「最近の退屈な日々と恋愛の思い出」

 ここのところマジで何もしていません。
学校に行ったりはしてますが、これといって休日も家出ごろごろしてるし、だからといって毎日充実しているわけでもなく…。
来年の4月に資格試験を受けようと思って少しばかり勉強していたりもしますが、それもなんだかあまりはかどらず…。
そもそも勉強をするという行為は、勉強が趣味でもない限り苦痛であることが一般的なわけで、勉強をする動機はどちらかといえば内発的な動機よりも外発的な動機なのであります。
つまり何が言いたいかといえば、楽しいこともないのにただ退屈な日々の中で勉強するというのはとっても難しい、ということです。
ここのところ金もないし、そのおかげであんまり遊べないし…。何か面白いことでもないでしょうか?



 そういえば、少し前に友達と恋心について話をしたことがありました。
現在俺には彼女はいませんが、彼女にしたいと思っている女もいません。
それに大使その友達は彼女持ちです。
というか、俺の周りには北海道と九州で長距離恋愛(遠距離なんてもんじゃないでしょ)をしているカップルもいますが、そいつとは別の人です。
まぁ彼自身のことはさておき、そこで話題になっていたのは、「いくらつきあうことができなくても、愛しいと思える存在がいるだけで、そう思える人がいないときより生きる希望が持てる」ということです。
 俺の場合は、まぁ2,3年前の日記にいろいろ詳細が書いてあるとおり、高校生のころは恋をしておりました。
そう、それこそまさにつきあえる保証は無い、寧ろもてあそばれて終わりみたいなもんでした。
まぁ俺もあきらめが悪くてどんどん度つぼにはまっていった感はありますが、なんにせよ恋をしていました。
当時はなんだかんだいって「学校に行けば彼女に会える」とか「手紙の返事が待ち遠しい」とか普段から考えていたわけで、渦中の女と接する時間と同時に、自分の中でそうした構想を描くこと自体にも新鮮な感情と生きる糧を見いだしていたような気がします。
 ところが、今の俺は恋なんぞしちゃぁいません。
というか、女としゃべる回数が激減している次第です。
ざっと今考えたところ、年齢の近い女の子と言葉を介したコミュニケーションを最後にとったのは、たしか2週間ぐらい前だったような。
あくまでそれはSkypeを通したものなので、実生活の中でそうした機会があったのはいつだったかを考えると、少なくとも1ヶ月程度はなかったと思われます。
ひょっとしたら半年ほどそういうことはなかったかもしれません(俺って寂しいやつ)。
昨年はまだ大学の女の子とも1ヶ月に一度程度はしゃべっていた記憶があるのですが、よくしゃべっていた子は最近学校に来てないし、その子以外とはクラスの女としゃべったこともないし…。
これじゃぁ恋をすることは無理なんですけど、ちょっと考えてみればあのころと今では、「生きて行くうえでのモチベーションの高さ」は明らかに異なっています。
いくら実らない恋でも、恋をすることそのものが自分自身を高める原動力になっていた事実はいなめず、以前にも増して「恋はすごいなぁ」と思うわけです。
 ただし、「彼女がいる」こと=恋をすることではないと思っています。
なぜならば、「恋」というレベルにおいては、恋をしている相手を自分の中である程度形成された理想を元にして捕らえていることが多く、逆に「彼女」になってしまうと理想とのギャップに悩まされることがあるからです。
これは俺の経験から言っていることであり、周りの人を見ていて思うことでもあります。
どういうことかというと、例えば好きになった女がいたとして、その女は外見も性格もかわいい、ちょっと天然なところがまたいい、なんて思っていたら、実際つきあってみると頑固でわがままだったとか、いかにもありそうな話でしょう(天然で頑固でわがままな女なんて俺はいやだ!)。
 ま、しばらくは俺には縁のなさそうなことですが、できれば縁があって欲しいことではあります。



 下らないことを長々と書いてしまいましたが、最後に今日の俺の暮らしぶりを箇条書きにしてみました。


  • 朝目覚める

  • テレビを付けてまた寝る

  • また目覚めて音声チャットする

  • シチューを作るがシャビシャビになる

  • また寝る

  • 今夜はたぶん徹夜