2008年10月の記事一覧

昨日、「インカ帝国の成立」を通して歴史に興味を持ってもらいたいと書いた。

今日はこの作品を読み、読書のすばらしさを実感してほしい。

それは、田山花袋の作品、「少女病」である。青空文庫でも読める。

この作品は、主人公の杉田古城が、電車で巡り会う美しい娘たちに思いを寄せる様子を描いたものである。

杉田はかつて名の知れた文学者であったが、発表する作品が少女に関するものばかりになってきて、世間から笑いものにされ、今では雑誌社で雑誌の構成をやっているしがない中年男性である。見てくれは、簡単に言うとゴッツイ。

そんな杉田は、歳を取った妻や、嫌みな編集長のいる雑誌社での生活にあきれていた。だが、通勤途中で出会う娘たちを見ることが彼を癒していたのだ。しかし、最後には電車に乗っている美しい娘に気を取られ、周りの乗客がよろめいた時にそのまま車外へ投げ出され、反対方面の電車に轢かれてしまうのであった。

現代には杉田のような男はいくらでもいる。私の周りにもいる。作品の一節と題名を借りていうならば、彼らは「少女病患者」である。そして、彼らの環境は確実に良くなっている。それは、田山花袋の生きていた時代と今を比較すれば明かであろう。

女子高生はセーラー服を着ているし、若い子は、特に夏など露出度の高い衣服を着用していることが多い。現代の通学時間帯の電車内は、過ぎたにとって、もう聖域であるに違いない。それは現代の少女病患者にも言えることだろうけれど。

この作品からは、様々な手法を学び取ることができる。

例えば「二」の第二段落の終盤から「二」の最後までを読むことによって、次のことを導ける。

  • 綺麗、あるいはかっこいい人をみつけたら、その人が落とし物をしないかどうか観察する。落とし物をしたら、だれよりも速く真っ先にそれを広い、渡す。

他にも、「四」の第二段落中場から終わりにかけての文章からは、電車の中で娘を観察するための細かな手法が説明されている。

初期の少女病患者にとって、この作品はバイブルとなるであろう。しかし、作品中で杉田自身でそのような手法を自然と身につけたと書かれていることや、私が友人を見ていて感じるように、おそらくこうした様々な観察手法は常に効率的なものが個人によって生み出されているに違いない。しかも、明治時代とは比較にならない現代の環境では、基礎を押さえつつ、いかにして応用していくかが課題となるであろう。つまり、物事には基礎が大事だということだ。

このように、「少女病」という作品は、私たちに大切なことをいくつも教えてくれた。読書することの楽しさ、文章から妄想することの喜び、文章を読み解く力の必要性などである。だから、是非とも高校の教科書にこの作品を・・・。

ところで、私の20年後も、この杉田のようになっているかもしれない。

インカ帝国の成立

「インカ帝国の成立」という曲(動画がYouTubeにあります)。

これはインカ帝国が成立するまでの出来事を歌にしたもので、史実に基づいたアカデミックな内容となっている。ほとんどの日本人はインカ帝国の存在は知っているものの、その成立や滅亡などについての知識は皆無と言って良い。この曲はそんな日本人が少しでもインカ帝国について学ぶ機械を与えるであろう。

作詞、作曲、歌を担当するつボイノリオ氏は、過去に吉田松陰に関する曲も手がけている。しかし、今回の「インカ帝国の成立」は日本の歴史ではなく外国の歴史である。インカ帝国について取り上げたことを、つボイノリオ氏は次のように語っている。

「ペルーは日本と非常に関わりが深い国であるのに、日本人は過去から現在に至るペルーについてほとんど知らない。何故かというと、教育されていないからに他ならない。我々の祖先がベーリング海を渡り北米から南米へ移動したことからも、ペルーと日本の間には強い繋がりがあることが分かる。だから、私が日本の教育の一端を担うような役割をしようと思った。」

これは『「インカ帝国の成立」の成立』という番組でつボイノリオ氏が述べていたことをまとめたものである。

ここではインカ帝国に関してあえて触れず、曲を聴いていただいたり、ウェブでインカ帝国について調べていただくことによって、読者にもインカ帝国に対する知識を深めてほしいと期待する。

だが、教育の中でインカ帝国が軽視されている理由には触れておかねばなるまい。

元来、日本の教育では古代の4大文明として、エジプト文明、シュメール(メソポタミア)文明、インダス文明、中国文明が取り上げられている。これらは考古学者の間でも、古代文明の中心的なものとして深く研究されてきたからである。

一方、これまで考古学者たちは南米のメキシコ・マヤ、アステカ、インカの文明についてはほとんど興味を示していなかった。これらの文明が成立していたころ、ヨーロッパでは都市同士の交流が盛んで、多種多様な文化が混じり合い、大きな文明が気づかれていたのに対し、インカやアステカ、マヤは山脈や海などで他の文明とは孤立しており、その地域だけの部族で文明を構成せざるをえなかったのである。

すなわち、文化の交流があった文明の方が発展を遂げ、孤立していた文明はそうでもなかったという思いこみがあったのであろう。インカやアステカがヨーロッパ人によってあっさり滅ぼされたという経緯もある。

ところが、実際にはその逆で、ヨーロッパの都市に大きな建設物が無かったころに、既にインカやアステカ、マヤには大きな神殿が建設されていたという。

そして、インカ帝国に限っていえば、初代の王であるマンコ・カパックがネックとなっている可能性は高い。王マンコの業績は歴史学者からは評価されているが、育ち盛りの中学生が読む教科書に「マンコ・カパック」とか「王マンコ」などという記述をするのには問題があると、教科書編集委員は考えたに違いない。

つボイノリオ氏は、前述のインタビューの中で、こうしたインパクトの強い人名・地名が教育の中に現れないことにも触れている。バリ地方のキンタマーニという村、オランダのスケベニンゲンというリゾート地、南太平洋のエロマンガ島などである。

これらは、おそらく一度聞いたらぜったいに忘れない地名だ。エロマンガ島には「イロマンゴ島」という呼び方もあるようだが、「エロマンガ島」の方が覚えやすい。

しかも、エロマンガ島には、19世紀半ばから広範にかけて、フランスやイギリスから宣教しが派遣されるも、原住民に殺され、報復として島を軍が占領したという歴史もある。宣教師来島以後、オーストラリア開拓のための奴隷狩りに訪れた商人が原住民に殺され食べられる(原住民には食人の風習があったようである)などの事件が起き、島の統制を取るために軍が島に上陸したが、原住民への報復を正当化するだけの役割しか果たさず、効力を持つ行政機関が設置されたのは20世紀に入ってからだそうだ。

こうした知識は、歴史や地理にぜんぜん興味を示さない子供に、歴史や地理に興味を持つきっかけを与えるのではないかと考えられる。実際、こうして筆者はエロマンガ島の歴史について学び、そこからイギリスやフランスの宣教師派遣について学びたいと思うように至ったのである。

ちょっとしたきっかけで、こうしていろいろなことに興味を持てるはずの子供たちが、大人の勝手な言い分でそうした機械を奪われていることを、私は悲しく思う。一応教員免許を持っている身として(数学の免許だけれども)。

そのようなことで、読者の皆様には、つボイノリオ氏のユーモアを通して歴史や文化に興味を持っていただきたいなあと思う次第で・・・。

私も大好きですよ、王マンコ。尊敬すべき王である。指でつつかれても、敵になめられても、激しく、ときには後ろから攻められても、矢で貫かれて少し血が出ても、兄弟姉妹との結婚が禁じられている中、王自ら妹と結婚しても、私はマンコ・カパックを尊敬する。

■(参考)

陰謀

きっと、陰謀論者は今頃こう言っているであろう。サブプライムローン問題に端を発し、アメリカの証券会社破綻、それをきっかけとした世界同時株安など、金融危機が世界経済を襲っている。

たぶん、陰謀論者は、こうした機器は、陰で世界を牛耳っているユダヤによって引き起こされたことであると主張するだろう。というか、ネガティブな出来事は全て陰謀なのである、彼らにとっては。

しかも、たいていユダヤとかイルミナティが潜んでいるらしい。最近も、アメリカのブッシュ大統領はイルミナティの秘密結社である、という主張を読んだ。その人の主張によれば、イルミナティの秘密結社であるブッシュは、いずれ起こるであろうニューヨーク市場の大暴落に何ら手を打たず、それどころか政府の金を着服した罪で逮捕されるというのである。ちなみに2006年に出版された本であった。もともと「宇宙人がそろそろ地球にやってきます」という本だったのだが・・・。

陰謀論者の論理では、我々一般人がそうした陰謀組織を否定するのは、陰謀論者がそのように人の意識を操作しているからなのだ。そして、世界で起こっている大事件のほとんどが、そうした陰謀組織を背景にしているという。

今回の金融危機も、その陰謀の一環なんだろう。何故そんなことを陰謀組織がするかといえば、もちろん、世界支配が目的である。

先ほど挙げた「宇宙人ともうすぐ会えます」みたいな本によれば、世界は金融経済をさっさとやめ、金(gold)を資本とした貨幣制度にすぐさま移行すべきだと書かれていた。今の世界の経済システムは、銀河連邦では否定されているらしいのだ。

だいたい、今の金融経済そのものがユダヤやイルミナティによって作られたもので、我々はそれに速く気づく必要があるっていうんだから困ってしまう。そう言われても・・・。

で、何が言いたいかというと、俺はそんなことが言いたいんじゃない。

要するに、「もうすぐ宇宙人に会えます」というタイトルでありながら、「ブッシュ大統領はイルミナティでもうすぐ逮捕されます。ブッシュが逮捕されたことが明るみにでたらニューヨーク市場は暴落し、世界経済は一気に破綻します。そしてゴールドを主体とした経済システムへ移行しなければなりません。また、地球そのものが機器に貧している今、私たちは次元を上げていかなければなりません。」という主張をする本を書いている占い師の著者は、本当に的中率90%なのか?ということなのだ。

ただ、「今こそ物欲から離れ、人間の心にとって本当に大切なことは何か、よく考えてみなければいけないのです」という主張はそのとおりだと思う。いやぁ、耳が痛い・・・。物欲は我慢せんといかんとです![禁欲] is very very important!そうお~もいませんか~?

全盲には、一人で歩くのが比較的できる人と、あまりできない人がいる。

もう少し細分化すると、一人で歩く事に抵抗が無い人、誰かと歩く方が好きだが一人でも歩ける人、道を覚えれば一人でも歩ける人、知っている道以外一人では歩きたくない人など、様々である。

比較的歩ける人には、人に道を聞いて目的地へたどり着くことがそんなに苦労なくできる人が多い。逆に一人で歩くのが苦手な人には、なかなかそういうことができる人はいない。

そのような違いは、おそらく頭の中に地図を描き、それを利用して歩いているかどうかではないかと考えられる。歩ける人は自分の辿った道筋や教えてもらった道順を描き、それを頼りに補講することで迷わないのではないだろうか。逆にイメージ化ができないと、一人で歩くのは難しいことになる。

友人とこのことを議論したことがあるのだが、大きな焦点は、地図を描ける人と描けない人の違いである。

その友人の分析によれば、まず、自力で歩行できるだけの視覚経験のある人は比較的歩ける部類に入る人が多いようだ。これを俺たちの周りの人々に当てはめてみると、だいたい当てはまる。逆に先天性の全盲には苦手な人が多いのではないかという。かく言うその友人も先天性で一人で歩くのが苦手だそうだ。言うまでもないが、見えていたのなら図形概念が存在しているので、脳内でイメージ化するのも可能だという主張である。

次に、スポーツをやっていた人も一人で歩ける人が多いという。まぁ理屈は分からないでもない。スポーツにおいては自分の位置は非常に重要であるから、動いた距離や方向から自分の位置を推測し、それを元に行動する能力が養われるというのである。

そしてこれは俺の推測であるが、おそらく数学ができる人も比較的歩けるのではないか。これは数学を学ぶことにより図形的な概念が形成されるので、特に作図などをきちんとやっていた人は脳内にイメージを作ることもできるのではないだろうか。

ここで、歩行訓練にも注目してみたい。盲人はたいてい小学校のうちに一人で歩くための訓練を行う。その訓練を歩行訓練といい、大きくは2つの訓練に大別される。

1つは歩行スタイルの獲得である。歩行するときに白杖を使うこと、白杖をどのようにして使用するか、電車にはどうやって乗るかなど、歩行する上で基本となる事項の訓練である。

もう1つはルート歩行などとも呼ばれているようだが、目的地を指定し、ある地点から目的地へたどり着くために必要な様々な技法を習得するための訓練である。

考えたいのは後者の訓練である。ルート歩行の訓練では、主に次のような訓練が行われる。

  • 簡単な地図(触図)でルートを確認し、スタート地点から目的地までの道順を暗唱する。
  • スタート地点から目的地までの道順を口頭で教わり、地図に書き起こす。
  • 地図や口頭での説明を元に、実際に歩行する。
  • 補講したルートを地図に書き起こしたり口頭で説明したりする。

これらは最も基本的な訓練である。初めは建物の中から始め、次第に外に広がっていく。このとき、手がかりを使って歩行ルートの確認や危険性把握などを行う訓練も同時に行われる。

発展的な訓練として、同じスタート地点、同じ目的地へ行くために、複数のルートを使って補講する訓練、スタート地点から目的地までのルートの中で、ランダムな地点へ連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。さらにこれを発展させ、スタート地点から目的地までのルートとは全く別の地点に連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。

俺はこういう補講訓練を受けてきた。おかげでというか、一人で歩くのは全く問題ない。おそらくほとんどの全盲はこういう訓練を受けただろう。にも関わらず、人によって歩けるようになる人とそうでない人がいるのだ。

訓練の仕方にもよるかもしれないし、普通の人だって方向音痴の人がいるのだから全盲は余計多いという主張もある。実際のところ、小学校や中学校などで、6,7年歩行訓練を受けるわけだが、できない人はできないようである。

そうしたことは誰かが論文で発表してないか気になるわけだが、どういうキーワードで検索したらいいんだろう。悩ましい。

では、もう少しこれを発展させてみる。一人で歩くのが苦手な人は、今から訓練したら解消されるんだろうか。

大人になって今更歩行訓練を受けるなんて、ほとんどの人がいやがると思う。けれども、俺としては、どちらかといえば一人で歩けず人に頼る事の多い人生を送るなら、ちょっとの時間を割いて自分で歩けるように努力する方が有意義だと思うのだが、そこで問題なのは効果があるのかどうかということなのだ。

点字を大人になってから勉強しても習得が難しい。これは感覚器官ができあがってしまっている大人だから問題があるようなのだ。何にしても、子供のころからやっていることと、大人になってから始めたことでは、伸び率も違うし、到達地点も違う。明らかに子供からやっていた方が身につくのだ(大人には時間がないという主張はあるにはあるけれども)。そうであるならば、補講能力についても、子供のころさんざんやって身につかなかった人が、大人になって訓練を受けたところで無駄なんだろうか。

これらの問題については、これからも考えていきたいと思う。

だから俺は昔から主張し続けているのだ。犬の糞を道路に放置するなと。

草むらに放置するならいい、むしろ畑とかに落とせ。間違ってもアスファルトやコンクリートの上に放置するな。散歩中に犬が糞をしたらちゃんと回収しろ!それができないのなら犬なんて飼うな!糞を拾うのは面倒だけど犬は飼いたいというのなら、地獄でマルコシアスでも飼えばいい。

何故改めてこのような主張を展開するかといえば、その・・・滑ったのだ。そう、律儀に白線の内側を歩いていたのに・・・。何故俺はこんな仕打ちを受けねばならぬのか。昨日酔っぱらって、普通に飯を食ったのにも関わらずピザを注文してしまったことがそんなに悪いことだというのか?

正直、火の消えたタバコの吸い殻とか、プリンのカップとか、そういうものを道路に捨てる方がまだましだ。これらは自然分解されないのでそういう点では困るけれども、糞に比べれば・・・。

もし道ばたで犬の糞を回収せずに歩いてるやつがいたら八つ裂きにしてやる。発見できるかどうかは別として。

酷い目に遭った

  • 日常

昨日の話。

また散歩に出たのだ。今日はアパートの前の道を、まっすぐ行けるだけ行くという目標を持って。

しかし1ブロック進んだだけでT字路になっているではないか。すでに計画が破綻してしまった。しょうがないので1本北の道を進むことにした。

でもこれといって何もないので、適当なところで右へ曲がって、どんどん住宅地の奥へ進んで行く。この時点では、だいたいの方角を把握していれば家に帰れるだろうと楽観的な予測をしていた。そのため、本当に適当に角をあれこれ曲がりまくって進んだのである。

あるところで線路を走る電車のような音が聞こえた。歩き始めて30分ぐらい経ったころである。ついに別の路線を発見したかと思ったが、音を聞く限り少し遠そうだ。そこで、音の聞こえる方へとひたすら進むことになった。

ところが、進んでも進んでもそのような線路は現れない。ひたすら道が続いているだけだ。途中でそれなりに交通量のある道に出たけれども、そこを渡ったところで線路にたどり着きそうもない。少し上ったところで聞こえた音だったので、聞き間違えたのだろうか。とりあえず、この辺で帰ることにした。

のだが、これだけグチャグチャに進んできては帰り道など分からない。とりあえず俺の家があると信じている方角を目指して歩き始めたのだが、うーむ、本当にこっちでいいのだろうか・・・。

途中行き止まりに阻まれながらも、家があると信じていた方向へ歩いていると、それなりの交通量のある道に出た。歩道もある。ここはうちの近くの大きな道かもしれないという淡い期待を持ちながら歩いてみたが、その割に歩道の幅が狭いし交通量が少ない。

ある程度のところまで歩いたとき、後ろから声をかけられた。なので「ここはどこですか」と聞いてみると、J町7丁目だそうだ。一応市内のようだが、どこだ?どうやって帰ればいいんだ?試しに「S町(俺の家のある町)ってこっちの方ですか」と尋ねると、どうやらこの道ではS町へは行きにくいらしい。むむむ、困った。

とりあえず元来た道を戻って、横断歩道へ着いたらまたそこで聞いてくれと言われたので、頑張ってさっき歩いてきた道を戻って横断歩道までやってきた。がだれもいない。というか、人は通るけれども、チャリだったり、電話してたりするので聞きにくい。勇気を振り絞って左へ曲がり、また適当に進み始めた。もう、どうにでもなってくれてかまわん。ちなみにこの時点で歩き始めて1時間経っていた。

何度か角を曲がるうちに、今度こそ大きな通りにでた。歩道の幅も広く交通量もある。路面の状況はうちの近くの大きな道と似ているがたぶん違うだろう。となると、ここはどこだ?どうやって帰ればいいんだ?

いよいよ途方に暮れるときがやってきたようだ。俺はこのまま路上で行き倒れになってしまうのか・・・。

大きな通りならだれかいつか声をかけてくれるだろうという期待を寄せながらその道を歩いていると、バス停を発見した。Mシティーバスらしい。M駅行きのバスがきているが、そんなのに乗ってもしょうがないのだが・・・。

通り過ぎて信号を渡ろうとしたのだが、思い直してバス停の前を行ったりきたりしてみる。迷っている風をアピールするのがねらいだ。だがむなしすぎる。誰も声かけてこない。お前らいっぺん死ね!

ここで、そのMシティーバスのバス停の隣に別のバス停があるのを発見した。そこにはK駅行きがくるらしい。

ここで俺はとある仮説を立てた。ひょっとしたらこの継投のバスでうちに帰れるのではないか。

まず、うちのそばには小田急のバス停がある。そこからは、S町とK駅を結ぶ継投、S町とM駅を結ぶ継投の2系統のバスが存在している。ということは、今いるバス停にK駅行きが停車するということは、前者のS町からK駅への継投である可能性がある。

次に、K駅行きが停車するバス停は、S町からK駅への傾倒だけではなく、M駅の方からK駅へ行く継投という可能性も考えられる。従って、今俺がいるバス停は、S町からくるバスが止まるか、M駅から来るバスが止まるかのどちらかである可能性が高い。

最後に、M駅からK駅へ行く継投が止まるバス停には、M駅からS町へ行く継投も停車する。

まぁ、これはこのバス停に止まるバスが小田急バスであることが大前提なわけだが、俺はこの可能性に賭けることにした。

考えられる可能性は2つ。このバス停がS町方面からくるバスの停留所である可能性と、M駅方面からくるバスの停留所である可能性だ。M駅から来るのであれば、こちらのバス停にS町行きが来るかもしれない。そこで20分ほど待ったが、K駅行きが3本きただけで他はこなかった。

その時点で1つの可能性を捨て、反対方面のバス停で待つことにした。横断歩道を渡って反対側の停留所で待つこと5分。バス停のスピーカーから「S町行きのバスが2つ前の停留所を発車しました」という音声が流れてきた。俺の勝ちだ。さんざん迷ったが、とりあえず家に帰れる。

結局、バス代210円が無駄になったけれども、帰ってきましたよ。

と、昨日はこれだけじゃ終わらなかった。

ちょっと疲れたので帰りに和食レストランで食べてきたのである。ピザ、ポテト、ビール、日本酒を飲んで。そうしたら会計が2,027円だったのだが、うむむむむ、67円足りないではないか!!困ってしまってワンワンワン。

それなりに顔を知っている店員だったため素直に事情を話し、「下ろしてくるんで待っててください」と財布を預けて銀行へダッシュ!まぁダッシュは気持ちだけ・・・。無事金を下ろしてレストランに戻ってきたのだが・・・。

2,027円を払うのに、とりあえず3,000円を出した。それから細かい金で27円出した。そしておつりを1,000円もらった。

このときはぜんぜん疑問を抱かなかったし、その後このことを考えもしなかったのだが、ぶっちゃけ次の日、よく考えたらすごいあほな金の出し方をしていると気づいた。1,000円のおつりに、俺はなんの抵抗も感じなかったが、これ、ぴったり払えたということでは?千円札を3枚出す必要はなかったのでは?

僕は馬鹿になってきたようなので・・・。うー、困ったワン!

行き止まり

  • 日常

本日の散歩コース。

駅前の道を俺のアパートの方へ向かう途中、線路を渡るための橋がある。この辺りは周りよりも標高が高いらしく、この地域だけ線路が下を走っているのだ。まずはその橋の脇の道、線路沿いを歩くことにした。

で、数分歩いたところで微妙に進めない感じになった。キューピーの裏辺りになっているのだろうか、工場の敷地になっているような感じで「進めません、立ち入り禁止」的なノリがヒシヒシと伝わってくる。しょうがないので、すぐそばの橋をまた渡って反対側の道へ移動した。

また線路沿いに進むと、また行き止まりだ。今度こそ線路沿いに歩けそうにない。しかたないので道なりに曲がると、狭くてそれなりに交通量の多そうな道に出た。住宅地のようではあるが。

そこを歩いていると、今度は大きな通りに出た。ここってひょっとしてうちのそばの通りでは?という疑問を抱きつつ、アパートとは逆方向と考えられる道を進む。路面の状況からしておそらく間違いないだろう。

それにしてもなにもねえ。ずっとガードが続いていて店とかねえし。これだけ交通量の多い道沿いなんだから、大きなショッピングセンターとかレストランとかあってもいいと思うのだが。

5,6分歩くとやっとそれらしいものが出てきた。が、何かは分からない。俺は全盲なのだ。建物の存在は分かっても何の建物かなんて分からん。悲しいなあ。でも、カレー屋のようなところを発見した。今度入ってみよう。

また5分ぐらいはその道を歩いていたのだが、いい加減静かな道に行きたくなった。交通量が多い道は空気も悪いし、うるさいのだ。適当なところで曲がると、あれまあ、隣の駅があったとさ。

偶然曲がったら偶然駅にたどり着くなんて、俺って天才?

まあ、とりあえずまた線路沿いに出られたので、また線路沿いに歩こうとした。でもまた進めない。いや、正確には進めそうなのだが、そこが団地の入り口なのか、単に車止めがある道路なのか分からない。とにかく上り坂だったのでそこの道は却下。また線路の反対側に渡ることにした。

それにしても、隣の駅の周辺には、ちょっとした焦点のようなものはあるが、うちのそばの商店街みたいに発展してない。っていうか駅前にあんまり買い物客がいない。もう少し離れたところにそういうのがあるのだろうか。スーパーみたいなのはあったけれども。

で、線路沿いを歩くのにもあきたので、引き返しつつ線路から離れて住宅街らしいところへ入ってみた。すると幼稚園発見。でも近寄らないようにしよう。間違って幼稚園に入ると変態扱いされかねないからね~。

しばらく住宅地を歩いていたのだが、この辺で迷うと本当に帰れなくなるかもしれないから、適当なところで線路沿いの道に出て、うちに帰ることにした。

しかしながら、また線路沿いを戻るのも何なので、1本手前の道を進むことに。ところが行き止まり。そこを曲がってしばらく進むとまた行き止まり。何故こう、1本道じゃないんですか?

しょうがないのでまた線路沿いを歩き始めたのだが、おいおい、また行き止まり。俺の人生行き止まり。

結局、不本意ではあるが、駅の周りを無駄に1周してしまい、安全策としてもときた道を歩くことにした。まぁ、つまらないので今度は歩道橋渡って反対側を。

で、20分ぐらい歩いたらうちに着いてしまったと。あぁ、もっと別の場所行きたかったんだけど・・・。

本日の補数は7,998歩、距離数3.9km、消費カロリー223kcalだそうである(By らくらくホン)。

でも、帰り際、アイスとファミチキを買ってしまったため、一瞬で消費カロリーは無駄になりましたとさ。めでたしめでたし。

内定したニートです

  • 日常

久しぶりの更新。いろいろありました。

まず、10月でニートになりましたよ。あぁ、俺の人生設計にはニートである時期などないはずだったのだが・・・。

次に、IT系の会社に内定しましたよ。たぶん11月から働きます。だから、実質ニートの期間は1ヶ月ほどで済みそうである。

そういうわけで、気がついたら時間を持て余せるのも残りわずかなのだが、これといって何もしていない。終わっている。

だから、今のうちにしかできないことをやろうと、心に決めたのだけれど・・・。できていない自分が非常に腹立たしい。

あまりにも悲しいので、とりあえず日中の散歩をすることにした。平日の昼間に外を歩くなんて今しかできん。

というわけで早速適当にぶらぶらしてきたわけだが・・・。普通、散策するといろいろな発見があると思う。講演をみつけたり、小学校とか幼稚園をみつけたり、新しいお店を見つけたり・・・。俺の場合、ほとんどそれがない。小学校らしき場所や幼稚園らしき場所は容易に発見できるのだが、お店とかが分からん。それに、遊んでいる子供がいない講演なのか、ただの草むらなのかの判別もつかない。

あぁ、これが全盲の悲しき性なのだろうか。でも、俺と同じぐらいの視力のくせに、周辺散策によって公園やスーパー、神社などを発見し友好的に活用しているやつもいる。あれはいったい何によるものなのだろうか。「ここが人んちだったらやだなあ」という気持ちを捨て、果敢に足を踏み入れねばならぬのだろうか。

とりあえず、昨日歩いてて分かったのは、「住宅地はのどかだ」ということぐらいである。家を買えるのはいったい何十年後のことなんだろうなあ。

今日秋葉原へ行った。で、ダイナミックオーディオへ行った。最近は、秋葉原へ行くこととダイナミックオーディオへ行くことが同義になっているのが少し悲しい。

今日はカナル型イヤホンに手を出してみようと思っていた。

その理由としては、ポータブル用途で購入したReference510に次のような不満があったからである。

  1. 装着すると髪にヘッドバンドの後が残る。自宅でヘッドフォンをして髪に後が残るのはまぁいいとして、外出先ではいやだ。
  2. かさばる。折りたたんでも、小さい鞄に入れておくにはじゃまくさい。
  3. ノイズキャンセリング機能が大したことない。ヘッドフォン自体の遮音性も低くはないけれど、地下鉄ではやはり走行音が気になる。

俺はカナル型は嫌いなのだが、髪に後が残らず、小さく、遮音性も確保でき、音が良いものとなるとカナル型という選択肢を選ぶしかないと感じたのである。

というわけで、今日聞き比べてみたものの感想をば。

初めに、ER4Sというものを聞いた。広域が良く出るヘッドフォンで、MP3を再生している割には綺麗に聞こえる。解像度はカナル型ということでそんなに際だってはいないが、分解能は非常によろしい。けれども低温の量が不足気味だと感じる。クラシックにはいいかもしれないがポップスやロックにはあまり向いていないと思った。

次に3Studioというイヤホンを試聴した。Ultimate Earsの製品だ。こちらは、先ほどのER4Sに比べて高域は出ていない。あくまでも比較であるが、ER4Sに比べて曇った感じに聞こえる。しかし、分解能はそこそこよく、低域も出ている。迫力のある低音というわけではないが、おちついた感じで、全体としてバランスの取れた音に聞こえる。それでいて音の切れが悪くないので、聞き疲れせず使用できそうな印象だった。

最後にDENONのAH-C700というものを聞いた。こちらはハウジングが金属でできている。こちらはすごい低音だ。すごい低音が出るので、まぁ迫力はある。けれども、その低音に音がうもれている感じだ。ただ音の切れはよくて、これ、ヘヴィーメタルとかハードロックを聞くのにはなかなか良いかもしれないと思った。ただし、前述のように音が低音にうもれてしまうような感じなので、分解能はこれまでの2つに比べて良くない。それに、低音が出すぎるせいで長時間聞いていると疲れそうだ。今はいいけれども、仕事帰りとか、身体的・精神的に疲労しているときに聞きたい音じゃないと思った。

ここまでで、ER4Sは除外である。したがって、残りの2機種で、同じソースを聞き比べたりして、20分ほど両方の音を検討した。おちついたバランスの良さを取るか、迫力を取るか。

結局、俺はバランスを重視することにした。ということで、ダイナミックオーディオを出るときには3Studioの入った袋をぶらさげることになってしまった。あぁ。俺ってだめな人間だなあ。

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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