職場に、絵に描いたような「うだつの上がらないサラリーマン」って感じの人がいるのだが、なんであの人はうだつが上がらないんだろうか。聞くところによると、それなりに厳しい部署出身の人らしいのだが、今私が見る限り、どうも、うだつが上がっているようには見えない。

まぁ、「うだつの上がるサラリーマン」の方が珍しいのかもしれないが、その人を見ていると、自分ももたもたしていられないような気分になる。

正直なところ、メディアに取り上げられるような、経営的な考えを持っている人とか、社会公権的な活動をしている人の話を目にする度に、「自分は今のままでもいいのか?」と問いかけてしまう。権力欲というのだろうか、そういうのがないわけではないが、単に平凡に、人並みの人生を送っているだけで、本当に大丈夫なのかと心配になることがある。

冷静に考えれば、それはただの杞憂で、実際のところ、平凡な人生を送ることは間違っていないと思うのだが、いかんせん、メディアに取り上げられる人の生き方がまぶしくて・・・。自分は、社会にどんな価値を創造できる存在なのか?とか考え始めると、「え?価値を創造というか下落させているのでは?」ということが多くてへこむわけで・・・。

まぁ、価値とは相対的な概念であるから、深く考えなくてもいいのかもしれないけど・・・。

けれども、相対的であるからこそ、固定的な考えにとらわれず、社会の潮流にうまく乗れる形で、価値を体現できるような存在になることが、これからの時代、求められてくるのではないか、とも思う。

ぜんぜん話は繋がらないけれども、そういう革新的な方向に走りたい気持ちと、生活の安定を望む気持ちの両方に板挟みにされて、私は最近疲弊しているのだ。エッチなことがしたいけれど、ソープに金を払うのは気に入らないのでオナニーで我慢しているけれども、それはそれで寂しいので、やっぱりたまにはソープに行きたいとも思うが、でも、全盲であることを理由にエッチなことをさせてくれないのではないか?と想像すると、そう簡単に川崎まで行く気にもならない。

もうどうでもいいや。今日、ファミマよりもセブンの方が「ペペロンチーノはうまい」ことが分かったので、良しとする。