「数学は嫌いだ」と言う人は世の中にたくさんいる。私の考えでは、そういう人々はだいたい以下のいずれかの理由で数学が嫌いなのである。一つは様々な数式の意味が理解できていない。もう一つは数式変形の過程が理解できていない。そして、数学は結果より過程が大事なことを知らない。一番最後のは純粋数学について言えることだが、応用数学、特に工学の場合は必ずしも正しいとは言えない。ただ、数学が嫌いな人の気持ちも分からないではない。何千年か何百年か知らないが、それだけ前に暇な人たちが生涯をかけて考え抜いた数学の問題を、たかが二十歳にも満たない頭で全部理解することは、結構付加が高いのかもしれない。

一方、「数学は答えが必ずあるから好きだ」という人もいる。これはこれで困ったことだ。何故ならば、高等学校までに教わる数学は、答えが用意されているだけであって、実際に数学を勉強していくと、解けない問題もあるし、なんでその結果になるのか分からないこともたくさんある。

答えがないということにフォーカスしてみると、高等学校で教わる範囲でいうと、いわゆる文系の学問には正しい答えなんぞちんぷんかんぷんなことがある。例えば、国語の教科書に載っている物語の一場面で、「登場人物や作者の信条を考えてみよう」、あるいは「その登場人物は何故そのような行動をとったのでしょう」といった問いかけである。

前者は、本人でないのにそんなもん分かるわけがない。問いかける方としては、人の気持ちを察することを学んで欲しいのかもしれんが、実際に社会に出てみると、子供のころに先生の前で一生懸命考えて導いた結論は、だいたい間違っていたことに気づかされることが多い。だいたい、蛍の墓を書いた作者、あんな物語を書いておいて、娘の学校で「(蛍の墓の)この場面での作者の気持ちを考えてみよう」っていう授業があったらしいのだが、家で娘に同じ質問をされて「締め切りに追われてヒイヒイ言いながら書いた」と答えたらしい。現実はそんなもんだ。

後者の「何故そのような行動をとったのでしょう」パターンも似たようなものだ。学校で取り上げられるような話題は、一部を除いて、非日常的なシーンが多いので、想像してもあまり役に立たない。だって、母親を殺した少年がその動機について「殺人をしたのでおやが悲しむと思ったから殺した」ということを言うことだってある。あ、これもまぁ非日常的なことだが・・・。お母さんは隠したはずのエロ本を見つけるのが何故うまいのかとか、女の子に「あんたは生理的に受け付けない」と言われたときに何が原因なのかとか、そういうことを考える方がよっぽど有意義だ。

また別の話で、歴史認識というのも答えがない話題の典型例だ。日本と近隣諸国の主張の違いを見ていれば一目瞭然だろう。ただ、学校教育に限っていえば、歴史教科書が結構左寄りの内容であることは嘆かわしい。もちろん、直接的に過去の日本の行いを否定するような記述はないものの、記載されている事実がどうにも「日本は悪かった」という方向性に持っていこうとしているように感じられる。ほら、私はこう考えるが、そうは考えない人も当然いるだろう。

その一例が韓国併合である。韓国人がこれを悪いというのは当たり前だが、日本人にもこれを悪かったと思っている人は大勢いるだろう。ちなみに私は、一部統治の仕方に問題はあったものの、韓国併合により朝鮮半島の近代化が促進されたことは事実であると認めるべきと考える。当時のインフラ整備や教育制度の策定は多くの朝鮮人に近代的な暮らしをもたらした。もちろん、日本人の差別感情やら、まぁ諸々で、苦渋を嘗めた人たちもたくさんいたことは否定しませんが。

そして、植民地という言葉を使うことが適当であるかは別として、欧米列強の植民地支配と対比すると、大日本帝国の朝鮮統治は、どちらかといえばましな部類に入ると思う。考えてみれば、イギリスなんて、中国にアヘンを売りつけて、どんどん国がやばくなってきたことに気づいた中国がアヘンを禁止すると、「アヘンを買いやがれ!」と言って戦争をしかけるような国だったのだ。少なくとも、韓国に対する併合政策はそんなもんではなかった。なお余談だが、中国についてはまた話が違う。1938年からの日中戦争は韓国併合と異なり侵略戦争だ。

ところで、似たような経験をしてる地域に台湾がある。台湾も第2次大戦までは日本の統治下にあったが、多少朝鮮との統治方法に違いはあったものの、戦後の台湾人の日本人に対する印象は、結構ポジティブである。韓国の反日感情と比べて不思議でならない。まぁ、その辺りの説明はネットを検索すればごろごろ出てくるのだが・・・。これも、本当の答えというものは分からないものだ。

余談だが、以前、「日本統治下の朝鮮で行われた日本語使用の強制は許せない」と言っていた有人が、「アメリカが日本を占領したとき、公用語を英語にしてくれればよかったのに」と言っていて驚いた。この有人、一応本人にも指摘したが、完全に自己矛盾している。「日本の公用語を英語にしろ」というのは、現代において結果的に英語が世界の共通言語として定着しているから便利なだけであって、彼の考えである「朝鮮における日本語強制使用」と本質的には変わらないことだ。まぁ、それだけじゃなく、朝鮮の場合は、学校では日本語を使い朝鮮語もきちんと語学として教えていたことを踏まえれば、彼の認識に間違いがあったということも補足しておく必要はあるし、フィリピンはこれと類似して学校の授業は国語以外英語で行う方式らしいことも付け加えておかなければならないだろうが。

で、数学の話にやっと戻そう。実は、数学だってこれと似たようなもんなのである。例えばフェルマーの定理(詳細はググれ)を照明するのに、様々な数学者がそれぞれの見解で照明法を考えた。照明が発見されるまでは正しいかどうかも分からないことで論争が起こっていたのだ。また、答えの有る無しとは反れるが、ニュートンとライプニッツの「微分法はどっちが先に発見したか」という論争も有名である。

また、少し踏み込んで話をすると、主に物理の世界で表れる非線形微分方程式の中には、解析的に解けないものがある(例:2重振り子、振り子の先にもう1個振り子を付けて運動させたときの動きを表す方程式)。こうしたものは、数値解析とか数値積分といった手法で近似解を求めることはできるが、厳密に一致する答えは得られない。

※すいません、偉そうに書いたけど、物理はよく分からないので、2重振り子の微分方程式は解析的に解けないというのは間違いかも・・・。

ただ、今までに挙げた国語や歴史の問題と違って、数学的に照明された事実はだれにとっても一つの意味しか持たないということだ。もちろん、照明された結果をどう解釈するかで見解が分かれることはあるが、ある命題に対する照明が与えられたとき、その照明、すなわち論理的な考えはだれもが認めるものなのである。逆に、照明そのものが複数の解釈を持たれるようなものでは、照明として成立しない。故に結果は正しいとは言えない。

じつは、今書いたこと、ほんとは順序が逆である。照明に複数の解釈がある場合は帰結が変わる場合があるし根拠が不十分であることがあるので、一義的な照明でなければ照明としての効果がない。故に、照明はだれにとっても一つの意味しか持たないのである。先の記述では結論を先に言いたかったがためにあえて逆順で書いた。

と、まぁ、酔っぱらっていますからね、そこはそういうつもりで読んでもらいたいのだが、結局何が言いたいのかというと、いつまでも半日半日言ってないで、半日に向ける力をもっと別の芳香に向けたらどうかということなのだ。どこの国とは言いませんが、財閥のせいで大多数が貧乏人に成り下がってしまったどこかの国なんかは特にね。「金こそすべて」の拝金主義に溺れてしまった国とかね・・・。あの、どうしようもないマルクスの教えはどこへ行ったんだい?

まぁでも、隣人なんて、だいたい仲悪いよね。お隣さんと土地の境界線でもめることだって日常的に起こりうることだし、それが国レベルで起こると領土問題になるだけの話だ。領土問題になると軍事力が表に出やすいのが少し違うところだが。

なんか最近は北朝鮮がなんか、かまって欲しい子供みたいにゴチャゴチャ言ってますが、万が一にも南進するようなことがあれば、第2次朝鮮戦争勃発だ。まぁそう簡単にならないとは思うが、今回は、残念ながらアメリカが日本に参戦するようしつこく言ってくるでしょうからね、戦争特需は期待できないでしょうな。

みんな、きちんと覚えておくべきだ。戦争すればだれかが儲かる。だかれ戦争はなくならない。そして、人間は損得勘定だけではなく、感情でも動く。腹が立ったら村人全員虐殺して、それが戦争の引き金になることもある。

戦争になれば普通では思いつかないことも起こる。おもしろ半分にアパッチで非武装の民間人を射殺してみたり。村を襲って女をレイプしたり・・・。どこかの国は、慰安婦のことで日本に謝罪を要求するなら、ベトナムにちゃんと謝罪して下さいね。