人間が積み重ねてきた歴史は、地球の歴史に比べればほんの小さいものだという。数値的な比率だけでいえばそうだけれども、じゃぁ人類と一人の人間で比べれば、これについても同じことが言える。

その例が音楽だ。原始的な音楽は既に千年以上前から存在したと考えられており、現在我々日本人が耳にするような音楽は主にヨーロッパで発展してきたものがさらに変化したものと考えられる。本当かどうかは知りませんよ。

ただ、少なくとも、バッハに代表されるバロック時代の作曲家は、古代ギリシャやローマの旋法を引き継ぎ発展させたものには違いない。それにある種のアレンジを加え、メタルの構成要素として取り入れたのがネオクラシカルメタルであり、これは大変素晴らしい物である。

残念なのは、ネオクラシカルメタルは既に時代遅れの産物であるということだ。80年代のメタルブームならいざ知らず、アメリカでも日本でもメタルはぜんぜん流行ってない。これは悲しむべきことではないか。

とは言え、細々か大々的にか、まだメタルの潮流は続いているのだ。ただ、どうも、中には理解に苦しむ人たちがいる。

その前に、ネオクラシカルメタルも含め、今回の議論として区分するならば「正統派」に分類される人たちの名前を挙げておこう。

  • Impellitteri
  • Judas Priest
  • Yngwie Malmsteen
  • Deep Purple
  • Gamma Ray

他にもいろいろなバンドがあるが、まぁ、俺の中ではこんなもんだ。

さて、題名にもある「理解に苦しむ音楽」。これはXに代表されるように「逝っちゃってる感じ」なのと「文化背景的によく分からないもの」の二つに区分できる。

逝っちゃってるタイプは以下の通り。

  • Luca Turilli
  • この人は精神崩壊寸前としか俺には思えない。個人的にセンスはいいと思うのだが、何故こんな曲の構成を思いつくのか、感性が全く理解不能なのだ。チェンバロ(シンセだとは思うが)とオーボエで始まる物静かなクラシック調の調べと思いきや、いきなりアルトの歌い手が叫び散らしながらディストーションギターの奏でるメロディック・スピード・メタルへと変貌する。何がどうなってそうなったのか。最初からメロディックで良かったじゃないかという俺の疑問をよそに、終演を迎える曲はまたチェンバロとオーボエに収束していく。ぜんぜん有名じゃないけど、だからこその心地よさもある。是非お勧め。

    もう一人。文化背景的に良く分からない人は以下の通り。

    • Kamelot

    音楽性の面からも、日本には100%いないタイプなんですが、『The Black Halo』というアルバムはそれこそジーザスの教えをベースに、ダンテの作品についての造詣が深くないと理解できなさそうな感じに思える。「Marilyn Manson」のように分かり安くはないのだ。

    最後にそれらとは離れて、センスの良さとテクニックのすばらしさの両方に私が感動したアーティストと曲を紹介しよう。

    Paul Gilbert
    言わずと知れたギタリスト。「Get Out Of My Yard」というアルバムの12曲目「Haydn Symphony No. 88 Finale」と13曲目「Three E's For Edward」が良い。大変良い。涙がこぼれそうになる。そんなに指は動きません、凡人は。
    Majestic
    マイナーですが、だいぶ極端です。ジャンルとしてはネオクラシカル。で問題なのは「TRINITY OVERTURE」というアルバムの「Cadenza op.1 in A minor」。バロックはやはり素晴らしいという印象とともに「愛すべきはネオクラシカル」であることを再確認させてくれる。

    以上。