最近、はあちゅうさんの「自分」を仕事にする生き方を読んでいる。まだ途中なので本の感想は書かないけれど、今の私にとってはとても良い本である。

視覚障害者に限っていうと今も昔も、自立という言葉を使ってはみても、結局のところ「かごの中の鳥」だ(これについては別の機会に考えを述べたい)。こんなに多様性がある東京でもだ。だから、はあちゅうさんのような生き方に憧れる自分がいるのかもしれない。以前もこのブログでそんなことを書いた気もするけど。。。

はあちゅうさんのことは、東京MXの「モーニングCROSS」で以前、何度か拝見してお話を聞いたことはあったけれど、いろいろと自分の身辺が変わって、なかなか真剣にそうした話を聞くことができずにいた。そこに、「#MeToo」の謙(そう良いことではないけど)で久々にお名前を見て、本を買った。「月刊はあちゅう」もノリで契約しちゃった。

で、今回は、はあちゅうさんのことを書くのが目的ではなくて・・・。視覚障害者の読書についてが話題なのである。

視覚障害者が本を読む手段は一般に比べると多様性は多い。

古典的には、点字に翻訳されたものを読むことが主流だった。

次に出てきたのは、カセットテープ。「朗読」というとニュアンスが違うのだけれど、「音訳」という言葉遣いにはなるが、普通の文字が読めない視覚障害者や、点字を読むことができない視覚障害者に有効な手法だった。点字を習い始めたときは私もカセットテープで、アンパンマンを聞いていたし、もっと切実な人は、鍼、灸、按摩・マッサージ・指圧師の勉強を、カセットテープでやった人も多いはず。

その次に「Daisy」というのが出てきた。まあ、ざっくり言ってカセットテープみたいに音訳された内容を聞くものなんだけど、確かマルチメディアに特化したXMLのサブセット(名前が出てこない・・・)をメタデータとしてCD-ROMにインプットして、見出しごとにジャンプできたり、ページごとにジャンプできたり・・・と、カセットに比べればずいぶん発展したものであった。もちろん、今でもDaisyは音訳データの主流となっている。

それから、Daisyよりも前に、点字をデータとして取り扱う規格がいくつか定められ、準拠したデバイスであれば点字データをコンピュータのようなデバイスで読むこともできるようになった。細かいことだけれど、そうしたデバイスはソレノイドの技術を応用して、点字の凹凸をピンで表現し、表示を可能にするものである。その昔はブレイルライトとか、ちょっと金持ちか、そういうことに積極的な人が持っているものだったけれど、今はネイティブ点字使用者は、何かしらそういうデバイスを持っている。

まあ、視覚障害者の読書環境って、ざっくりいうとこんな感じなのだが・・・。あくまで、これらは、視覚障害者のために考えられたものだったり、 print disabilities (日本語が出てこない)に向けてのものだったりするわけだけど。近年は電子書籍が普及してきたおかげで、より、視覚障害者の読書環境は改善されてきた。たいてい、出版社は、著作権法を理由に、本を点字に翻訳したりすることを良く思ってないので、レギュラーな方法で私たちも本が読めるなら、願ったり叶った利だ。まあ、DRMフリーとか、コピペできる電子書籍じゃないと読めないという問題はあるにしても。

本当のところ、もっとデバイスレベルのことを書かないと、これからの本題は理解しがたいかもしれないけれど、前振りが長すぎるのもどうかと思うので、あとは本題に交えて書くことにしたい。

ここまできて、やっと件名の話ができる。

絶対的とは言わないけど、本を読むのって、やっぱり、点字が一番だと思う。視覚障害者がコンピュータとかiPhoneを使える今の時代でも。やはり、文字として入ってくる情報と、耳から音声で入ってくる情報って、感覚的に違うんだよね。その、理屈で説明するのはなかなか難しいんだけれど。分かりやすい例でいえば、文字なら、理解できなかった部分を何度も読み直せる。けれど、音声だと、多くの場合は聞き流しちゃう。もちろん、巻き戻せばいいんだけど。。。

あと、決定的なのは、数式だ。あんなの、音声で聞いて理解できる人なんか、ほとんどいないだろう。幸い私は数学が好きで、大学も半分ぐらいは数学に浸っていたので、きちんと記号まで読んでもらえれば数式が頭に浮かぶようにできてしまってるんだけど・・・。そもそも、日本語で、どうやって数式を読むのか、大学教授もほとんど理解してない。「f(x)」と書かれたら、皆さんはどう声に出して読むだろうか?私としては「エフ、括弧、エックス、閉じ括弧」とか読んでもらってもいいんだけど、「F of X」というシンプルな表現方法もある。あるいは「エフ・エックス」でもいいんだけど、「FX」かもしれない(まあ、監修としてそんなことはないと思うが)。

そういうわけで、本を読むなら点字だなあと、思ったわけである。

ただ、点字にも弱点はある。まず、重要な箇所にマーキングできない。そりゃ、まあ、工夫すればできるとは思うけど、したところで探索にかかる時間が手間だ。そして、何よりも、点字の表記は、仮名文字、かつ分かち書きを多様するので、点字に翻訳する過程で問題が起きることもしばしば。特に新しい外来語なんかはそうだ。「インターネット」って、普通だったら何も考えずに続けて書くものを、点字では「インターネット」と続けて書くか、「インター ネット」と分けて書くかが問題となる場合がある。見識があれば、「英単語は internet なんだから分けるのはおかしい」ということになるんだけど、どうも、ルール上、本の中で統一されてれば、どっちでもいいらしい。

そういう意味で、スマホのKindleなんかは視覚障害者でも、コンテンツさえきちんとしてれば読めるが、結局のところ、技術的な問題で音声での読書が最適だったり、「ハイライトってどうやるねん?」という問題はアルので。Appleには、iPhoneと点字デバイスの関係をもっと改善して欲しいところではあるが・・・。

いろんなことを、はあちゅうさんが読書するときにメモするということを書いているのを読んで、「ああ、やっぱ、それが一番かな」ろ思った次第。結局、私たちは、本の重要な場所に下線を引くとか、ハイライトするとか、こざいくするより、大学で勉強してたみたいに、重要なことをメモとかノートにするのが一番なんだなあと思ったわけである。音声しか使えない人は、ICレコーダーにでも録音すればいい。それか、前部頭に記憶すればいい。

最後に余談だけれど、みんながみんな、そうできるわけじゃないと思うけど、視覚障害者って、記憶力がどの程度かは、勉強したり仕事したりする上では重要なファクターだと思う。よく思うけど、会議でせわしなくメモを取っている人がいるけれど、会議のようにあらかじめ資料が用意されているような場で、いちいちメモなんか取らなくたって、覚えてればいいのに・・・とは思う。もちろん、長い本を読むときのメモには意味があるし、仕事上でメモをとりシェアすることは、認識の違いをなくす意味で重要なんだけど。

だんだん話が逸れてきた。いつものことだけどね。じゃあ、今日はこれで終わりにします。