2018年3月の記事一覧

現実逃避的な個人的事情より、この2日は超常現象とかOパーツとか、その辺でもたもたしている次第。

子供の頃は、こういった話題を恐怖心として捕らえていた。中学生頃からは、TVタックルの「嵐の大げんか」の影響もあって、コメディーとして捕らえるようになった。そして、大学で計算機のことを学ぶうちに、「こういうのは馬鹿げているが、アカデミズムとは別の意味で面白い」と思うようになった。これが、私の、いわゆる「超常現象全般」に対する考えとなった。

で、私はアカデミズムを選ばなかったので、そういう「のほほん」とした気分で、UFOとか陰謀論なんかを読むのだけれど、そういえば学生時代から知識がアップデートされてないと思って、Webや書籍で最近の事情とか、個人の感想を読みふけっているのである。極めて不健全であることは承知しているのだけれど、アニメやドラマを見ているみたいで、繋がりのありそうな部分を繋ぎ合わせて、どういうことになってるのかを考えるのが、また面白い。

さて、そこで、前々から疑問に思っていた、というか、「どうなんだろう?」と曖昧に考えていたものの、文章にはしていなかったことがあるので、書きたい。

そう、タイトルの件である。

「媒体としての紙」は、デジタル故に仕事を進めてこられた自分にとって矛盾する要素をはらみつつも、時にその必要性、または重要性を考えさせられることがある。

それは、「伝える」という術後についてだ。

この発想は、古代文明の石版を解読するとか、壁画の絵から描写を試みると言った知見に基づいている。

例えば。仮定として人間の感覚が知覚できる範囲において、なんらかの絵または文章、あるいは文字列が書かれた何かがあったとする。それは石版でもいいし、朽ちかけた紙でもいい。そういう媒体に書かれたことは、人間が知覚できるのだから、目視なり手で触るなどして認識できるはず。で、形式と意味を関連付ける法則をどうにか見いだすことができるかもしれない。

でも、現代のように、ペーパーレス化が進み、個人の情報発信はWeb・・・という時代になると、近い将来(数百年とか)は良いとしても、数千年、数万年後に、私たちの知識が伝わるかどうかは、とても怪しい。

デジタル化を例にとれば、まず、入力・記録・保管の最低3つの要素が、媒体に要求される。これに対して、音楽でいうと昔はアナログ波形を焼き付けたレコードが使われ、今はデジタル化されたCD/DVD/BDが用いられる。これらの媒体は、ターンテーブル(レコードの)とか、CDプレイヤーとか、ディスク・ドライブなとどいった、デバイスが無いと読み取れない。しかも、記録された媒体を再生するには、企画に沿った形でデータが記録されていなければならない。デジタルでいうところの、「0と1でサンプリングする」といったり、逆のことだったり、のことだ。

ただ、一時的な記録媒体としては優秀でも、やはり物理的なものなので、劣化はする。それに、扱うデータが増えるごとに、企画も変わるしデバイスも変わる。レコードを再生できる人が、いまいったい、どれだけいることか?

ましてや、Webのような民主的なシステムにおいては、膨大かつ厳密(改ざんを防ぐという意味で)なアーカイブシステムを統合的に運用しでもしないかぎり、だれもその正確性や再現性を後世に保証できない。でも、そんな組織はたぶん無い。アーカイバは有っても、都合が良いように改ざんされるだけだ。

上記のような、わりと面倒なことを考えると、「伝えるにはダイレクトな媒体がいいんじゃねえの?」という思いになってくるのである。

個人的な意見としては。まず、デジタルを進めていくことに異論無し。だが、重要なものは紙のように、ダイレクトに人間が知覚可能な媒体に記録して保管すべきである、ということである。

結局、再生デバイスが無いような状況、もしくは使えない状況で、運用を行うなり、学問的分析を行うなりすることはできないのである。壊れたHDDからデータを吸い出すには費用がかかるし完全な保障はない。それに、そもそもHDDという媒体からデータを抽出、または再生できるデバイスがあればいいけれども。人類滅亡とか、電力のシャットダウンとかで取り出せなくなると、困ったことになる。そういうシチュエーション含め、紙で保管することも一部必要じゃないかな?という考察である。

まあ、そうはいえども。仮に体系化された言語で記述された文字列が有ったとして、その体系を知らない連中がどう解釈するかなんて分からないのだが・・・。少なくとも、0と1で符号化されたデータよりは、目で見て読める媒体の方が、あとあと伝わる確率が高いんじゃないだろうかという話。石版に書くとか、洞窟の壁に絵を描くとか、紙に文字列を書いて日の当たらないところに保存しておくとか。

地球から宇宙へメッセージを送るプロジェクトもあったようだけれど。電波で送るといっても、どうやって変調するかとか、そういうのは受信側か送信側の都合であることが多いし、受信した電波をちゃんと変調してくれることの方が、私は生命誕生より確率的に低い議論だと思うので。

だいたい、ハビタブル・ゾーンと言われているのが、ほんとに生命に必要な要素なのかっていうのも懐疑的なのだ、私は。だって、無機物を栄養源とする生物とか、放射線を栄養源とする生物(まあ、どっちも微生物だけど)もいるようなので、必ずしも水や酸素や有機物が必要とは限らないし・・・。

おお、話題が逸れかけたのでそろそろやめようか。

とにかく、言いたいことはさっきのとおり。

「今は今、後は後、ということで、紙も残そうよ!」

以上。

我れ、若いゆえに若さあり

  • 日常

ちょっと前から、ノスタルジックな気分になることが多くて、最近アニメで余計そうなることは書いた。

中学生の時に、先生が「歳を取るといろいろ難儀になるんだ」と言っていたけれど、30を過ぎてやっと分かった感じ。

でも20代前半のころって、がむしゃらに勉強したり、パソコンを分解したり、ギターをかき鳴らしたり、おまけに町中に酔っ払ってトラップを仕掛けたり・・・。

良い意味でも悪い意味でも、なんでもできた。心配することがなくて打ち込めた、というのもあるし、単純に興味を持ったことをやってれば、僕の場合は学校の成績にも繋がるし技術は身につくし、良かった。

あと、一人暮らしだったので、邪魔はされずに済んだというのもある。

コンピュータをいじっていると、徹夜なんて当たり前。学校のどうでもいい授業で寝て、必修科目は真面目に受けて、帰宅してからはまた夜通しPCで何かする。

何か、というのは、まあサーバー構築であったりプログラミングであったり、いろいろなんだけれど・・・。

まあ、話を戻すと、学生の時は心配せずに使える時間が多かったのと、若かったというので、なんでもできたなあと・・・。思うわけである。

で、今の俺は、心配することはあれど、使える時間はたくさんある。でも、あのときほど、何かしたいと思えない。なんでだろう?目的がないからだろうか?

やっぱり、僕はおじさんになってしまったんだなあ。

タイトルのとおり、「我れ、若いゆえに若さあり」ということかね。。。

恋は雨上がりのように

  • 日常

タイトルの作品は、現在フジテレビの深夜枠で放送中のアニメである。原作はコミックらしいので、たぶん読めないんだけど、この作品、俺的にヒットである。

粗筋とか細かいことはWiki先生で読んでもらうとして・・・。

毎回、涙無くしては見られない作品なのだ。まだアニメは数話放送されると思うけれど、なんというか、ノスタルジック過ぎて・・・。

最初は、JKがおじさんに恋をする話だと思っていた。でも展開が速すぎてどうなることかと思っていたのだけれど、なかなか良い方向に話が進んでいるので、最後まで楽しみなのである。

さて、だれが主人公なのかはよく分からないが。最初の方だけ見ると、部活で怪我をして夢をあきらめたJKと、しがないファミレス店長のおじさんの話だったんだけど。ときどき、そのファミレス店長おじさんが、妙に文学的なことを言ったり、何か書いて居る様子だったりするので、ちょっとおかしいなあと思っていたのである。

内容はさておき、この作品にはいろんな要素が詰まっていて、それが、たまらなく心に響くのだ。

まあ、夢をあきらめたJKとおじさんの恋模様はどうでもいいのだけれど、おじさんのたどってきた過去と今。その辺の話題になると、もうだめなのです。

おじさんは、そのJKと出会って、忘れかけていた気持ちを取り戻そうとしている。彼が青春時代にやってきたこと、その後に起きたこと。彼の人生は、今でこそ、しがないファミレス店長であるが、それゆえに、彼の内心にあるものを表現しているシーンとのギャップに魅力を感じる。

特に、彼が学生時代の同級生と10年ぶりに飲んだときのこと。たぶん彼らが学生だったのは20年以上前のことなんだけれど、そのころに共に過ごした思い出は変わらず、多少事情があったようではあるが、合えば元通り。すぐにそのころの彼らに戻ることができる。

そして、そのときのファミレス店長おじさんは、しがないおじさんではなく、忘れかけたものを取り戻したおじさんであった。

で、こういう部分がなんとなく自分と重なって・・・。自分も、会えば青春を思い出せる友人がいる。この先10年経っても、20年経っても、その友人を失いたくないと思う。

それに、学生時代、俺は特にサークルなんかはやってなかったけれど、あのころ無心で取り組めたことを今しようとすると、なんだか頭が働かないしリスク回避の方向に走ってしまう。これが「大人になった」ということなら、あまりに悲しいなあと思う。

話題は作品に戻るが、久しぶりにあった同級生の言葉が印象深い。40歳を過ぎたファミレス店長が「俺たちも大人になったんだな」というと、同級生は「大人じゃねえよ。同級生だよ。」と返す。

こういうやりとり、たまらなく切なくて、俺自身も周囲の人と、そういう関係でありたいと思う。

結局何が言いたいかといえば、戦争作品以外でヒットしたのは久しぶりだったので、ちょっと書いてみただけ。

その後、大学時代の講義ノートとか読み返して、ぜんぜん訳分からなくて愕然としてしまったことは、ちょっと内緒。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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