ずいぶんと極端なことを言うもんだな、俺も。でも、俺はそう信じている。

ずーっと前から「可視化」とか「見える化」ってのはトレンドで、今じゃ「ビッグデータ」だ。もちろん、大量のデータを単に数値的に解釈するのは難しいし、全く直感的ではないけれども・・・。

データの傾向や、特定のパターンを見いだすのに可視化は大変有効だ。でも、数値的なデータをイメージとして可視化するならばともかく、論理的な要素も全部イメージで片付けるのは危険ではなかろうか。

というのも、私は目が見えませんので、なんでもかんでも言葉で説明して欲しいものですが。目が見える人は言葉よりも絵で説明することを求める。その方が直感的に分かり安いから。特に業務においてはそういう状況が多いと思う。そりゃ、ぐだぐだ言葉で説明するよりも絵を見た方が効率がいいので無駄な時間を削ることができますけれどもね。

絵で説明することは否定しない。だが、問題なのは、その絵の論理的な意味を理解して絵を描いているかどうかなのではないだろうか。別の言い方をすれば、絵を描く前に、ロジカルに物事を考える力が重要なのではないか。

俺自身は絵を描かないので回りの人を観察していて思うのだが、説明が下手な人っていうのは、言葉だろうが絵だろうが説明が下手なのである。逆に、説明がうまい人は、言葉だろうが絵だろうが分かり安い。その根底には、論理的にきちんと理解できているかどうか、という違いがあるように思う。

典型的なのは数学の世界。数学をやっているとグラフとか図形とかいろいろ出てくるが、そんなもんは表現の一種に過ぎない。式を形式的に操作することにより導かれる性質や論理的な意味を理解してこそ、初めてグラフや図形が描けるのだ。普通、関数 y=2x は右上がりの直線のグラフとして中学校で習うと思うけど、もっと本質的には線形の概念があり、そこまで理解して初めて直線となることが導かれるのである。いや、良く分からないけれども、とにかくだ。ロジカルに物事をみないといかんのだよ。

で、なんでもかんでも絵で説明させようとする文化は、このロジカルな考えを阻害する。SIみたいにトップダウンで0から物作りするときはいいが、既存システムの保守のようにボトムアップの作業が求められる現場ではなおさらだ。既にある物を理解するには、点と点を結んで直線にし、直線と直線から面を作っていく必要がある。具体的にいえば、既存システムを理解するにはデータの関連性やプログラムの動作をまずは形式的に理解し、形式を踏まえた上でその意味と、できれば設計者の意図をひもといていく必要がある。だが、絵を描くというのはまさに意味を形式的に表現する手法であり、ボトムアップのプロセスとは逆行する考え方と言える気がしないでもない。

なんか、だんだん支離滅裂な文章になりつつあるが、そんなことはどうでもいい。絵なんか使うのやめましょう。でも、よく考えたら、人類はまず象形文字の前に洞窟に壁画を描いたりしてたんじゃなかったか?実は、やっぱり絵でコミュニケーションすることは簡単でいいことじゃないか。そうだ、みんな原始人に戻って、絵でコミュニケーションしましょう。ねえ、ボビー。