タリーズで和栗のドーナッツを食べたことは事実であるものの、その背景となることについて書いた記事

昨日のことだが、学生時代にお世話になった先生と17年ぶりにお会いした。中学生の時に受け持ってもらって、教育実習の時にも担当では無かったがずいぶんとご指導頂いた者だ。2004年~2006年頃の記事には、夏休みとかにお会いしたことを書いたものがあると思う。

盲学校にいると同年代の生徒はとても少なくて、先生は自分より一回り上なんだけど、他の先生方よりは年齢が近かったので、半分友達のように接してくださったことをよく覚えている。いろいろご苦労はあったようだが、今はずいぶんと幸せそうにされていてほっとした。

俺も知ってる先生が、当時はまあ平教員だったのに、いつのまにか校長先生になってたとか、亡くなられた先生もいるとか、いろいろな意味で衝撃的な話も聞いたんだけど、取り分け、同年代の数名の生徒たちのその後が印象的だった、ネガティブな意味で。1級下の女子は、俺の同級生と結婚したらしいんだけど(これ初耳、同級生は俺に何も言ってなかったぞ)、メンタルを病んでしまって今はどうしてるか不明みたいだし、俺みたいに離婚してしまった人や、遠くからヘルプを必要としていることは伝わってくるのに本人とどうしても連絡が取れなくて先生方が困ってる人がいたり、いろいろあるらしい。

なんか、人生って良いことも悪いこともあるのが当然なんだが、悪いことは頼んでもないのに重なるんだなあと、つくづく世の中の不条理を呪ったものだ。そう思ったのは最近で3回目ぐらいで、つい先日までは世の中の理不尽に逆上していたところだけど、それはまた別の話。

ところで、教科の情報が本格的に教員不足らしい。導入された頃は他の教科の先生が代わりに教えていて、最近までそうだったらしいんだけど、今年からほんとに情報の免許を持っていないと教えられなくなったとか。ついでに盲学校には数学の先生が不足していて、しかも変人が多いとのこと。まあ、数学が好きな人に変人は多そうだが、教員程度のレベルではそう変人でもないと思うのだが、どうやら特殊学校にやってくる数学教員は変わり者が多いらしい。

あ、話が逸れた。情報の教員だ。そういや俺は大学生の時に情報の教員免許を持っているんだったと思いだし、調べてみると、なんと俺が取得した頃に始まると行っていた教員免許の更新制度は、既に廃止されているらしい。ということは、俺の免許はたぶんまだ有効で、講習を受ければ教員として働けるかもしれない。

今までだれにも言ってこなかったけど、何かしらの形で情報化教育に携わりたい気持ちはあった。自分がその路でご飯を食べてきたこともあって、全盲の仕事としてソフトウェアエンジニアは可能性があるし、そもそもこの時代にリテラシーは基礎事項である。概念的なことはいくらでも学べるが、取り分けスクリーンリーダーユーザーがどのような手段で情報を取得・選択・活用していくかに関して、それなりに専門性を持って指導する人材は必要だと思う。ちょっと教えるだけで、みんながみんな素晴らしくできるようになるわけじゃないし。日常生活との繋がりも密接な教科なので、絶えず世の中の動向を取り入れながら教えていかなきゃならんし、新しいことが増えても対応できる能力も養わないといけないし…。共通テストをパスするための知識だけで無く、メディアリテラシー含め、いろいろなことを早いうちから伝えていきたいなあと、漠然と思っていた。

今の仕事を辞める気はぜんぜんないし、むしろ長く続けたいけど、もしチャンスがあれば、エンジニアの仕事と教育の仕事を両方やってみたい気持ちが、昨日先生とお会いして沸いてきた。まずは教員免許状を探さないといけないけど、見つかったら先生にちょっと声かけつつ、必要なら放送大学で学び直してみようかなあ。


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