ここ数日、お酒を飲むと、肋骨と胃がすごく痛むので、何日か酒を飲むのはやめようと思う本日。

さて。鳥インフルエンザの関係で今年も殺処分の話題が出ている。毎年毎年思うのだけれども、家畜の殺処分のニュースについては、どうにもやるせない気持ちになる。

理屈は理解できる。確かに、他所へ病気が感染拡大するのは好ましくないし、そういった観点では、既に感染している可能性のある家畜を全部殺した方が効率的で確実だ。

ただ、人間の食料として頂くならともかく、本来の目的とは違う形で、意図的に命を奪われる動物たちのことを思うと、あまり良い気分にはなれない。まあ、動物に感情があるかどうかとか、そういう面倒な議論はあるだろうが。

しかしながら、僕は確実だと思っているのだけれど、家畜の飼い主と、殺処分する保健所の職員は、どうにもならない不条理に苦しんでいるのではないだろうか。

飼い主はいうまでもない。経済的な面もあるだろうし、いくら家畜とはいえ手間暇かけて育てているのだから、殺処分が合理的な対処策で有ることを認識していたとしても、そう簡単に納得はできないんじゃないか。

一方、保健所の職員だって、ほとんどの場合は気分の良いとは言えない仕事だろう。別に動物愛護にとりわけ関心があるわけではなかったとしても、自らの手で動物を殺すのだから。ごく希に、そういう仕事に高揚感を抱く人がいるかもしれないけど、そういう人は警察へどうぞ。まあ、伝染病に限らず、犬猫の処分についての問題もあるので、いずれにしても「どうなんだろう?」という問題である。

残念ながらそんなことを僕が思ったところで何も解決しないわけだけれども、人間の都合において正当な理由で奪われる命もあれば不条理な理由で奪われる命もあることを認識し、少なくとも正当な理由で奪われる命には感謝をし、不条理な理由で奪われる命には、せめてもの敬意と、やはり感謝を送らねばならない・・・。という気持ちで日々を過ごしたいと思う。

ところで、殺処分の当事者たちのことって本になってないんだろうか?探せばあるかもしれないね。

でも無いかもしれない。以前、死刑執行人の苦悩について書かれた本を読んだことがあるが、著者によれば、彼らは自分の心境について話すことを、かなり強く拒んでいたようだ。その本は苦労の末に得られた数人の証言を元に構成されていたのだが、まあ、農家や保健所職員に取材したところで、そんなに状況は違わない気もする。

何にせよ、僕がどう考えようが、伝染病が出たら家畜は殺されるし、通常通り塗擦された家畜も食肉加工されて商品になり売れなければ廃棄されてしまうし、結局何も変わらない。なんかねえ・・・。そういうことを考えるのは、それこそ無駄の境地であるように思うけど、悪いけどそういうことを、そう高くはない頻度でもいいからちゃんと考えて、私たちがどれだけ豊かであっても、その犠牲になっている命があることを認識しなければならないと思う。

まあ、いいや。ここ最近、酒を飲むと胃が痛くなるのもそうだけど、普通に食事しただけでも胃が痛いのよ。ああ、残念。