なんで「ファッキン・クライスト」かというと、16世紀から17世紀のことを思うからだ。いや、そりゃクリスチャンにとっては、「我がなる父」であるからして、ファッキン・クライストのいうことは正しいのだと思うけれども、ローマカトリック教会が権力を持っていたころには、そんなファッキン・クライストの純粋な教えは、たぶんスクランブルエッグ並にどこかへぶっ飛んでしまっていたんだろう。

で、問題にしたいのは、コペルニクスとかガリレオは異端審問に欠けられて殺されたというのに、ケプラーはなぜ殺されなかったのか?ということなのである。

だれもが知っているコペルニクスなので細かくは書かなくてもいいだろう。おおざっぱに言えば、あのころ地動説を称えて異端審問で殺された哀れな科学者だ。

ガリレオもいろんなことをやっていて、異端審問にかけられるが、なんとか命は救われた。おお、これがファッキン・クライストのお導きか?

しかしながら、惑星の公転軌道が「太陽を焦点とする楕円」であることを示したケプラーも、同じぐらい死にそうな目にあってもおかしくないのに、彼自身は異端審問にかかることは無かった。母親が晩年、魔女狩りの対象になったようだが。

この3人は、ニュートン力学に送る惑星の運動において重要な役割を果たした人物である。僕は科学誌は専門じゃないからよくしらんが、ガリレオは自由落下の実験もやっていた(ピサの斜塔)らしいから、もう少し貢献度は高いのだろう。

それにしても、あの時代の異端審問とか魔女狩りのことはよく分からん。科学は、神の摂理を解き明かすものとして教会が恐れたことは周知の事実だし、悪いことはとりあえず魔女のせいにしとけばいいというのも、あの時代の文化だったのだろうとは思う。

で、前者は別として、後者はとても悲惨なこと。なんでそうなったかというと、問題はバイブル(清書)だ。あそこには、占いも魔法も禁止だと書かれている。だから民衆も貴族も過剰に反応したんだろう。

ファッキン・クライストは別に悪くないのに、科学者であろうと民間人であろうと、虐殺の対象にしたあの宗教観は好きになれない。もちろん、良いことは言っているが、所詮キリスト教は中東でユダヤ人と戦って、なんか買っちゃったとか、 貼り付けになったジーザスを本気で嘆いて意志をつらぬいたやつらのことだ。だいたい、ローマ帝国がキリスト教を射止めたのが良くなかった・・・。

いやいや、それは、まあいいとして。

ケプラーだ。ケプラーは、世に知られる第3法則まで出版しているというのに、何故かれは異端審問にかけられなかったのか?しかも、ガリレオの異端審問はケプラーの出版よりあと。であるからして、教会が彼らの間違いを認めたとは、どうしても言えない。

これは私の単なる愚鈍な推測であるが。 ティコ・ブラーエがいたのかもしれない。ケプラーは彼に指示していた。そして、ティコ・ブラーエはひたすら星の動きを記録する人物だった。教会にとって、結論さえ分からなければ、いくら記録を取っても問題ではなかったのかもしれない。

とにかく、学校ではキリスト教的世界観が教えられる一方だが、こうした科学者のことも教えるべきである。