昨日、「インカ帝国の成立」を通して歴史に興味を持ってもらいたいと書いた。
今日はこの作品を読み、読書のすばらしさを実感してほしい。
それは、田山花袋の作品、「少女病」である。青空文庫でも読める。
この作品は、主人公の杉田古城が、電車で巡り会う美しい娘たちに思いを寄せる様子を描いたものである。
杉田はかつて名の知れた文学者であったが、発表する作品が少女に関するものばかりになってきて、世間から笑いものにされ、今では雑誌社で雑誌の構成をやっているしがない中年男性である。見てくれは、簡単に言うとゴッツイ。
そんな杉田は、歳を取った妻や、嫌みな編集長のいる雑誌社での生活にあきれていた。だが、通勤途中で出会う娘たちを見ることが彼を癒していたのだ。しかし、最後には電車に乗っている美しい娘に気を取られ、周りの乗客がよろめいた時にそのまま車外へ投げ出され、反対方面の電車に轢かれてしまうのであった。
現代には杉田のような男はいくらでもいる。私の周りにもいる。作品の一節と題名を借りていうならば、彼らは「少女病患者」である。そして、彼らの環境は確実に良くなっている。それは、田山花袋の生きていた時代と今を比較すれば明かであろう。
女子高生はセーラー服を着ているし、若い子は、特に夏など露出度の高い衣服を着用していることが多い。現代の通学時間帯の電車内は、過ぎたにとって、もう聖域であるに違いない。それは現代の少女病患者にも言えることだろうけれど。
この作品からは、様々な手法を学び取ることができる。
例えば「二」の第二段落の終盤から「二」の最後までを読むことによって、次のことを導ける。
- 綺麗、あるいはかっこいい人をみつけたら、その人が落とし物をしないかどうか観察する。落とし物をしたら、だれよりも速く真っ先にそれを広い、渡す。
他にも、「四」の第二段落中場から終わりにかけての文章からは、電車の中で娘を観察するための細かな手法が説明されている。
初期の少女病患者にとって、この作品はバイブルとなるであろう。しかし、作品中で杉田自身でそのような手法を自然と身につけたと書かれていることや、私が友人を見ていて感じるように、おそらくこうした様々な観察手法は常に効率的なものが個人によって生み出されているに違いない。しかも、明治時代とは比較にならない現代の環境では、基礎を押さえつつ、いかにして応用していくかが課題となるであろう。つまり、物事には基礎が大事だということだ。
このように、「少女病」という作品は、私たちに大切なことをいくつも教えてくれた。読書することの楽しさ、文章から妄想することの喜び、文章を読み解く力の必要性などである。だから、是非とも高校の教科書にこの作品を・・・。
ところで、私の20年後も、この杉田のようになっているかもしれない。
コメントを残す