日常 一覧

11月から無事働き始めた。ああ、ビールがうまい。

さて、働き始めて「ああ!」と思ったのだが、人間ドックって大変困るなあと思う。ただの健康診断とは訳が違うのである。

まあ、検査される内容についてはよく分からないのだが、最大の問題は「バリウム」である。バリウムそのものは最近おいしくなったらしいのだけれども、いやいや、その後ですよ。

「うんこ、どうするの?」

一般的に、バリウムを飲んだ後のうんこをどう処理するかはそれぞれだと思うけれども、気になる点は次のとおりである。

  • ケツから出てくるときはどんな感触なのか?普通とは違うだろう。なんか、こう、堅いものを産み落とすような、痔になりそうな、そんな感じなのだろうか?
  • 産み落としたうんこをどうやってすくい上げるのか。目が見えていれば、まあなんとかなりそうだけれども・・・。便器に排出されたバリウムうんこって、見なくても取り出せるもの??

間違ってもバリウムを飲んだあと、自宅ではトイレに行きたくないなあと思うのだが、だからといって、出るものは出ちゃうのだからどうにかしなきゃならん。一部には、「人間ドックの後はカフェで時間をつぶしてそこでしてくる」とか「百貨店へ行く」とかいろいろ解決策はあるようだが・・・。

まあ、人間ドックなら、会社のトイレでしてもいいかな、とは思う。けれど、いくら会社のトイレだからといって、流すわけにもいかない。となると、会社のトイレで産み落として、流さず放置するということになるのか?うちの会社のトイレは内側に扉が開くタイプなので、だれも入ってないときはオープンであり、流さないで放置しておくといろいろ不都合なのですが・・・。

何より、近年は個室でケータイを見る人が増加していることにりょり、常に会社トイレの個室は稼働率95%以上という、その辺の情報システムよりよっぽど利用率高いような昨今・・・。個室から人が出てくるのを、歯を食いしばって待っていた人が「ああ!やっと個室空いたわ!」と思って入ったとたん、目の前に広がるバリウムうんこを目にしたら、それはショックが大きすぎるだろう。そういう意味でも、あんまり、放置プレーはだめかなあという気もする。

結局もんもんとするだけで、バリウムうんこをどうやって解決したらいいのかはよく分からなかったけれども、みんなどうしてるんだろう?

こちらは久しぶりの更新となりますが・・・。

ひとまず、就職が決まったのでご報告します。ええ。11月から働きます。

思えば、2008年に大学院を辞めて、今年は2社も会社を辞めて・・・。振り返ると「自分には学習能力が欠如している」ということを身にしみて感じるのであるが、そうであっても、肝心なところでは運に恵まれている境遇だなあとしみじみ感じるわけである。こういうことは、この先ないだろうと思うので、まあ、正論はいろいろあると思うけれど、とりあえず、頑張っていきたいと、そう思います。

さて、Twitterでも一瞬言及したのだけれど、以下の記事を読んでいろいろ思うところがあったので、メモ程度に書いておこうと思う。

「同じ会社で定年まで勤め上げる」ことは、ただの自己満足です

これは、タイトルから想像できるように、「定年まで同じ会社で働く」ことについて批判的な論調を展開している記事えある。あまり正確で無い要約をすると、「同じところにいると価値観も固定されて何も変革できないし、新しい出会いもないから、いろいろな会社で働いた方がいい」ということのようだ。

私自身は、この意見に賛成である。同じ組織に所属して同じ空気ばかり吸っていると、考え方も保守的になるし、おそらく外界の動きにも疎くなってしまう。何より、記事の中でも触れられているように、リストラなど、意図せず会社を辞めなければならなくなったときに、食っていく手段を身につけられない。そうなったときに、「自分の何を売り込んで仕事を探せばいいのか」ということについて、考えすぎて眠れない日々を送ることになるだろう。

しかしながら、一般的には正しい意見だと思うのだが、障害者については、ちょっと当てはめるのはつらいかなあという印象である。

「障害者が働く」ということに関して、いつかこのブログでも書いた気がするけど、まずは「就職すること」がゴールになっているという現状がある。実はスタートラインに立つことなんだけど、すでにゴールなのだ。

その状況は、全体的にはここ数年で改善してきているようではあるが、障害別、及び、障害等級別で比べると、おそらく微妙だろう。端的に言えば、軽度障害者の就労は着実に進んでいるが、重度障害者の就労は水準を維持または悪化していると考えられる。これは統計的な資料に基づく意見ではなく、私がネット上の情報を読んだり、実際に就職活動してみて抱いた推測であることに注意して頂きたい。

事実はどうか知らないが、「私の推測は正しいだろう」という前提でこれからは書くことにする。また、本記事中、特に断らない限り、以降は「重度障害者」をさして「障害者」と呼ぶことにする。

さて、ここで検討したいのは、「障害者にとって次のどちらが良いのか」、ということである。

  1. 同じ会社で働き続ける
  2. 理由はなんでもいいが、転職や転社に積極的にチャレンジして自分を磨く

まあ、先に結論を言ってしまうと、どっちが良いのか分からないし、人それぞれ向き不向きがあるので、なんとも言えない。だけれども、考えるのである。無駄に考えることこそがこのブログの趣旨なので、考え得るすべてのことを(と言っても、酔っ払った私から引き出せることなど大したものでもないが)、無理矢理考えてみたいと思う。

まず1番目の「同じ会社で働き続ける」ということ。リンクした記事でこてんぱんにやられていたので、デメリットについての考察は控えるが、じゃあ「メリットって何?」という話である。

第1に、経済的には安定する、ということが考えられる。ただし、これは必ずしも正しくはないけれど、障害者を雇用することに取り組んでいる企業は、結構体力があるので、ほとんど正しいと思われる。というか、ある程度体力があって、コンプライアンスの締め付けがきついという事情がなければ、なかなか障害者雇用をやっている余裕は無いんじゃないだろうか。

第2に、障害者の社員は自分のペースで仕事がやりやすくなる可能性がある。人事担当者とか管理職の人には申し訳ありませんが、その会社で、ある障害種別の人を初めて受け入れたような場合、ほとんどのことはその「初めての障害者の人」が基準になるので、まあ、障害者からすると、いろいろごまかせる。すいません。ごめんなさい。

第3に、これはちょっとどうかな?と思うけれど・・・。順応してしまえば、いやな思いをすることが減るかもしれない。長いこと同じところにいれば、良い意味でも悪い意味でも周囲は障害者への理解が深まるはずだ(環境にもよるけど)。で、個人差はあれど、障害者自身も、生き抜く術を身につけてうまく立ち回ることができているはずだ。そういう前提が無いと、長く同じところで働くことは、たぶん難しいと思う。だから、これをメリットと言っていいのかどうか分からないけれども、そういうことである。ここらへんは、障害というよりは、単純に人として溶け込めるかという話なので、あまり障害の有無は関係ないかもしれないが・・・。

あと、なんというか、こういうことを書くと、私が怒られたり、あるいはショックで寝込んでしまう人がいるかもしれないので、この先を読むことについては慎重になって頂きたいのだが・・・。

企業が重度障害者を雇用する理由は、おそらく次の二つに大別されると思う。一つは「障害者の雇用数のカウントが大きい」ということ。もう一つは「結構マジで障害者を活用しようと思っている」ということ。もちろん、これは私個人の勝手な思い込みだし、こういう問題は白黒付けられるものではなく、むしろファジィであるから、このような二元論では片付かない。けれど、あえて書いている。

どちらの理由にしても、重度障害者を雇用することは、はっきり言ってリスクである。ぜったい怒られると思うけど、あえて書くけど、「動くかどうか分からない車を買わされる」のと、あんまり状況は変わらないんじゃないか?いろいろなところで障害者雇用について「障害の程度は千差万別なので、一人一人に合った配慮をうんぬんかんぬん・・・・」という説得がされるようだけれども、経営側からすれば、ROIが計算できないんだからそんなもんリスク以外の何物でも無い。

しかしながら、そこでリスクを取るということは、さっきのように、雇用率を引き上げるのに使えると思っているか、人事担当者が熱い思いを持っているかのどっちかなんだと思う(思い込み)。

で、これは実感であるけれども・・・。視覚障害者である私が就職活動していて、きちんと話を聞いてくれた企業というのは、ぶっちゃけ、ほとんどなかった。一応、それなりに名の知れた会社でそれなりの期間働いていたのに、である(まあ、そういった点は実力主義の世界ではどうでもいい話)。未だに「視覚障害者はお断り」という企業さえ有った(もちろん、文句はたれておいたが)。

私の場合、結果的には2社ほど良いお話を頂くことはできたものの、エントリーした会社は、合計すると30社以上。まあ、これでも少ない方だわね。余談だけれど、この数字、10年前の視覚障害者の就職事情を加味してもちょっと少ないと思うが、今では健常者の人たちも30社とか50社とか100社とか応募してもだめなことが多いというのは・・・。悲しい世の中だ。

そういうことも考慮すると、個人的な感情としては、今回拾ってくださった会社や職場の担当者の方々には、大変お世話になり、そして、感謝をしておりまして、もう、なんというか、個人的には、「骨を埋めるつもりで働かないといかんなあ」という気持ちであります。すいません、ごめんなさい。最初の就職のときは、こういうリスクとか、そういうのは、あんまり頭にありませんでした。これからは一生懸命頑張りますから、ごめんなさい、ああああああああああ!

おっと、なんか話が逸れてきた。まずい徴候だ。Next please.

話は元に戻って・・・。

今検討していることの二つ目、「理由はなんでもいいが、転職や転社に積極的にチャレンジして自分を磨く」ということはどうか。メリットについてはリンクした記事に書いてあるので省略。

で、デメリットなんだけれども、おおざっぱに言えば、「健常者に関する一般論を障害者に適用するのは危険」ではないかと思う。すべてがだめだということではなく、「前提条件とか現状に相違点があるから注意が必要」という意味である。

具体的には、まず、そもそも障害者が置かれている状況として、「実力や努力や意欲に適合する受け入れ先が少ない」ということが言えるのではないか。これはマッチングとは少し違って、歴史的なたとえで言えば「女性の普通教育」みたいなものだ。要するに、門戸が開かれていない。そういうと大げさかもしれないが、私なりの考察を付け加えて言い換えれば、「一般的な中途採用者に対する期待値に比べて、障害者を中途採用する場合の期待値は、どうしても下げざるをえず、結局受け入れる環境を整える方向に力が働かない」ということだ。

また、こういうことを書くと怒られるだろうし、ショックを受ける人もいるかもしれないので、読者の皆さんは慎重になって頂きたいのだが・・・。

一度でも障害者採用をやったことがあれば経験的に分かると思うけど、障害者の育成は大変難しい。育てる側に経験が無いというのもあるし、当事者にとっても、障害の内容によっては成長が難しい部分もある。例えば、全盲にUMLで設計書を書けと言っても無理だし、全盲に紙の伝票を仕分けしろと言っても無駄だ。それで、そういうことを経験的に学習した企業は、障害者採用に慎重になる。リスクを軽減させるために、より軽度の障害者を雇って、自分たちの管理がしやすい方向へ方針を切り替えることも想像に難くない。

これが、新卒だったら、会社で育てていく覚悟を、ある程度は持てるかもしれないが、中途採用の場合は即戦力として会社の利益向上に直接的に貢献することが求められるわけである。すると、中途での障害者採用を見送ったり、あるいは軽度の障害者をルーチンワークをやらせる目的で雇ったりする感じになるのは、まあ、会社の立場からは理解できる。

こんな感じで、障害者がキャリアチェンジする場合は、たぶん裾野が狭まっているんじゃないかと思っている。まあ、妄想かもしれません。

それから、障害者の立場から考えても、デメリットがあることに触れておきたい。

それは、環境に適応するためのコストが大きいということである。先に述べたことと重複するかもしれないが、何にしても、職場に配属されたときに、高い水準で周囲の理解が得られるケースは少ないと思う。簡単に言えば「慣れるのに時間がかかる」のだ。

それこそ「障害は千差万別」というのが、あながち嘘でもないような感じである。障害の有無以前に皆人間なんだから、障害に対する配慮についていろいろ意見が異なったりすると思うが、障害者はそういうことをいちいち職場の人に説明しなきゃならないし、説明したところで理解が得られる確証はない。さらに、建物の設備や支援機器の導入が新規に必要な場合、それをどの程度受け入れてくれるかは会社の考え次第。仕事の内容や待遇ばかりに目がいって、そういった環境面で失敗するリスクも、当事者は考慮すべきだ。

ああ。安酒を飲んでいたら、だんだん胃が痛くなってきた。

そういうわけで、ほら、言ったでしょ。どっちとも言えないのです。なんか、この文章の流れだと、「同じところで働くのが良い」という結論になりそうだけど、それは俺が今そういう考えだからであって、実際は人それぞれ、いろいろあるんだよ。きっとね。

だから、もう一度言います。ごめんなさい。ほんと、すいません。これからは真面目に働きます。疲れない程度に。作業の進め方については手を抜きますが、成果物の品質については妥協せず頑張ります。

なんか、「結局この文章はなんだったんだ?」と、小一時間問い詰めたくなるような感じではあるけれども・・・。もう酔っ払ってきて、どういう風に収束させたらいいんだか分からなくなってきましたから、もう終わりにするわ。すいません。真剣に読んでいた人ごめんなさい。僕はこういう無責任な人間なんだ。教育実習の担当だった先生に「今、私、夫と家庭内別居状態なの」とか言われても、今の俺ならもう動じない。昔の俺は腰が抜けました。ごめんなさい。

こんなの、載せていいのかしら。まぁいいか。一応匿名だし。現代では、そう思っていても、割と簡単に個人が特定されちゃうから怖いもんだ。まぁ別にいいけど。さらしたりしないでね♪

ノスタルジー

ここのところ悩みが多いので、ちょっと、気晴らしに、4月まで勤めていた職場の近くまで行ってきた。まあ横浜なのだが・・・。

正直、行ったところで何かが変わるわけでもなく、考えがまとまるわけでもないが、なんとなく、もう一度この地に降り立てば小さいながらも影響はあるのではないか、との思いからだ。

結果的には、何もなかった。相変わらず駅は人ごみだらけで、「平日なのにこの人たちは何してんの?」と、自分にダイレクトで返ってくる突っ込みをひそかにしたり、かなり久しぶりだったけど案外歩行感覚を覚えてることを確認したり、それぐらいだった。さすがに、元職場のビルまで行く気にはなれなかったので、周辺をとりあえずブラブラしてきた。

まあ、確かに、電車の中でいろいろ考えることはあった。途中何回か引っ越しはしたものの、5年以上通った経路、自然と元職場のことが思い出される。大学生のころ、教育実習に行った学校までの経路も、確かこういう感覚だっただろうか。学校については、8年通ったので会社よりも長いのだけれど・・・。

その中で、現在自分がすべき選択についても考えを巡らした。どの選択をするにしても、結局はリスクとコストの問題。取りうるリスクは、過去の経験からなんとかなるにしても、コストをどう考えるか・・・。これが難しい。いや、選択によってリスクの内容も変わるので、新しいリスク要因もあるといえばあるのだが・・・。

あとは、どの選択をするかに関わらず、将来の変化についても予測しておかなければならない。しかしながら、全く経験のないことに関して予測するのは難しく、これを考慮すると、ある程度予測可能な選択肢が現実的ではないかという気分になる。

結局、結果が出ていないことも、悩むポイントも、昨日と同じまま。まあ、焦って結論を出すとろくなことはないので、何事も...。ゆっくり考えなければならないとは思うのだけれど、このままダラダラと決めかねているうちに、いずれ、決定的に選択しなければならないときがくる。おそらく2,3週間以内に。そのとき今のままだと、たぶん俺は何も決められない。

もう、自分で決めずに、時の流れに身を任せたいわ、ほんと。考えれば考えるほど「もう、出たとこ勝負でよくね?」という囁きも聞こえてきそうなぐらいだ。なんというか、「自分で出した結論の脆さ」に気づいてしまったから、こういう投槍になっちゃうのかもしれないんだが・・・。もう、ぶっちゃけ、「自分で決めたから正しい」とか「後悔しない」とか、幻想だったわ。自分で決めたって、後悔するときはする。うまくいくときはいく。ああ、そうか。問題は、「自分で決めたからなんとしても成功させるんだ!」っていう気合を持てるかどうかなのかな?まぁいいや。めんどくさい。

とりあえず、同じことをずっと考えていても何も解決しないから、今夜から明日にかけては、「iPhone6が発表されたら買うか否か」について悩むことにする。

「考えたら人生ってオッさんになってからの方が長いじゃねーか!恐っ!!」とか、「昨日の敵は今日もなんやかんやで敵」などのサブタイもいいなと思います。

さて。

今、とても悩ましいことになっている。詳細は書かないけど、あぁ悩ましい。

俺に選択の余地などなくて、基本的に取りうる選択肢は、理屈から言って決まっている。けれども、感情的にそれはどうかと思ってしまう。こういう状況は大変困るのである。

選択肢としてはいろいろあるので、別に「選択の余地が無い」というのは大げさなのだろうが、少なくとも、コストとリスクを考慮すると選択肢は一つに限定される、というのが今の状態。でも、そうではない選択に意味や価値があると考えたくなってしまう自分もいる。

分かる人に誤解の無いように補足すると、正直なところ、現状においては、可能性はわずかでもコストとリスクの低い選択肢を選ぶことがいいとは思っている。何事も、新しい環境に慣れるのには苦労するものだから・・・。恩義もあるし・・・。でも、同じように手を差し伸べてくれた人に対しても、やはり礼儀を尽くすべきだと思うし、自分自身、どうしたら良いか、ここ数日では判断できないのである。選んだ結果が正しいかどうかは、それこそ結果論で、後になってみないと分からないことだから。

ただ、「決めるなら今」という状況も変わりはないわけで・・・。本当に悩む。悩みすぎて夜も眠れない。

この文章、何年か経って読み返して、自分で理解できるかどうか知れないけど、とにかく俺は選択をしなければならないのだ。洗濯は明日やるけど、選択もしなきゃならない。

いやあ、ほんとのところ、「恩義に報いたい」です、はい。「一生お傍でお仕え申す」と言いたいところだけれども、やはり、大海原に投げ出されたときに、自分の手だけでは何も食っていけないという状態も良くはないと思うわけで・・・。正直、恩義に報いて頑張っても、技術は身につかない気がする・・・。そういうこともあって、やっぱ、新しい路も考えちゃう。embedded system developmentにも興味あるし。

とりあえず、悩みます。

限りなく透明に近い無職

  • 日常

似たようなタイトルの小説があるけど、いや、まぁ、パクリです(笑)。

結局、6月で仕事を辞めまして、7月から職探しをしている次第。そうすぐには見つからないけど、なんとか見つかってほしいし頑張らないと金もないので、頑張らないと・・・。

そういうわけで、特に面白いことは、最近ないので、何か面白いことはないかな?と考えているのだけれど、なかなかない。「女子高生とお散歩したいなあ」とかは思うけど、現実的に無理なので・・・。いや、歩いているときにお声掛け頂き、例えば駅の改札とかまでご一緒させて頂くことは大歓迎なのですが・・・。

これから私はどうなるんかねえ?あぁ、ほんと、どうなるんかねえ?困ったもんだわあ。

とりあえず、てんぷら食べたい。templaかtempraかはどうでもいいので、キスのてんぷらを僕に食べさせておくれ~!

愚痴

一応ですね、あれこれ考えて相談してさらに考えた結果、6月30日で職場を退職しまして・・・。まさか、同じ年に、退職のご挨拶のお菓子配りを2回もやるとは思わなかった。ちなみに、4月に退職したところはデパートで買った、割と良い値段するお菓子だったけど、今回退職した職場のは、コージーコーナーです。

それはいいけど、まあ、退職の原因は、いうろいろ書いたことが貯まりに貯まりまして、結局は「ミスマッチだった」ということです。入社を決める前の面接で、あまり深いところまで尋ねないで、簡単な業務内容と期待されていることを聞いてOKしたものの、入ってからの事情と想像が結構違っていて・・・。

まぁ、前にも書きましたけど、「楽そうだったから」という理由は結構大きかった。でも、楽だからいいってもんでもないし、聞くのとやるのじゃぜんぜん違って、楽そうだと思ってたことも結構大変だった。普通はそこでもう少し我慢すべきところだったんだろうけど、体調も崩しちゃったし、結局、早期撤退をして、アベノミクスで多少景気が上向いているときに次の行動に出る方が得策だという考えもあり、早々に退職することにしたわけである。

しかしながら、6年前、大学院を辞めて就職活動したときとは、障碍者の求人事情は結構変化している。個人的に、前前職のグループ企業にはなかなか出向けないという事情もあるし、何より、当時に比べて契約社員の求人が圧倒的に多い。私が以前書いたエントリーで指摘したように、企業も知恵をつけていて、うまいこと法廷雇用率を満たすための、企業として合理的な手法をどうやら確立したようだ。

前前職の会社が、合同面接会に出展するということも見かけたので、掛けこみたいきもちはやまやまですが、まぁ、別ルートで難しい旨を聞いているから、さすがに、そこにはいけないしなあ。そう考えると、あの会社は、他のいろいろな企業に比べて、誠実だ。業務遂行に対して「愚直にやれ」と口うるさく教育するだけのことはある(これは褒めているのだが・・・)。

まぁ、どうにもこうにも、すぐにでも就職しないと経済的に苦しいから、あんまりゴチャゴチャ言ってられんのだけど・・・。

でも、これを契機に、自分でやってみたかったことを、自分のやり方でやってみるチャンスでもある気はしている。当然、収益モデルもなければ、具体的にまだ形になっていないので、そんなことしても金にはならんのだけど、せめて、就職が決まるまでの、数か月か数年か、取り組む時間は確保できるので、やってみるだけはやってみようかな。

現状のところ一番のネックは、経済的な部分。調子に乗って高い家賃の部屋に去年引っ越したもんだから、とりあえずそっちのやりくりが大変。こんなことなら、欲を出さずに堅実に横浜の会社で働いてればよかったと思う。でも、そのとき、別の、割と魅力的な誘いを受けちゃったからね、そっちに鞍替えした結果、こうなってしまったのだけど・・・。

すべては自己責任。当時は、何に対しても「それがベストの選択化どうかは分からないが、自分が選んだのだから信じるしかない」というスタンスで過ごしてきた。

けれど、今となっては、そういう、ライフプランを左右するようなことから、スーパーで買った食品のことまで、全部「これでよかったんかね?」と後悔にも似た感情を覚えることがとても多い。あえて具体的な相談を人にせずに決めてきたもんだから、後悔するとしても全部俺の責任なんだけど・・・。

職探しをしていても、なんだか、どうしてもこれまでの業務スタイルが脳裏をよぎって、「あんな働き方は二度とできないんだろうな」と思うと、新しいところに行けたとしてやってけるか?という不安も込み上げてくる。前前職の職場は、会社としてどう思うかは別として、職場は大変に働きやすい場所であった。まぁ、主任におかれましては、いろいろご配慮いただいたことと存じますが、それに、他の社員からは「もっと働けよ」とか思われていたのかもしれないけど、それは、まあ・・・。ある意味、障害を理由に楽させてもらってた面はあります。だからこそ、たぶん、もうそんな職場はない。

そいでまあ、俺はいったいこれからどうなるんだろうね。なんか、ぶっちゃけ、東京じゃなくて、地方というか実家のそばで仕事ができるならそっちへ行きたいけど、それはまぁ無理なんだよなあ。仕事ないし。となると、やっぱり関東近辺で仕事するんだけど、東京もね~・・・。そろそろ故郷に帰りたいよ。複数拠点間で仕事をするような会社だってあるだろうから、その、実家に近い地方の支店とかで働けないもんかな。

と、まあ、愚痴でした。以上。

最近、前の会社で働いている夢をよくみる。まぁ、作業してなくても、前の職場の同僚とかが、なんかその場にいるような夢をみる。

目覚めるとそこは自宅で、それから支度をして今の職場へ向かうんだけど、通勤している間から新しい職場で働いている瞬間まで、なんだかこちらが夢ではないかと錯覚してしまうことがある。

最近は眠りも浅くて、現実と夢の境界線があいまいというか、時間間隔が少し変なような気がしないでもない。今自分は何のために何をしているのか、ふと分からなくなって考え込んでしまい、しばらくして、「あぁ、今会社へ向かってるんだな」とか「今、仕事してたんだな」とか思い出すこともしばしば。

それと、関係あるかどうか分からないけど、ここ数週間、考えていることを口にしようとするとうまくできないことがある。例えば飲食店で「ネギシオ豚カルビ」を注文しようと思って声に出すと、「あの、ブタのカルビの・・・ええと・・・ネギシオのカルビのやつ」みたいな感じ。頭では「ネギシオ豚カルビ」と分かってるんだけど、言語化できない。でも、このように文字にはできる。

俺、重症ですかね?と、聞いてもしょうがないんだけど・・・。最近、毎日こんな感じですわ。

ちなみに、一番重症だなと思う瞬間は、「ビールを飲んでもまずいな」と思うこと。「タバコがまずくなってきたら風邪だ」とよく言うけど、俺にとって酒がまずく感じるのは大変ゆゆしき問題だ。おかげで、ここのところ全然飲酒してないんだけど・・・。健康的ではあるかもしれんが・・・。

は~あ、困ったね♪

人生に迷う(マジ)

今回は、本当に迷っている。「水樹奈々のレコードをどの店で買おうか」みたいな適当な悩みではなく・・・。

ツイッターではさんざん文句をたれているんだけど、5月に入社したばかりだというのに、その会社の雰囲気と前職の雰囲気が違い過ぎて、戸惑い、パワーを吸い取られている。ここ数日も、もんもんと布団の中で毎日17時間ほど思考を巡らせていた。

あれこれと即断するのはよくないし、そういう、もんもんとした気持ちを黙っているのは誠実でないので、とりあえず、明日、頑張って自分の思いを伝えてみようかと思っている。たぶん、全面的に今の仕事を否定することになるが、言いたいことは言わなきゃいかん。入って間もない下っ端が言ってどうにかなることじゃないし、生意気だと思われるかもしれんが、それならそれで相手の考え方も分かるというものだ。決めるのは、それからでも遅くないかな。

職場は悪くないんだと思う。待遇(=給料)は前より良いし、まぁ福利厚生は前の方がいいけど、人間関係も悪くはない(ただ、肯定的な見方をすればアットホームなんだけど、おせっかいで俺としてはめんどくさいこともある)。

問題は業務内容。内定をもらう前に、もっと掘り下げて聞いておくべきだった。なんとなく職場見学で「こんなもんか」と思ったり、アルバイトで経験がある仕事だったからそんなにきちんと見なかった。それに、面接のときはもう少し別のことも聞いていたんだけど、どうもそれも影が見えない。

ただ、業務内容については、「聞いた話とまるで違う」ということはざらのようなので、あまり文句は言えないんだけど・・・。でも、もっとちゃんとやってるかと思いきや、生産物のプロセス管理や品質管理なんか「概念すら存在してない」状態で「え?」ってなったし、デザイン定義書もないし、情報共有インフラもないし、製作プロセスが手動で、成果物の品質が悪すぎだし・・・。

挙げ始めたらきりがない。「だから流せ」とも言われたけど、なんというか、今まで培ってきた、俺の「業務に対する認識とかプライド」みたいなのが、「これは流しちゃいかん!」と思わせている。長いものには巻かれろ、という言葉でいうなら、甘んじてこの「いい加減な状態」を受け入れるのがもっともなのだろうけど、それじゃ俺は納得できない。

少なくとも、これらを意識する気があるのかないのか。それから、生産プロセスを見直して、将来の変革に対応する準備があるのかないのか。これだけは問いたださないと、俺の気が収まらない。それで嫌われてもいいや。もし、何も考えていなかったり、必要のないことという返事だったら・・・。決断しよう。

ま、ここまでは俺のちょっとした思い、なんだけど・・・。

結局、俺の人生って、なんなんだろう。大学までは順調に卒業したけど、大学院では在籍する意義を見出せず辞めて・・・。その後運良く就職できて、途中いろいろあったけど、それなりに業務経験も積んだ。そして、「さて、新しい場所で俺の夢を!」と思った矢先、思わぬところで躓いて・・・。

まぁ、転職については、夢は当然あったけど、でも、ぶっちゃけ、「今の仕事の方が楽かな」と思ってた面はあった。ところが、とんでもない。ITの業務でいえば『工程管理』に当たる部分がいい加減なのもあるけど、何より担当作業が半端なく神経使う。前の会社で「席がプリンタの横だとうるさくない?」と気を遣ってくれていた優しい方々がいましたけど、プリンタの音なんてとんでもない!1日中プリンタがガーガー用紙を吐き出してる横で作業する方が17倍ぐらいましです!

まぁ、俺の場合は、自分で自分を追い込んでるだけ、というのもあるので、あまり同情されるような悩みではないと思うけどね、個人的には。だからこそ、俺にとっては死にたくなるほど悩ましいことなのだ。

ちなみに、今の作業内容が永遠に続くようなら、僕は発狂して何かしでかすかもしれない。そうならないように祈りたいもんだ。

これは自問自答の記録である。

新しい職場の業務内容は、例えれば「毎日同じように豚骨スープを作って客にラーメンを出す」ような、ある種職人芸的な要素が強いと、入ってから知ったので、とにかく今はルーティンを覚えたり、基準を見直したり、基準と適合するか否かを精査するための材料を整理したり、そういうことに手一杯で、余計なことを考える暇がない。

とは言え、さすがに通勤電車の中とか、こうして家に帰ってきたときは、思う存分無駄なことを考えられる。まあ、そう考えることもないんだが、毎日通勤してれば、道中、「どうしたもんかね?」と思ってしまうことは、一つぐらいあるものだ。

で、本日の問題である。

【問】 駅で視覚障碍者を案内してくださる方には感謝すべきだと思うが、無言で、後ろから腕をひんづかむ(より一般的には「ひっつかむ」)のはやめて欲しいんだけど、それをどうやって丁寧に伝えればよいか?

ここで「ひんづかむ」と書いたのは、ただつかむだけでなく、強力な握力で二の腕をギューっと握りしめられたり、すごい手際の良さで腕を強力に絡みつかされたりすることを、総称している。「ひんづかむ」って下品に聞こえるけど、実際にそうされたら一番ピンとくるのが「ひんづかむ」だと思う。「ひっつかむ」は、まあ悪くはないが、俺的にまだ弱い。

さて。一応、私は男だから「もうちょっと優しくして!」とか思うだけなんだけど、女の子の視覚障碍者がこれやられると、たぶん心理的に微妙だと思う。「この人痴漢です!」という最終奥義はあるものの、いちいち奥義を発動していたら、週に数回警察署で事情聴取されるはめになるだろう。

で、まぁ、女の子に限定せずとも、ひんづかまれるのは、正直あまり気分がよろしくない。そこで、このサポート方法をやめて欲しいことを、どうやって伝えたら良いんだろう、ということになったのである。

ここで、世間話できるほど気さくな人で、かつ、手引きの方法についてさりげなくお願いできるぐらいに目的地まで距離があれば、さほど問題にならない。問題なのは、エスカレーターに乗る瞬間とか、電車に乗る瞬間とか、そういう一瞬の出来事についてである。

このような場合、サポートしてくれた人がどこにいるんだかよく分からないし、「有難うございます」以上の会話はなかなかできない。仮に、エスカレーターとか電車で近くにいることが判明しても、いちいち、手引きの作法について説明するのは、まぁ、するに越したことはないんだろうけど、面倒でもある。でも、説明しなきゃしないで、これからも彼らは僕たちをひんづかんでサポートすることだろう。

で、そこから本来はあと30行ぐらい話は続くのであるが、長いので省略。

最終的な結論としては、「せっかく盲人団体があれこれ啓蒙活動しているんだから、手引きの方法をもっとちゃんとやればいいのに」ということになった。なんか、本当なのかどうか俺は信じがたいのだけど、今、そっち系の団体が、白杖を上にしてグルグル回しているときはヘルプ要請のサインであると、キャンペーンしているらしい。そんな、周囲にとって危険で、かつ、恥ずかしいことはやめて、もっとシンプルにやることはできないんだろうか?いや、まあ、絵的なインパクトはあるかもしれんが・・・。

っていうかですね、白杖の振り回すのは、酔っぱらってたまらなく楽しい気分で帰路についているとき、あまり街灯の無い道に差し掛かって、だれも歩いていないことをしばらく耳をそばだてて確認した上で、「ちゃんばらごっこ」するときだけです。覚えておいてください。

この土日は、疲れがなかなか取れなくて、結局昼間から飲んだくれておりました。土曜日の昼過ぎまでちょっと用事があったけど、その後はもう、ごくごくと・・・。

ただ、おかしなことに、昼間はあんなにやる気出なくて、ビール飲むかアニメ見るぐらいしかやることが思いつかなかったのに、夜になるとあれこれ試してみたかったり、やらなきゃならんことが出てくるし、というか思いつく。夜の方がいろいろひらめくし作業も捗るのは昔からだけど、なんでなんだろうか?

そして、今やっと分かった。理由はどうであれ、夜の方がいろいろ生産性が高いのに、夜は酒を飲む時間になっているか、または昼に酒を飲んでグダグダになっていることによって、結局何もできない、と・・・。昼にやろうとしても結局思い描いたことの25%以下しかできないのをなんとかするには、酒を辞めることが最善策であると・・・。

ところが、「酒を飲むのを辞める」のは極めて困難だ。荒行と言ってもいい。平日でも「今日は酒飲まない」と思っていても、仕事から帰ってくると、耐え切れず「プシュッ」とやってしまう。もちろんビールを。これは、夏になるにつれて避けがたくなるので、もう、僧侶にでもなる覚悟がないと酒は辞められないんじゃないだろうか。

ただ、もちろん、酒を飲むのも、おいしいとか以外にちゃんと理由がある。

酒を飲んでちょっと酔いが回ってくれば、ささくれだった心が落ち着いてくるし、気分も良くなるのだ。当然飲み過ぎない程度に飲んだときは。飲みすぎるとだめだけど。

日常生活していると、多かれ少なかれ、仕事や通勤で ストレスが貯まる。ストレスは解消した方がいいに決まってる。まあ、アルコールで解消するのがどうか、という是非はあるけど、いいんですよ。手っ取り早いからね。

そういうわけなので、普段お酒を飲まない人って、どうやって、そういうちょっとしたストレスを発散してるんだろう、と疑問に思うことがある。まあ、人それぞれだから、いろいろあると思うんだけど・・・。ただ、どっちかっていうと、俺は「酒が好き」です。

そうそう、別件ですが、最近自分の「おじさん化」が進行している気がする。自分から加齢臭がする気がするし、うんこが毎日下痢だし、酔うとすぐ寝るし(ただし、気絶している可能性の方が高い)、息子に元気がないし、よく道でつまずくし、「マクドナルドは脂っこい」と思うようになったし(でも食事の35%ほどはマック)・・・。なんか、全部「マックの食い過ぎ」が原因なような気がするけど・・・。せっかくだから、一度「スーパー・サイズ・ミー」計画を実行してみようかしら。

さ~て。今日は1日「Black Lagoon」を見て、糞メイドと、アフガンでネジをおっことしてきたいかれポンチの火傷顔(フライフェイス)と、テロテロテロッピでご挨拶申し上げたアンクルサムの糞正義に心癒されたので、明日から頑張ろう。やっぱり、指揮官は女がいい。大尉殿!

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結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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