I’m alone in this Christmas. Now it’s funny to think what I do those days.
というわけで。クリスマスの日に、一人でケンタッキーに行ったときの、むなしさというか、「なんでこんなに並ぶのよ、チキン買いたいだけなのに!」などという気持ちを味わわないように、ケンタッキーへは行かない。というか、近くのケンタッキーは外までずらっと並ぶので、24日とかは、それだけで萎えるんだが・・・・。
学生のときは、みんな暇だったので、いつもと変わらなかったけど、居酒屋で飲んでた。その日だけはビールや日本酒じゃなくて、ワインだった気がするけれども・・・。
ある年は、LINUXサーバにスパムフィルタを構築したり、LAMPの開発環境を整備していたら、クリスマスが終わっていたときもあった。特に寂しさを感じなかったあの当時に戻りたい。
高級レストランでクリスマス・ディナーを楽しんだり、チャーチでクリスマス礼拝に参加したり、そういったことは一切したことがないので、何か、今までに経験の無い過ごし方をしてもいいのかもしれんなあと思いつつ、たぶん思うだけで家にこもってんだろうなあ・・・。そもそも、社会人になってからは、クリスマスというものを意識したこともなかったし。外国と違ってクリスマス休暇なんかないしね。
個人的には、チャーチでの礼拝に興味がある。礼拝の意味合いというより、どんな音楽が流れるんだろう?15世紀~16世紀のローマ・カトリック教会で歌われていたような賛歌だったら非常に興味があるんだけども・・・。あのころの音楽は、基本的な旋法の組み合わせを主体とする楽曲が多くて、聞いてて楽しいのよね。ドリアンとかミクソリディアンとか、そういうやつね。
でも、信徒でもない人間がクリスマスだけ礼拝に行くとか、いいんかねえ?ジーザスの言葉を借りれば、俺は岩の上に落ちた種みたいなんだけれども・・・。
あと、OKだとして、さてさて、どこのチャーチに行くか、だよね。ローマ・カトリックの音楽が良いとか言いつつ、行くならプロテスタントだなあと思っているわけだけど、プロテスタントと一口に言っても、仏教の寺並にいろいろな宗派があるので、どうにも気が重い。仏教の宗派は、宗派間に階層的な構造があって、「格が上」だとか「下」だとかということが、わりと気にされる。似たようなことがプロテスタント諸派にもあるのなら、吟味した上で行きたい。いやまあ、別に洗礼を受けに行くわけじゃないんだけど、とかく宗教とかイデオロギーのことは面倒なので、人間関係のことをいろいろ考慮した上で動かないと、面倒なことになりかねない。となると、チャーチには勝手に行かない方がいいだろう、ということになり、結局何もしないことになるのであった。残念。
誘われれば礼拝に行ってみたいけど、あいにく、誘ってくれるほど親しい人にクリスチャンはいないので、Youtubeで礼拝の動画でも探すか。「主よ、今日も私どもに糧をお与えくださり、ありがとうございます」とか祈りながら、黄金に輝く飲み物でもいただきつつ(笑)。
さてさて、殺伐としたこの自宅で、今日あと半日、どうやって過ごそうかしら・・・。
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