だいぶ堅い話になるが。

会社でよく「目的を考えろ!手段にこだわるな!目的のためなら手段を選ばず、という言葉もあるだろう」みたいなことを言われる。でも、なんか、俺は納得できない。何故だろうと考えてみた。

結論をいうと、以下の3点の理由により、俺は納得できない。

  1. 定量的に、目的よりも手段の方が圧倒的に多数であるから。
  2. 手段が目的化する場合が少なくないから。
  3. 目的を達成するための「正答な」手段が存在すると思うから。
  4. それぞれについて説明する。

    まず、「定量的に、目的よりも手段の方が圧倒的に多数であるから」という理由。例えば「アニメを見る」という目的に対して、その手段は何通りも存在し、それは「テレビで見る」「DVDで見る」「ネット動画配信で見る」などである。そして、さらに例えば、「テレビで見る」に対しては、それを「テレビの電波を受信する」に置き換えれば、「テレビ(家電)で受信する」「PCにテレビキャプチャを付けて受信する」など複数の手段が存在する。このように、元の目的に対して、それを実現する手段は複数あるため、目に見えるものとして「手段」が顕在化しやすいということだ。つまり、顕在化しやすい=意識しやすい、ということであって、目的よりも手段が優先されてしまう一要因である。

    次に「手段が目的化する場合が少なくないから」という理由。上記の例でいうならば、「アニメを見る」という目的に対して「テレビで見る」という手段を選んだ場合、次に考えるのは「テレビを見る」という目的に対して「家電で見る」か「PCで見るか」の手段を選ぶ。これは手段が目的化する一例である。

    また、別の例を挙げると、「アニメの得点を見たい」という目的に対して、最近では「ブルーレイでないと得点が付いてこない」という場合がある。これはつまり、手段として「DVD」や「ブルーレイ」などのメディアを選択できるにも関わらず、「ブルーレイ」でないと目的が満たせない、という状況が起こる訳で、すなわちそれは「手段の目的化」である。「アニメの得点を見たい」という目的が「ブルーレイで見る」という目的にすり替わっているからだ。

    最後に「目的を達成するための「正答な」手段が存在すると思うから」について。極端なことをいうと、「石油を手に入れたいという目的に対して、他国と戦争するという手段を取る」のは正答だろうか?「お金が欲しいという目的に対して、他人から金を盗む」というのは正当な手段だろうか。それぞれ、「他国から石油を輸入する」、「働いてお金をもらう」など、社会通念上「目的に対する正答な手段」があるはずだ。

    これまでの説明では、「仕事(業務)」において些か拡大的視点が含まれていることは否定しないが、「仕事(業務)」も社会の一つの営みであるのだから、現実を踏まえて考える必要はある。だから、それを体系的に整理したのが規則や法律なのではないだろうか。

    もう一つ、ここでは政治的・社会的な「思惑」が介在した結果については考慮していないことを断っておく。具体的には、ブルーレイの例なんかは、たぶんメーカや関係団体の市場占有や売り上げ拡大などの思惑が多々あるものと思うが、それは抜いて、個人としてどうか、ということについて述べている。

    と、「興味本位でBlu-Rayドライブを買って、得点に釣られてアニメのブルーレイ・ディスクを買いあさっている俺」を客観的に見たとき、ちょっと思ったので書いた。説明はともかくとして、結論は基本的にその通りだと、俺は自負しているのだが・・・。