最近、自分が殺されたり他人が死ぬ夢をよく見る。結構記憶に残るぐらいの感じで。

初夢は、「アナザー」のヒロインである見崎鳴ちゃんが、何故か「いないもの」にされていることをすごく悲しんでいて、俺に泣きついてきて、俺はそっと抱きしめてあげる夢だった。もちろん、鳴ちゃんは死んだ。同じ日、そのあとに見た夢は、家族で鍋料理を食べているときに、何故か独りずつ頭を打たれて殺されていく夢だった。

次の日に見た夢は、たぶん世界観としては昭和前半、戦前である。古めかしい町並みで、何故か中日ドラゴンズのファン感謝祭のような催しが開かれていて、俺はそこに参加していたのだが、床に落ちたティッシュを拾って捨てようとしたら、「おい!それ拾ったのか、速く病院に行くぞ」と親父に言われ、病院へ行ったのである。病院も、なんだか病院というか、町の酒屋みたいなところで、入る前に天皇陛下のご加護で診察を受けられることに感謝する趣旨の言葉を述べなければならなかった。そこで下された診断は「うん、サイコガスだな。6時間もしたらやられる。サイコガスを取り除くには手を洗うことだ」と言われ、それから6時間えんえんとたらいの水で手を洗う夢だった。結局俺は死んだが。っていうか「サイコガス」ってなんですか?

以上があらましである。まぁ、人が死ぬ夢なんてみても、そう良い気分ではないわね。責めて、敵と交戦中に死ぬならまだしも、病気とか訳の分からないままに射殺されるとか勘弁してほしい。でも、鳴ちゃんの夢は切なかったなあ。なんか、厳密にいうと、「いないもの」として扱われているときは囚人のように番号がふられていて、鳴ちゃんは163番だったらしい。人を数字で識別するしきたりとか、鳴という名前があるのに数字で呼ばれる苦悩なんかを、いろいろ話してくれて、もう泣いちゃってて鳴ちゃん、もうそれがたまらなく愛おしくて・・・。あぁ。夢で良かったのやら、良くなかったのやら・・・。

で、あまりに人が死ぬので、そういう夢にはどんな意味があるのかと、遊び半分でネット検索してみたら、だいたい次のようなことを暗示しているようだ。

  • 自分が死ぬ夢は、今の自分を変えたい、今の自分から脱皮したいという思いの表れ。自分が殺されるのは、外界から自分を変える圧力があるという暗示。
  • 他人が死ぬ夢は、自分がその人から自立したいという思いの表れ。

前半の「自分を変えたいという思いの表れ」というのは、あながち間違ってないような気はする。ちなみに、それからいろいろ調べたり人の話を聞いたら、どうも、夢の内容が表す意味というのは心理学的にも研究がなされていて、上記の内容はほぼ正しいらしい。

確かに、最近たんたんと過ぎていく日々に物足りなさを感じたり、今の状態が今後長く続くのかと考えると、今別のことを始めて何かのきっかけを作らないといけない、という思いになることがある。現在俺は会社員であるが、どちらかといえば、充実した会社生活を過ごせているわけではない。仕事があるだけ幸せという向きもあろうが、それはそれとして、現状に不満を持っている。しかも、現状のままでは、今後30年、同じような状態が続きそうだ。

これが、嫁さんや子供でもいれば、文句も言わずに働かないといけないなぁ、と思うのだろうが、あいにく俺は独り身である。だから、もっと自分の思うように人生を過ごしたい。このままではだめになりそうだという思いは強い。

そういう思いが、きっと夢になったのだろう。

じゃぁ、具体的にどう変えるか。それが問題である。問題であるが、正直どう変わりたいかよく分からない。なんとなく今と違う状態になりたいというだけで、何か目標や目指すものがあるわけではない。困ったものだ。無気力、無関心、無感動・・・。「無」がすべてのことに付きそうな俺の今の気持ち。これでいったい自分をどう変えろというのか。

そこで止まっていては何も進歩しないので、とりあえず、思いや目標は別として、行動を先行させるとしたら、どんなことで今の状態を変化させられるか、ちょっと考えてみた。

  1. 放送大学で学ぶ。学費が無いので仕事しながらになるが、前から心理学とか哲学を勉強したいと思っていた。就職する前の大学は理系だったから、今度は文系の学問をやりたくて、しかも心理学や哲学はわりと前から興味があったので。ただ、ほんとに勉強するとしたら心理学かな。哲学は、研究者にでもならない限り、キャリアには繋がりそうにないから。
  2. 教員になる。まだ次の採用試験を受けるには間に合う時期だ。教員免許は持っているし、学制のころ教員なるとしたら何年か会社で働いてからだと思っていたこともあり、そう悪くない選択だと思う。しかし、教員がやりたいから教員になるというわけでもないので、果たしてそんな選択していいのかどうか・・・。「はっきり言って教員は厳しいよ」と、教育実習担当だった先生に言われたっけな。
  3. アメリカに行く。何をするわけでもないが、とりあえずアメリカに行く。100年前だったら、死ぬ思いでインペリアル・バレーを耕すっていう選択肢はあったかもしれんが・・・。今アメリカに行って何かやるとしたら・・・。蕎麦屋かな。
  4. 鍼灸の免許を取る。一番現実的ではあるが、そのあと仕事として鍼灸をやるのはちょっとなあ・・・。最終手段にしたい。
  5. ほんとに死ぬ。死ぬときにほんの少し勇気がいるのと、悲しんでくれそうな親や友達を泣かせてしまうことへの罪悪感に耐える勇気と、遺書やその他諸々の記録を参照できるように自分のPCの管理者権限パスワードを信頼できる人に生きている間に教えて、且つ死ぬまでの間にハッキングされるのではないかという疑心暗鬼に打ち勝つことができれば、死ねると思う。たぶん最後が一番難しいので、無理だな。

ま、じっくり考えよう。とりあえず何か勉強はするか。