、過去の経験から10年経っても、自分が30歳を間近にしても、ほとんど状況が変わっていないことが、少しショックだっただけだ。で、なんか、最初に書いた仕事のこともあって、少しネガティブな感情がブーストされてしまって深く考えているだけなのだが・・・。


なんかね、もうどうでもいいから書くけどさ。毎年毎年無駄金ばっかり使ったりばらまく、24時間テレビってのがあるけど。あれで募金された金。ジジババが収容されてる施設なんかに、役にも立たない車いすばっかり寄付するのやめろ。ジジババはそう遠くない将来死ぬんだから、もっと若い障害者に夢を与えろ。

例えば、「赤井羽」みたいに障害者に現金を配るとか、オーディションして合格した障害者バンドに資金提供するとか、障害者用の技術開発をしてる会社に投資するとか・・・。

24時間テレビは、集まる募金より経費の方が高いという有名な話があるけれども、ね、合理的に考えればその無駄な経費を募金の代わりに使えばいいのに。面白くもない芸人にギャラ腹ってるんでしょ、どうせ。あれこそ無駄金だ。いや、仕事のない芸人に仕事を与えるという意味ではボランティアなのかもしれんが・・・。

あと、芸能人がマラソンしたり、障害者が頑張ってる様子をドラマ仕立てで放映するのもやめてほしい。芸能人が走ったって、だれも救われやしない。ましてや途中車使ってるのに、100キロ完走とか言われても・・・。あと、あの、「障害者が何かにチャレンジ」とか「これまでの人生の感動のドラマ」みたいなやつは、ほんと有害である。「障害者は頑張るもの、苦難を乗り越えるもの」という気持ち悪い認識が広まるだけだ。だから、ときどき街で「あなたも次の世代に何かを残せるようにいろいろ一生懸命に取り組まないといけないのよ」などと、豚の糞以下の説教をしてくるババアが登場するのだ。

あぁ。ちょっとすっきりしたわ。でもお腹が痛い。なんか、今朝からすげえお腹いたいんだよ。食パン、あれ1週間前のやつ、あれがまずかったかな?

最近、自分が殺されたり他人が死ぬ夢をよく見る。結構記憶に残るぐらいの感じで。

初夢は、「アナザー」のヒロインである見崎鳴ちゃんが、何故か「いないもの」にされていることをすごく悲しんでいて、俺に泣きついてきて、俺はそっと抱きしめてあげる夢だった。もちろん、鳴ちゃんは死んだ。同じ日、そのあとに見た夢は、家族で鍋料理を食べているときに、何故か独りずつ頭を打たれて殺されていく夢だった。

次の日に見た夢は、たぶん世界観としては昭和前半、戦前である。古めかしい町並みで、何故か中日ドラゴンズのファン感謝祭のような催しが開かれていて、俺はそこに参加していたのだが、床に落ちたティッシュを拾って捨てようとしたら、「おい!それ拾ったのか、速く病院に行くぞ」と親父に言われ、病院へ行ったのである。病院も、なんだか病院というか、町の酒屋みたいなところで、入る前に天皇陛下のご加護で診察を受けられることに感謝する趣旨の言葉を述べなければならなかった。そこで下された診断は「うん、サイコガスだな。6時間もしたらやられる。サイコガスを取り除くには手を洗うことだ」と言われ、それから6時間えんえんとたらいの水で手を洗う夢だった。結局俺は死んだが。っていうか「サイコガス」ってなんですか?

以上があらましである。まぁ、人が死ぬ夢なんてみても、そう良い気分ではないわね。責めて、敵と交戦中に死ぬならまだしも、病気とか訳の分からないままに射殺されるとか勘弁してほしい。でも、鳴ちゃんの夢は切なかったなあ。なんか、厳密にいうと、「いないもの」として扱われているときは囚人のように番号がふられていて、鳴ちゃんは163番だったらしい。人を数字で識別するしきたりとか、鳴という名前があるのに数字で呼ばれる苦悩なんかを、いろいろ話してくれて、もう泣いちゃってて鳴ちゃん、もうそれがたまらなく愛おしくて・・・。あぁ。夢で良かったのやら、良くなかったのやら・・・。

で、あまりに人が死ぬので、そういう夢にはどんな意味があるのかと、遊び半分でネット検索してみたら、だいたい次のようなことを暗示しているようだ。

  • 自分が死ぬ夢は、今の自分を変えたい、今の自分から脱皮したいという思いの表れ。自分が殺されるのは、外界から自分を変える圧力があるという暗示。
  • 他人が死ぬ夢は、自分がその人から自立したいという思いの表れ。

前半の「自分を変えたいという思いの表れ」というのは、あながち間違ってないような気はする。ちなみに、それからいろいろ調べたり人の話を聞いたら、どうも、夢の内容が表す意味というのは心理学的にも研究がなされていて、上記の内容はほぼ正しいらしい。

確かに、最近たんたんと過ぎていく日々に物足りなさを感じたり、今の状態が今後長く続くのかと考えると、今別のことを始めて何かのきっかけを作らないといけない、という思いになることがある。現在俺は会社員であるが、どちらかといえば、充実した会社生活を過ごせているわけではない。仕事があるだけ幸せという向きもあろうが、それはそれとして、現状に不満を持っている。しかも、現状のままでは、今後30年、同じような状態が続きそうだ。

これが、嫁さんや子供でもいれば、文句も言わずに働かないといけないなぁ、と思うのだろうが、あいにく俺は独り身である。だから、もっと自分の思うように人生を過ごしたい。このままではだめになりそうだという思いは強い。

そういう思いが、きっと夢になったのだろう。

じゃぁ、具体的にどう変えるか。それが問題である。問題であるが、正直どう変わりたいかよく分からない。なんとなく今と違う状態になりたいというだけで、何か目標や目指すものがあるわけではない。困ったものだ。無気力、無関心、無感動・・・。「無」がすべてのことに付きそうな俺の今の気持ち。これでいったい自分をどう変えろというのか。

そこで止まっていては何も進歩しないので、とりあえず、思いや目標は別として、行動を先行させるとしたら、どんなことで今の状態を変化させられるか、ちょっと考えてみた。

  1. 放送大学で学ぶ。学費が無いので仕事しながらになるが、前から心理学とか哲学を勉強したいと思っていた。就職する前の大学は理系だったから、今度は文系の学問をやりたくて、しかも心理学や哲学はわりと前から興味があったので。ただ、ほんとに勉強するとしたら心理学かな。哲学は、研究者にでもならない限り、キャリアには繋がりそうにないから。
  2. 教員になる。まだ次の採用試験を受けるには間に合う時期だ。教員免許は持っているし、学制のころ教員なるとしたら何年か会社で働いてからだと思っていたこともあり、そう悪くない選択だと思う。しかし、教員がやりたいから教員になるというわけでもないので、果たしてそんな選択していいのかどうか・・・。「はっきり言って教員は厳しいよ」と、教育実習担当だった先生に言われたっけな。
  3. アメリカに行く。何をするわけでもないが、とりあえずアメリカに行く。100年前だったら、死ぬ思いでインペリアル・バレーを耕すっていう選択肢はあったかもしれんが・・・。今アメリカに行って何かやるとしたら・・・。蕎麦屋かな。
  4. 鍼灸の免許を取る。一番現実的ではあるが、そのあと仕事として鍼灸をやるのはちょっとなあ・・・。最終手段にしたい。
  5. ほんとに死ぬ。死ぬときにほんの少し勇気がいるのと、悲しんでくれそうな親や友達を泣かせてしまうことへの罪悪感に耐える勇気と、遺書やその他諸々の記録を参照できるように自分のPCの管理者権限パスワードを信頼できる人に生きている間に教えて、且つ死ぬまでの間にハッキングされるのではないかという疑心暗鬼に打ち勝つことができれば、死ねると思う。たぶん最後が一番難しいので、無理だな。

ま、じっくり考えよう。とりあえず何か勉強はするか。

本日は2012念最後の日でありますから、何か書き残しておこうかと思いまして、こうして筆を執る代わりにキーボードをたたいております。

さて、実家に帰ってきたのだが、仕事帰りにそのまま帰ってきたため、スーツしか着るものがない。普段着がない。出かけるのにスーツで出かけるわけにはいかない。

そいだもんで、とりあえず洋服の青山に90&%引きの安いスーツを買いにいくついでに、ズボンを買いにいったのだ、カジュアルの。できればエドウィンかリーバイスのジーパンを買いたいと思っていたのだけれども、その青山はあまり大きな店ではなかったので、ジーパン置いてなかったのである。

で、しょうがないから綿パンを買った。ところがそのパンツ、ゴミが目立つ。黒いパンツであるが、その、白いのが・・・よく分かる・・・。

今実家に帰ってきて家族と一緒にいるので、そういうことも分かるのであるが、一人で洋服を買ったときに、じつはそれが汚れの目立つものか否かは分からないなあぁと思うと・・・。難しいもんだ。店員にそんなこと聞けへんしなあ。

とりあえず、そんなこともありつつだね、私は酔っ払っていてだね。最近実家に帰ってきてから飲みまくっているため、ヘボヘボ・バーバババ。ルンルンンランラン・ポンポポポン☆

さあ、行こう。宇宙へ。今何もしないで宇宙へ行ったら確実に死にますが、とりあえず本当に死ぬかどうかは行ってみなきゃ分かりませんから、とりあえずハイソックス履いて行こう。あるいは、ミニスカートでOK?

将来的には宇宙服はミニスカサンタか赤い鼻のトナカイの中に入っている山田君のお父さんの奥さんが昔面倒を見ていた農家の次男の嫁の弟が履いていた長靴のゴムになるでしょうけれどもね。

じゃぁ、良いお年を。来年は、生きていることが幸せと思えるような出来事が起きることを期待しています。

来週の土・日・月と暇なので、何かしようと思うのだが、何も予定を入れられなかった。周りのやつらはクリスマスとかいう外国の風習に洗脳されているようで、ちっとも予定が空いてるやつがいない。極めつけは、独身・彼女無しの友達さえも、遠方に女の尻を追っかけに行くらしい。

だが、よく考えてみたら、他にも女っ気のない友達はいくらかいたので、そいつらを集めてみるかどうか考え中。けれども、ここは勇気を持って、この時機を一人で過ごしてみるというのはどうだろうか。

  1. 一人で映画を見に行く。周りはホーリーナイトの余興で来ている連中が多いとは思うが、それっぽいタイトルは避けて、カップルじゃこなさそうなのをチョイスしてみよう。ちなみに今近くの映画館で上映または上映予定、且つ先述の条件に該当しそうなのは以下の作品である。
    • 「仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム」。親子連れが多そうで、これはこれで気まずいかも。
    • 「劇場版イナズマイレブンGO vs ダンボール戦機W」。同上。
    • 「007 スカイフォール」。いや、カップルもいそうだが・・・。007なので。
    • 「北のカナリアたち」。内容があれなんで、カップルではあまりこないような気が、個人的にはする。
    • 「青の祓魔師(エクソシスト) 劇場版」。これってどういう年齢層の人が見にくるのだろうか。ちなみに、俺は見たいけど・・・。でも、これよく見たら12/28公開じゃん。
  2. 三日間、毎日ケンタッキーへ行く。夜などに行くと、たぶんしばらく立ち直れなくなること間違いない。
  3. 高級レストランに一人で行く。断られる可能性も高いが。
  4. 無断出勤。それはそれで怒られそうだ。
  5. 飲んだくれる。外界から隔離された自宅で三日三晩飲み続ければ、何か新しい心理に辿り着くやもしれぬ。

結局良いアイデアは思いつかないから、最近ぜんぜん合ってない連中でも誘って何かすることにしよう。

ところで、日本では何故クリスマスを恋人と過ごすのだろう。普通は家族と過ごすもんだろう、クリスマスって。恋人たちもクリスマスぐらい実家に帰って家族と過ごすべきだ、クリスマスるなら。そして教会へ行け。

そういや、2年前のクリスマス、夜3時ぐらいにSkypeで適当に外国人へ電話していたら、たまたまドイツ人のかわいい女の子と話をしたっけ。それで、せっかくだからドイツ語勉強しようとしたけど、アルファベットの読み方と発音だけでドイツ語の勉強は終了してしまった。なんだか、今に比べてそのころは日本以外の文化に対してすごく興味があったのだが、最近は無くなってしまったねえ。ちょっと、気軽に外国人と会話できるようなチャンスはないものかな。英会話スクールとかではなくてね。

そう、ちょうどSkypeが出始めてまだSPAMなどがSkype上では存在しなかったころ、あちこちの外国人に電話しまくっていろいろ話をしたものだ。相手が男でしかも大学生ぐらいだと、だいたいドラゴンボールの話をすれば通じた。ポーランド人の18歳の高校生とは、アメリカのブッシュ大統領に対しての考え方を議論した(当時イラク戦争中だったので)。彼は「ブッシュは嫌いだ」と言っていたが、どうしてかまではよく分からなかった。今では、歴史を学んで理由はだいたい推測できるが・・・。あとは、アメリカ人の男から電話がかかってきて「今私はボーイフレンドとFUCKしているところだ。君も外に出て人をつかまえて、一緒にFUCKしよう。」と意味の分からないことを言われたり、別のポーランド人からは陰部の名称を日本語とポーランド語でどう言うかを教え合ったりもした。今じゃこんなことできないね。

あぁ、思い出した。最初知らない人からSkypeきて出たら日本語しゃべるから日本人だと思っていたら、フランス人だったこともあった。しかも狛江に住んでたらしい(笑)。

今ではFacebookのように何か目的・価値観などを共有する人たちが集まる場はたくさんあるが、前述のように気まぐれな感じで、しかもあまり苦労せずいろいろな人と会話することができなくなってしまい、とても残念だ。まぁ、俺が知らないだけかもしれないのだが・・・。

ITが進歩する一方、迷惑な連中のせいで、そうした良い側面がネットから消えていくのは大変嘆かわしい。もうその時代には戻れないと思うけど・・・。それよりは俺みたいな古い人間がソーシャルメディアをもっと活用すべきということなのだろうか。

タッチパネルが困る話

  • 日常

この前、会社で飲み物を買おうと思って財布を確認したら、中に1,000円しか入ってなかった。確かに給料日は少し先でちょうど金が無くなってくるころだけれども、流石に1,000円は中学生のお小遣いレベルで困ってしまった。

普通の日ならまだ良かったのだが、ちょうど飲みに行く日で、現金持ってないとやばい。そこで、会社の人にビル内のATMの場所を聞いて引き出しに行ったのだが・・・。Oh! No! タッチパネルしかなくて、数字キー付きのインターフォンが無かったため、現金が・・・。

そういう話を会社の人としているとき「見えないとタッチパネルが使えなくて困るよね。でも最近タッチパネル多いから困らない?」と言われた。

ええ、タッチパネルが溢れていて大変困っている。詳しく説明しておいたので、そのメモをここにも残しておこう。

第1にさっきのATM。郵便局のATMはハードキーが付いているし、最近は銀行ATMでもインターフォンに数字キーが付いていて、その数字キーで引き出し/預け入れの操作ぐらいだったらできる機械が多くなってきているが、依然としてタッチパネルしかないATMも存在する。某コンビニのATMとか。セブンイレブンじゃありませんよ。それに、関東は需要が多いのであれだが、地方なんかだとユニバーサルデザインATMは少ない所もあるんじゃなかろうか。

第2にカラオケ。デンモクに代表されるように最近はタッチパネルの端末でリクエストする。これが使えれば便利だなぁと思うのだが、残念なことにそうした端末を直接利用することはできない。だから、全盲だけでカラオケにいくと、インターネットでリクエスト番号を検索して、昔ながらの数字ボタンのリモコンでリクエストを入れるのだ。ただし、最近はiPhone上で動作するアプリを使って、デンモクのようにリクエスト操作ができるようだ。「デンモクLite」というアプリを使って、DAMの機械で昨日試してみたが、自分のiPhoneで検索した楽曲をリクエストしたら、ほんとに入った。あれはなかなか画期的だが、カラオケの機械とiPhoneをペアリングするのにQRコードを読み取る必要があるなど、そもそも全盲がデンモクの代わりに使うことを想定してなさそうな感じはプンプンする。あ、そういえばジョイサウンドのアプリは「VoiceOver対応」と書いてあって確かに読むけど、ペアリングは全盲でも自力でできるのかなあ・・・。

第3に飲食店での注文。安い居酒屋は人件費削減の一貫としてタッチパネル端末からの注文が可能となっていて、普通店員を呼ぶ手間もかからないから歓迎されるだろう。けれども、すいません、全盲はどうやって注文すれば?会社の人と飲みに行くときは問題ないけれども、全盲の有人と飲みに行って、たまたま入った店がそういうシステムだったもんで、だいぶ困った。そのときは、しょっぱなに案内してくれた人に最初の注文を伝え、その後は飲み物や食べ物を持ってきたときにバケツリレーよろしく追加注文を途切れさせないようにして対処した気がする。あぁいうところで、何も無い状態から店員をつかまえるのは容易でないので。

飲食店については、最近回転寿司もそんな感じであろう。回転寿司なのに、回転してるやつを取らずに注文ばっかりしてる人が最近は多い気がする。もう、あのベルトコンベアは、注文の品を届けるためのツールと化しているのでは?当然そんな回転寿司でも自分では注文できず・・・。はま寿司のシステムでは注文確認の際に音声が出るから、注文のときにも音声を出そうと思えば出せそうなんだけどなぁ。

ただし、回転寿司の場合、そもそも全盲は皿を取れないという問題があって、注文どうこうはその問題をクリアしてからでないといけない。これについては、「皿に非接触型ICチップを埋め込んでカードリーダで読み取ることにより、現在回っている寿司のネタを判別できるのではないか」というアイデアを具体的に俺が考案したのだが、一向にそのシステムが開発されたという話を聞かないねえ。と思っていたら、考案しただけで文章化していなかったらしい。では、この件は日を改めてメモしておくことにしよう。

タッチパネルで困ることは、他にも駅の券売機を全機能使えないとかあるけれども、主要なところは以上である。ちなみに券売機の場合、買いたい金額が分かれば画面右下の数字ボタンを使えば購入可能だが、JRと私鉄の乗り継ぎ切符を買ったりするのはできない。

タッチパネルはスクリーンに表示する項目と操作項目を統一できたり、操作項目を画面と同時に動的に変更できるなど、一般的には便利なインタフェースである。だから今後もどんどん増えていくことに間違いはない。携帯だってほとんどそうだしねえ。そんな中で、公共の場で全盲の視覚障害者がタッチパネルのインタフェースを使うために、どのような方法が良いのか考える必要が、今後ありそうだ。まぁ、暇なときに考えてみよう。

ところで、「iPhone使ってますよ」と言っても、どうやって使うかについて言及されたことが一度もないのだけれど、みんなタッチパネルのiPhoneを全盲が使うことに対して疑問を持たないものなのかね。VoiceOverを知ってればともかく、私の周りの晴眼者はみ~んなAndroidユーザなので・・・。

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結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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