「保証された将来と他人の愛を求める日常の葛藤」


別に何かが欲しいわけじゃない。冒険はしたくない。ただ保証された将来が欲しいだけ。無難に生きて、その生きている一瞬が楽しいならばそれでいい。何かに追われることから逃げたい。そういう希望を持ってはいけないのだろうか。何もかも捨ててしまったら保証された将来など無くなってしまうだろうけれど、投げ出して、捨てて、無になって、それでも生きているという証拠があればそれでいいとも思う。




自分の存在が他人にどれだけ影響を与えているのか知りたい。例えば、今自分が死んだらどれだけの人が悲しんでくれるのか知りたい。本当の意味で涙を流してくれる人はどのくらいいるのだろう。




映画のように同じシーンが繰り返される毎日の中で、自分を見失わず生きていられる人はどれぐらいいるのだろう。仕事に追われ、勉強に追われ、あるいは何にも追われず、過ぎていく日々の中、死に際に覚えていられる瞬間などいくらあるのだろう。




だれかを愛したい。だれかに愛されたい。確かめ合える関係でいたい。自然に互いを必要とする関係になりたい。自分が必要とされているという確証が欲しい。それは贅沢なことだろうか。