「プロダクトキー成功と霊能者番組への疑問」


またこの話題で恐縮ですが。Windowsのプロダクトキーのはなし。




今朝、もう一度だけ友人に頼んで、写真に写ったプロダクトキーを読んでもらいました。そうしたら、今朝の写真はすごく綺麗だったようで、無事プロダクトキーが通りました。流石だ!サンキュー友人よ☆




そういうわけで、WGAのうざったい認証にも通って、現在普通にWindowsを使えるようになっております。よかったよかった。







話はぜんぜん違うけど、最近「なんとか」っていう、霊能者だかなんだかよく分かりませんが、死んだ人と話ができる、みたいな人がいて、「天国からの声」みたいな名前の番組ありますよね。




で、別にこういう番組を製作することは問題ないと思うけれど、そこで天国からの声を伝える人の言っていることは、どれだけ信憑性のあることなのか検証できないのは多少問題があるのでは?




例えば亡くなった祖母の声を霊能者が聞いて「明るく元気で過ごしてくださいと言っています」と遺族に伝えたとしても、その言葉が本当に亡くなった祖母のものである可能性はいかほどなのか。私は0に近い気がしますが。




どちらかというと「こんなことを言うんじゃないだろうか」的な気がします。「見守っていますよ」観がこもった言葉で遺族は十分でしょうから。




それがいくら霊能者が見繕った言葉であっても、故人からのメッセージであると思うだけで遺族は満足でしょう。そういう心理を巧みについた戦略であるような気がしてならないのは俺だけ?いや、まあ、例えそうでも、そうでなくても、どっちでもいいんだけどさ。




これに限らず「他の人には分からないことが分かる人」が発する言葉というのは、論理的かつ科学的な信憑性がとぼしく、信用するに値しないのに、そういうのに限ってみんな興味を持ってしまうのは、人間の心理の不思議なのでしょうか。




今はそんなにありませんが、前は霊能者がピラミッドに入って何何々王の霊とコンタクトを取るとか、ノストラダムスの墓に行って1999年に何が起こるのか聞くとか。かく言う俺もそういう番組を真剣にみていたわけですが。あのころは純粋だった。




たしか1997年か1998年、宜保愛子がノストラダムスと話をしていた記憶がありますが、そのときには「1999年には大きな戦争があるのではないか」と言っていました。何かあったっけ?ユーゴスラビアは99年だったっけ?でもあれぐらいの戦争、いつものことだと思うのだけれど・・・。





そういえば宜保愛子ってもう死んだよな。一時期テレビに引っ張りだこだった気がするけど、いつのまにか出なくなったと思ったら、気がついたときには既に亡くなっていたような・・・。え?実は生きてらっしゃるのかな。グーグルの関連検索に「宜保愛子 その後」とかあったのを一瞬クリックしたくなったけど、今日はやめておこう。