日常 一覧

これは自問自答の記録である。

新しい職場の業務内容は、例えれば「毎日同じように豚骨スープを作って客にラーメンを出す」ような、ある種職人芸的な要素が強いと、入ってから知ったので、とにかく今はルーティンを覚えたり、基準を見直したり、基準と適合するか否かを精査するための材料を整理したり、そういうことに手一杯で、余計なことを考える暇がない。

とは言え、さすがに通勤電車の中とか、こうして家に帰ってきたときは、思う存分無駄なことを考えられる。まあ、そう考えることもないんだが、毎日通勤してれば、道中、「どうしたもんかね?」と思ってしまうことは、一つぐらいあるものだ。

で、本日の問題である。

【問】 駅で視覚障碍者を案内してくださる方には感謝すべきだと思うが、無言で、後ろから腕をひんづかむ(より一般的には「ひっつかむ」)のはやめて欲しいんだけど、それをどうやって丁寧に伝えればよいか?

ここで「ひんづかむ」と書いたのは、ただつかむだけでなく、強力な握力で二の腕をギューっと握りしめられたり、すごい手際の良さで腕を強力に絡みつかされたりすることを、総称している。「ひんづかむ」って下品に聞こえるけど、実際にそうされたら一番ピンとくるのが「ひんづかむ」だと思う。「ひっつかむ」は、まあ悪くはないが、俺的にまだ弱い。

さて。一応、私は男だから「もうちょっと優しくして!」とか思うだけなんだけど、女の子の視覚障碍者がこれやられると、たぶん心理的に微妙だと思う。「この人痴漢です!」という最終奥義はあるものの、いちいち奥義を発動していたら、週に数回警察署で事情聴取されるはめになるだろう。

で、まぁ、女の子に限定せずとも、ひんづかまれるのは、正直あまり気分がよろしくない。そこで、このサポート方法をやめて欲しいことを、どうやって伝えたら良いんだろう、ということになったのである。

ここで、世間話できるほど気さくな人で、かつ、手引きの方法についてさりげなくお願いできるぐらいに目的地まで距離があれば、さほど問題にならない。問題なのは、エスカレーターに乗る瞬間とか、電車に乗る瞬間とか、そういう一瞬の出来事についてである。

このような場合、サポートしてくれた人がどこにいるんだかよく分からないし、「有難うございます」以上の会話はなかなかできない。仮に、エスカレーターとか電車で近くにいることが判明しても、いちいち、手引きの作法について説明するのは、まぁ、するに越したことはないんだろうけど、面倒でもある。でも、説明しなきゃしないで、これからも彼らは僕たちをひんづかんでサポートすることだろう。

で、そこから本来はあと30行ぐらい話は続くのであるが、長いので省略。

最終的な結論としては、「せっかく盲人団体があれこれ啓蒙活動しているんだから、手引きの方法をもっとちゃんとやればいいのに」ということになった。なんか、本当なのかどうか俺は信じがたいのだけど、今、そっち系の団体が、白杖を上にしてグルグル回しているときはヘルプ要請のサインであると、キャンペーンしているらしい。そんな、周囲にとって危険で、かつ、恥ずかしいことはやめて、もっとシンプルにやることはできないんだろうか?いや、まあ、絵的なインパクトはあるかもしれんが・・・。

っていうかですね、白杖の振り回すのは、酔っぱらってたまらなく楽しい気分で帰路についているとき、あまり街灯の無い道に差し掛かって、だれも歩いていないことをしばらく耳をそばだてて確認した上で、「ちゃんばらごっこ」するときだけです。覚えておいてください。

この土日は、疲れがなかなか取れなくて、結局昼間から飲んだくれておりました。土曜日の昼過ぎまでちょっと用事があったけど、その後はもう、ごくごくと・・・。

ただ、おかしなことに、昼間はあんなにやる気出なくて、ビール飲むかアニメ見るぐらいしかやることが思いつかなかったのに、夜になるとあれこれ試してみたかったり、やらなきゃならんことが出てくるし、というか思いつく。夜の方がいろいろひらめくし作業も捗るのは昔からだけど、なんでなんだろうか?

そして、今やっと分かった。理由はどうであれ、夜の方がいろいろ生産性が高いのに、夜は酒を飲む時間になっているか、または昼に酒を飲んでグダグダになっていることによって、結局何もできない、と・・・。昼にやろうとしても結局思い描いたことの25%以下しかできないのをなんとかするには、酒を辞めることが最善策であると・・・。

ところが、「酒を飲むのを辞める」のは極めて困難だ。荒行と言ってもいい。平日でも「今日は酒飲まない」と思っていても、仕事から帰ってくると、耐え切れず「プシュッ」とやってしまう。もちろんビールを。これは、夏になるにつれて避けがたくなるので、もう、僧侶にでもなる覚悟がないと酒は辞められないんじゃないだろうか。

ただ、もちろん、酒を飲むのも、おいしいとか以外にちゃんと理由がある。

酒を飲んでちょっと酔いが回ってくれば、ささくれだった心が落ち着いてくるし、気分も良くなるのだ。当然飲み過ぎない程度に飲んだときは。飲みすぎるとだめだけど。

日常生活していると、多かれ少なかれ、仕事や通勤で ストレスが貯まる。ストレスは解消した方がいいに決まってる。まあ、アルコールで解消するのがどうか、という是非はあるけど、いいんですよ。手っ取り早いからね。

そういうわけなので、普段お酒を飲まない人って、どうやって、そういうちょっとしたストレスを発散してるんだろう、と疑問に思うことがある。まあ、人それぞれだから、いろいろあると思うんだけど・・・。ただ、どっちかっていうと、俺は「酒が好き」です。

そうそう、別件ですが、最近自分の「おじさん化」が進行している気がする。自分から加齢臭がする気がするし、うんこが毎日下痢だし、酔うとすぐ寝るし(ただし、気絶している可能性の方が高い)、息子に元気がないし、よく道でつまずくし、「マクドナルドは脂っこい」と思うようになったし(でも食事の35%ほどはマック)・・・。なんか、全部「マックの食い過ぎ」が原因なような気がするけど・・・。せっかくだから、一度「スーパー・サイズ・ミー」計画を実行してみようかしら。

さ~て。今日は1日「Black Lagoon」を見て、糞メイドと、アフガンでネジをおっことしてきたいかれポンチの火傷顔(フライフェイス)と、テロテロテロッピでご挨拶申し上げたアンクルサムの糞正義に心癒されたので、明日から頑張ろう。やっぱり、指揮官は女がいい。大尉殿!

初日

  • 日常

あぁ疲れた。っていうか疲れた。もう、「疲れた」ぐらいしか言うことがないぐらい疲れた。

今日から新しい職場で仕事が始まったわけだけど・・・。ぶっちゃけ、なめてました。僕が悪かったです、ごめんなさい!

正直、「疲れるほど疲れないだろうな」と思っていたのだけど、疲れましたね~。教育なんて無でいきなり実務だし、想像以上に濃厚な人間関係で、「孤独って素晴らしい」と人生で何度かしか思わないようなことを思ってしまい・・・。

何より、便所が残念すぎた。学校のトイレ未満である。もう時効だと思いますが(笑)、前の会社では、集中力が切れたらトイレにこもってツイッターとか見てましたけど、そういうことはできない。なんというか、物理的にいやだ。和式だしうんこ臭いし狭いし・・・。給料を多少減らしてもいいから、今の便所を全部ぶっ壊して新しくウォシュレット装備の快適トイレにしてほしい。朝の通勤だってね、「会社に着けばとりあえずウォシュレットのあるトイレに行ける!」と思えば頑張って我慢できたものを、これからは「洋式なだけ駅のトイレがまし!」と思ってしまうかもしれない。

あとは、職場の最寄り駅があほみたいに混雑するとは、思っていなかった。ぶっちゃけ、「横浜駅はやばい」と思っていた俺が浅はかだった。なんか、ホームも改札も「満員電車か?」と思ってしまうほどの人の山で、なんか、もう、「芋虫じゃね?」みたいな・・・。地上から撮影したら、働き蟻がむらがっているようにしかみえないことだろう。っていうか、あれなら通勤時間帯の渋谷の方が3倍ぐらいましだよ。あぁ、残念すぎる。

まぁ、細かいことを書き始めたらきりありませんが・・・。私の描いていた青写真は、割と妄想だったのかもしれないなとか、目標は強制的にでも立てた方が成長に繋がるんだなあとか、やっぱり閉鎖的な空間は居心地が良い分周囲から異質なものになるんだなあとか、まあ、書き始めたらきりがありません。

初日なんてこんなもんかもしれないけど・・・。前の会社だって、入社初日に辞めたくなったし・・・。現実は厳しいですな。とりあえず「石の上にも3年」をマジで実効しないとどうにもならなさそうなので、目先の目標は「石の上に3年座るだけの覚悟を持つこと」にしようと思います。それじゃだめじゃね?

ああああああああああ!酒飲んでもぜんぜん酔わないし。いやもう酔っぱらってる?わかんねえ?いや、まぁ、ちょっとヤケ酒してるだけだから気にしないで!む~む~、あぁ苦しい。さようなら。

今日は飲まないようにしようと思っていた。いよいよ明日から新しい職場でnext stepを踏み出すことになっているから。

でも、飲んでしまった。結構大量に。いや、最初は「明日に備えて飲まないようにしよう」と思っていたのだけど、だんだん「いや、変にペースを変えないで飲んだ方が良いのでは?」と思うようになり・・・。気が付いたら、このざまだ。「どうせ飲むんだから飲み行きましょうよ」と友達に言われたのをわざわざ断った意味がぜんぜんなかった。ごめんなさい。

それはさておき、まあ、明日からがらりと変わるわけで・・・。眺めの連休だというのに、酒を飲んだのと、Windowsサーバのイベントログにエラー出力された場合にメール送信されるツールをしこんだこと以外、これといって何もしてなくて、どうなんだろうと思う部分はあるけれど、まあ、とりあえず明日からは今までと違うのですよ。

準備のため鞄をごそごそやってて、いつも内ポケットに入れていた社員証が無くて「あれ?!俺ひょっとして貸与物無くした?」とか一瞬思ったけど、いやいや辞めたんだから持ってなくて当然だよ!俺のばーか。

ああ、もう酔っぱらっててまともなこと書けない。でも、なんか書いておかないと忘れちゃうから書くんだけど・・・。

俺もつくづく未練がましい卑屈な人間だなあと思うわけだけど、今更、「やっぱ前の会社でもうちょっと頑張ればよかったかな?」とか思っちゃうのよね。いや、まあタイミング的にここしかなかったので結果的に変わりはなかったんだけど・・・。ただ、大学院を辞めるときはそういうこと思わなかったなあ。「やっと解放される」という感覚が強かった。今思えば、なんで俺は大学院行ったんだろう。なんも考えてなかったなあ。それに比べて、とりあえず、表面的にも目的を持って路線変更できた今は多少進歩したということなのかしらね。

前の職場に未練があるのは、たぶん人間関係が、後半は良好だったからだと思う。前半についてはあえて触れまい。とにかく、退職時に在籍していた部門の人は、とても優しくて、感謝している。まぁ、たぶん会社の風土もあるし、いろいろな圧力だったり個人的な思い出あのような雰囲気になっていたとは思うけど、そいう面倒な話は抜きにして、ほんとに良い職場だった。あんな職場は、たぶん俺にとって二度と出会えないだろう。

新しい職場では、しばらくは地味な仕事になると思う。ひょっとしたら、政治的な力の兼ね合いで俺の思い描く方向にはならないかもしれない。そういう意味ではギャンブルだと思っているんだけど、そこらへんは、周囲の人たちの力も借りながら頑張ってみたいと思う。なんか、知らなかったけど、実は今度の業界には知り合いが多いようなので...。

ただ、一つだけ忘れないようにしたいと思っていることは、技術を追及することに力を入れること。それは業務面でもそうなんだけど、どちらかと言えば個人的な領域での話。前職は、新技術でイノベーションするというよりは、インフラストラクチャとしてのシステムを維持するという意味合いが強い職場だったので、個人的な興味・関心よりも、安定的なITシステムの運用という面を重視せざるをえなかった。しかし、今度の業界はIT関係じゃないので、少なくとも、個人的な時間をITの新技術なり、自分の興味・関心に振り分けることができる。具体的にはNVDAを改善するためのアドオン作ったり、まぁ、そういう細かいことで、別に大きなことじゃないけどね。ゆくゆくは「情報保障」の観点でアクセシビリティ技術を応用してコンテンツを提供するための技術的な基盤を整えたり、「コンテンツの活用方法」といった面で、プライベートでも業務でも関われるようになることがベストだとは思うけど、まずはね。そういう心掛けでいきたいと思います。

まぁ、実際のところ俺はそんな大層な人間ではないですけどね。「毎日を必死に生きる!」とか言っておいて、毎日夜遅くまで、というか、朝早くから、というか、そういう時間から飲んでですね、飲みすぎて1日無駄にすることが数日続いて、「あぁ、廃人だ、せめて最後は俳人でありたい」とか意味不明なこと思ったりするんだけど・・・。

では最後に。僕はね、Facebookのプロフィールの職業欄に「お花屋さん」って入力したいんだけど、できないよね?いや、できるかもしれんが、俺はネットの世界では「お花屋さん」でありたい!「仏壇販売業」とかでもいいけど・・・。やっぱり職業と言ったら、「お花屋さん」か「パン屋さん」か「パイロット」だろう。パイロットだとしたら、俺はF15Eのパイロットがいい。なんでEかというと、そりゃもちろん、ストライクイーグルだからだよ!いやまぁ、それはいいとして、お花屋さんとかパン屋さんとか、実際に経営するとどうなんかね?とある洋菓子店は、クリスマスになるとあほみたいな連中が次々とケーキを買っていくけど、普段はだれもいないっていう、「なんていうか、どうなの?」って状態だけれども、そういうのでもフランチャイズできるってことは、それなりになんとかなるってこと?うーん、分からん!SI企業の収益モデルはこの数年でだいたい分かったけど、個人店とか、季節感のあるチェーン店の収益モデルは今でもぜんぜん理解できない。

でもね、前は「ルーチンワークなんてつまんねえ」って思ってたけど、世の中のほとんどってルーチンワークだよね。というよりは、目に見える形ではルーチンなんだけど、ルーチンになるまではすごいんだろうなあと思う。豚骨ラーメンのスープを作る仕事にしても、車の製造ラインにしても・・・。もう、だめだ。世界がぐ~るぐる~!

こんなんで俺は明日7時に家を出て、ちゃんと仕事場にたどり着けるんかね?一応昨日確認しに行ってみたけどね。地震でプルプルだったけど、そこは我慢してあえて行ったら、いや、まあ、プルンプルンだったよ。コラーゲン万歳!大日本帝国万歳!

以上です。ああ、さっきからトイレ我慢してたの。じゃあ、行ってくるね。あ!?ジョロ~。

その昔、会社帰りにコンビニでビールを買って、ちょうど夏だったので我慢できず、道半ばにしてプルタブをプシュっとやり、そして、「ビールといえば野球」なので、ワンセグで野球中継を見ながら歩いていたところ・・・。

慣れてる道とはいえ「さすがに盲人がこれやるのはちょっとなあ」と思いつつも、でもビールうまいし、野球は良い場面だし、とりあえず自宅へ向かって歩いていたわけだが・・・。そこで突然後ろから声をかけられた。

「あの・・・。いつもお見かけするんですが、どちらまで行かれますか?宜しければ一緒に行きます。」

若い女性の声であった。あぁ、なんと。聖母マリア様はおいでであった。マリア様は見ていらしのだ、堅実に仕事をこなす私のことを・・・。だから、このような形で褒美を与えてくれたのだ。

とまでは思わなかったけど、「あ、どうも、有難うございます、では○○まで・・・」と言いかけて、ふと我に返った。片手にビール、片手に携帯を持ち、ビールを飲みながら野球見てた俺は、どうやって手引きしてもらったらええのん?

女性の申し出はとてもありがたいことだった(まあ、サプリメントとか押し売りされるまでは)。ただ、暗がりで後ろからは見えなかったんだろうけど、白杖かかえながら、両手にビールと携帯を持って歩く人に声をかけてくれるなんて・・・。あぁ、いや、だったらこれからも歩きながらビールのもうかな(笑)。

そういう、昔の一場面。なぜ、そういうことを思い出したかというと、ぜんぜん関係ないんだけど、中学生のころメル友だった子とのやりとりを読んだら、なんか思い出したのである。かなりどうでもいい話。

で、なんでそのメールをほじくり返したかというと、メーラーを乗り換えようと思ってるんだけど、データの移動がぜんぜんうまくいかなくて、あまりにイラっときたので、ちょっと和もうかと思って、手近なところにあった中学生時代のメールを手を伸ばしたという次第。ああ、ガキだったわ、俺。女の子の方がませてるっていうのは、中学生ぐらいの年齢でも当てはまるらしい。書きながらちょっと面倒なこと思い出したわ・・・。東京に出てきてから「変わったね」とかメールきて、そのまましばらく返事こなくて・・・。あぁ、まぁ、いいや。

あ~あ。社会人にしては長い休みを過ごしてきたけど、それも明日までか。ま、特段悪いこともなかったのでいいのかな。・・・

久しぶりに実家で家族4人そろった。

今はまだ、俺も弟も独身なんであれですけど、弟が結婚したりしたら、どうなるんかね~。嫁さんがきたら、実家に俺が寝るスペースないなあ。そうしたら、まとまった休みは帰らずに、特に何もないときにこそこそ帰ることにしよう。

それはともかく、私は墓守としての役割を果たすべきだと思うが、無理そうだなとも思うし、でも親が墓に入るときぐらいは親の意思を尊重したいところだが、仮に距離的に近いとしても俺が墓守できるかどうか、という点で微妙なわけで・・・。

もちろん、今の世の中「桜葬」とか「散骨」など、様々な葬り方があるんだけど、それは私たちの世代にとっては多様な形式として受け入れられるとしても、昔かたぎの人がそれで納得するかというと、それは分からないわけで・・・。「寺じゃないといかん」と言ってる親父の意思を無視して、勝手に神道で葬式とかやったら、いや別に実害ないと思うけど、心の持ちようとしてね・・・、「いいのかな?」っていうのがあるのでね。

まぁ、俺が死ぬとき、葬ってくれる人がいるのかいないのか知らないが、あとくされなく存在が残らない形でやってほしいものです。

でも、どうなんかな。ほんとは、惜しまれるのが一番幸せなんだと思うけどね。ごめん、また思い出しちゃった。

ほんと、ごめんなさい。今からすごく無責任なこと書きます。

人間、何かを失ったときに「喪失感」を味わうのはごく普通のことらしい。「家族の死」みたいな、自分ではどうにもならん事象に対しては確かにそうだと思うんだけど、まさか自分で決めたことについて、しかも俺自身にそういう状態が起こるとは思ってなかった。

なんというか、喪失感というと少し違う気がするんだけど、今まで当たり前にしてきたことをしなくていいとなってみて、なんか微妙・・・。もちろん身体的にも精神的にも、とても楽なんだけど・・・。ほんとごめんなさいね、今更「これで良かったんだよね?」と、つい自問してしまったりする。

自分で決めた路なので、「良かったよ、だからつべこべ言わずに前へ進め」というのがおそらく答えなんだけどね。まぁ、それを否定も肯定もする気はないが、少なくとも否定はしません。わけわかりません。

で、そこは端っこにやったとして、じゃぁ、虚無感にも似たこの感情は何なのかと考えてみると、一つの答えにたどり着いた。「承認欲求」とか「存在証明」とか、そういった類のものだ。

会社では、どちらかといえば、俺は一人でもくもくと作業することが多かったので、仕事してるときは、直接的にリレーションシップを感じることはなかったんだけど、それは単に無意識なだけで、本当はいろいろな人と関わり、自分の存在を認識できていた。もちろん、「たぶん俺はそう必要とされてないな」と思わなかったかといえばうそだけど、結果的には、(必要か否かということは抜きにして)いろいろな人とつながってて、無意識のうちに俺はそれを自分の価値に結び付けていたことに、ほんと今更気づいた。

ここ数日、SNSへの俺の投稿頻度が上がっているのは、たぶんそれが関係している。ゆるい形に変容したとはいえ、これまでのリレーションシップが多少なりとも維持できる状態をSNS上で、これまでに作った。そして、それを本格的に維持するために、ここのところ、SNSへの投稿がアクティブになっている。そういうことだろう。

っていうか、こんなこと書いて、俺は何がしたいんかね?さっぱり分からんこともないけど、なんか、こういうことを書いてしまい、ちょっとためらいながらも、ポストしてしまう自分が、なんか微妙・・・。

まぁ、「自分はここにいるんだ!」ということを、自分で認識できる手段が、たまたまSNSだったので、そうしているだけなんだろう。そして、今はどうか知らないが、少なくとも、そういう感情を抱いたことを後で思い返して懐かしめるように、こうして文章を残しているんだろう。

ま、会社でのリレーションシップを保持しておきたい理由は他にもあるかもしれんけど、まぁ、分からん。まあ、いいや。個人n的なこととかもあるけど、まぁ、それなりに大きな会社から、だれも知らないような職場へ転職するんで、親戚に言うときもなんか・・・みたいなのは無いこともないけど。怒られちゃうね、そういうことで判断しちゃね。自分の仕事にプライドを持てることが、一人前の要素だと思うから、頑張ることにします。

言っておくけど、割と葛藤してんだよ、俺は(笑)。

そういや、「俺の思い出って、どういう形で残ってるんだろう?」とふと気になったので、思い出してみることにした。

たいてい、普通の人は思い出に写真を残すことだろう。旅行や観光、何かの記念、いろいろな場面で写真を撮る。そして、アルバムを作る。昔みたいに、1冊の本に現像した写真を張っていく人もいれば、電子端末にデジタルデータとして写真を管理している人もいるだろうけど、とにかく、写真で思い出を残すことが多いはず。それは、多くの人、そして多くの場面において、目に映った出来事が思い出になりうるものであり、かつ、最も鮮明な思い出たりうるからだ。

けれど、全盲の私としては、写真とかあっても、「何の写真だっけ、これ?」という、思い出とはかけ離れた感想を持ってしまう。いや・・・。今は携帯とかデジカメで写真撮って、タグを付けたりファイル名を工夫したりすれば、どんな写真かをテキストでも確認できるように保存できるけれども、正直、俺はそんな面倒なことはしたくない。してもいいんだけど、めんどい。

そういうわけなので、盲人が思い出を残すとなると、記憶するか、または音声を録音するかのどちらかということになる。盲学校にいたころは、先生が気を使って、保護者用に写真を撮るのと同時に、例えば修学旅行の様子を録音したりして思い出を残す工夫をしてくれていたものだ。ただ、当時、音声を録音するのにカセットテープが主流だったけれど、今、私の手元にカセットテープを再生できる機械がないので、実家をあさってそのカセットが出てきても、思い出を再生することはできないんだけど・・・。そういう風に考えると、昔の写真でも、端末に左右されず閲覧できていいなあ。

でだ。学校にいたときは、そうやって周りが気を使ってくれてたり、記録として録音するという文化が当たり前だったんだけど、健常者の世界に出てくると、当然そうではなくて、さっきも書いたように、思い出としての記録は主に写真である。で、俺的に写真撮っても、あとあと思い出を懐かしむ材料にはならないので、そういうものは自分で撮ろうと思わなかったし、他の人が撮ったものを焼き増しするというようなことも考えてなかった。

そういう感じで今まできたから、最近不安になることがある。俺は事実上、自分の記憶にほとんどの思い出を残している状態だけど、この記憶はいつまで持続するんだろうか?

まぁ、私の目が、将来仮に見えるようになったときのために、少しぐらい写真を残しておいてもよかったかもしれない。一般常識は外れるけど、事情を説明して、何かの様子を録音させてもらえばよかったかもしれない。そういう風に、自分の身体と切り離した形で、思い出を残しておいた方が、よかったかなあと、ちょっと、ここ2,3日思っているわけである。

特に、最近のソーシャルメディアの普及が、よけい俺にそう思わせるのかもしれない。写真をアップロードするのが目的のSNSもかなり普及しているし、Facebookなんかは、テキストも書けるけど、どちらかといえば [picture-based SNS] という感じ。これらは、自分の写真を他者と共有できるのが良い点であり、これまでは同じ「時」を共有している人たちが思い出を共有していた状態を、サービスベースで思い出を共有できる形へ変化させた。

ここで注目すべきは、普通の人のFacebookの利用方法と、盲人のFacebookの利用方法は、割と異なるということだ。普通の人は前述したように [picture-based] なんだけど、盲人同士の友人が多い人は、Facebookであっても、テキスト中心のコンテンツをアップする傾向が強い。また、盲人だけど周囲に健常者が多い人は、テキストを中心にしつつも、ときどき写真をアップすることがある。

で、いろいろ長く書いてきたけれども、Facebookの友達だって、比較的強いリレーションシップの人もいれば、弱いというかゆるいリレーションシップの人もいるわけで・・・。盲人コミュニティとは比較的強いものの、健常者コミュニティとは割とゆるい繋がりであると、自分自身のことを考えている俺としては、「うーん・・・。」という感じなわけである。

その、思い出を共有する形態がね、プラットフォームは同じでもコンテンツが違う故に、事実上共有できてないし、だからといってこっちから共有できるようなものもないし・・・。

できることなら、音声も共有できるようなSNSだったらいいんだろうけど、でも個人的にはそれだけじゃだめだと思う。それだけ、というか、写真も音声も共有できたって、そもそも普通の人と盲人は、視覚情報が有るか無いかの違いによる「感性の違い」が割と著しいから、技術的に音声コンテンツの共有が簡単にできても、コンテンツとしてアップする人たちは、前述のテキストベースの人たちが移転してくるだけになるんじゃないかな、と思う。

なんか、だんだん話が逸れてきたので元に戻しますけど・・・。俺の不安としてはですね、一義的には「形に残らない思い出を持続できるか怪しいことが不安」であって、他には、さっきみたいに他人と自分の思い出を共有できるプラットフォームがあるのにうまく共有できないことについて微妙な気持ちになったりするし、あとは、もしも結婚式とかを自分がやるときに、「スライドで流すような写真なんかねえなあ」ということも思ったりするのである。

まあ、一番最後の問題は、当分私は結婚しない予感がするので、対して心配することではないかもしれない。

結婚といえば「結婚するためにはいろいろな処へ出かけなければなりません。積極的になってください」と、つい先日アドバイスを頂きましたが・・・。まぁ、努力はしてみようと思うけど、結婚は、たぶんそう単純にできるもんじゃないと、俺は思うなあ。相手が盲人だったらそう壁はないかもしれんけど、運よく健常者の彼女ができても、ご両親が偏見の塊で破断になること、多いみたいだし・・・。いや、まあ、好きになったら、相手がどんな人だろうと関係ないかもしれんけど、好きになるまでのプロセスが、俺にとっては一番問題なんだよ。

まぁ、いいや。結婚については、もっと酔っぱらったときに気が向いたら書こう。自分の結婚感とか書いたら、だれとも結婚できなくなるかもしれんけど、まぁ、しかたないね。長期的な視点を持たず、こうやって酔っぱらったノリで文章書いちゃう時点で、もうだめだ。さようなら。あぁ、心が苦しいよ。

題名のとおり、「私事」という単語を、自分が自由きままに書いているブログで書くのは、ちょっと「どうかと思う」けれども、それはそれで、なんとなく奥深いというか、あほみたいなので、やっぱり書きます。、

私事ですが、本日、会社を辞めました。自分が他人の「退職告知」を読む度に「そんなもん書く人の気持ちは5割ぐらいしか分からん!」と常々思っていたけれど、今日、8割ぐらいは分かる気になったので、したためているということである。

さて、今の会社と言ってよいものか・・・。とりあえず、今日まで出社していた会社。相対的には、長く世話になったとは言えないかもしれない。が、初めて勤めた会社ということもあり、どっぷりその会社の文化にひたったのではないかと、我ながら思う。

文化とか、方針とか、個人的にどうかと思う部分はあったにせよ、こう言っちゃなんだが、俺はこの会社に拾われたと言ってもいい。大学院に進んだものの、なんだかんだで中退して、リーマンショックの影響が波及する前に運よく入社できた会社。全盲という、正直、俺自身も「どういう存在なん、それ?」と思うような人でも、雇う決断をした会社。

関係者が読んでいることを承知であえて書くが、この会社を私が「好きだったかどうか」と尋ねられれば、「Yes」とは即答できない。もちろん、それなりに大きな企業だったので、体裁は整っていたけれど、それなりに大きい故に、矛盾した側面もあったように思うし、それでも、きちんとした側面はあった。

様々な要素を内包していた会社。組織として見た場合の感じ方はそういうことなんだが、同僚、上司、仕事上で関係のあった人々、それぞれを個々に考えると、皆良い人であった。技術者としてのプライドを持ちつつ、もちろん技術職でない人も、自分の役割をきちんと果たすという意識を感じたし、相対的には優秀な人材がいた会社だったのかなと、今になって思う。

けれど、私は、会社を辞めることにした。それは、次の、全く違うステップへ進むためである。めんどくさいし、最近は物騒な世の中なので、詳細は書かないけれども、私は私の決断を正しいものと信じている。

新しいステップに対し、希望はある。自分の実現したい夢もある。同時に、現実を見れば、そのような綺麗事ではなく、もっとドロドロした財源とか政治的リレーションシップのような、ビジネスではあまり想像のつかない領域に、ひょっとしたら足をつっこまないといけないかもしれない。まぁでも、それはそれでありじゃないか。別に、それで失敗したなら、また、別のことを探せば良いだけ。

正直に書きますが、今朝までは、「今日で会社を辞めるんだな」という意識はほとんど持たなかったし、関係者へ挨拶しているときも、そんなに意識することはなかった。でも、飲んで帰って着て、割と酔っぱらっているけれどもうちょっと飲みたい気分でちょっと飲んだ今、今になっていろいろ思っている。

人間、自分は大してウェイトが高くないと思っていることでも、他人からすると、結構ウェイトが高いように言われることもあるし、逆のこともある。お世辞にも私は会社に利益を与えたと言えないが、・・・いや、そうではないと言ってくれる人もいるかもしれないが・・・。終わってみれば過去のこと、でも、感じている今は今なので今なんだ!

そういうことなので、最後の「ギュー!」は忘れません。

ところで、入社した当初にお世話になってた人のところへ挨拶に行ったときのこと。「メール送っておいたから」と言われて、席に戻ってメールを開いたら「真剣に結婚を考えろ」と書いてありました。まぁ、そういう年齢ですがね・・・。どういう意味ですか?「凪のあすから」を見て、「片思いが一番美しい」とかいう感想を述べる俺に、どうやったら結婚を現実的な人生のライフプランとして認識できるんだろうか?っていうか、「ギュー!」が忘れられなくて割と困っています。

そういうわけなんで、もう、何を書きたいんだか、さっぱり分からんね、これは。

では最後に。

なんだかんだ、この会社で良かったよ。人間、ないものねだりするのが常だから、在職中に思ったことは、真実であり願望であり希望であったが、今となっては、悪くない思い出です。

今後は、別に自分を高めるわけでもなく、とりあえず、いつ死んでもいいように、毎日を必死に生きて、余力があったら将来の自分と、それから、将来の子供たちへ、希望を繋ぐ仕事をしていきたいと思います。というのも、隣の部屋で、あかちゃんが「夜泣き」しとるもんだいね~。

それでは、また。とりあえず、仕事じゃなく遊びに、今度横浜行こう!確か、去年の終わり、シベリア鉄道だと思っていたら、ただの東横線だったとかっていう意味不明な出来事がおきたけど(笑)。

会社帰りに、傘を忘れることがしばしばある。雨の日、朝出勤したら傘立てに傘を置いておくのだが、退勤するときに99%の確率で傘を忘れるのだ。

普通、窓から外の様子を見たり、帰り際に傘立てが目に入って傘のことを思い出すのだろうけど、全盲だとどっちも無理なので、石木しておかないと忘れてしまう。傘は雨の日にしか持たないのでなおさらである。(ただ、ググると普通の人でもよく傘を忘れるらしいことは分かった)

傘を忘れないで帰るために、何か良い方法はないだろうか?そう、いつも考えているのだが、どうもしっくりくる方法がない。

まず思いついたのは、傘と自分との距離が一定以上離れたら、音や振動で知らせてくれるツールだ。実際、次のような商品がある。

もう売っているのか分からないが、その商品は、発信機と受信機がセットになっているもので、傘に発信機を取り付け、受信機を自分のポケットかどこかに入れておく。すると、10メートル程度傘と自分の距離が離れると、受信機が振動して、傘から離れたことを通知してくれるのだ。

この商品により、傘を置いたまま帰ろうとしても、途中で気がつくので、傘を置いたまま会社を出ることはなくなった。そういう意味では、要求を満たす商品だったのだが、当然問題点もある。

第1に電池の持ちが悪い。一応電源はあるけど、電源を入れっぱなしで2,3日しか持たない。これに「電源切り忘れ」という合わせ技が入ると、「いざ出陣!」というときに電池がなくなっていることに気づく、という悲しい事態となる。

第2の問題は、10メートル以上傘から離れると、受信機がブーブーうるさいことである。いや、だから忘れないのだけど、そもそも傘立てと自席が10メートル以上離れている場合、うっとおしいこと極まりない。この商品を買ったころは、傘立てが席に近かったのでよかったが、席替えした後だいぶ傘立てから離れてしまったので、もうブーブー・ラッシュって感じであった。このケースでは、受信機の電源を切ることでブーブー・ラッシュを回避できるけど、「それじゃ意味ないじゃん!」ということに読者の方はもう気付いたに違いない。

こんな感じで、そう悪いアイデアではなかったが、この方式で傘忘れを防止することは、結果的に無理であった。

さて、それから「傘忘れ防止方」の検討をすっかりさぼってしまったのだが、昨日傘を忘れたおかげで、会社ビルの中を2往復もしてしまったので、ちょっと真面目に考えることにした。

スマフォを常に持ち歩いているのだから、これを利用してしまうのが、傘忘れには効果的と考えられる。

そこでiPhoneの「リマインダー」に「傘を持って帰ること」と登録しておけば良いのではないかと思い付いた。だがすぐに問題点に気づいた。

リマインダーに登録するのを忘れると、傘を忘れてしまうのだ。

これを防止するためには、リマインダーに登録することを忘れないよう、リマインダーに登録しておくことが有効と考えられる。が、リマインダーに忘れないようリマインダーに登録することを忘れてしまっては意味がないので、「「リマインダーに登録するのを忘れないようにリマインダーに登録する」ことを忘れないようにリマインダーに登録する」ことが必要だ。でもやっぱりリマインダー登録を忘れると意味がないので、「「「「「リマインダに登録するのを忘れないようリマインダーに登録する」のを忘れないよう」・・・」・・・」・・・」。

このように、リマインダーを使うと、無限ループが発生する。無限ループっていうか、LISPの括弧地獄をちょっと思い出した。

従ってリマインダー利用は却下なのだが、今思い出した。昔、携帯メールに「傘忘れるな」と朝メールしておく方法を考案したことがあるが、朝メールを送るのを忘れると、傘も忘れてしまうので、結局使えなかったのだった。どうやら「車輪の再発名」的なことをしていたようだ。

そうなると、あと思いつくのは、アプリを作ることぐらいである。Google先生でも Weather News でもなんでもいいけど、天気情報を取得できるAPIを提供してるWebサービスをマッシュアップして、「朝雨が降ってた日の夕方にプッシュ通知する」機能を実装すれば良い。っていうか、Google Nowとかでやって欲しい。インストールして数日しただけで人の職場を勝手に判定してたんだから、Google先生ならこれぐらいやってても良さそうだが・・・。

と思ったら、冒頭で少し触れたが、同じようなことを考える人はいるらしく、もうアプリが存在していた。でも、やっぱり自分でアプリを起動しないといけないので、忘れそう。

傘もった? - Google Play の Android アプリ

なお、「今日は傘が必要か?」を教えてくれるアプリは何種類かあるけど、「傘を忘れないように」との趣旨のアプリはこれぐらいなのかね。

ちなみに、傘忘れを防止するために、みんながどんなことをしているか、以下のサイトに掲載されている。なんだか、これを読んだら力が抜けた。さようなら。

地味に役立つライフハック! うっかり傘忘れをなくす方法 - トレンドニュース

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視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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