ほんと、ごめんなさい。今からすごく無責任なこと書きます。

人間、何かを失ったときに「喪失感」を味わうのはごく普通のことらしい。「家族の死」みたいな、自分ではどうにもならん事象に対しては確かにそうだと思うんだけど、まさか自分で決めたことについて、しかも俺自身にそういう状態が起こるとは思ってなかった。

なんというか、喪失感というと少し違う気がするんだけど、今まで当たり前にしてきたことをしなくていいとなってみて、なんか微妙・・・。もちろん身体的にも精神的にも、とても楽なんだけど・・・。ほんとごめんなさいね、今更「これで良かったんだよね?」と、つい自問してしまったりする。

自分で決めた路なので、「良かったよ、だからつべこべ言わずに前へ進め」というのがおそらく答えなんだけどね。まぁ、それを否定も肯定もする気はないが、少なくとも否定はしません。わけわかりません。

で、そこは端っこにやったとして、じゃぁ、虚無感にも似たこの感情は何なのかと考えてみると、一つの答えにたどり着いた。「承認欲求」とか「存在証明」とか、そういった類のものだ。

会社では、どちらかといえば、俺は一人でもくもくと作業することが多かったので、仕事してるときは、直接的にリレーションシップを感じることはなかったんだけど、それは単に無意識なだけで、本当はいろいろな人と関わり、自分の存在を認識できていた。もちろん、「たぶん俺はそう必要とされてないな」と思わなかったかといえばうそだけど、結果的には、(必要か否かということは抜きにして)いろいろな人とつながってて、無意識のうちに俺はそれを自分の価値に結び付けていたことに、ほんと今更気づいた。

ここ数日、SNSへの俺の投稿頻度が上がっているのは、たぶんそれが関係している。ゆるい形に変容したとはいえ、これまでのリレーションシップが多少なりとも維持できる状態をSNS上で、これまでに作った。そして、それを本格的に維持するために、ここのところ、SNSへの投稿がアクティブになっている。そういうことだろう。

っていうか、こんなこと書いて、俺は何がしたいんかね?さっぱり分からんこともないけど、なんか、こういうことを書いてしまい、ちょっとためらいながらも、ポストしてしまう自分が、なんか微妙・・・。

まぁ、「自分はここにいるんだ!」ということを、自分で認識できる手段が、たまたまSNSだったので、そうしているだけなんだろう。そして、今はどうか知らないが、少なくとも、そういう感情を抱いたことを後で思い返して懐かしめるように、こうして文章を残しているんだろう。

ま、会社でのリレーションシップを保持しておきたい理由は他にもあるかもしれんけど、まぁ、分からん。まあ、いいや。個人n的なこととかもあるけど、まぁ、それなりに大きな会社から、だれも知らないような職場へ転職するんで、親戚に言うときもなんか・・・みたいなのは無いこともないけど。怒られちゃうね、そういうことで判断しちゃね。自分の仕事にプライドを持てることが、一人前の要素だと思うから、頑張ることにします。

言っておくけど、割と葛藤してんだよ、俺は(笑)。