酔っぱらいの戯れ言 一覧

ちょっと前、プライムニュースを見ているときに聞いた話で「確かにそうだ」と思ったことがある。

イデオロギーの話。

まずテレビで言っていたことから書こう。だれが言っていたかというと、たまにプライムニュースで見かける評論家の人。名前を忘れてしまったが「西なんとかさん」だったような気がするし、そうでない気もする。結構お歳を召した方である。

で、その人が言っていたこと。「右翼、左翼っていうのは、今と昔で意味が変わっちゃった。昔は、右翼が保守で左翼が革新。ところが今は右翼が革新で左翼が保守だ。」と。そういう趣旨の発言である。

これはちょうど大阪市長と元東京都知事がタッグを組んだ頃の話だったと思う。違うかもしれないが、違ったとしても、そういう「左右がどうのこうの」という話だ。

で、前述の発言はどういうことかというと、まず一般的に左翼と言われている「共産党」や「社会民主党」は「国民生活を守れ」とか「憲法改悪反対」とか主張するので、これは日本の現状を維持しようとするものであるから[保守的]である。一方、一般的に右翼と言われている「日本維新の会」や、過去に存在した「たちあがれ日本」といった政党は、「憲法改正」だとか、現状の日本を変えていく方向の主張をしているので[革新的]である。

ここからは私の考えである。言われてみればその通りだ。本来、左翼と呼ばれていた人たちは、革命によって権力を妥当し、新しい社会に変革するのが主たるイデオロギーだったはず。対して右翼は、日本の伝統や制度(もっと直接的には天皇制)を守っていこうというイデオロギー。ものすごく簡素化するとそういうことであると私は理解しているのだが、現在の日本を見ると、確かに逆だ。根本的な思想は変わっていなくても、やはり過去の右左とはまた違ったイデオロギーがそこにはあるような気がする。

まぁ、イデオロギーとか政治の話は人それぞれ考え方があるので、別にこれに関して私は善悪を語るつもりはない。

ただ、一つだけ面白いことがあった。このイデオロギーの左右逆転現象は、何も政治家だけのことではなくて、割と一般市民にも当てはまるようだ。というのも、知り合いの考え方が、そっくりそのまま上記のように、左なのに保守的だったもので・・・。ただそれだけ。それ以上何も意味はありませぬ。

今日は自分の思いをぶちまけるだけです。何かを主張したり、意見を述べるものではなく、単に自分が考えていることをだらだらと書くだけの、糞の役にも立たない記事です、これは。

今まで何もしなさすぎたので、何かやろうと思って、3,4個のことに同時に手を付け始めたところなのである。詳しくは省略するが、CPLGのこと。どれも中途半端になってしまっている気がする。

Cについては漠然とした思いしかなく、これから方向性を決めて行かねばならぬところであるが、人生を生きる上で将来的なCは重要なので、真剣に考えなければならない。

Pについては、別に取りかからなくても良いことであるが、12月にPをupdateする必要があり、updateかchangeかということで、現状はchangeを選択しているところであるが、今のPよりも高いクオリティのPがなかなか見つからず・・・。いくつかNewPは見ているが、気に入るものがない。今のPに不満はあるものの破滅的な要素は特にないので、ひょっとしたらPはupdateすればいいのかもしれないが・・・。

Lは要するにlanguageであって、英語が分かれば「終戦のエンペラーには吹き替えがないの?どうやってマッカーサーの台詞を理解したらいいの?」的な疑問が解決するからして、頑張ろうと思っているが・・・。

Gは楽器のことであって、いや楽器という総称ではなくもっと具体的に「弦楽器(GGK)」のうち特定の方式で音を鳴らす電気的なデバイスのことを言っている。要するに、シングルコイルとハムのどっちが良いかといわれると、どっちも良いわけで、甲乙付けるのは難しいため、今持ってる、「シングルにもハムにもなりますよ」的なこのESPの楽器はいいのであって・・・。でも、楽器が良くても奏者が良くなければ力は発揮できないため・・・。練習しなきゃと思うのである。

以上、CPLGについていろいろと書いてきたが、さっぱり分からない。俺も、ぜったい後で読み返しても分からないと思う、特にCPは。

なんか、文明的な生活を放棄して、「山で芝刈りをしたり、河で洗濯をしたりする生活」を送りたいものだ。ザーメン。あ、間違えた、アーメン。

英語の教材にキャロリンさんという女性が出ていることが多いのだけれど、キャロリンさんがかわいい。日本人だったら間違いなくファンレターを書いているレベルである。キャロリンさんはたぶん30代後半であると思われるが、西洋人と東洋人のその辺のプロパティがどういう風に違うのかよく分からんので、きっとキャロリンさんは若いんだと思って、キャロリンさんでシコシコしながら英語を勉強しております。

ところで、今日知り合いの書き込みで、第2次対戦中、徴兵検査で不合格になった盲人が、敵機のエンジン音から機種を特定して防空に役立てる「防空監視員」という役目があったということを知った。なるほど、電車のモーター音で車両の系統が分かるぐらいだから、当時としては、エンジン音からレシプロ機の機種も分かったのかもしれない。

で、今戦争が起こったら・・・。さんざん「ソナー員なら全盲でもOKかもしれない」と言ってきたけれど、その「防空監視員」というのも軍人として責務を果たすには良いのかもしれない、と思ったわけだが・・・。

だが現代戦でこの仕事はほぼ役立たずだ。そもそも音に比べて光の方が進行速度が速いので、目視の方が早期に敵機を発見できる。

それ以前に、現代ではレーダーサイトがあるので、ステルス戦闘機でもない限り領空内に進入してくる飛行機は捕らえられるし、だいたい音が聞こえた時点で対処していたのでは、現代の飛行機を相手にするには間に合わない。

しかも、対戦中とは違って、摘記の襲来より先に、地対地ミサイルや巡航ミサイルなどによる攻撃が先行して行われるはずで、レーダーサイトでミサイルを捕捉できたとしても対処できるか怪しいのに、盲人が気づいたところで、どうしようもない。

結局、B29ぐらいなら対処できた音源よる防空監視も、現代では無駄なことである。やっぱ潜水艦しかないか、俺たちには。それか、あれだ。自爆テロ。

本日居酒屋にて。

臨席の女性が「童貞は夢見過ぎなんだよ!」とほざいておりました。その件に関して異論はないけれども・・・。処女は夢見ないのかな?ちなみに、俺はあの女とはやりたくありません。

ところで、酔っぱらったときに腹が空くと、何故ラーメンを食べるのかについて、電車で会った見知らぬ大学生と熱い議論を交わしていたのだけれど、結論としては「麺類はつるつるっと入っちゃうからじゃないですかね。別に蕎麦でもいいんですが、夜遅くに蕎麦屋はやってないですし。」ということになった。しかし、一口にラーメンと言っても、豚骨、醤油、塩など、スープがいろいろあるし、太麺か細麺かという違いもある。で、酔っぱらったときは「豚骨がいい」ということで、フィナーレを迎えたのであった。

さて、ここでもう一つ疑問が沸いてくる。「ギリシャ」と「ギリシア」のどっちが正しいのかということだ。「ペルシャ」と「ペルシア」も同様である。どっちやねん?紛らわしい。もう両方ともイカロスでいいよ。太陽に向かって飛ぶなんて、羽がろうそくだろうが更迭だろうがいずれは溶けるんだから関係ねえっつうの!

だいたい、地球から太陽を目指す理由はいったい何なのか。探査機ならともかく、イカロスである。太陽じゃなくて月に行った方が良かったんじゃないのか?ひょっとして脱獄したのはいいけど世間に絶望して自殺しようとしたのだろうか、イカロスは。タコロスだめだったのだろうか。

最後に。イカロスが出てくる歌って、あれ「走れメロス」ですよね?ですよね~?ね、メロスっすよね~?メロ~ス!!

ツイッターでフォローしている人たちの間で、「バリバラという番組で障害者とお笑いについて放送する」という話題があったので、初めて見てみた。ちょうど良い加減に酔っぱらっていることだし、全盲としての感想を、書いてみることにしよう。暇なのでね。

とりあえず、バリバラとは、こういう番組らしい → ホームページ。実際に見てみた感想としては、まず「NHKが変わったってほんとだったんだ」ということ。まぁそれは本題から外れるので深くは追求しませんが、あんなにお堅い国営放送だったのに、近頃は社員の権利とか規則みたいなのが民放より自由だとあちこちで聞いていたのは本当だったんだなと思いました。

で、中身の話。本日7月5日は「障害をどこまで笑いにできるか」というテーマだった。個人的には、面白いと思いました。まぁ、私は全盲なので、そもそも笑いの壺が健常者と若干ずれているかもしれないが、個人的には、広めていってもOKだと思った。

私が思いっきり笑ってしまったのは、前半に脳性麻痺の人とお笑いのプロの人がコンビになってやっていたコントと、後半に全盲の落語家が義眼ネタでやっていたコント。

前者は「子供のころにどんな遊びをしたか」というのでコントをやっていたのだが、ドラクエのバトルを再現する場面。お笑いのプロの人は健常者(だと思う)なので普通に自分のターンは攻撃するけれども、脳性麻痺の人はデフォルトで麻痺ってるから攻撃できないというパターンである。いや、普通に面白いでしょ。

後者は、全盲の落語家が義眼を外して、外した義眼といろいろ会話するという話。ぶっちゃけ、そんな顔でテレビ映ったら普通の人は気持ち悪いと思うだろうなと思ったんだが、なんか、他のネタも併せて一番評価が高かった。個人的には「これから夏やろ。お化け屋敷いくやろ。こんな顔でお化け屋敷行ったら、脅かす方の人がびっくりしてまうで。」という趣旨の場面が受けた。いやあ、台詞はもうちょっと違ったかもしれないけど、結構、そうだなあと思って(笑)。会場の人も「最初は衝撃的だったけど、途中から見慣れて目玉親父に見えてきた」と言ってる人もいて、まぁそんなもんなんだなあと・・・。

さて。基本的にはこういうのも有りだと、私は思う。ただ、あくまで「お笑いとしてやっている」という前提があるから面白いのであって、通常の生活の中でこういうことをやっても、受け入れられるかどうかは怪しいというのが私の正直な感想。漫画家の江川さんも出演していて、「演出が良いから面白いんだ」というようなことを言っていたけれど、まさにそうなのではないか。一般的なお笑いと同様にネタが面白い面白くないというのはあるが、それに加え、見る側にそれらを受容するだけの準備ができているかいないかは、結構大きな要素だと思う。

あと、「お笑い」という点では、同じ日本の中でも、地域によって差があるように思う。今回の番組は大阪で収録していて、会場にきていた人もきっと近畿圏から来ている人が圧倒的だったと思われるが、個人的なイメージとして、近畿とか関西の人は、お笑いに理解があるというか、割と日常生活になじんでいる気がする。だから、「お笑い」という前提条件の下でこうした企画は成り立つかもしれない。が、関東圏ではどうかというと、結構怪しい。関東の人は、こういっちゃなんだが、大阪の人に比べると礼儀正しいが、それ故にどことなく冷めていて、かつ、利害の有る無しを基準にする人が多い気がする。当然人工が多いので相対的にそう感じるだけかもしれないが・・・。だから、本当のところ、関西以外の地域でどういう反応があるかというのは気になるところである。

最後に。漫画家の江川さん。TVタックルで政治や外交の話をしているときは「とんちんかんな人」と思っていたけれど、芸術のことになると、やっぱり専門家なんだなということを思いました。それが今日の一番の収穫かもしれん(笑)。

今日は何も書くつもりは無かったけど、なんか思い出したらむかついてきたから、書いてしまおう。

日本は、自国の歴史をあまりにも自虐的に教えている。学校教育で。とりわけ19世紀後半から20世紀にかけての近代史において。

要するに、日本の植民地支配をかなり悪いものとして教えているということだ。いや、植民地にするというのは、今の時代の感覚で語れば悪いことなので、今の時代の人間に教えるなら「悪いことをしたんだよ」というのは正しいのかもしれない。しかし、学校教育における歴史、とりわけ近代史においては、コンテキストが完全に無視されている。つまり、当時、植民地を作って大国への道を歩いていかねば、逆に自国が植民地になってしまうような時代だった、という前提がすっかり抜けている。

もう一つ。欧米列強の植民地支配と日本の植民地支配のあり方が、割と同列に扱われているのではにか?実態はぜんぜん違うのに。ヨーロッパのどこの国が、アフリカの植民地に鉄道作りましたか?欧米のどこの国が植民地の経済を発展させて被支配国の国民を豊にしましたか?

そりゃ、独立運動してた人を弾圧するとか、戦時下に強制労働させたとか、そういうことはあるので、反省しなければなりません。しかし、無理矢理兵隊に取られたり無理矢理働かされたのは、別に朝鮮人だけじゃなくて本土の日本人だってそうだったのではないですか?

で、なんでこんなことを書くのかというと。最近また韓国人が書いた親日的な本を読んでいるのもあるのだが、学校で教わった日本の歴史とかがあまりにも酷すぎるなと思って・・・。いや、どちらかというと、教えていた先生がちょっとやばい、日教組だったなあぁと、思って・・・。あれじゃ子供たちが誤った認識を持ってしまうと、切実に思ったのである。

ちょっと特殊な学校で私は育ちましたのでね。小学校6年生のときの社会と、中学校3年生のときの英語を同じ先生に教えてもらったのです。その先生、戦争以外のことは全く持って普通だったのだが、戦争のことになるとマジやばかった。

どれぐらいやばいかというと、例えば英語の教科書に、大戦中のネタがあったとする。確か季節でいうとちょうど今頃、すなわち6月ぐらいにそのネタをやった。で、来る日も来る日もその戦争ネタから派生した英語の文献とか英字新聞とか持ってきては、戦争の愚かさを中学3年生に言い続ける。そして、最後には、日本国憲法の英訳をテストに出題してしまった。そんなこんなで、6月に戦争ネタの英語の授業が始まってから、10月まで戦争関連の授業は続いた。あの、受験生に英文法とかボキャブラリとか教えないで、戦争の愚かさを伝える英語の文章とかばっかり教えるのは、やめてくれませんか?

あとで聞いたんだけど、その先生。他の教員を休日に誘って、憲法とか、戦争のことについて熱心に勉強会をやってたみたいだ。今思うと、日教組だったんだろうなあ、あれは。

おかげで俺は、「韓国に行ったら日本人は殴り殺される」と、ずっと思っていた。それについては、実際に韓国に行ったときそうではなかったと気づき、逆に、おじいさんは割と普通に日本語で話しかけてくるということも知ったのでまあいい。それに、歳を取って、教科書には載ってない日本の歴史に触れることが、幸いにもできたので、考えを改めることができた。俺は幸せ者だ。

だって、97年ごろだっただろうか。ガイドライン法案だったか、とにかく有事の際は自衛隊がでれます出れますよ、みたいな法案が通っただけで「とんでもないことになったね」とかいう、社会党と大して変わらない主張をする先生に教えられたんだよ。あぁ。そういえば高校の世界史の先生も、革命とか戦争のことをよく話していたけれど、やっぱあの人も考え方は左だったんだろうか?いや・・・どうかな。世界史の先生は、左右どっちかっていうと、そういうのはあんまり関係なく、純粋に歴史学者として関心があるような雰囲気だったかなあ・・・。でも、小学校の社会と中3の英語の先生はやばかった。

ということで。明治・大正・昭和前半の歴史を、学校の教科書でしか学んだことがない人は、もうちょっと、きちんとした本を読んだ方がいい。

ときどき会社で感じる「感覚のずれ」はなんだろうか、とよく思うことがある。

「だれのために物を作るんだ?」という問いかけに対し、普通は「社会のため」とか「お客様のため」とか言うに違いない。そして、一般の技術者はそうあるべきである。

ところが。俺は、そうは分かっていても、そうはなれないと思う。プログラム言語を使うのが好きだ。環境を構築するのが好きだ。良い音で音楽を鳴らすのが好きだ。

まず、プログラム言語。これには諸説あるが、会社員でプログラム言語を使いこなす人間は、たいてい何か目的があって、プログラム言語でプログラムを書くはず・・・。でも、俺は、ただプログラム言語を勉強して、リファレンス通りに動くことを確かめたいだけなのだ。

次に環境構築であるが・・。普通はWebページを公開したいとか、PCでテレビ録画したいとか、そういう思いがあって何かしらの環境構築をする。しかし、俺はただどうやって環境を作るかが分かればいいのだ。環境を作る作業が実践できればいいのだ。作った環境で何かしようとは特に思わない。何か新しい環境を作るのが好きなのだ。例えるなら、料理を作るのは好きだけれど、いざ作り終わると、なんか食べる気がしない、ってやつがいるが、それと同じだ。ただLINUXのCDをぶち込んで環境を作っても面白くないので、ネットブートだとかなんだとかをいろいろやって、環境が作れることが分かれば、それでいい。

最後にスピーカー。俺は音楽を楽しみたいからスピーカーを買い換えたいわけじゃない。別に好きではなくとも、良い音で音楽が鳴らせるスピーカーを探求したい。なんというか、音楽としてのバランスとか出来具合とか、そういうのはあんまり気にしないというか、どうでもいい。スピーカーとして、生楽器をどれだけ再現できているかとか、解像度はどうだとか、そういうことなのだよ。

これらは、言ってみれば手段の目的化である。完全に目的と手段が入れ替わってしまっている。でも、これでいいのだ。これでいいのだ。人間、目的なんて持ってもだめだ。流されるままにだらだらと生きていくことこそが人間に与えられた贅沢である。その贅沢を味わうことの何が悪い!

障害があるというのは、不便というか不幸というか。感じ方は人それぞれ。それは当事者にとっても、周囲で見ている人にとってもである。

障害当事者からすると、普段はなんとなく生活しているけれども、実際はいろいろな人に助けられているものだ。例えば、盲人であれば、普通に道を歩いているときでも、「大丈夫ですか?どこへ行きますか?」と声をかけてもらい、助かることもある。

ただ、その瞬間は助かっても、後々微妙なこともある。以下に例を示す。

  1. 目が悪いのはビタミン不足だからだとマジで思っていて、ブルーベリーを強烈に勧める人と出会ったとき。すいません、網膜剥離はブルーベリー食べても治りません。当然、勘違いしてる人にそんな理屈っぽい説得は効果がない。俺は一度「ブルーベリーを食べたらきっと良くなるわよ」とおばあさんに言われ、自宅までつれていってもらった数日後、郵便受けに何か分からないサプリメントらしき容器が投函されていたことがある。
  2. ハンドパワーで病気が治るとマジで思っている人と出会ったとき。いや、これマジ。思っている人は本当に思っている。そもそも、ハンドパワーなるものが実在するかどうか怪しいが、「私の知り合いにハンドパワーで病気を治している人がいるんですけど、一度来てみませんか?」とかなりマジで言われたことがある。秋葉原駅だったので、なんていうか、そういう意味では信憑性を感じた(笑)。
  3. 病気で目が見えないのは神様が与えた試練だとマジで思っている人と出会ったとき。アメリカ人はみんなそう思っているかもしれないが、日本人にもそういう人はいる。出家して集団生活を勧められたり、神を信じる人たちと共に共同生活をすることを強く勧められたことは、結構ある。全部断ったが。

いや、行為や気持ちは有り難いんですよ。助けてくれようとする。けれど、なんというか・・・。俺自身、そんな精神論とか科学的根拠の薄いことで障害が克服できるものとは、経験的に思ってないし・・・。息子の病気は自分のせいだと思っていろんな宗教をやったけれども、結局息子が死んでしまってどうしようもなくなってしまったお母さんも見たことあるし・・・。

あぁ。なんか、思い出したら切なくなってきたよ。障害児を産んだ母親は、やっぱり自分を責めて、自殺しようとしたりとかするのかな。うちの親もそうだったのかな・・・。たまたまなのにね。

でもさ、ぶっちゃけ、障害を持っていることは、俺は大学生までは不便だと思っていて、社会人になって不幸だと感じるようになったけれども・・・。障害者なんぞよりよっぽど不幸な人はたくさんいるよね。それを思うと。すいません。生きててごめんなさい。

こういう心の奥底に眠っている感情を主任に聞いて欲しいと思ったりするのは邪悪だろうね。だってね、そうしたとたんに・・・。いろいろ不都合な真実が明るみに出てしまうから・・・。すいません、すいません、すいません、すいません、すいません、すいません。

本日、会社の上司がセミナー発表するというので、聴講してきた。某有名高級ホテルが会場だったのであるが、そこで感じたこと。

流石に高級ホテルは、トイレットペーパーも高級である。あぁ、なんと、尻に心地よいトイレットペーパーであろうか。女性の肌のようにしなやかで柔らかなその触感は、まるでルルドの奇跡で病気が治った人の晴れ晴れしい気持ちを彷彿とさせる。

一方、会社に戻ってきて、うんこをしにトイレに行ったとき、目にしたトイレットペーパーのなんと粗末なことか。再生紙とも思えるその粗雑な紙で尻を拭こうものなら、たちまち痔を悪化させる最大の要因になることは不可避だ。

ところで。全く関係ない話であるが。

「すごい」というのは形容詞である。意味など説明する必要はないだろうが、「すごい」という言葉の概念としては、相対的と言える。すなわち、普通、あるいは一般的な事象があって、それに比べて優れているとか劣っているとか考えられないと言ったことである。

で、ここからが本題。障害者が何かすると、だいたい「すごい」という見解を、健常者が持つ。「目が見えなくても電車に乗れるんですか、すごいですね」とか「目が見えないのにインターネットができるんですか、すごいですね」とか。この現象は、酔っぱらいのおっちゃんと偶然電車で出会ったときも、かわいい女子高生が(極めて低い確率ではあるが)話しかけてきたときも、仕事の場面でもほとんど発生する。いや、知識のない健常者は思うことがある、という表現が正確だな。まぁ、そういう細かいことはいい。

けれども、障害当事者からすると、「すごい」と言われることの9割は大してすごいことでもない。だって、それが普通だからだ。どちらかというと、そのような結果になるまでには、普通の人があまり想像できない努力をしている場合があり、そっちの方をすごいとたたえて欲しいものだ。

盲人には盲人にしか分からないことがあるので、盲人の例を示す。例えば、割と自由自在にあちこち歩き回っている全盲。何故か柱も避けるし、エスカレーターにも逆方向ではなく正確に乗るし、停車中の車も避けるし・・・という人が、たまにいる。これ、目が見える人の常識では超人的と思うかもしれない。端的にはすごいかもしれない。けれど、やってる本人からすると別に普通なのだ。柱や車が目の前に近づいてくると、周囲の音の反射率が変化して音の響き方が変わるので認知できるとか・・・。そういう能力は、結果的には現在普通に身についているが、それを身につけるまでには結構な努力をしているのだ。尤も、それを努力と思ってない人間も大量にいるわけだが・・・。ただし、本人が弱視なのに杖を携帯しているとか、手動以上の視力があるとかいう前提条件はないものとしますがね。

でだ。ここで考えて欲しい。普通の人だって、例えばパソコンの組み立てができない人は、パソコンの組み立てができる人に対してすごいと思うことだろう。そして、パソコンを組み立てられる人は、初心者で説明書片手に部品を取り付けているレベルにしろ、様々なパーツを組み合わせてパソコンを組み立てた経験があるにしろ、そこには努力がある。

だから、障害者だからすごいと思われていることの大半は、障害者にとってみればぜんぜんすごくないこと。本当にすごい障害者は、凡人障害者には到底できないことをやる障害者だ。パラリンピック出るとかね。まぁパラは、金があれば・・・出られるかもしれないけど・・・。

そして、ここが一番重要なのだが。仕事において障害者を活用する気があるなら、なんでも「すごい」で片付けないので、障害特性に応じて、作業量や作業品質に対する指標値を定めることが肝心である。

障害者を雇った企業がまず困るのは、どんなことをやらせればいいか。次にやることは、どれぐらいの量をどれぐらいの期間でやらせればいいか。こんなことを書くのもあれだが、障害の種別毎に、最初に雇った障害者はモルモットとして作業上の指標値作りに充当することが良いかもしれん。付き合わされた障害者は気の毒だが、それでその指標値が業務上許容できる範囲内であれば、その後の障害者雇用は明るいかもしれない。

このように障害者に求める作業量や作業品質を定量化、あるいは明確化することで、「入社したけれど、ソフトの使い方が分からないから研修に行かせてくれ」という、金のかかる障害者を排除できる。別の言い方をすれば、会社が費用を負担しなくても、外部で指標値を満たすだけの技能を修得した障害者を、企業は野党ことができるようになり、今までの障害者採用みたいに無駄金を使わなくて済むようになるかもしれない。

まぁ、その場合の訓練所のメニューとか、考えることはいろいろあるけれど。今日は、なんか、もういいや。

最近、公私共に、障害ってことについて考えることが多くて、なんかそういう話題が多くなっているけれど・・・。どうしてだろう。気持ちは晴れないね。宝くじ当たらないかな。

ちらっと昨日書いた、乙武さんの入店拒否問題が結構盛り上がっているみたいなので、草葉の陰から眺めてみた感想をば。あくまで感想ですから、論点がはっきりしないとかいうことは、気にしないで。

改めて書いておくけれども、私は全盲です。車いすは使っていないが、障害者である。障害者の立場で乙武さんの心情を思うと、むかつくとか腹立つ気持ちは分かる。障害者だから食べたいイタリアンも食べられないというのは、差別だと思う気持ちは、重々承知。

話は脱線するが、別の例でも似たようなことはある。例えば障害者が独り暮らしをするために部屋探しをしていると、大家さんに断られて契約できないケースが多い。私も何回か断られたことがあり、それはそれは腹が立った。

話を戻して。一方、店側の言い分も当然のことであろう。人手が少ない上に、いきなり「車いすと人間を運んでくれ」と頼まれると、まぁ、普通は戸惑う。事前に連絡があれば、段取りを考えておくこともできるが、そうでもなければ、断る店側の気持ちも分かる。

これをさっきの部屋探しの例で言い換えると、どうやって生活しているかも分からない障害者に部屋を貸したら、普通ではないことが起きるのではないかと、大家さんが思っても、そんなに不思議でも不自然でもないことだ。全盲の場合、火の始末(ガスコンロとか)をどうするかということを、90%ぐらいの確率で尋ねられるのだが、普通は疑問に思うだろうし、「何か解決策があるのかもしれないからリスクを取るのはやめよう」と思う人もいるだろう。

で、私としては、どっちが善でどっちが悪かということはどうでもいい。どっちもどっちだからだ。っていうか、乙武さんのブログしか読んでないので、事実関係に基づく判断は、公平な立場ではできないというのが本当のところである。

けれども、彼のブログに書いてあることについて、いろいろとつっこみたいことがあるので、それは暇つぶしに書いておこうかな。

まず、乙武さんは店舗に対して車いす利用であることを連絡したことがあまり無いとのこと。ちょっとこれは、普通の障害者には想像ができないのではないか?いや、これは俺個人とか全盲の発想かもしれない。多人数の盲人で押しかけるときとか、事前に予約が必要な店に対しては、事前にその旨を連絡して了承を得るのがマナーだと思っていたのだが、俺は。いや、流石にスーパーとかコンビニとかマクドナルドには事前連絡したことはないけれども・・・。それにしても、連絡無しでよく車いすユーザに対応してくれたなぁと思うのは、俺の知識が足りないだけなんだろうか。

と思ったら、普段は事務所のスタッフとか有人が面倒見てくれてたようだ、乙武さんは。あぁ、事務所のスタッフかよ。了解しました。あと、行けそうなところは自分でも階段上がって行くそうで・・・。

さて、次につっこみたい箇所。ホールの男性スタッフは、どうも乙武さんを運ぶために階下へ降りようとしたらしいのだが、それを店主が止めたそうである。え?何故止めるの?ホールスタッフが対応できるんだったら、それをわざわざ止めなくてもいいのでは?

まぁ、乙武さんがブログ内で書いているように、料理を出すタイミングとかがあってホールスタッフを止めたのかもしれないが・・・。でも、そこは店主自らが料理を運ぶぐらいのことはできなかったのかなと思う。シェフが独りのようなのでしかたないかもしれんが、シェフが自ら客に料理の説明をするサービスでもすれば、それはそれでいいと思うし、そうしている間、ホールスタッフが料理を作るわけでもないだろうから、そういうふうにタイミングを合わせるやりかたもあるだろうに・・・。と、実はこの議論は全部後付け論であって、当時その場でそんなこと思いつくはずはありませんね。

では次に参りましょう。実際、お店の中でスタッフとやり取りしていたのは同伴していた女性だったようなのだが、店主から「対応できない」と言われて女性が乙武さんの待っている外へ戻ったあと、店主が階段を下りてきたそうな。それで、「事前に連絡しろ」とかいろいろ言ってきたそうなのだが・・・。そこで乙武さんは「そもそもそういうこと(事前連絡)をせずとも外食を楽しんできた」という趣旨の発言をしたということである。

ここでつっこみたいのは、一つに、何故店主がわざわざ降りてきて本人にいろいろ言ったかということ。まぁ、店は狭いみたいだったし、やり取りは店の客にも丸見えだっただろうから、「ばつが悪いからとりあえず店を出て」、「本人がまだいたから思っていることを言った」ということなのかもしれない。事情はどうあれ、最低でも、店主の人は「申し訳ありません、次回からは連絡頂ければ対応しますから」ぐらいは言ってもよかっただろう。ぶっちゃけ、建前でもいい。本音は「この常識知らずが!ぼけ!」と思っていたとしても、サービス行やってんだったら建前の一つでも使ってその場はやりすごして欲しいものである。

そして、もう一つの突っ込みは乙武さんの発言。はっきり言って、そんな事情、言われた方にしてみれば知ったこっちゃない。あ、でもこれを言ったらおしまいかも・・・。それを言ったら、サービス行は「そんなもん知ったこっちゃない」で終わってしまうなあ。うーん、個人的にはこの発言、客からするのはちょっと・・・。というか、そうか、言い方が少しあれなんだな。もっと丁寧に、最初に「これはクレームです」と断っておけば良いかもしれん。俺はあまり気に入らないのだが、そういうと「他店でも1円より高い場合はスタッフにお知らせ下さい」とアナウンスしてる電気屋のサービスを否定することになってしまうなあ。

と、ここまで書いて。しまった、俺も似たようなことを、たまに言ってることに気がついた。PC周辺機器を買ったとき、ファームウェアのダウンロードに本体に張ってあるシリアルナンバーが必要だったのだが、当然全盲にそれは読めず、サポセンに事情を説明したのだが、「シリアルナンバー無しではダウンロードして頂けないシステムになっております」の一点張りだったメーカーがあった。別メーカーの類似商品でも同じくファームのダウンロードにシリアルが必要だったことがあったが、そのときは「今回は特別にダウンロードできるように致します」と言ってもらえたことがあったので、そのときは「○○さんでは対応してくれましたけどね」みたいに、サポセンのおねえちゃんに言ったことが・・・。そういえばあったなあ・・・。

すいません、なので、前言撤回。ブログに文字を残したまま前言撤回というのもなんだが・・・。まぁ、「一度発した言葉は消せないのだよ」ということの照明です。

とりあえず突っ込みたいことは終わったので、最後に言いたいこと。

結局、今回の入店拒否問題。声を上げたのが乙武さんじゃなければ、せいぜい2CH掲示板でスレが立ったり、ツイッターで該当の発言に対するコメントがちょいちょい書き込まれたり、ひっそり店が謝罪文を掲載して収束していく問題だと思う。ポイントは、知名度の高い人の発言は影響力があるということなのだ。

乙武さん、確か4月の朝まで生テレビで、ツイッターの良い点と悪い点について自身の解釈を偉そうに述べていたと思うのだが、結局、メディアの性質を理解できてなかったってことなんじゃないかと思う。ソーシャルメディアのせいで炎上した個人や企業はたくさんあるんだから、今後はその辺の事情も学習してものを言ったらいいと思いますよ(上から目線)。

ぶっちゃけ、入店拒否とか、盲導犬連れてる人なんかもよく経験するんじゃなかろうか。イスラエルの爆弾テロみたいに、日常的なことのように感じるが・・・。

まぁ、いろいろ感想を述べてきたけれども・・・。みんな同じように利用できるサービスが一番なんだけどね。個人が店に改善を訴えたところで効果はほとんどないんだけどね。ネットで名前晒す方が効果的なんだけどね。さっきからずっと、うんこを我慢しながら書いていて、そろそろ限界だから、トイレに行って寝ます。さようなら。

【参考】 乙武さんのブログ
イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト

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プロフィール

結論の出ない駄文を残すことが趣味です。ついでに頭でっかち。
視覚障害(全盲)です。誤字脱字は、どうぞご勘弁ください。

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