昔、彼女がいたころ、ときどき料理を作ってもらっていたのだが・・・。まぁ、おいしいことはおいしかったのだが、正直なところ、「なんかひと味足りない」って感じだった(読んでたらごめんなさい)。

で、たまに実家に帰ってご飯を食べると、やっぱりしっくりくる。「あぁ、これがお袋の味か」と思ったことは、無いこともない。

私のこの見解について適当に推論すると、たぶん母親が作る料理の味に舌が慣れているからだと考えられる。っていうか、お袋の味っていうものはだいたいそういうものだろう。料理の味にしても、労働に対する価値観にしても、親の影響は大きいものだから当然のことだ。

ところが、ちょっくらショッキングな事実が判明してしまった。どうもうちの親、調理師免許と栄養士免許を持っているらしい。え?うそでしょ?まさか・・・。学校給食(高校生のときの寮を除く)がすんなりなじんだのはそのせいか?

そうなると、大変困ったことになる。現場から大変遠ざかっていたとはいえ、免許を持っているということは、多少そのときに勉強した知識を元に料理を作っているはずなのだ、うちの親は。「それは違う」という主張を展開される方もおられると思うが、だいたい人間なんて自分の経験以外のことを思いついたり実行したりできないので、私は割と信じている。少なくとも、私の見立ててでは、うちの親は凡人だ。たぶん、突飛ではない。

ということは、多少なりとも知識を持った人手ないと、私は人が作った料理に満足できないのではないか?知識というか経験というか・・・。「ひと味足りない」原因を、私は免許の有無に求めてしまうかもしれない・・・。

まぁ、冷製に考えると、免許を持っているということは、ある程度均質な料理を作れるということであるから、万人受けする、すなわち「まずくない料理」を作れるだけの勉強はしたということであって、それが必ずしもおいしいかというとそうではないと思うのだが・・・。機械で作った冷凍食品も、ずいぶん味が良くなったしね。

そういうわけで、私がお嫁さんを探す場合、まず「調理師免許」の有無を条件に加える必要があるかもしれない。でも、そんな人が嫁さんになったら、やっぱり毎日「給食」なのかしら・・・。「料理は愛情!」というけれど、それはたまに作るからそうなのであって、毎日のルーチンワークに成り下がると「やっつけ仕事」になって、結局は「給食のおばちゃん」的なところに収束していく気がする・・・。ジレンマだ。

ちなみに、今かなり酔っぱらっていて、もう最初の方に何を書いたか覚えてない。北朝鮮は野蛮な国だ。日本が支配してやつらに人権を与えてやらねばならん。ウソピョーン!

でも、まぁ、身内を処刑するのはちょっとね。日本の戦国時代だって、辟易してた人はいっぱいいると思うよ。それが、「民主主義」とかいう文字が入ってるくせに独裁的な国家であるどこかのだれかさんが・・・。あああああああああああああ!Fuck!!

最近いろいろあったのよ。ちょっと、最後ぐらいは頑張らないとなって思うの。私は、「主任のためなら命をかけて戦う覚悟があります」と言いつつも、実際に死ぬか生きるかの場面になったら及び腰になって逃げるタイプの人間です!Yes, Sir!

以上。人妻最高!Yeah! Very good! Not, great! Yeah!