前回のエントリーで再犯率の低下について取り上げた。

その後、点字毎日の2015年3月8日号に「点字毎日データ化事業で贈呈」という記事を読んだ。「島根朝日社会復帰促進センター」という官民合同運営の刑務所で、受刑者が職業訓練として点訳作業をしているそうだ。点訳の大正は点字毎日の古い号(創刊号とか)で、紙媒体でしか残っていないものをデータ火するのが目的のようだ。

さて、「点訳死刑囚」の話は結構有名だと思うが、社会復帰の訓練として受刑者が点訳に携わってくれることは良いことだと思う。受刑者はそれぞれ、そこに至る間に様々な背景や過程を有していると思うけれど、本当は社会だったり周囲の人がほんの少し手をさしのべたら、別の路もあったかもしれない。そういう意味で、点訳は、データ化の目的を果たすと同時に、受刑者の方々に社会と繋がっているという実感を持ってもらえる事業なのかなという感想を持つ。

ただ、良い面ばかりに気を取られてはいけない。詳細は記事にも書いていなかったが、点訳作業はどういった形態で行われていたのだろうか。記事中では「職業訓練」となっていたけれど、刑務作業=点訳なのか、いくつかあるうちの一つの作業が点訳だったのか・・・。

何が言いたいかというと、出所後、点訳ができるようになっても、ほとんど仕事はないということだ。点訳で飯を食える仕事もない訳じゃないけど、全国的に数カ所に限られるし、めったに募集も出ない。にも関わらず点訳された本があるのはボランティアの人々の力あってのこと。点訳は社会貢献的な意味で意義深いことではあるが、はっきり言って飯の種にはならない。

ということで、有り難い一方、点訳を行った受刑者の方々は、他の受刑者と同じように、社会復帰後にきちんと仕事に就けそうな訓練を受けているんだろうかと、おせっかいな心配をしているのである。

と思って調べたら、どうやらきちんとした職業訓練をやっているらしい。刑務作業もあるようだが、簿記といった科目があるそうで、ほんとに職業訓練だ。確かに、ライン作業をやるよりもこういった知識を身につけた方が、社会復帰してからも役に立つことが多いかもしれない。

島根朝日社会復帰促進センター > 社会復帰に向けた取り組み

疑問は解決したところで・・・。余談。

前回のエントリーを書いてからしばらく「理解しあうこと」について考えていたのだけれど・・・。

障害社の場合、何らかの形でシンボライズされていれば、相手がそれをすぐに理解でき、支援を頼んだりコミュニケーションの配慮をしてもらったりすることは、比較的容易だ。

でも、前科がある人の場合、それってぶっちゃけ言わなきゃ言わないで特に影響もないし、進んで伝えるべきことでもない気はする。例えば会社に入るときも、人事担当の一部の人は前科があることを知っていたとしても、配属先の人にそれを伝えないかもしれないし、そもそも意図的に伝えるものでもない。しかしながら、発覚したときに抱かれる思いは、障害社のそれとは違い、かなりネガティブナ感情なんだと思う。

僕は、現状では、相手が前科有りだと分かったら全く平静でいられるか?と聞かれるとそういう自信は無い。でも、そこを色眼鏡で見るのではなくて、できれば、それまでに培ってきた人間関係をそのままに受け入れる努力はすべきだと思う。もっと直接的に言えば、仲良くしているんだったらそれはそれとして仲良しを続けるべきだし、特に親しいわけでも無くビジネスライクなつきあい方だったらそれを続ければいいと思う。

たぶん、前科を持っている方は、ある時点で良好な人間関係であっても、過去の行いがばれたときに関係が悪化したり崩壊してしまうことを恐れているのではないだろうか。こればかりは「心配しなくて大丈夫」と大きな声で言えないのが、今の社会のつらいところ。ここを、「頑張っているあなただったら前科があっても気にしないよ」と言える社会になることを望みます、私は。少なくとも自分はそう言える人間になりたい。

で、これはさらに余談なんだけど・・・。

これって、出会い系サイトとかで、普通の女の子とメール交換しているときに「いつ自分が全盲であることを暴露しようか」と考えたり、「全盲だって伝えたらメールこなくなるのかな」とビクビクするのと、実は似ているのかな・・・。

いや、これ、若いときは本気で悩みました。ある程度やりとりしてから暴露すると返信がこなくなったから、早い段階で暴露してみたらやっぱり返信こなくて・・・、ずっと隠しててだいぶ仲良くなって下ネタも話せるぐらいになって暴露しても、やっぱり返信こなくなって・・・。

結局俺は出会い系サイトでメールのやりとりするときは、ビクビクしてた。はい。なんかいやな気分になってきたから終了。