平等っておかしな概念だと思う。差別はいけないと思うが、平等という概念も、差別と似たようなものではないか。

例えば、以前は女性差別が問題となっていた。どこもかしこも男尊女卑の考え方が強く、女性には男性と同じ権利・立場が与えられていなかった。そうした背景から、近年、男女雇用機会均等法ができ、女性が社会進出できる世の中になった。

女性にも男性と同じ権利が与えられ、男女平等な世の中ができつつあると、フェミニストはいうかもしれないし、逆にまだまだ差別はあるとフェミニストが言うかもしれない。

けれども考えて欲しい。社会進出という大枠でみれば平等になったかもしれないが、もっと局所的にみれば、必ずしも女性と男性の立場は平等でないのだ。

代表的なのが主婦システムである。前から「男が外で働き女が家を守る」というのが考え方として一般的だった。けれども、裏を返せばこの逆はあり得なかったのである。法律ができたので、「女が外で働き、男が家を守る」というシステムも成立すると思うが、世間はそれをあまりいいものと認識していないのではないだろうか。まぁ、主夫業に十時している男性もおられると思うが、どちらかといえば肩身は狭いんじゃないだろうか。

もう1つ。男性・女性といったことではないが、最近いろいろな会社で言われている「ダイバーシティ」という言葉。これなんて、まさに行き過ぎた平等の反動が生んだ言葉ではなかろうか。

ダイバーシティとは、性別・国籍・傷害の有無・家庭の事情など、それぞれの多様性を受け入れて会社生活を送ろうという動きである。これはひとえに「人それぞれに抱えているものは様々」という思想がある。これは平等に相反する考え方である。変な話、差別が問題になってきたころは平等に仕事をさせても支障がなかったのに、平等が定着してくると仕事のさせ方に多様性を考慮しなければならなくなったということになる。

で、結局何が言いたいのかというと、平等なんて幻想はやめた方がいいと思うのだ。そして、区別をする必要があるんじゃなかろうか。差別の場合は偏見があるのでだめだが、区別とは「複数のものの特徴でものを分けること」なので。今社会に必要なのは区別だ。平等に物事を考えていたら、きっと世界は破滅するだろう。

以上。