ときどき会社で感じる「感覚のずれ」はなんだろうか、とよく思うことがある。

「だれのために物を作るんだ?」という問いかけに対し、普通は「社会のため」とか「お客様のため」とか言うに違いない。そして、一般の技術者はそうあるべきである。

ところが。俺は、そうは分かっていても、そうはなれないと思う。プログラム言語を使うのが好きだ。環境を構築するのが好きだ。良い音で音楽を鳴らすのが好きだ。

まず、プログラム言語。これには諸説あるが、会社員でプログラム言語を使いこなす人間は、たいてい何か目的があって、プログラム言語でプログラムを書くはず・・・。でも、俺は、ただプログラム言語を勉強して、リファレンス通りに動くことを確かめたいだけなのだ。

次に環境構築であるが・・。普通はWebページを公開したいとか、PCでテレビ録画したいとか、そういう思いがあって何かしらの環境構築をする。しかし、俺はただどうやって環境を作るかが分かればいいのだ。環境を作る作業が実践できればいいのだ。作った環境で何かしようとは特に思わない。何か新しい環境を作るのが好きなのだ。例えるなら、料理を作るのは好きだけれど、いざ作り終わると、なんか食べる気がしない、ってやつがいるが、それと同じだ。ただLINUXのCDをぶち込んで環境を作っても面白くないので、ネットブートだとかなんだとかをいろいろやって、環境が作れることが分かれば、それでいい。

最後にスピーカー。俺は音楽を楽しみたいからスピーカーを買い換えたいわけじゃない。別に好きではなくとも、良い音で音楽が鳴らせるスピーカーを探求したい。なんというか、音楽としてのバランスとか出来具合とか、そういうのはあんまり気にしないというか、どうでもいい。スピーカーとして、生楽器をどれだけ再現できているかとか、解像度はどうだとか、そういうことなのだよ。

これらは、言ってみれば手段の目的化である。完全に目的と手段が入れ替わってしまっている。でも、これでいいのだ。これでいいのだ。人間、目的なんて持ってもだめだ。流されるままにだらだらと生きていくことこそが人間に与えられた贅沢である。その贅沢を味わうことの何が悪い!