支援技術や支援制度を持続的に提供および利用してもらうために考えたこと

### はじめに

支援技術や各種の支援制度は、技術的な進歩、社会情勢の変化などで、それらの提供が打ち切られたり、あるいはもっと良いものが出現したりします。

しかしながら、ここ1,2年の状況を見ていると、私は新しい技術や制度が提供開始されて便利になることより、既存の技術や制度が廃止されて不便になることの方が多い気がしています。 そして、既存または今後提供される技術・制度が、持続的に利用できるかどうか、器具しています。

この記事で取り上げたいことは、主に以下の2点になります:

* 技術に関して: __アプリケーションが公開停止または放置されること__
* 制度に関して: __過去に受けられていた配慮が受けられなくなること__

### アプリケーションが公開停止または放置されることについて

#### きっかけ

以前から私も考えてはいたのですが、記事に起こす気になったのは[@leber11778](https://twitter.com/leber11778)さんのツイートがきっかけです。

#### アプリケーションの持続的な提供と利用

私も、こういったアプリが発売されることで視覚障害者の生活が豊かになることは、大変良いことだと思います。 しかし、持続的に利用できなければ、将来的には__使えない遺産__になってしまうのではないかと心配です。

アプリケーションをユーザーが持続的に利用するためには、開発元がアプリケーションを持続的に提供できる仕組みや経済モデルが必要です。 世界を相手にして売っているアプリケーションであれば市場も大きいでしょうから、売り切りでもなんとかなるかもしれません。 ところが、日本という国の、しかも視覚障害者やディスレクシアを対象としたニッチな市場で生き残るには、売り切りの販売モデルは厳しいと思います。 先ほど引用したツイートのように、サブスクリプション形式なり月額課金なりの方法で、開発元に収入が入る仕組みにして、きちんとメンテナンスやサポートをしてもらえる方が良いのではないでしょうか。 まあ、最近はなんでもかんでも月額プランで商品を売るのが流行なので、それ事態に抵抗がある人もいるとは思いますが・・・。

#### 32bitアプリケーションの絶滅

__32bit__ とか __64bit__ という言葉を、最近は普通に見かけるようになりましたね。 用語解説は目的じゃないので割愛しますが、今後、32bit/64bitというのが支援技術関連のアプリケーションで致命的な問題になるかもしれません。

Webメディアの「Gigazine」によりますと、次のiOSでは32bitアプリが動かなくなるかもしれないとのことです。

> [次期iOSの登場で危惧される「32ビット版アプリ大量絶滅時代」の到来](http://gigazine.net/news/20170218-app-store-32-bit-ban/)

アプリの情報などから32bitか64bitを判別することはできませんが、iOS10以降では、32bitアプリの起動時に
__「アップデートが必要」__
という趣旨のダイアログが出るようです。 確か、「Voice of Daisy」で見た記憶があります。

仮に次のiOSでなかったとしても、64bitアーキテクチャのCPUが当たり前なこの時代、そしてこの先、32bitアプリが動かなくなる日は、必ずやってきます。

32bitのアプリを64bitに対応させるには、プログラムを改良する必要があります。 となると、少なくとも改良できる技術を持った人と、改良にあたっての費用がかかかります。 個人で無料アプリを作っている場合はモチベーションでなんとかなるのかもしれませんが、個人にしても企業にしても、メンテナンスを行うにはそれなりにコストがかかるということです。 逆の言い方をすると、コストを回収できる見込みがなければ、改良はしないという選択肢も有り、ということです。

アプリの64bit対応という観点からも、有用なアプリはサブスクリプション方式で収益を上げて、持続的な開発を行える体制を維持してもらいたいと切に願います。

ちなみに、これまではiOSの話でしたが、Windowsもほぼ同じだと考えて差し支えないのではないでしょうか。

スクリーンリーダーに関していえば、主要なものは64bit化が完了しています。 しかし、個人で作っているフリーソフトとかは、まだまだ32bitアプリケーションが多いです。 しばらくはWOW64という仕組みを使って64bitのWindows上でも32bitアプリケーションが動作するでしょうが、いつ32bitアプリケーションが捨てられるか分かりません。

もっとも、32bitアプリケーションの問題は、支援技術世界だけではなくて、一般的な問題です。 なので、支援技術関連のアプリケーションだけが特別ではないのですが、ただ、その影響は支援技術の世界では致命的かもしれません。

#### 懸念されること

これまでの考えから導き出されるのは、大雑把に言って次のような結果になるかと思います。

* アプリの公開停止
* 放置プレー

特に説明は不要ですね。 実際、iOS用の「Bes リーダ」は、点字データを読めるiOSアプリとして有用でしたが、公開停止となりました。 発売中に購入したユーザーは点字データをiOSで読むことができますが、もうそのアプリは入手できません。 また、前半に引用したツイートで上げられていたアプリをはじめ、更新されてないか、または更新頻度が低くて、放置プレーになっているアプリも多々あります。

そうしたアプリケーションが有用であった場合、ユーザーとしては持続的に利用できるのが一番良いことです。 それを実現するにはどうしたら良いでしょうか。

1. 開発元にお願いして、開発を継続してもらう。 そのためには、ただお願いするだけではなくて、持続的に開発してもらえるように、ユーザーはバージョンアップ料とか月額料金という形で費用を払う必要があります。
2. しかるべき手続きを経て、有用なアプリケーションのソースコードと権利を買い取り、保全する。 個人でやるのか組織でやるのか、そういった問題はありますが、商用アプリケーションについて、公開停止になってしまうぐらいなら、だれかが買い取っておいた方がいいかもしれません。 すぐには無理でも、体制が整えば、その有用なアプリを持続的に提供できるようになるでしょう。
3. オープンソースでスクラッチ開発する。 買い取りができなくて、それなりに時間と技術があればできるとは思います。 だれかが、そういう動きをすれば・・・。

私は2番目の「買い取り」が一番良い気がします。 個人で買うとなると、売ってくれるか分からなかったり、価格が問題になってきますが、できるなら価値はある行為だと信じています。 まあ、そもそも法的な面とか契約のこととか、よく分からないですし、個人よりも何らかの組織がソースコードと権利を管理する方が良いかもしれませんが・・・。 何より、売り物なのであれば、「メーカーさん頑張って!」という気持ちです。

#### まとめ

アプリケーションの開発にはお金がかかります。 便利に使っているアプリがあれば、お金を払ったり、月額プランに加入したり、寄付をして、なんとかそのアプリが持続的に提供され、ユーザーも持続的に利用できるようにしていきませんか?

これが私の提案です。

### 制度面で、過去に受けることができた配慮を受けられなくなることについて

さて話題は変わります。

ここでは__情報処理技術者試験の試験区分が少なくなった件__を例に挙げます。

昨年、IPAが行っている情報処理技術者試験において、点字で受験できる試験区分が少なくなりました。

> [【PDF】 身体障害者特別措置(骨折,妊婦など一般会場での受験が難しい場合を含む)](https://www.jitec.ipa.go.jp/1_01mosikomi/22a_annaisho/22a_09.pdf)

現在はIP、FE、APのみ原則OKということです。 以前はSCとかの高度試験も、条件付きで点字受験できたのですが・・・。 __原則__という文言があるので、交渉すればなんとか点字受験できるのかもしれませんが、これから受けようと思っている人にとっては困ったものです。

ここで、余談になりますが、情報処理技術者試験を点字受験できるようになった経緯について、以前聞いた話を書きます。

今から30年以上前、視覚障害者の職業として__プログラマ__が注目され、職業訓練として実施されていた時期があったそうです。 当時はCUIでしたから、プログラマとして活躍された視覚障害者の方も多かったと聞きます(アメディアの社長さんとか)。

ただ、そのころは情報処理技術者試験を点字受験できず、資格を取得することができなかったそうです。 そこで職業訓練校の先生方を中心に、今の情報処理点字を体系化し、現在のIPAに点字受験を認めてもらったそうです。

話を戻します。
このような経緯で点字受験できるようになった情報処理技術者試験ですが、ITを取り巻く環境が90年代後半から急激に変化し、GUI中心の世の中となりました。 そこで、プログラマとしては視覚障害者(全盲)が活躍しにくくなり、その路を目指す人も減り、そして、情報処理技術者試験を受ける人も少なくなり・・・。 こういった事情で試験区分が減ってしまったと、私個人は思います。 あと、点薬の手間もかなりかかるでしょうから、予算的に難しくなってきたのかもしれません。

最近、視覚障害者で鍼灸をやらない人に人気なのが__事務職__です。 ITパスポートぐらいは持ってて損はないですが、基本情報とか応用情報、ましてや高度試験の「なんちゃらスペシャリスト」とか「なんとかアーキテクト」は取得しなくてよさそうです。 ますます情報処理試験、特に高度試験を受ける人はいなくなりますね。

このように、配慮を無くすわけではないけれど、配慮の範囲が狭まってしまう例は、他にもあるのではないかと推測しています。

__配慮__はしていただかないと困りますし、障害者差別解消法にも合理的配慮に関する項目が盛り込まれています。 ですが、需要と費用を考慮すると、__合理的__という修飾語でなんとかごまかせる範囲に縮小されていくのは、しかたがないことなんでしょうか。 残念です。

こういった問題を解決していくには、やはり当事者が声を上げること、そして、配慮を受ける人が一定数いるということ。 この二つがポイントだと思います。 本音は「使う人がいなかろうが、ルールの存在が重要」と思うのですが、個人としても組織としても、だれも使わない制度にコストをかけるのは、やはり気が進まないものでしょうから。 もちろん、法律で罰則規定なんかを含めて、合理的配慮を完全義務化して もらえれば、法的な拘束力が生じるという点で問題は解決するのですが。。。

### おわりに

とっちらかってきたので、そろそろ止めます。

要するに、昔使えていたものが使えなくなるというのは、結構不便なことなのです。 私もそうですが、こうして豊かな生活を送ることができるのは、それを支える支援技術や制度があるからで、それらを作る人たちのおかげなのです。

日頃から私たちを支えてくださる方々に感謝しつつ、ときにはお金を払い、場合によっては自ら積極的に関わって、良いものを維持していくことが、必要なのではないかと言いたいです。

以上。 すごく眠いので寝ます。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です